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【急騰】今買えばいい株7079【www】

1 :山師さん(ワッチョイ a7b5-3ple):2016/12/08(木) 13:56:18.59 ID:TyL5z6N00.net
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109 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:12:22.43 ID:j5ChfVo/0.net
振ふるい落す気で歩き廻る訳ではなかったのです。むしろ自分から進んで彼の姿を咀嚼そしゃくしながら
うろついていたのです。
 私には第一に彼が解かいしがたい男のように見えました。どうしてあんな事を突然私に打ち明けたのか
、またどうして打ち明けなければいられないほどに、彼の恋が募つのって来たのか、そうして平生の彼は
どこに吹き飛ばされてしまったのか、すべて私には解しにくい問題でした。私は彼の強い事を知っていま
した。また彼の真面目まじめな事を知っていました。私はこれから私の取るべき態度を決する前に、彼に
ついて聞かなければならない多くをもっていると信じました。同時にこれからさき彼を相手にするのが変
に気味が悪かったのです。私は夢中に町の中を歩きながら、自分の室に凝じっと坐すわっている彼の容貌
ようぼうを始終眼の前に描えがき出しました。しかもいくら私が歩いても彼を動かす事は到底できないの
だという声がどこかで聞こえるのです。つまり私には彼が一種の魔物のように思えたからでしょう。私は
永久彼に祟たたられたのではなかろうかという気さえしました。
 私が疲れて宅うちへ帰った時、彼の室は依然として人気ひとけのないように静かでした。

三十八

「私が家へはいると間もなく俥くるまの音が聞こえました。今のように護謨輪ゴムわのない時分でしたか
ら、がらがらいう厭いやな響ひびきがかなりの距離でも耳に立つのです。車はやがて門前で留まりました

 私が夕飯ゆうめしに呼び出されたのは、それから三十分ばかり経たった後あとの事でしたが、まだ奥さ
んとお嬢さんの晴着はれぎが脱ぎ棄すてられたまま、次の室を乱雑に彩いろどっていました。二人は遅く
なると私たちに済まないというので、飯の支度に間に合うように、急いで帰って来たのだそうです。しか
し奥さんの親切はKと私とに取ってほとんど無効も同じ事でした。私は食卓に坐りながら、言葉を惜しが
る人のように、素気そっけない挨拶あいさつばかりしていました。Kは私よりもなお寡言かげんでした。
たまに親子連おやこづれで外出した女二人の気分が、また平生へいぜいよりは勝すぐれて晴れやかだった
ので、我々の態度はなおの事眼に付きます。奥さんは私にどうかしたのかと聞きました。私は少し心持が
悪いと答えました。実際私は心持が悪かったのです。すると今度はお嬢さんがKに同じ問いを掛けました
。Kは私のように心持が悪いとは答えません。ただ口が利ききたくないからだといいました。お嬢さんは
なぜ口が利きたくないのかと追窮ついきゅうしました。私はその時ふと重たい瞼まぶたを上げてKの顔を
見ました。私にはKが何と答えるだろうかという好奇心があったのです。Kの唇は例のように少し顫ふる
えていました。それが知らない人から見ると、まるで返事に迷っているとしか思われないのです。お嬢さ
んは笑いながらまた何かむずかしい事を考えているのだろうといいました。Kの顔は心持薄赤くなりまし
た。
 その晩私はいつもより早く床とこへ入りました。私が食事の時気分が悪いといったのを気にして、奥さ
んは十時頃蕎麦湯そばゆを持って来てくれました。しかし私の室へやはもう真暗まっくらでした。奥さん
はおやおやといって、仕切りの襖ふすまを細目に開けました。洋燈ランプの光がKの机から斜ななめにぼ
んやりと私の室に差し込みました。Kはまだ起きていたものとみえます。奥さんは枕元まくらもとに坐っ
て、大方おおかた風邪かぜを引いたのだろうから身体からだを暖あっためるがいいといって、湯呑ゆのみ
を顔の傍そばへ突き付けるのです。私はやむをえず、どろどろした蕎麦湯を奥さんの見ている前で飲みま
した。
 私は遅くなるまで暗いなかで考えていました。無論一つ問題をぐるぐる廻転かいてんさせるだけで、外
ほかに何の効力もなかったのです。私は突然Kが今隣りの室で何をしているだろうと思い出しました。私
は半ば無意識においと声を掛けました。すると向うでもおいと返事をしました。Kもまだ起きていたので
す。私はまだ寝ないのかと襖ごしに聞きました。もう寝るという簡単な挨拶あいさつがありました。何を
しているのだと私は重ねて問いました。今度はKの答えがありません。その代り五、六分経ったと思う頃
に、押入おしいれをがらりと開けて、床とこを延べる音が手に取るように聞こえました。私はもう何時な
んじかとまた尋ねました。Kは一時二十分だと答えました。やがて洋燈ランプをふっと吹き消す音がして
、家中うちじゅうが真暗なうちに、しんと静まりました。
 しかし私の眼はその暗いなかでいよいよ冴さえて来るばかりです。私はまた半ば無意識な状態で、おい

110 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:12:31.35 ID:j5ChfVo/0.net
とKに声を掛けました。Kも以前と同じような調子で、おいと答えました。私は今朝けさ彼から聞いた事
について、もっと詳しい話をしたいが、彼の都合はどうだと、とうとうこっちから切り出しました。私は
無論襖越ふすまごしにそんな談話を交換する気はなかったのですが、Kの返答だけは即坐に得られる事と
考えたのです。ところがKは先刻さっきから二度おいと呼ばれて、二度おいと答えたような素直すなおな
調子で、今度は応じません。そうだなあと低い声で渋っています。私はまたはっと思わせられました。

三十九

「Kの生返事なまへんじは翌日よくじつになっても、その翌日になっても、彼の態度によく現われていま
した。彼は自分から進んで例の問題に触れようとする気色けしきを決して見せませんでした。もっとも機
会もなかったのです。奥さんとお嬢さんが揃そろって一日宅うちを空あけでもしなければ、二人はゆっく
り落ち付いて、そういう事を話し合う訳にも行かないのですから。私わたくしはそれをよく心得ていまし
た。心得ていながら、変にいらいらし出すのです。その結果始めは向うから来るのを待つつもりで、暗あ
んに用意をしていた私が、折があったらこっちで口を切ろうと決心するようになったのです。
 同時に私は黙って家うちのものの様子を観察して見ました。しかし奥さんの態度にもお嬢さんの素振そ
ぶりにも、別に平生へいぜいと変った点はありませんでした。Kの自白以前と自白以後とで、彼らの挙動
にこれという差違が生じないならば、彼の自白は単に私だけに限られた自白で、肝心かんじんの本人にも
、またその監督者たる奥さんにも、まだ通じていないのは慥たしかでした。そう考えた時私は少し安心し
ました。それで無理に機会を拵こしらえて、わざとらしく話を持ち出すよりは、自然の与えてくれるもの
を取り逃さないようにする方が好かろうと思って、例の問題にはしばらく手を着けずにそっとしておく事
にしました。
 こういってしまえば大変簡単に聞こえますが、そうした心の経過には、潮しおの満干みちひと同じよう
に、色々の高低たかびくがあったのです。私はKの動かない様子を見て、それにさまざまの意味を付け加
えました。奥さんとお嬢さんの言語動作を観察して、二人の心がはたしてそこに現われている通りなのだ
ろうかと疑うたがってもみました。そうして人間の胸の中に装置された複雑な器械が、時計の針のように
、明瞭めいりょうに偽いつわりなく、盤上ばんじょうの数字を指し得うるものだろうかと考えました。要
するに私は同じ事をこうも取り、ああも取りした揚句あげく、漸ようやくここに落ち付いたものと思って
下さい。更にむずかしくいえば、落ち付くなどという言葉は、この際決して使われた義理でなかったのか
も知れません。
 その内うち学校がまた始まりました。私たちは時間の同じ日には連れ立って宅うちを出ます。都合がよ
ければ帰る時にもやはりいっしょに帰りました。外部から見たKと私は、何にも前と違ったところがない
ように親しくなったのです。けれども腹の中では、各自てんでんに各自てんでんの事を勝手に考えていた
に違いありません。ある日私は突然往来でKに肉薄しました。私が第一に聞いたのは、この間の自白が私
だけに限られているか、または奥さんやお嬢さんにも通じているかの点にあったのです。私のこれから取
るべき態度は、この問いに対する彼の答え次第で極きめなければならないと、私は思ったのです。すると
彼は外ほかの人にはまだ誰だれにも打ち明けていないと明言しました。私は事情が自分の推察通りだった
ので、内心嬉うれしがりました。私はKの私より横着なのをよく知っていました。彼の度胸にも敵かなわ
ないという自覚があったのです。けれども一方ではまた妙に彼を信じていました。学資の事で養家ようか
を三年も欺あざむいていた彼ですけれども、彼の信用は私に対して少しも損われていなかったのです。私
はそれがためにかえって彼を信じ出したくらいです。だからいくら疑い深い私でも、明白な彼の答えを腹
の中で否定する気は起りようがなかったのです。
 私はまた彼に向って、彼の恋をどう取り扱うつもりかと尋ねました。それが単なる自白に過ぎないのか
、またはその自白についで、実際的の効果をも収める気なのかと問うたのです。しかるに彼はそこになる
と、何にも答えません。黙って下を向いて歩き出します。私は彼に隠かくし立てをしてくれるな、すべて
思った通りを話してくれと頼みました。彼は何も私に隠す必要はないと判然はっきり断言しました。しか

