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人んち住んでいる人達の社会的背景との関係2

1 :傍聴席@名無しさんでいっぱい:2023/07/21(金) 02:36:36.88 ID:bmpqKXxwi
孝明天皇とその親戚の公家さんが、対立していたと言われる頃、既に、京都に居座っていた薩摩藩の藩士により、
孝明天皇は、地下の牢獄に幽閉され、孝明天皇にそっくりな、日に焼けた偽者と入れかえられており、それがゆえに、
先代の天皇の兄弟の末裔の公家の者と薩摩藩士が対立し、剣術には長けるが、ライフル銃や鉄砲を持たないが故に、
公家の者が、一方的に、殺害されたりしたが、長州藩と孝明天皇の間には、既に子孫が生まれており、幾らかの長州藩
の手勢が、京都の一部に展開し、その虐殺の現場を目のあたりにしていたが、急遽、暴動を鎮圧するために、2000人の
近代化を受けた長州藩の兵士が、派兵され、瞬く間に、蹴散らすように、5000人の旧式の装備しか持たない薩摩藩士
は、撃破され、散らばる様に逃走したらしいが、補給路の確保のために京都に居座り、私掠の限りを尽くしていたのだが、
その事件で、同盟関係にあった、薩摩と長州の間に、西南戦争が勃発する事となり、その後の日本の社会に軋轢を生
じる事となり、薩摩側のフリーメーソンリー派閥の統制派と長州側の王政派閥の皇道派に分かれ、日本が分裂する事と
なる。明治天皇に関しての間違いは、孝明天皇の子孫ではなく、当時の孝明天皇の9親等離れた親戚の公家の松下
(安田財閥のオーナーの英国のチャールズ王の祖先)の子孫であり、明治天皇への即位後、孝明天皇の死後、孝明天皇
の子孫ではない事が発覚し、20兆円の資産の返却を求められ、数百人の手勢を率い、北九州の大分に落ち延び、名古屋の
強盗団により、陥落後の創業者の子孫と入れ替わり統治していた住友財閥3代目新オーナーの名古屋の公家の末裔の
女性と結婚し、住友財閥を経営し、連帯保証人詐欺により、500兆円の負債を日本人に負わせ、インドや英国などの海外
に逃亡し現在に至る。それでは、明治天皇として公務に服した影武者はというと明治天皇の遠くの親戚の警察官の家系の
者であるらしいが、その子にあたる大正天皇が、薩摩の後継の鴻ノ池軍であるヤクザ勢力の傭兵のクーデターにより、長野県の
上田市にある住吉町に連行され、洋館に住んでいた名古屋の公家の家系の者と子供をもうけ、殺害されたのだった。という事は、
日本の司法と皇室は、王政打破派のフリーメーソンリーの勢力が乗っ取ったことになるので、三権分立の効果が低いのかもしれない

2 :落ちぶれたダースベイダー:2023/07/21(金) 16:50:19.69 ID:i1cFbC40K
スゥーコォ〜スゥーコっ、、
ゴホッ!?ぼgl

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