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反原発デモと《政治》と柄谷行人

10 :(摂津正/2007/1/16):2011/09/19(月) 11:34:34.79 ID:???.net
柄谷行人は、超越性の思想家だね。彼には内在性とか生成、差異、多数多様体などが分かっていない。
マイナーなものへの生成が何故革命的なのか、無意識の欲望のラディカルさなどを理解していない。柄谷行人は、超越と否定をもってことにあたる。
ヘーゲルを否定しているが、実質的にヘーゲリアンだ。デカルトやスピノザを論じていた頃には魅力があったが、カントに嵌って彼は変わった。
それと、若い頃からの、頑固なマルクス主義。マルクスと言い続けさえすれば、ラディカルだ、と言わんばかりの態度だ。
マルクスの頃と比べて、時代はすっかり変わってしまったのに、何故延々とマルクスを参照し続けなければならないのか。『資本論』を読破しないと革命はできない、というような思い込みが何故この21世紀においてさえ必要だと言うのか。僕は、全くそうは思わない。

柄谷行人とNAMは、現代版の革マルだと言うことができる。「理論の革マル」とよく言われたが、NAMも理論、理論、ひたすら理論……で他の運動体を超越し、高みから批評するといった傲慢な態度を取っていた。
柄谷行人自身は今でもそうだ。先の見えない運動の現場で、身体を使って闇の中での跳躍を敢えてする、ということを彼は決してしない。言葉、言葉、ひたすら言葉……。
「終焉」を巡るお喋りに興じるばかりで、実践的に何かを想像/創造することがない。何かを楽しむことも、脱力することもない。延々と、国家と資本を揚棄する、揚棄する、揚棄する……とオウムのように繰り返している。
それは柄谷信者らも同じだ。


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