111 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:12:40.50 ID:j5ChfVo/0.net
し私の知ろうとする点には、一言いちごんの返事も与えないのです。私も往来だからわざわざ立ち留まっ
て底そこまで突き留める訳にいきません。ついそれなりにしてしまいました。

四十

「ある日私は久しぶりに学校の図書館に入りました。私は広い机の片隅で窓から射す光線を半身に受けな
がら、新着の外国雑誌を、あちらこちらと引ひっ繰くり返して見ていました。私は担任教師から専攻の学
科に関して、次の週までにある事項を調べて来いと命ぜられたのです。しかし私に必要な事柄がなかなか
見付からないので、私は二度も三度も雑誌を借り替えなければなりませんでした。最後に私はやっと自分
に必要な論文を探し出して、一心にそれを読み出しました。すると突然幅の広い机の向う側から小さな声
で私の名を呼ぶものがあります。私はふと眼を上げてそこに立っているKを見ました。Kはその上半身を
机の上に折り曲げるようにして、彼の顔を私に近付けました。ご承知の通り図書館では他ほかの人の邪魔
になるような大きな声で話をする訳にゆかないのですから、Kのこの所作しょさは誰でもやる普通の事な
のですが、私はその時に限って、一種変な心持がしました。
 Kは低い声で勉強かと聞きました。私はちょっと調べものがあるのだと答えました。それでもKはまだ
その顔を私から放しません。同じ低い調子でいっしょに散歩をしないかというのです。私は少し待ってい
ればしてもいいと答えました。彼は待っているといったまま、すぐ私の前の空席に腰をおろしました。す
ると私は気が散って急に雑誌が読めなくなりました。何だかKの胸に一物いちもつがあって、談判でもし
に来られたように思われて仕方がないのです。私はやむをえず読みかけた雑誌を伏せて、立ち上がろうと
しました。Kは落ち付き払ってもう済んだのかと聞きます。私はどうでもいいのだと答えて、雑誌を返す
と共に、Kと図書館を出ました。
 二人は別に行く所もなかったので、竜岡町たつおかちょうから池いけの端はたへ出て、上野うえのの公
園の中へ入りました。その時彼は例の事件について、突然向うから口を切りました。前後の様子を綜合そ
うごうして考えると、Kはそのために私をわざわざ散歩に引ひっ張ぱり出だしたらしいのです。けれども
彼の態度はまだ実際的の方面へ向ってちっとも進んでいませんでした。彼は私に向って、ただ漠然と、ど
う思うというのです。どう思うというのは、そうした恋愛の淵ふちに陥おちいった彼を、どんな眼で私が
眺ながめるかという質問なのです。一言いちごんでいうと、彼は現在の自分について、私の批判を求めた
いようなのです。そこに私は彼の平生へいぜいと異なる点を確かに認める事ができたと思いました。たび
たび繰り返すようですが、彼の天性は他ひとの思わくを憚はばかるほど弱くでき上ってはいなかったので
す。こうと信じたら一人でどんどん進んで行くだけの度胸もあり勇気もある男なのです。養家ようか事件
でその特色を強く胸の裏うちに彫ほり付けられた私が、これは様子が違うと明らかに意識したのは当然の
結果なのです。
 私がKに向って、この際何なんで私の批評が必要なのかと尋ねた時、彼はいつもにも似ない悄然しょう
ぜんとした口調で、自分の弱い人間であるのが実際恥ずかしいといいました。そうして迷っているから自
分で自分が分らなくなってしまったので、私に公平な批評を求めるより外ほかに仕方がないといいました
。私は隙すかさず迷うという意味を聞き糺ただしました。彼は進んでいいか退しりぞいていいか、それに
迷うのだと説明しました。私はすぐ一歩先へ出ました。そうして退こうと思えば退けるのかと彼に聞きま
した。すると彼の言葉がそこで不意に行き詰りました。彼はただ苦しいといっただけでした。実際彼の表
情には苦しそうなところがありありと見えていました。もし相手がお嬢さんでなかったならば、私はどん
なに彼に都合のいい返事を、その渇かわき切った顔の上に慈雨じうの如く注そそいでやったか分りません
。私はそのくらいの美しい同情をもって生れて来た人間と自分ながら信じています。しかしその時の私は
違っていました。

四十一

「私はちょうど他流試合でもする人のようにKを注意して見ていたのです。私は、私の眼、私の心、私の
身体からだ、すべて私という名の付くものを五分ぶの隙間すきまもないように用意して、Kに向ったので
す。罪のないKは穴だらけというよりむしろ明け放しと評するのが適当なくらいに無用心でした。私は彼
自身の手から、彼の保管している要塞ようさいの地図を受け取って、彼の眼の前でゆっくりそれを眺なが

112 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:12:49.32 ID:j5ChfVo/0.net
める事ができたも同じでした。
 Kが理想と現実の間に彷徨ほうこうしてふらふらしているのを発見した私は、ただ一打ひとうちで彼を
倒す事ができるだろうという点にばかり眼を着けました。そうしてすぐ彼の虚きょに付け込んだのです。
私は彼に向って急に厳粛な改まった態度を示し出しました。無論策略からですが、その態度に相応するく
らいな緊張した気分もあったのですから、自分に滑稽こっけいだの羞恥しゅうちだのを感ずる余裕はあり
ませんでした。私はまず「精神的に向上心のないものは馬鹿ばかだ」といい放ちました。これは二人で房
州ぼうしゅうを旅行している際、Kが私に向って使った言葉です。私は彼の使った通りを、彼と同じよう
な口調で、再び彼に投げ返したのです。しかし決して復讐ふくしゅうではありません。私は復讐以上に残
酷な意味をもっていたという事を自白します。私はその一言いちごんでKの前に横たわる恋の行手ゆくて
を塞ふさごうとしたのです。
 Kは真宗寺しんしゅうでらに生れた男でした。しかし彼の傾向は中学時代から決して生家の宗旨しゅう
しに近いものではなかったのです。教義上の区別をよく知らない私が、こんな事をいう資格に乏しいのは
承知していますが、私はただ男女なんにょに関係した点についてのみ、そう認めていたのです。Kは昔か
ら精進しょうじんという言葉が好きでした。私はその言葉の中に、禁欲きんよくという意味も籠こもって
いるのだろうと解釈していました。しかし後で実際を聞いて見ると、それよりもまだ厳重な意味が含まれ
ているので、私は驚きました。道のためにはすべてを犠牲にすべきものだというのが彼の第一信条なので
すから、摂欲せつよくや禁欲きんよくは無論、たとい欲を離れた恋そのものでも道の妨害さまたげになる
のです。Kが自活生活をしている時分に、私はよく彼から彼の主張を聞かされたのでした。その頃ころか
らお嬢さんを思っていた私は、勢いどうしても彼に反対しなければならなかったのです。私が反対すると
、彼はいつでも気の毒そうな顔をしました。そこには同情よりも侮蔑ぶべつの方が余計に現われていまし
た。
 こういう過去を二人の間に通り抜けて来ているのですから、精神的に向上心のないものは馬鹿だという
言葉は、Kに取って痛いに違いなかったのです。しかし前にもいった通り、私はこの一言で、彼が折角せ
っかく積み上げた過去を蹴散けちらしたつもりではありません。かえってそれを今まで通り積み重ねて行
かせようとしたのです。それが道に達しようが、天に届こうが、私は構いません。私はただKが急に生活
の方向を転換して、私の利害と衝突するのを恐れたのです。要するに私の言葉は単なる利己心の発現でし
た。
「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」
 私は二度同じ言葉を繰り返しました。そうして、その言葉がKの上にどう影響するかを見詰めていまし
た。
「馬鹿だ」とやがてKが答えました。「僕は馬鹿だ」
 Kはぴたりとそこへ立ち留どまったまま動きません。彼は地面の上を見詰めています。私は思わずぎょ
っとしました。私にはKがその刹那せつなに居直いなおり強盗のごとく感ぜられたのです。しかしそれに
しては彼の声がいかにも力に乏しいという事に気が付きました。私は彼の眼遣めづかいを参考にしたかっ
たのですが、彼は最後まで私の顔を見ないのです。そうして、徐々そろそろとまた歩き出しました。

