2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【BBC】第2次世界大戦の英雄と、日本の過去との向き合い方[08/16] [Ttongsulian★]

1 :Ttongsulian ★:2020/08/16(日) 17:22:57.61 ID:CAP_USER.net
2020/08/16
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-53789705

第2次世界大戦の日本の軍人で、敗戦後、最後に正式投降したのが小野田寛郎だ(文中敬称略)。

小野田少尉は1974年3月9日、やっと自らの剣を引き渡した。29年間、フィリピンのジャングルで持ちこたえた。日本に帰国後のインタビューや手記では、日本が降伏したことを受け入れられなかったと述べた。

部外者には小野田は狂信者に見えた。しかし帝国時代の日本では、彼の行動は完全に理にかなっていた。小野田は決して投降せず、天皇のために死ぬと誓っていた。女性を含めた他の国民も全員、同じ事をするはずだと彼は信じていた。

だがもちろん、そんなことはなかった。1945年8月15日、日本の最高神である裕仁天皇は、天皇として前例がなかったことをした。ラジオに現れたのだ。原子爆弾が広島と長崎を破壊していた。2つ目の原爆が投下された日、ヨシフ・スターリンが日本に宣戦布告した。ソビエト連邦軍はすでに、満州を席巻していた。数週間以内に、ソ連軍は北海道に上陸するとみられた。裕仁はアメリカへの降伏が最善の選択だと受け入れた。

それでも、天皇の降伏演説はもう少しで実現しないところだった。8月15日朝、若い将校らが部下を率いて皇居の敷地へと入り込んだ。演説の録音を奪い取るのが狙いだった。彼らは戦争にはまだ負けていないと信じていた。日本本土は侵略されていなかった。中国にいた大規模な陸軍の多くは、まだやられずに残っていた。

将校らは、アメリカの爆弾で多数の民間人の犠牲者が出たことを、ほとんど気にかけていなかった。彼らの関心はただ1つ、天皇制の維持だった。天皇の安全が約束されないうちに平和交渉をするなど、もってのほかだった。

若い将校らは放送を阻止できなかった。しかし、望みは実現した。降伏後、アメリカは裕仁を戦争犯罪人として裁かないことを決めたのだ。その代わり、彼は天皇の座にとどまり、実質的なアメリカの操り人形となった。

これは1949年まで日本を支配したダグラス・マッカーサー米司令官による、抜け目のない判断だったといえるだろう。マッカーサーは自らの施策――保守的な日本をアメリカ式の憲法をもつ近代的民主主義国家に変革する――を推し進めるため、天皇を利用したのだった。

戦争に勝った連合国は、日本の戦時中の指導者28人を裁判にかけた。東条英機首相ら7人が絞首刑となった。しかし、その他の人たちは何ら責任を問われなかった。天皇のおじで、中国の首都南京(当時)における悪名高い大虐殺の際に日本部隊を率いていた、朝香鳩彦王子もそうした1人だった。

彼らを不問に付すことを、マッカーサーは必要悪と考えていた。だが彼の判断は、日本が過去と真剣に向き合うのを避けることを許し、奨励すらすることになった。

裁判を逃れた別の人物が岸信介だ。岸は満州の占領で重要な役割を果たし、東条英機の側近でもあった。アメリカは彼を不起訴にし、1948年に釈放された。アメリカが日本を占領していた間は、公職から追放された。

しかし1955年、岸は新たな政治勢力の形成を画策した。自由民主党だ。まもなく彼は同党の党首となり、日本の首相になった。彼にとってのリハビリ期間は終了し、彼が創設に関わった政党はその後の65年間のほとんどにおいて、日本を支配することになった。

>>2あたりにに続く

83 :七つの海の名無しさん:2020/09/01(火) 15:40:15.78 ID:c+lCb5sc.net
ニダニダ

総レス数 83
35 KB
掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200