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【栃木】「ついに自分の番。生ききりたい」 がんで余命数カ月の僧医 緩和ケアに宗教を

1 :坊主 ★:2015/08/08(土) 15:58:52.76 ID:???.net
引用元:産経ニュース 2015.8.7 19:51
http://www.sankei.com/west/news/150807/wst1508070067-n1.html

 「死という苦の緩和ケアにこそ、宗教が役立つ」。そんな信念で寺の境内に診療所を作った僧侶兼医師が、がんに冒された。
余命は数カ月。数えきれないがん患者を看取った末に、自分の番がきた。
痛みや辛(つら)さが訪れることは知っている。死が怖くないといえば嘘になる。
それでも、僧医として活動した経験を後世に伝え、残された人生を仏教徒らしく全うしたい。闘病の日々は続く。(小野木康雄)

■治癒望めず

 真言宗豊山派の西明寺(栃木県益子町)住職、田中雅博さん(69)。
境内の普門院診療所(19床)で、がん患者らの治療や緩和ケアに当たる。

 昨年10月の健康診断で、膵(すい)臓(ぞう)がんが見つかった。
自覚症状はなかったとはいえ、専門医だけにがんの進行速度は知っている。
ただちに摘出手術を受け、約2カ月間入院した。

 手術直後は体の痛みや息苦しさで眠れず、時間の経過が果てしなく長く感じられた。
今年6月の検査では肝臓への転移も判明した。

 治癒は望めない。現在は抗がん剤治療を受けているが、期待できる延命は数カ月。長くて年内までの命という。
「これが精いっぱいの治療。ついに自分の番が来たということです」

■寺院に医療を

 西明寺で生まれ育ち、前住職だった父の勧めで慈恵医大に進学。
研修医時代を含めて13年間、国立がん研究センターで勤務した。

 「死にたくない」「死ぬのが怖い」。担当したがん患者からそんな訴えを聞いても、手術や薬で対応できる問題ではない。
宗教者でなく医師として働く自分には、どうすることもできなかった。

 父が60歳で亡くなり、センターを退職。
住職になるため、大正大に編入学して大学院に進み、寺に戻ってすぐの平成2年、境内に普門院診療所を建てた。

 在学中の昭和60年ごろ、仏教界では宗派を超えてホスピスに関与する僧侶が現れはじめた。
自らも僧侶仲間とともに、がん患者の家族から悩みを聞く活動をした先駆者の一人。
医療現場に僧侶が赴くのとは逆に、医療を寺院に取り戻そうと試みた。

 かつて寺院には、施薬院や療病院と呼ばれる医療施設が置かれ、医術に精通する僧医が患者の治療にあたっていた。
そうした歴史が念頭にあったという。

■般若心経を糧に

 平成14年以降、ローマ教皇庁に4度招かれ、緩和ケアなどに関する国際会議で仏教者の立場から講演した。
キリスト教圏では、生死や命の意味といった人間の根源的な苦痛に対する「スピリチュアルケア」の専門家を、宗教者から育てていた。

 「世界に誇る日本の医療で、唯一の欠陥は宗教者がいないこと。病院がスピリチュアルケアの専門家を雇える仕組みが必要だ」

 傾聴を通じて患者の苦悩を和らげる「臨床宗教師」が誕生したのは、3年前。時代が追いついてきた矢先に、寿命が迫ってきた。

 抗がん剤の副作用で手足はしびれ、日に日に筋力も弱まる。本堂まで126段の石段を上り下りするのも辛くなった。
それでも、毎月第一日曜には西明寺住職として、護摩供養などで参拝者に教えを説く。

 よりどころにする般若心経は「五(ご)蘊(うん)皆(かい)空(くう)」を説いている。
自分に執着しない、という生き方だ。般若心経に関する本を執筆し、自分の理想とする医療を後世に託すことが、いまの生きる希望になっている。

 「死が近づくと思うようにいかないかもしれない。辛さも出てくる。でも、残りの時間を有効に使って、生き切りたい」

がんの体を押して護摩供養に臨む田中雅博・西明寺住職(手前)=7月5日、栃木県益子町
http://www.sankei.com/images/news/150807/wst1508070067-p1.jpg

23 :やまとななしこ:2015/08/11(火) 05:51:14.94 ID:hCqRNb5v.net
最後は自分がどう納得するかだからな
俺はもう死生感は定まってるからいいけどお前らはピーピーわめくだろうなー
誰でも死ぬんだから考えとけよ

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