四十二

「私はKと並んで足を運ばせながら、彼の口を出る次の言葉を腹の中で暗あんに待ち受けました。あるい
は待ち伏せといった方がまだ適当かも知れません。その時の私はたといKを騙だまし打ちにしても構わな
いくらいに思っていたのです。しかし私にも教育相当の良心はありますから、もし誰か私の傍そばへ来て
、お前は卑怯ひきょうだと一言ひとこと私語ささやいてくれるものがあったなら、私はその瞬間に、はっ
と我に立ち帰ったかも知れません。もしKがその人であったなら、私はおそらく彼の前に赤面したでしょ
う。ただKは私を窘たしなめるには余りに正直でした。余りに単純でした。余りに人格が善良だったので
す。目のくらんだ私は、そこに敬意を払う事を忘れて、かえってそこに付け込んだのです。そこを利用し
て彼を打ち倒そうとしたのです。
 Kはしばらくして、私の名を呼んで私の方を見ました。今度は私の方で自然と足を留めました。すると
Kも留まりました。私はその時やっとKの眼を真向まむきに見る事ができたのです。Kは私より背せいの
高い男でしたから、私は勢い彼の顔を見上げるようにしなければなりません。私はそうした態度で、狼お

113 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:12:58.44 ID:j5ChfVo/0.net
おかみのごとき心を罪のない羊に向けたのです。
「もうその話は止やめよう」と彼がいいました。彼の眼にも彼の言葉にも変に悲痛なところがありました
。私はちょっと挨拶あいさつができなかったのです。するとKは、「止やめてくれ」と今度は頼むように
いい直しました。私はその時彼に向って残酷な答を与えたのです。狼おおかみが隙すきを見て羊の咽喉笛
のどぶえへ食くらい付くように。
「止やめてくれって、僕がいい出した事じゃない、もともと君の方から持ち出した話じゃないか。しかし
君が止めたければ、止めてもいいが、ただ口の先で止めたって仕方があるまい。君の心でそれを止めるだ
けの覚悟がなければ。一体君は君の平生の主張をどうするつもりなのか」
 私がこういった時、背せいの高い彼は自然と私の前に萎縮いしゅくして小さくなるような感じがしまし
た。彼はいつも話す通り頗すこぶる強情ごうじょうな男でしたけれども、一方ではまた人一倍の正直者で
したから、自分の矛盾などをひどく非難される場合には、決して平気でいられない質たちだったのです。
私は彼の様子を見てようやく安心しました。すると彼は卒然そつぜん「覚悟?」と聞きました。そうして
私がまだ何とも答えない先に「覚悟、――覚悟ならない事もない」と付け加えました。彼の調子は独言ひ
とりごとのようでした。また夢の中の言葉のようでした。
 二人はそれぎり話を切り上げて、小石川こいしかわの宿の方に足を向けました。割合に風のない暖かな
日でしたけれども、何しろ冬の事ですから、公園のなかは淋さびしいものでした。ことに霜に打たれて蒼
味あおみを失った杉の木立こだちの茶褐色ちゃかっしょくが、薄黒い空の中に、梢こずえを並べて聳そび
えているのを振り返って見た時は、寒さが背中へ噛かじり付いたような心持がしました。我々は夕暮の本
郷台ほんごうだいを急ぎ足でどしどし通り抜けて、また向うの岡おかへ上のぼるべく小石川の谷へ下りた
のです。私はその頃ころになって、ようやく外套がいとうの下に体たいの温味あたたかみを感じ出したぐ
らいです。
 急いだためでもありましょうが、我々は帰り路みちにはほとんど口を聞きませんでした。宅うちへ帰っ
て食卓に向った時、奥さんはどうして遅くなったのかと尋ねました。私はKに誘われて上野うえのへ行っ
たと答えました。奥さんはこの寒いのにといって驚いた様子を見せました。お嬢さんは上野に何があった
のかと聞きたがります。私は何もないが、ただ散歩したのだという返事だけしておきました。平生へいぜ
いから無口なKは、いつもよりなお黙っていました。奥さんが話しかけても、お嬢さんが笑っても、碌ろ
くな挨拶あいさつはしませんでした。それから飯めしを呑のみ込むように掻かき込んで、私がまだ席を立
たないうちに、自分の室へやへ引き取りました。

四十三

「その頃ころは覚醒かくせいとか新しい生活とかいう文字もんじのまだない時分でした。しかしKが古い
自分をさらりと投げ出して、一意いちいに新しい方角へ走り出さなかったのは、現代人の考えが彼に欠け
ていたからではないのです。彼には投げ出す事のできないほど尊たっとい過去があったからです。彼はそ
のために今日こんにちまで生きて来たといってもいいくらいなのです。だからKが一直線に愛の目的物に
向って猛進しないといって、決してその愛の生温なまぬるい事を証拠立てる訳にはゆきません。いくら熾
烈しれつな感情が燃えていても、彼はむやみに動けないのです。前後を忘れるほどの衝動が起る機会を彼
に与えない以上、Kはどうしてもちょっと踏み留とどまって自分の過去を振り返らなければならなかった
のです。そうすると過去が指し示す路みちを今まで通り歩かなければならなくなるのです。その上彼には
現代人のもたない強情ごうじょうと我慢がありました。私はこの双方の点においてよく彼の心を見抜いて
いたつもりなのです。
 上野うえのから帰った晩は、私に取って比較的安静な夜よでした。私はKが室へやへ引き上げたあとを
追い懸けて、彼の机の傍そばに坐すわり込みました。そうして取り留めもない世間話をわざと彼に仕向け
ました。彼は迷惑そうでした。私の眼には勝利の色が多少輝いていたでしょう、私の声にはたしかに得意
の響きがあったのです。私はしばらくKと一つ火鉢に手を翳かざした後あと、自分の室に帰りました。外
ほかの事にかけては何をしても彼に及ばなかった私も、その時だけは恐るるに足りないという自覚を彼に
対してもっていたのです。
 私はほどなく穏やかな眠りに落ちました。しかし突然私の名を呼ぶ声で眼を覚ましました。見ると、間

114 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:13:07.47 ID:j5ChfVo/0.net
の襖ふすまが二尺しゃくばかり開あいて、そこにKの黒い影が立っています。そうして彼の室には宵よい
の通りまだ燈火あかりが点ついているのです。急に世界の変った私は、少しの間あいだ口を利きく事もで
きずに、ぼうっとして、その光景を眺ながめていました。
 その時Kはもう寝たのかと聞きました。Kはいつでも遅くまで起きている男でした。私は黒い影法師か
げぼうしのようなKに向って、何か用かと聞き返しました。Kは大した用でもない、ただもう寝たか、ま
だ起きているかと思って、便所へ行ったついでに聞いてみただけだと答えました。Kは洋燈ランプの灯ひ
を背中に受けているので、彼の顔色や眼つきは、全く私には分りませんでした。けれども彼の声は不断よ
りもかえって落ち付いていたくらいでした。
 Kはやがて開けた襖をぴたりと立て切りました。私の室はすぐ元の暗闇くらやみに帰りました。私はそ
の暗闇より静かな夢を見るべくまた眼を閉じました。私はそれぎり何も知りません。しかし翌朝よくあさ
になって、昨夕ゆうべの事を考えてみると、何だか不思議でした。私はことによると、すべてが夢ではな
いかと思いました。それで飯めしを食う時、Kに聞きました。Kはたしかに襖を開けて私の名を呼んだと
いいます。なぜそんな事をしたのかと尋ねると、別に判然はっきりした返事もしません。調子の抜けた頃
になって、近頃は熟睡ができるのかとかえって向うから私に問うのです。私は何だか変に感じました。
 その日ちょうど同じ時間に講義の始まる時間割になっていたので、二人はやがていっしょに宅うちを出
ました。今朝けさから昨夕の事が気に掛かかっている私は、途中でまたKを追窮ついきゅうしました。け
れどもKはやはり私を満足させるような答えをしません。私はあの事件について何か話すつもりではなか
ったのかと念を押してみました。Kはそうではないと強い調子でいい切りました。昨日きのう上野で「そ
の話はもう止やめよう」といったではないかと注意するごとくにも聞こえました。Kはそういう点に掛け
て鋭い自尊心をもった男なのです。ふとそこに気のついた私は突然彼の用いた「覚悟」という言葉を連想
し出しました。すると今までまるで気にならなかったその二字が妙な力で私の頭を抑おさえ始めたのです


