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【滋賀】日本遊行:美の逍遥、滋賀県・近江路…広重も描いた交通の要所、琵琶湖でたぐり寄せる水辺の記憶

1 :Hi everyone! ★:2014/08/09(土) 12:30:49.92 ID:???.net
ソース(SankeiBiz・SANKEI EXPRESS)
http://www.sankeibiz.jp/express/news/140807/exg1408071525005-n1.htm
写真=日本三名橋、日本三古橋ともいわれる瀬田の唐橋。歌川広重も「近江八景」の一つとして、夕刻の橋を描いている
http://www.sankeibiz.jp/images/news/140807/exg1408071525005-l1.jpg
写真=松尾芭蕉が訪れた満月寺浮御堂。湖上に突き出たこの仏堂も、広重の「近江八景」に現れる
http://www.sankeibiz.jp/images/news/140807/exg1408071525005-l3.jpg

 豊かな水をたたえる琵琶湖周辺には、縄文時代から多くの人々が住み続けてきた。明治維新以前、琵琶湖畔の近江の地は、
京都や大坂、伊勢への入り口として、また東海道の宿場町としてにぎわい、名所も多く、文学や美術の舞台にもなった。

 かつて紫式部は三上山を近江富士になぞらえ、歌を詠んだ。瀬田の唐橋(からはし)は、7世紀の壬申の乱における最終決戦
の場所。桃山時代に茶人・千利休の問答に答えるべく、古田織部が早馬を飛ばして擬宝珠(ぎぼし)を見に行ったのもこの橋だ。
浮世絵師・歌川広重も「近江八景」で瀬田の唐橋を描いた。

 日暮れ時、僕もカメラを片手に橋のたもとに立ってみた。錚錚(そうそう)たる歴史上の登場人物たちへオマージュをささげながら、
あの広重の描いた夕照の風景を、自分なりに撮ってみたいと思ったのだ。

 僕は近江の地が大好きで、東海道本線や北陸本線、湖西線を乗り継いで、何度も旅をしている。とりわけ琵琶湖の西側は、
のどかな田園風景が広がり、ついのんびりしたくなる。とはいえ、列島のへそにあたる交通の要所、京阪神の水甕(みずがめ)、
日本最大の面積と水量を誇る湖のまわりに、何もないわけがない。近江大津京(おうみのおおつのみやこ)ゆかりの三井寺、
織田信長の安土城、松尾芭蕉が訪れた満月寺浮御堂(うきみどう)など、際限なく続きそうだ。一駅一駅、降りて散策したくなる
衝動にかられる。

 例えば、JR近江八幡駅から東に向かった阿賀神社(太郎房坊宮)は、多数の行者が集った修験の山。太郎房とは神社を守護
している天狗(てんぐ)のことだ。同じ駅から西に行った長命寺にも、境内の最も奥まった場所に太郎坊権現社があり、厳しい修行
の末、超人的な能力を身につけた僧が、大天狗になって飛び立ったとされる木が今も残る。三上山にしても、別名「ムカデ山」と
いって、この山を7周半したという大ムカデを武将が弓矢で退治したという伝説が残っている。土地土地が語る物語も冗舌だ。

 だが近代以降の生活の変化に伴い、私たちはこの豊饒(ほうじょう)な語りを含めた水辺の風景を失ってしまった。

 ≪琵琶湖でたぐり寄せる水辺の記憶≫

 かつて大津の宿で旅人相手に売られていた大津絵を現代に伝える、四代高橋松山(たかはししょうざん)氏を訪ねた。

 気軽に旅することが許されなかった江戸時代にも、大山参りや伊勢参りだけは許されていた。代表者が村人の餞別(せんべつ)を
手に伊勢へ参り、その帰りに記念に買うものとして、軽くて、安くて、ありがたい、恰好のお土産、それが大津絵だった。

 行き交う旅人が店先で立ち止まり、「あの絵を描いて」と注文すると、絵師がサッと即興で描く。その手から生まれる線は簡潔で、
親しみやすく、勢いがある。旅人の懐具合に合わせて、使う泥絵の具も、墨、丹(朱)、胡粉(白)、黄土を主に、茶、緑、鼠を加えた
7色。「大津絵の極意は3つ。決まった形を素早く何度も描くこと。つまり、型、敏速、反復。これが本来の姿ですわ」と高橋さんはいう。
そこに絵師の作為は入らず、表現的な絵画というよりは、陶磁器の絵付けなどの工芸品に近いそうだ。

 民藝運動の父・柳宗悦(やなぎ・むねよし)が絶賛した理由もここにある。「ギリギリまでそぎ落とした線で、具体的な姿を想像させる、
一つの極限の姿かもしれんね」。民衆のために描かれた素朴な民画。仏画のみならず、鬼の寒念仏、藤娘、雷公など、人気のある
図案は生き残り、はやらないものは自然淘汰(とうた)されていった。

>>2以降に続く)

2 :Hi everyone! ★:2014/08/09(土) 12:31:11.14 ID:???.net
>>1の続き)

 ところが1889(明治22)年、東海道線が全線開通すると、街道筋から旅人の姿が消え、大津絵を求める人も少なくなっていった。
近代化の波によって薄れゆく感覚。

 伝承によると、富士山をつくるためにダイダラボッチは近江の土を掘り、その掘った跡地が琵琶湖になったとのこと。このところ
富士山は大人気だが、琵琶湖を心にとめないのは、日々損しているような気分になる。

 夏の風物詩である花火を眺めながら、琵琶湖が育んだ近江独特の美を前に、忘れていた水辺の記憶を取り戻したいと思った。

(写真・文:俳優・クリエイター、京都国立博物館文化大使 井浦新(いうら・あらた)/SANKEI EXPRESS)

 ■いうら・あらた 1974年、東京都生まれ。代表作に第65回カンヌ国際映画祭招待作品「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」
(若松孝二監督)など。ヤン・ヨンヒ監督の「かぞくのくに」では第55回ブルーリボン賞助演男優賞を受賞。

  2012年12月、箱根彫刻の森美術館にて写真展「井浦新 空は暁、黄昏れ展ー太陽と月のはざまでー」を開催するなど多彩な
才能を発揮。NHK「日曜美術館」の司会を担当。13年4月からは京都国立博物館文化大使に就任した。一般社団法人匠文化機構を
立ち上げるなど、日本の伝統文化を伝える活動を行っている。

(終わり)

3 :やまとななしこ:2014/08/12(火) 23:29:27.40 ID:q2laJeMU.net
滋賀県ほど過小評価されている歴史的観光地はない
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