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【BBC】第2次世界大戦の英雄と、日本の過去との向き合い方[08/16] [Ttongsulian★]

2 :続き@Ttongsulian ★:2020/08/16(日) 17:23:26.84 ID:CAP_USER.net
岸信介の娘は、別の有力政治家一族の息子、安倍晋太郎と結婚した。彼はのちに日本の外相にまでなり、晋三という名の息子をもつようになる。

安倍晋三首相のこうしたルーツは決して珍しいものではない。日本の政治家一族は極めてしぶとい。

安倍晋三は祖父と親しかったと言われている。祖父は若き日の晋三の政治観に深い影響を与えた。多くの右派の仲間と同様、岸信介も自身がかろうじて免れた戦争犯罪の裁判を、勝者の裁きと考えていた。戦後の平和憲法を破棄することが、彼の生涯の目標となり続けた。

1965年のスピーチでは、岸は「日本の敗北とアメリカの占領の影響を完全に消し去る方法」として、日本の再武装が必要だと主張した。

日本に批判的な中国と韓国の人々は、日本が第2次世界大戦でした事に対して一度も適切に謝罪していないと言うが、それは間違いだ。日本は繰り返し謝罪している。問題は、日本の有力政治家らによる他の言葉や行動だ。それらのせいで、日本の謝罪は完全に心のこもったものではないと受け止められる。

1997年、日本の政治エリートによって1つの新しい団体が設立された。日本会議だ。秘密結社ではないが、その存在や目標を知る日本人は少ない。

この団体の目標は、皇室を中心として日本の国としての誇りと一体感を取り戻すこと、平和憲法を破棄すること、国旗・国家や国の歴史への敬意を広めること、日本の軍備を増強することだ。

日本会議の会員約3万8000人の中では、安倍晋三首相、麻生太郎副総理、小池百合子東京都知事といった存在が目を引く。

会員の1人だったのが、生前の小野田寛郎だ。1970年代になって小野田少尉が帰ってきた日本は、彼が好むものではなかった。戦後世代は軟弱になったと彼は考えていた。一時ブラジルに移住し、牛の牧場で生計を立てた。その後日本に戻って学校を開き、ジャングルで30年間生き延びるのに役立った技能を日本の若者に教え込んだ。

小野田寛郎が2014年に91歳で死去した時、追悼を述べた安倍首相の報道官は感情をあらわにした。彼は小野田の孤独な戦争の無益さについてはみじんも触れず、日本が降伏して何年もたってから小野田が殺したフィリピンの村人たちのことも言及しなかった。その代わり彼は、小野田寛郎は日本の英雄だと述べた。

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