四十四

「Kの果断に富んだ性格は私わたくしによく知れていました。彼のこの事件についてのみ優柔ゆうじゅう
な訳も私にはちゃんと呑のみ込めていたのです。つまり私は一般を心得た上で、例外の場合をしっかり攫
つらまえたつもりで得意だったのです。ところが「覚悟」という彼の言葉を、頭のなかで何遍なんべんも
咀嚼そしゃくしているうちに、私の得意はだんだん色を失って、しまいにはぐらぐら揺うごき始めるよう
になりました。私はこの場合もあるいは彼にとって例外でないのかも知れないと思い出したのです。すべ
ての疑惑、煩悶はんもん、懊悩おうのう、を一度に解決する最後の手段を、彼は胸のなかに畳たたみ込ん
でいるのではなかろうかと疑うたぐり始めたのです。そうした新しい光で覚悟の二字を眺ながめ返してみ
た私は、はっと驚きました。その時の私がもしこの驚きをもって、もう一返いっぺん彼の口にした覚悟の
内容を公平に見廻みまわしたらば、まだよかったかも知れません。悲しい事に私は片眼めっかちでした。
私はただKがお嬢さんに対して進んで行くという意味にその言葉を解釈しました。果断に富んだ彼の性格
が、恋の方面に発揮されるのがすなわち彼の覚悟だろうと一図いちずに思い込んでしまったのです。
 私は私にも最後の決断が必要だという声を心の耳で聞きました。私はすぐその声に応じて勇気を振り起
しました。私はKより先に、しかもKの知らない間まに、事を運ばなくてはならないと覚悟を極きめまし
た。私は黙って機会を覘ねらっていました。しかし二日経たっても三日経っても、私はそれを捕つらまえ
る事ができません。私はKのいない時、またお嬢さんの留守な折を待って、奥さんに談判を開こうと考え
たのです。しかし片方がいなければ、片方が邪魔をするといった風ふうの日ばかり続いて、どうしても「
今だ」と思う好都合が出て来てくれないのです。私はいらいらしました。
 一週間の後のち私はとうとう堪え切れなくなって仮病けびょうを遣つかいました。奥さんからもお嬢さ
んからも、K自身からも、起きろという催促を受けた私は、生返事なまへんじをしただけで、十時頃ごろ
まで蒲団ふとんを被かぶって寝ていました。私はKもお嬢さんもいなくなって、家の内なかがひっそり静

115 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:13:16.40 ID:j5ChfVo/0.net
まった頃を見計みはからって寝床を出ました。私の顔を見た奥さんは、すぐどこが悪いかと尋ねました。
食物たべものは枕元まくらもとへ運んでやるから、もっと寝ていたらよかろうと忠告してもくれました。
身体からだに異状のない私は、とても寝る気にはなれません。顔を洗っていつもの通り茶の間で飯めしを
食いました。その時奥さんは長火鉢ながひばちの向側むこうがわから給仕をしてくれたのです。私は朝飯
あさめしとも午飯ひるめしとも片付かない茶椀ちゃわんを手に持ったまま、どんな風に問題を切り出した
ものだろうかと、そればかりに屈托くったくしていたから、外観からは実際気分の好よくない病人らしく
見えただろうと思います。
 私は飯を終しまって烟草タバコを吹かし出しました。私が立たないので奥さんも火鉢の傍そばを離れる
訳にゆきません。下女げじょを呼んで膳ぜんを下げさせた上、鉄瓶てつびんに水を注さしたり、火鉢の縁
ふちを拭ふいたりして、私に調子を合わせています。私は奥さんに特別な用事でもあるのかと問いました
。奥さんはいいえと答えましたが、今度は向うでなぜですと聞き返して来ました。私は実は少し話したい
事があるのだといいました。奥さんは何ですかといって、私の顔を見ました。奥さんの調子はまるで私の
気分にはいり込めないような軽いものでしたから、私は次に出すべき文句も少し渋りました。
 私は仕方なしに言葉の上で、好いい加減にうろつき廻まわった末、Kが近頃ちかごろ何かいいはしなか
ったかと奥さんに聞いてみました。奥さんは思いも寄らないという風をして、「何を?」とまた反問して
来ました。そうして私の答える前に、「あなたには何かおっしゃったんですか」とかえって向うで聞くの
です。

四十五

「Kから聞かされた打ち明け話を、奥さんに伝える気のなかった私は、「いいえ」といってしまった後で
、すぐ自分の嘘うそを快こころよからず感じました。仕方がないから、別段何も頼まれた覚えはないのだ
から、Kに関する用件ではないのだといい直しました。奥さんは「そうですか」といって、後あとを待っ
ています。私はどうしても切り出さなければならなくなりました。私は突然「奥さん、お嬢さんを私に下
さい」といいました。奥さんは私の予期してかかったほど驚いた様子も見せませんでしたが、それでも少
時しばらく返事ができなかったものと見えて、黙って私の顔を眺ながめていました。一度いい出した私は
、いくら顔を見られても、それに頓着とんじゃくなどはしていられません。「下さい、ぜひ下さい」とい
いました。「私の妻としてぜひ下さい」といいました。奥さんは年を取っているだけに、私よりもずっと
落ち付いていました。「上げてもいいが、あんまり急じゃありませんか」と聞くのです。私が「急に貰も
らいたいのだ」とすぐ答えたら笑い出しました。そうして「よく考えたのですか」と念を押すのです。私
はいい出したのは突然でも、考えたのは突然でないという訳を強い言葉で説明しました。
 それからまだ二つ三つの問答がありましたが、私はそれを忘れてしまいました。男のように判然はきは
きしたところのある奥さんは、普通の女と違ってこんな場合には大変心持よく話のできる人でした。「宜
よござんす、差し上げましょう」といいました。「差し上げるなんて威張いばった口の利きける境遇では
ありません。どうぞ貰って下さい。ご存じの通り父親のない憐あわれな子です」と後あとでは向うから頼
みました。
 話は簡単でかつ明瞭めいりょうに片付いてしまいました。最初からしまいまでにおそらく十五分とは掛
かからなかったでしょう。奥さんは何の条件も持ち出さなかったのです。親類に相談する必要もない、後
から断ればそれで沢山だといいました。本人の意嚮いこうさえたしかめるに及ばないと明言しました。そ
んな点になると、学問をした私の方が、かえって形式に拘泥こうでいするくらいに思われたのです。親類
はとにかく、当人にはあらかじめ話して承諾を得うるのが順序らしいと私が注意した時、奥さんは「大丈
夫です。本人が不承知の所へ、私があの子をやるはずがありませんから」といいました。
 自分の室へやへ帰った私は、事のあまりに訳もなく進行したのを考えて、かえって変な気持になりまし
た。はたして大丈夫なのだろうかという疑念さえ、どこからか頭の底に這はい込んで来たくらいです。け
れども大体の上において、私の未来の運命は、これで定められたのだという観念が私のすべてを新たにし
ました。
 私は午頃ひるごろまた茶の間へ出掛けて行って、奥さんに、今朝けさの話をお嬢さんに何時いつ通じて

