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川島 なお美

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/09/27(月) 11:25:07.43 ID:Aw0I0ZIK0.net
川島 なお美(かわしま なおみ、1960年11月10日 - 2015年9月24日)は、日本の女優、タレント、歌手。本名、鎧塚 なお美(よろいづか なおみ)。旧姓、川島。血液型はAB型。二人姉妹の長女。 愛知県守山市(現・名古屋市守山区)出身。最終所属は太田プロダクション。夫はパティシエの鎧塚俊彦。

愛知県立中村高等学校、青山学院大学文学部第二英米文学科卒業。大学在学中に芸能界にデビュー[1]、女子大生タレントの先駆けとなる。学生時代は剣道部に所属し有段者である。大学生時代に試験でカンニングをしたことがある[補足 2]。この際の「開き直り」的発言が一部で物議を醸した。

文化放送が『セイ!ヤング』の後番組として、1981年10月からスタートさせた『ミスDJリクエストパレード』の火曜日担当パーソナリティに抜擢され、深夜の顔となる。当時は大学在学中であり、女子大生DJと呼ばれた[1]。この当時は自身も「ミスDJでは一人の女子大生としておしゃべりしている」と話していたことがある[3]。

1982年、中京テレビ制作(日本テレビ系)『お笑いマンガ道場』の三代目女性レギュラーとなり、プロ顔負けの漫画のうまさと、芸人顔負けのネタの巧みさを披露し、同世代からの知名度と人気を獲得した。

1989年秋に番組卒業が決まったが、同年8月8日、9月から明治座で『水戸黄門』の舞台公演でのフィルム撮影の為現場に向かう途中に、ロケバスが崖から転落する事故に遭った。第七頸椎を骨折する大怪我を負ったが顔は無傷だったことをすぐに確認したという。この影響からそのまま復帰することはなく降板に至った。

キャンパス・クィーンのイメージがいつまでも抜けず、出演番組は限られるなど不遇な時代が長く、広い世代に知名度が高まるまでにかなりの時間を要した。しかし、『失楽園(TVドラマ版)』への出演(特に失楽園はTVドラマでもヌードを辞さない主演で話題となった)をきっかけに、女優として知られるようになった。

以降、ベッドシーンでは「子宮が呼吸できない気がする」との理由で撮影中に前張りを取ることを『週刊ポスト』(1997年11月3日号)のインタビューで告白したり、1993年、30代にしてヘアヌード写真集『WOMAN』を発表するなど、有名女優のヘアヌード発表が相次いだ1990年代において宮崎萬純らとともに日本におけるセックスシンボルの代表格のように認知された。この方向転換は、判事だった父の立場を考慮し、父が退官するのを待ってから行った。もっとも2000年代に入り「淑やかな女優」を看板にした戦略に方向転換して露出を前提とした女優活動は減少していく。

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