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【東洋経済】世界レベルになった「日本のパン」最前線 老舗の名物から最新ベーカリーの作品まで

1 :あられお菓子 ★:2018/05/06(日) 17:41:00.17 ID:CAP_USER.net
東洋経済 ONLINE 2018年05月06日
(記事元に各種パン画像あり)
https://toyokeizai.net/articles/-/219066

 ビジネスの中心地であり、流行発信地でもある港区。そこで愛されてきた老舗の名物パンから
最新ベーカリーの挑戦を、パンライターであり「パンラボ」を主宰する池田浩明氏が読み解く。
ふっくら香ばしいパンのケーススタディ、またはパンの豆知識を召し上がれ。


1960年代、海外の食文化が日本の食卓へ

 人、マネー、情報が集まる港区。そこでは、ゴージャスさやクリエイティビティを表現するポップアイコンとして、
時代を象徴する新しいパンが生み出されてきた。いつの時代もシーンの最先端にいた港区のパンの
過去を振り返ることは、そのまま日本のパンの歴史になるだろう。

 たとえば1966(昭和41)年、表参道に「ドンク青山店」がオープン。フランスから招いたフィリップ・ビゴ氏が焼く、
フランスそのままのバゲットがブームに。青山通りはドンクの紙袋に入れた長いバゲットを小脇に抱えて
闊歩する人であふれた。

 1970(昭和45)年、今度は表参道交差点にコペンハーゲンそのままのデニッシュを標榜する
「青山アンデルセン」がオープン。ドンクとともに人気を二分した両店は、いまは姿を消している。
流行発信地・青山の消長の激しさがわかるというもの。

 ドイツパンのはじまりも港区に関係している。本格的なドイツパンは、1924(大正13)年、神戸「フロインドリーブ」
の開店にはじまる。第一次世界大戦で日本軍の捕虜になった、ハインリヒ・フロインドリーブがドイツの伝統を
日本に持ち込んだものだ。


 そこで修業した福井貞夫氏が、1970(昭和45)年広尾に開いた「東京フロインドリーブ」。そこは、絵本に出てくる
ヨーロッパのパン屋に迷い込んだよう。コッペみたいな形のちぎりパン・アインバック、編み込みパン・ツォップ――。

 フロインドリーブ本店から受け継いだサワー種(ドイツパンのもとになるもの)は創業以来48年継がれ、
ライ麦パンに使用される。たとえば、真っ黒なパン・ポンパニッケル。レンガ窯で3時間も焼かれたそのパンは、
まるでキャラメルやリキュールのように甘い。


(続きは記事元参照。全3ページ)

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