116 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:13:25.48 ID:j5ChfVo/0.net
くれるつもりかと尋ねました。奥さんは、自分さえ承知していれば、いつ話しても構わなかろうというよ
うな事をいうのです。こうなると何だか私よりも相手の方が男みたようなので、私はそれぎり引き込もう
としました。すると奥さんが私を引き留めて、もし早い方が希望ならば、今日でもいい、稽古けいこから
帰って来たら、すぐ話そうというのです。私はそうしてもらう方が都合が好いいと答えてまた自分の室に
帰りました。しかし黙って自分の机の前に坐すわって、二人のこそこそ話を遠くから聞いている私を想像
してみると、何だか落ち付いていられないような気もするのです。私はとうとう帽子を被かぶって表へ出
ました。そうしてまた坂の下でお嬢さんに行き合いました。何にも知らないお嬢さんは私を見て驚いたら
しかったのです。私が帽子を脱とって「今お帰り」と尋ねると、向うではもう病気は癒なおったのかと不
思議そうに聞くのです。私は「ええ癒りました、癒りました」と答えて、ずんずん水道橋すいどうばしの
方へ曲ってしまいました。

四十六

「私は猿楽町さるがくちょうから神保町じんぼうちょうの通りへ出て、小川町おがわまちの方へ曲りまし
た。私がこの界隈かいわいを歩くのは、いつも古本屋をひやかすのが目的でしたが、その日は手摺てずれ
のした書物などを眺ながめる気が、どうしても起らないのです。私は歩きながら絶えず宅うちの事を考え
ていました。私には先刻さっきの奥さんの記憶がありました。それからお嬢さんが宅へ帰ってからの想像
がありました。私はつまりこの二つのもので歩かせられていたようなものです。その上私は時々往来の真
中で我知らずふと立ち留まりました。そうして今頃は奥さんがお嬢さんにもうあの話をしている時分だろ
うなどと考えました。また或ある時は、もうあの話が済んだ頃だとも思いました。
 私はとうとう万世橋まんせいばしを渡って、明神みょうじんの坂を上がって、本郷台ほんごうだいへ来
て、それからまた菊坂きくざかを下りて、しまいに小石川こいしかわの谷へ下りたのです。私の歩いた距
離はこの三区に跨またがって、いびつな円を描えがいたともいわれるでしょうが、私はこの長い散歩の間
ほとんどKの事を考えなかったのです。今その時の私を回顧して、なぜだと自分に聞いてみても一向いっ
こう分りません。ただ不思議に思うだけです。私の心がKを忘れ得うるくらい、一方に緊張していたとみ
ればそれまでですが、私の良心がまたそれを許すべきはずはなかったのですから。
 Kに対する私の良心が復活したのは、私が宅の格子こうしを開けて、玄関から坐敷ざしきへ通る時、す
なわち例のごとく彼の室へやを抜けようとした瞬間でした。彼はいつもの通り机に向って書見をしていま
した。彼はいつもの通り書物から眼を放して、私を見ました。しかし彼はいつもの通り今帰ったのかとは
いいませんでした。彼は「病気はもう癒いいのか、医者へでも行ったのか」と聞きました。私はその刹那
せつなに、彼の前に手を突いて、詫あやまりたくなったのです。しかも私の受けたその時の衝動は決して
弱いものではなかったのです。もしKと私がたった二人曠野こうやの真中にでも立っていたならば、私は
きっと良心の命令に従って、その場で彼に謝罪したろうと思います。しかし奥には人がいます。私の自然
はすぐそこで食い留められてしまったのです。そうして悲しい事に永久に復活しなかったのです。
 夕飯ゆうめしの時Kと私はまた顔を合せました。何にも知らないKはただ沈んでいただけで、少しも疑
い深い眼を私に向けません。何にも知らない奥さんはいつもより嬉うれしそうでした。私だけがすべてを
知っていたのです。私は鉛のような飯を食いました。その時お嬢さんはいつものようにみんなと同じ食卓
に並びませんでした。奥さんが催促すると、次の室で只今ただいまと答えるだけでした。それをKは不思
議そうに聞いていました。しまいにどうしたのかと奥さんに尋ねました。奥さんは大方おおかた極きまり
が悪いのだろうといって、ちょっと私の顔を見ました。Kはなお不思議そうに、なんで極りが悪いのかと
追窮ついきゅうしに掛かかりました。奥さんは微笑しながらまた私の顔を見るのです。
 私は食卓に着いた初めから、奥さんの顔付かおつきで、事の成行なりゆきをほぼ推察していました。し
かしKに説明を与えるために、私のいる前で、それを悉ことごとく話されては堪たまらないと考えました
。奥さんはまたそのくらいの事を平気でする女なのですから、私はひやひやしたのです。幸いにKはまた
元の沈黙に帰りました。平生へいぜいより多少機嫌のよかった奥さんも、とうとう私の恐れを抱いだいて

117 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:13:34.43 ID:j5ChfVo/0.net
いる点までは話を進めずにしまいました。私はほっと一息ひといきして室へ帰りました。しかし私がこれ
から先Kに対して取るべき態度は、どうしたものだろうか、私はそれを考えずにはいられませんでした。
私は色々の弁護を自分の胸で拵こしらえてみました。けれどもどの弁護もKに対して面と向うには足りま
せんでした、卑怯ひきょうな私はついに自分で自分をKに説明するのが厭いやになったのです。

四十七

「私はそのまま二、三日過ごしました。その二、三日の間Kに対する絶えざる不安が私の胸を重くしてい
たのはいうまでもありません。私はただでさえ何とかしなければ、彼に済まないと思ったのです。その上
奥さんの調子や、お嬢さんの態度が、始終私を突ッつくように刺戟しげきするのですから、私はなお辛つ
らかったのです。どこか男らしい気性を具そなえた奥さんは、いつ私の事を食卓でKに素すっぱ抜かない
とも限りません。それ以来ことに目立つように思えた私に対するお嬢さんの挙止動作きょしどうさも、K
の心を曇らす不審の種とならないとは断言できません。私は何とかして、私とこの家族との間に成り立っ
た新しい関係を、Kに知らせなければならない位置に立ちました。しかし倫理的に弱点をもっていると、
自分で自分を認めている私には、それがまた至難の事のように感ぜられたのです。
 私は仕方がないから、奥さんに頼んでKに改めてそういってもらおうかと考えました。無論私のいない
時にです。しかしありのままを告げられては、直接と間接の区別があるだけで、面目めんぼくのないのに
変りはありません。といって、拵こしらえ事を話してもらおうとすれば、奥さんからその理由を詰問きつ
もんされるに極きまっています。もし奥さんにすべての事情を打ち明けて頼むとすれば、私は好んで自分
の弱点を自分の愛人とその母親の前に曝さらけ出さなければなりません。真面目まじめな私には、それが
私の未来の信用に関するとしか思われなかったのです。結婚する前から恋人の信用を失うのは、たとい一
分ぶ一厘りんでも、私には堪え切れない不幸のように見えました。
 要するに私は正直な路みちを歩くつもりで、つい足を滑らした馬鹿ものでした。もしくは狡猾こうかつ
な男でした。そうしてそこに気のついているものは、今のところただ天と私の心だけだったのです。しか
し立ち直って、もう一歩前へ踏み出そうとするには、今滑った事をぜひとも周囲の人に知られなければな
らない窮境きゅうきょうに陥おちいったのです。私はあくまで滑った事を隠したがりました。同時に、ど
うしても前へ出ずにはいられなかったのです。私はこの間に挟はさまってまた立たち竦すくみました。
 五、六日経たった後のち、奥さんは突然私に向って、Kにあの事を話したかと聞くのです。私はまだ話
さないと答えました。するとなぜ話さないのかと、奥さんが私を詰なじるのです。私はこの問いの前に固
くなりました。その時奥さんが私を驚かした言葉を、私は今でも忘れずに覚えています。
「道理で妾わたしが話したら変な顔をしていましたよ。あなたもよくないじゃありませんか。平生へいぜ
いあんなに親しくしている間柄だのに、黙って知らん顔をしているのは」
 私はKがその時何かいいはしなかったかと奥さんに聞きました。奥さんは別段何にもいわないと答えま
した。しかし私は進んでもっと細こまかい事を尋ねずにはいられませんでした。奥さんは固もとより何も
隠す訳がありません。大した話もないがといいながら、一々Kの様子を語って聞かせてくれました。
 奥さんのいうところを綜合そうごうして考えてみると、Kはこの最後の打撃を、最も落ち付いた驚きを
もって迎えたらしいのです。Kはお嬢さんと私との間に結ばれた新しい関係について、最初はそうですか
とただ一口ひとくちいっただけだったそうです。しかし奥さんが、「あなたも喜んで下さい」と述べた時
、彼ははじめて奥さんの顔を見て微笑を洩もらしながら、「おめでとうございます」といったまま席を立
ったそうです。そうして茶の間の障子しょうじを開ける前に、また奥さんを振り返って、「結婚はいつで
すか」と聞いたそうです。それから「何かお祝いを上げたいが、私は金がないから上げる事ができません
」といったそうです。奥さんの前に坐すわっていた私は、その話を聞いて胸が塞ふさがるような苦しさを
覚えました。

