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日蓮ってver.67

895 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/03/26(日) 05:57:53.94 ID:KFjFyN8/.net
>>888
釈迦の晩年の教えに依法不依人(法によって人に依らざれ、涅槃経)とあります。
日蓮仏法も、基本的にはこの考えと同じで帰依すべき本尊とは、
法本尊(南無妙法蓮華経)をさすものです。
例えば、釈尊や日蓮など「誰々に帰依する」と表現する場合もありますが、
それは弟子入りするという意味合いのもので、帰命の対象となるのではありません。
法報応の三身でいえば、本尊たるべきは法身であり、報身、応身を本尊とするのが権教です。
釈尊滅後に、多くの仏菩薩像が造られ、仏教はあたかも多神教の如き様相を呈するのですが、
これは法に帰命(南無)することと、人(仏菩薩)への供養が混同されてるゆえんです。
本尊という概念自体、大乗以降のもので、時代を経て徐々に明確化されたもので、
正像末という時期区分がありますが、像法時代には多くの仏塔、仏像等が造られ、
それらは正法に似てるけれど、像法の(正法に似た)教えなのです。
このような経緯を辿らざるを得ないのは、人々の理解力や当時の文明力にも関係してます。
法華経では五種妙行(受持、読、誦、解説、書写)が推奨されていますが、
まだ紙のなかった時代に、仏法の教えを散逸、風化させることなく後世に残しゆくために
写経や書写行が重視された側面もあるでしょう。
しかしそれは正法、像法時代の修行・実践方法であり、末法の日蓮仏法において
五種妙行は、基本的には行学の二道(または信行学の実践)に収斂されます。
それに大乗仏典に記述されたサンスクリット語は聖職者や貴族、王族のみが読めた言語で
多くの民衆は読むことができませんでした。
このあたりは中世ヨーロッパでもグーテンベルクの活版印刷技術が登場したり、
ラテン語からドイツ語に翻訳された聖書を手にするまでは、
民衆がキリストの教えを自ら学ぶことが困難だった事情と似ています。
ですので視覚的な仏像等によって民衆に信仰心を抱かせる必要もあったのでしょう。
6世紀に日本に仏教が入ってきた時も、煌びやかな仏像はさぞインパクトがあったでしょう。
奈良、鎌倉の大仏の威容もある意味、民衆に畏敬の念を抱かせようとするものです。
しかしそれらはどれも像法時代の産物であり、権教の仏なのです。

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