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ゴー宣道場 105

11 :名無しかましてよかですか?:2016/10/10(月) 16:17:30.37 ID:SutUY4Z2.net
なぜなら明治初期には天皇制がどのようなものになるかが、まったく見えなかった時期である。
現代では、「象徴天皇制」として、ある意味、天皇制の在り方がようやく確立しかかっている状態である。
今上陛下が「院政」を敷いて、特定の政治権力と結びつき、国が二つに割れるなんて前時代的なことは起こらない。

伊藤博文と井上毅が議論して、伊藤が「譲位」を退けた会議は「高輪会議」と言われるが、この頃はまだ西南戦争から10年しか
経っていない。

自由民権運動が全国的規模で盛んになって、国会開設の勅諭が出た明治14年以降は、全国で激化事件が起こり、薩長藩閥政府はとても安穏としていられる状態ではなかったのである。

伊藤は自らが「玉」を取って幕府を倒したのだから、「上皇」を作れば、そちらを「玉」として政府と戦う者たちが出現しない
とも限らない。
だから「譲位」を不可とし、「終生在位」にしたのだ。
高齢化社会に対処するには、「譲位」を認めるしかない。
天皇が100歳で崩御して、皇太子の即位が70歳という事態だって生じかねない。
「譲位」なしでは、とても「象徴天皇」を次世代に繋ぐという機能は果たせないのだ。
産経は「GHQも退位認めず」と書いているが、憲法の議論ではGHQの権威を否定する産経新聞が、なぜ皇室典範ではGHQの権威を傘にきて論じるのか?
みっともないにも程がある。

「天皇に私なし、すべてが公事」というのはその通りだろう。
8月8日のお言葉も、全然「私事」ではない。
すべては「象徴天皇の機能が安定的に継承される」ことを願って国民に語りかけられたお言葉である。
私が疲れたから譲位させてくれという「私事」では全然ないということは、国民の共通認識にしなければならない。
産経新聞の記者、奥原慎平と田北真紀子は「ゴー宣道場」に来たらどうだ?
我々と議論してみる勇気はないのか?
わしはいつでも招待するぞ。

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