四十八

「勘定して見ると奥さんがKに話をしてからもう二日余りになります。その間Kは私に対して少しも以前
と異なった様子を見せなかったので、私は全くそれに気が付かずにいたのです。彼の超然とした態度はた

118 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:13:43.53 ID:j5ChfVo/0.net
とい外観だけにもせよ、敬服に値あたいすべきだと私は考えました。彼と私を頭の中で並べてみると、彼
の方が遥はるかに立派に見えました。「おれは策略で勝っても人間としては負けたのだ」という感じが私
の胸に渦巻いて起りました。私はその時さぞKが軽蔑けいべつしている事だろうと思って、一人で顔を赧
あからめました。しかし今更Kの前に出て、恥を掻かかせられるのは、私の自尊心にとって大いな苦痛で
した。
 私が進もうか止よそうかと考えて、ともかくも翌日あくるひまで待とうと決心したのは土曜の晩でした
。ところがその晩に、Kは自殺して死んでしまったのです。私は今でもその光景を思い出すと慄然ぞっと
します。いつも東枕ひがしまくらで寝る私が、その晩に限って、偶然西枕に床とこを敷いたのも、何かの
因縁いんねんかも知れません。私は枕元から吹き込む寒い風でふと眼を覚ましたのです。見ると、いつも
立て切ってあるKと私の室へやとの仕切しきりの襖ふすまが、この間の晩と同じくらい開あいています。
けれどもこの間のように、Kの黒い姿はそこには立っていません。私は暗示を受けた人のように、床の上
に肱ひじを突いて起き上がりながら、屹きっとKの室を覗のぞきました。洋燈ランプが暗く点ともってい
るのです。それで床も敷いてあるのです。しかし掛蒲団かけぶとんは跳返はねかえされたように裾すその
方に重なり合っているのです。そうしてK自身は向うむきに突つッ伏ぷしているのです。
 私はおいといって声を掛けました。しかし何の答えもありません。おいどうかしたのかと私はまたKを
呼びました。それでもKの身体からだは些ちっとも動きません。私はすぐ起き上って、敷居際しきいぎわ
まで行きました。そこから彼の室の様子を、暗い洋燈ランプの光で見廻みまわしてみました。
 その時私の受けた第一の感じは、Kから突然恋の自白を聞かされた時のそれとほぼ同じでした。私の眼
は彼の室の中を一目ひとめ見るや否いなや、あたかも硝子ガラスで作った義眼のように、動く能力を失い
ました。私は棒立ぼうだちに立たち竦すくみました。それが疾風しっぷうのごとく私を通過したあとで、
私はまたああ失策しまったと思いました。もう取り返しが付かないという黒い光が、私の未来を貫いて、
一瞬間に私の前に横たわる全生涯を物凄ものすごく照らしました。そうして私はがたがた顫ふるえ出した
のです。
 それでも私はついに私を忘れる事ができませんでした。私はすぐ机の上に置いてある手紙に眼を着けま
した。それは予期通り私の名宛なあてになっていました。私は夢中で封を切りました。しかし中には私の
予期したような事は何にも書いてありませんでした。私は私に取ってどんなに辛つらい文句がその中に書
き列つらねてあるだろうと予期したのです。そうして、もしそれが奥さんやお嬢さんの眼に触れたら、ど
んなに軽蔑されるかも知れないという恐怖があったのです。私はちょっと眼を通しただけで、まず助かっ
たと思いました。(固もとより世間体せけんていの上だけで助かったのですが、その世間体がこの場合、
私にとっては非常な重大事件に見えたのです。)
 手紙の内容は簡単でした。そうしてむしろ抽象的でした。自分は薄志弱行はくしじゃっこうで到底行先
ゆくさきの望みがないから、自殺するというだけなのです。それから今まで私に世話になった礼が、ごく
あっさりとした文句でその後あとに付け加えてありました。世話ついでに死後の片付方かたづけかたも頼
みたいという言葉もありました。奥さんに迷惑を掛けて済まんから宜よろしく詫わびをしてくれという句
もありました。国元へは私から知らせてもらいたいという依頼もありました。必要な事はみんな一口ひと
くちずつ書いてある中にお嬢さんの名前だけはどこにも見えません。私はしまいまで読んで、すぐKがわ
ざと回避したのだという事に気が付きました。しかし私のもっとも痛切に感じたのは、最後に墨すみの余
りで書き添えたらしく見える、もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろうという意味の文
句でした。
 私は顫ふるえる手で、手紙を巻き収めて、再び封の中へ入れました。私はわざとそれを皆みんなの眼に
着くように、元の通り机の上に置きました。そうして振り返って、襖ふすまに迸ほとばしっている血潮を
始めて見たのです。

四十九

「私は突然Kの頭を抱かかえるように両手で少し持ち上げました。私はKの死顔しにがおが一目ひとめ見
たかったのです。しかし俯伏うつぶしになっている彼の顔を、こうして下から覗のぞき込んだ時、私はす

119 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:13:52.43 ID:j5ChfVo/0.net
ぐその手を放してしまいました。慄ぞっとしたばかりではないのです。彼の頭が非常に重たく感ぜられた
のです。私は上から今触さわった冷たい耳と、平生へいぜいに変らない五分刈ごぶがりの濃い髪の毛を少
時しばらく眺ながめていました。私は少しも泣く気にはなれませんでした。私はただ恐ろしかったのです
。そうしてその恐ろしさは、眼の前の光景が官能を刺激しげきして起る単調な恐ろしさばかりではありま
せん。私は忽然こつぜんと冷たくなったこの友達によって暗示された運命の恐ろしさを深く感じたのです

 私は何の分別ふんべつもなくまた私の室へやに帰りました。そうして八畳の中をぐるぐる廻まわり始め
ました。私の頭は無意味でも当分そうして動いていろと私に命令するのです。私はどうかしなければなら
ないと思いました。同時にもうどうする事もできないのだと思いました。座敷の中をぐるぐる廻らなけれ
ばいられなくなったのです。檻おりの中へ入れられた熊くまのような態度で。
 私は時々奥へ行って奥さんを起そうという気になります。けれども女にこの恐ろしい有様を見せては悪
いという心持がすぐ私を遮さえぎります。奥さんはとにかく、お嬢さんを驚かす事は、とてもできないと
いう強い意志が私を抑おさえつけます。私はまたぐるぐる廻り始めるのです。
 私はその間に自分の室の洋燈ランプを点つけました。それから時計を折々見ました。その時の時計ほど
埒らちの明あかない遅いものはありませんでした。私の起きた時間は、正確に分らないのですけれども、
もう夜明よあけに間まもなかった事だけは明らかです。ぐるぐる廻まわりながら、その夜明を待ち焦こが
れた私は、永久に暗い夜が続くのではなかろうかという思いに悩まされました。
 我々は七時前に起きる習慣でした。学校は八時に始まる事が多いので、それでないと授業に間に合わな
いのです。下女げじょはその関係で六時頃に起きる訳になっていました。しかしその日私が下女を起しに
行ったのはまだ六時前でした。すると奥さんが今日は日曜だといって注意してくれました。奥さんは私の
足音で眼を覚ましたのです。私は奥さんに眼が覚めているなら、ちょっと私の室へやまで来てくれと頼み
ました。奥さんは寝巻の上へ不断着ふだんぎの羽織を引ひっ掛かけて、私の後あとに跟ついて来ました。
私は室へはいるや否いなや、今まで開あいていた仕切りの襖ふすまをすぐ立て切りました。そうして奥さ
んに飛んだ事ができたと小声で告げました。奥さんは何だと聞きました。私は顋あごで隣の室を指すよう
にして、「驚いちゃいけません」といいました。奥さんは蒼あおい顔をしました。「奥さん、Kは自殺し
ました」と私がまたいいました。奥さんはそこに居竦いすくまったように、私の顔を見て黙っていました
。その時私は突然奥さんの前へ手を突いて頭を下げました。「済みません。私が悪かったのです。あなた
にもお嬢さんにも済まない事になりました」と詫あやまりました。私は奥さんと向い合うまで、そんな言
葉を口にする気はまるでなかったのです。しかし奥さんの顔を見た時不意に我とも知らずそういってしま
ったのです。Kに詫まる事のできない私は、こうして奥さんとお嬢さんに詫わびなければいられなくなっ
たのだと思って下さい。つまり私の自然が平生へいぜいの私を出し抜いてふらふらと懺悔ざんげの口を開
かしたのです。奥さんがそんな深い意味に、私の言葉を解釈しなかったのは私にとって幸いでした。蒼い
顔をしながら、「不慮の出来事なら仕方がないじゃありませんか」と慰めるようにいってくれました。し
かしその顔には驚きと怖おそれとが、彫ほり付けられたように、硬かたく筋肉を攫つかんでいました。

