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産経抄ファンクラブ第213集

861 :文責・名無しさん:2016/01/24(日) 09:51:44.82 ID:4qwJZExu0.net
【産経抄】2004年2月1日
イスラエルとレバノンのイスラム教シーア派民兵組織ヒズボラが捕虜交換に合意した。国際面の片隅の記事に思わず
目を奪われたのは双方が釈放する捕虜の数の甚だしい不均衡だ。実に四百九十五対四。圧倒的にイスラエルが不利な
のだ。
▼死者(遺体)を除けば生きてイスラエルに返還される捕虜はたった一人、相手は四百三十六人である。専門家に聞
くと、一九六七年の第三次中東戦争(六日戦争)の最中、イスラエルはエジプトで暗躍した情報員、ウォルフガング・
ロッツ夫妻を五千人ものエジプト人捕虜と交換、救出した前例があった。
▼冷戦時代の米ソ両陣営の捕虜交換といえば、その主な舞台は東西ベルリンの境界に架かるグリニッカー橋で、大抵
は一対一、せいぜい一方が数人多い程度だった。
イスラエルがこんな「不等価交換」をのむのはなぜか。くだんの専門家の解説は明快だ。
▼「ローマ帝国に滅ぼされた祖国を約二千年ぶりに戦後やっと再興し、周囲すべてが敵のアラブ諸国の中で軍と情報
機関を精鋭化した。兵士やスパイの一人一人を国防の要石として死守し、捕虜はどんな不利な条件でも取り戻す気概
を示してきた。それが国民の士気と団結心を高めてきた」。
▼捕虜ではないが、イラクの自衛隊員を支援し、無事の帰国を祈る超党派の「黄色いハンカチ運動」が旗揚げした。
隣のテロ国家に囚(とら)われの身となっている拉致被害者を無事に取り戻そうという「青いリボン運動」も輪を広
げている。
▼この国でもようやく、海外で任務を遂行する「国防の要石」の一人一人、異国で苦難を耐え忍んでいる一人一人の
命運に思いをいたす機運が兆したということか。
戦後五十九年、やっとイスラエルの麓(ふもと)あたりにたどり着いたのだ。

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