五十

「私は奥さんに気の毒でしたけれども、また立って今閉めたばかりの唐紙からかみを開けました。その時
Kの洋燈ランプに油が尽きたと見えて、室へやの中はほとんど真暗まっくらでした。私は引き返して自分
の洋燈を手に持ったまま、入口に立って奥さんを顧みました。奥さんは私の後ろから隠れるようにして、
四畳の中を覗のぞき込みました。しかしはいろうとはしません。そこはそのままにしておいて、雨戸を開
けてくれと私にいいました。
 それから後あとの奥さんの態度は、さすがに軍人の未亡人びぼうじんだけあって要領を得ていました。
私は医者の所へも行きました。また警察へも行きました。しかしみんな奥さんに命令されて行ったのです
。奥さんはそうした手続てつづきの済むまで、誰もKの部屋へは入いれませんでした。
 Kは小さなナイフで頸動脈けいどうみゃくを切って一息ひといきに死んでしまったのです。外ほかに創

120 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:14:01.39 ID:j5ChfVo/0.net
きずらしいものは何にもありませんでした。私が夢のような薄暗い灯ひで見た唐紙の血潮は、彼の頸筋く
びすじから一度に迸ほとばしったものと知れました。私は日中にっちゅうの光で明らかにその迹あとを再
び眺ながめました。そうして人間の血の勢いきおいというものの劇はげしいのに驚きました。
 奥さんと私はできるだけの手際てぎわと工夫を用いて、Kの室へやを掃除しました。彼の血潮の大部分
は、幸い彼の蒲団ふとんに吸収されてしまったので、畳はそれほど汚れないで済みましたから、後始末は
[#「後始末は」は底本では「後始未は」]まだ楽でした。二人は彼の死骸しがいを私の室に入れて、不
断の通り寝ている体ていに横にしました。私はそれから彼の実家へ電報を打ちに出たのです。
 私が帰った時は、Kの枕元まくらもとにもう線香が立てられていました。室へはいるとすぐ仏臭ほとけ
くさい烟けむりで鼻を撲うたれた私は、その烟の中に坐すわっている女二人を認めました。私がお嬢さん
の顔を見たのは、昨夜来さくやらいこの時が始めてでした。お嬢さんは泣いていました。奥さんも眼を赤
くしていました。事件が起ってからそれまで泣く事を忘れていた私は、その時ようやく悲しい気分に誘わ
れる事ができたのです。私の胸はその悲しさのために、どのくらい寛くつろいだか知れません。苦痛と恐
怖でぐいと握り締められた私の心に、一滴いってきの潤うるおいを与えてくれたものは、その時の悲しさ
でした。
 私は黙って二人の傍そばに坐っていました。奥さんは私にも線香を上げてやれといいます。私は線香を
上げてまた黙って坐っていました。お嬢さんは私には何ともいいません。たまに奥さんと一口ひとくち二
口ふたくち言葉を換かわす事がありましたが、それは当座の用事についてのみでした。お嬢さんにはKの
生前について語るほどの余裕がまだ出て来なかったのです。私はそれでも昨夜ゆうべの物凄ものすごい有
様を見せずに済んでまだよかったと心のうちで思いました。若い美しい人に恐ろしいものを見せると、折
角せっかくの美しさが、そのために破壊されてしまいそうで私は怖こわかったのです。私の恐ろしさが私
の髪の毛の末端まで来た時ですら、私はその考えを度外に置いて行動する事はできませんでした。私には
綺麗きれいな花を罪もないのに妄みだりに鞭むちうつと同じような不快がそのうちに籠こもっていたので
す。
 国元からKの父と兄が出て来た時、私はKの遺骨をどこへ埋うめるかについて自分の意見を述べました
。私は彼の生前に雑司ヶ谷ぞうしがや近辺をよくいっしょに散歩した事があります。Kにはそこが大変気
に入っていたのです。それで私は笑談じょうだん半分はんぶんに、そんなに好きなら死んだらここへ埋め
てやろうと約束した覚えがあるのです。私も今その約束通りKを雑司ヶ谷へ葬ほうむったところで、どの
くらいの功徳くどくになるものかとは思いました。けれども私は私の生きている限り、Kの墓の前に跪ひ
ざまずいて月々私の懺悔ざんげを新たにしたかったのです。今まで構い付けなかったKを、私が万事世話
をして来たという義理もあったのでしょう、Kの父も兄も私のいう事を聞いてくれました。

五十一

「Kの葬式の帰り路みちに、私はその友人の一人から、Kがどうして自殺したのだろうという質問を受け
ました。事件があって以来私はもう何度となくこの質問で苦しめられていたのです。奥さんもお嬢さんも
、国から出て来たKの父兄も、通知を出した知り合いも、彼とは何の縁故もない新聞記者までも、必ず同
様の質問を私に掛けない事はなかったのです。私の良心はそのたびにちくちく刺されるように痛みました
。そうして私はこの質問の裏に、早くお前が殺したと白状してしまえという声を聞いたのです。
 私の答えは誰に対しても同じでした。私はただ彼の私宛あてで書き残した手紙を繰り返すだけで、外ほ
かに一口ひとくちも附け加える事はしませんでした。葬式の帰りに同じ問いを掛けて、同じ答えを得たK
の友人は、懐ふところから一枚の新聞を出して私に見せました。私は歩きながらその友人によって指し示
された箇所を読みました。それにはKが父兄から勘当された結果厭世的えんせいてきな考えを起して自殺
したと書いてあるのです。私は何にもいわずに、その新聞を畳たたんで友人の手に帰しました。友人はこ
の外ほかにもKが気が狂って自殺したと書いた新聞があるといって教えてくれました。忙しいので、ほと
んど新聞を読む暇がなかった私は、まるでそうした方面の知識を欠いていましたが、腹の中では始終気に

121 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:14:10.43 ID:j5ChfVo/0.net
かかっていたところでした。私は何よりも宅うちのものの迷惑になるような記事の出るのを恐れたのです
。ことに名前だけにせよお嬢さんが引合いに出たら堪たまらないと思っていたのです。私はその友人に外
ほかに何とか書いたのはないかと聞きました。友人は自分の眼に着いたのは、ただその二種ぎりだと答え
ました。
 私が今おる家へ引ひっ越こしたのはそれから間もなくでした。奥さんもお嬢さんも前の所にいるのを厭
いやがりますし、私もその夜よの記憶を毎晩繰り返すのが苦痛だったので、相談の上移る事に極きめたの
です。
 移って二カ月ほどしてから私は無事に大学を卒業しました。卒業して半年も経たたないうちに、私はと
うとうお嬢さんと結婚しました。外側から見れば、万事が予期通りに運んだのですから、目出度めでたい
といわなければなりません。奥さんもお嬢さんもいかにも幸福らしく見えました。私も幸福だったのです
。けれども私の幸福には黒い影が随ついていました。私はこの幸福が最後に私を悲しい運命に連れて行く
導火線ではなかろうかと思いました。
 結婚した時お嬢さんが、――もうお嬢さんではありませんから、妻さいといいます。――妻が、何を思
い出したのか、二人でKの墓参はかまいりをしようといい出しました。私は意味もなくただぎょっとしま
した。どうしてそんな事を急に思い立ったのかと聞きました。妻は二人揃そろってお参りをしたら、Kが
さぞ喜ぶだろうというのです。私は何事も知らない妻の顔をしけじけ眺ながめていましたが、妻からなぜ
そんな顔をするのかと問われて始めて気が付きました。
 私は妻の望み通り二人連れ立って雑司ヶ谷ぞうしがやへ行きました。私は新しいKの墓へ水をかけて洗
ってやりました。妻はその前へ線香と花を立てました。二人は頭を下げて、合掌しました。妻は定めて私
といっしょになった顛末てんまつを述べてKに喜んでもらうつもりでしたろう。私は腹の中で、ただ自分
が悪かったと繰り返すだけでした。
 その時妻はKの墓を撫なでてみて立派だと評していました。その墓は大したものではないのですけれど
も、私が自分で石屋へ行って見立みたてたりした因縁いんねんがあるので、妻はとくにそういいたかった
のでしょう。私はその新しい墓と、新しい私の妻と、それから地面の下に埋うずめられたKの新しい白骨
とを思い比べて、運命の冷罵れいばを感ぜずにはいられなかったのです。私はそれ以後決して妻といっし
ょにKの墓参りをしない事にしました。

五十二

「私の亡友に対するこうした感じはいつまでも続きました。実は私も初めからそれを恐れていたのです。
年来の希望であった結婚すら、不安のうちに式を挙げたといえばいえない事もないでしょう。しかし自分
で自分の先が見えない人間の事ですから、ことによるとあるいはこれが私の心持を一転して新しい生涯に
入はいる端緒いとくちになるかも知れないとも思ったのです。ところがいよいよ夫として朝夕妻さいと顔
を合せてみると、私の果敢はかない希望は手厳しい現実のために脆もろくも破壊されてしまいました。私
は妻と顔を合せているうちに、卒然そつぜんKに脅おびやかされるのです。つまり妻が中間に立って、K
と私をどこまでも結び付けて離さないようにするのです。妻のどこにも不足を感じない私は、ただこの一
点において彼女を遠ざけたがりました。すると女の胸にはすぐそれが映うつります。映るけれども、理由
は解わからないのです。私は時々妻からなぜそんなに考えているのだとか、何か気に入らない事があるの
だろうとかいう詰問きつもんを受けました。笑って済ませる時はそれで差支さしつかえないのですが、時
によると、妻の癇かんも高こうじて来ます。しまいには「あなたは私を嫌っていらっしゃるんでしょう」
とか、「何でも私に隠していらっしゃる事があるに違いない」とかいう怨言えんげんも聞かなくてはなり
ません。私はそのたびに苦しみました。
 私は一層いっそ思い切って、ありのままを妻に打ち明けようとした事が何度もあります。しかしいざと
いう間際になると自分以外のある力が不意に来て私を抑おさえ付けるのです。私を理解してくれるあなた
の事だから、説明する必要もあるまいと思いますが、話すべき筋だから話しておきます。その時分の私は
妻に対して己おのれを飾る気はまるでなかったのです。もし私が亡友に対すると同じような善良な心で、
妻の前に懺悔ざんげの言葉を並べたなら、妻は嬉うれし涙をこぼしても私の罪を許してくれたに違いない
のです。それをあえてしない私に利害の打算があるはずはありません。私はただ妻の記憶に暗黒な一点を

122 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:14:19.43 ID:j5ChfVo/0.net
印いんするに忍びなかったから打ち明けなかったのです。純白なものに一雫ひとしずくの印気インキでも
容赦ようしゃなく振り掛けるのは、私にとって大変な苦痛だったのだと解釈して下さい。
 一年経たってもKを忘れる事のできなかった私の心は常に不安でした。私はこの不安を駆逐くちくする
ために書物に溺おぼれようと力つとめました。私は猛烈な勢いきおいをもって勉強し始めたのです。そう
してその結果を世の中に公おおやけにする日の来るのを待ちました。けれども無理に目的を拵こしらえて
、無理にその目的の達せられる日を待つのは嘘うそですから不愉快です。私はどうしても書物のなかに心
を埋うずめていられなくなりました。私はまた腕組みをして世の中を眺ながめだしたのです。
 妻はそれを今日こんにちに困らないから心に弛たるみが出るのだと観察していたようでした。妻の家に
も親子二人ぐらいは坐すわっていてどうかこうか暮して行ける財産がある上に、私も職業を求めないで差
支さしつかえのない境遇にいたのですから、そう思われるのももっともです。私も幾分かスポイルされた
気味がありましょう。しかし私の動かなくなった原因の主なものは、全くそこにはなかったのです。叔父
おじに欺あざむかれた当時の私は、他ひとの頼みにならない事をつくづくと感じたには相違ありませんが
、他ひとを悪く取るだけあって、自分はまだ確かな気がしていました。世間はどうあろうともこの己おれ
は立派な人間だという信念がどこかにあったのです。それがKのために美事みごとに破壊されてしまって
、自分もあの叔父と同じ人間だと意識した時、私は急にふらふらしました。他ひとに愛想あいそを尽かし
た私は、自分にも愛想を尽かして動けなくなったのです。

五十三

「書物の中に自分を生埋いきうめにする事のできなかった私は、酒に魂を浸ひたして、己おのれを忘れよ
うと試みた時期もあります。私は酒が好きだとはいいません。けれども飲めば飲める質たちでしたから、
ただ量を頼みに心を盛もり潰つぶそうと力つとめたのです。この浅薄せんぱくな方便はしばらくするうち
に私をなお厭世的えんせいてきにしました。私は爛酔らんすいの真最中まっさいちゅうにふと自分の位置
に気が付くのです。自分はわざとこんな真似まねをして己れを偽いつわっている愚物ぐぶつだという事に
気が付くのです。すると身振みぶるいと共に眼も心も醒さめてしまいます。時にはいくら飲んでもこうし
た仮装状態にさえ入はいり込めないでむやみに沈んで行く場合も出て来ます。その上技巧で愉快を買った
後あとには、きっと沈鬱ちんうつな反動があるのです。私は自分の最も愛している妻さいとその母親に、
いつでもそこを見せなければならなかったのです。しかも彼らは彼らに自然な立場から私を解釈して掛か
かります。
 妻の母は時々気拙きまずい事を妻にいうようでした。それを妻は私に隠していました。しかし自分は自
分で、単独に私を責めなければ気が済まなかったらしいのです。責めるといっても、決して強い言葉では
ありません。妻から何かいわれたために、私が激した例ためしはほとんどなかったくらいですから。妻は
たびたびどこが気に入らないのか遠慮なくいってくれと頼みました。それから私の未来のために酒を止や
めろと忠告しました。ある時は泣いて「あなたはこの頃ごろ人間が違った」といいました。それだけなら
まだいいのですけれども、「Kさんが生きていたら、あなたもそんなにはならなかったでしょう」という
のです。私はそうかも知れないと答えた事がありましたが、私の答えた意味と、妻の了解した意味とは全
く違っていたのですから、私は心のうちで悲しかったのです。それでも私は妻に何事も説明する気にはな
れませんでした。
 私は時々妻に詫あやまりました。それは多く酒に酔って遅く帰った翌日あくるひの朝でした。妻は笑い
ました。あるいは黙っていました。たまにぽろぽろと涙を落す事もありました。私はどっちにしても自分
が不愉快で堪たまらなかったのです。だから私の妻に詫まるのは、自分に詫まるのとつまり同じ事になる
のです。私はしまいに酒を止やめました。妻の忠告で止めたというより、自分で厭いやになったから止め
たといった方が適当でしょう。
 酒は止めたけれども、何もする気にはなりません。仕方がないから書物を読みます。しかし読めば読ん
だなりで、打うち遣やって置きます。私は妻から何のために勉強するのかという質問をたびたび受けまし
た。私はただ苦笑していました。しかし腹の底では、世の中で自分が最も信愛しているたった一人の人間

123 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:14:28.35 ID:j5ChfVo/0.net
すら、自分を理解していないのかと思うと、悲しかったのです。理解させる手段があるのに、理解させる
勇気が出せないのだと思うとますます悲しかったのです。私は寂寞せきばくでした。どこからも切り離さ
れて世の中にたった一人住んでいるような気のした事もよくありました。
 同時に私はKの死因を繰り返し繰り返し考えたのです。その当座は頭がただ恋の一字で支配されていた
せいでもありましょうが、私の観察はむしろ簡単でしかも直線的でした。Kは正まさしく失恋のために死
んだものとすぐ極きめてしまったのです。しかし段々落ち付いた気分で、同じ現象に向ってみると、そう
容易たやすくは解決が着かないように思われて来ました。現実と理想の衝突、――それでもまだ不充分で
した。私はしまいにKが私のようにたった一人で淋さむしくって仕方がなくなった結果、急に所決しょけ
つしたのではなかろうかと疑い出しました。そうしてまた慄ぞっとしたのです。私もKの歩いた路みちを
、Kと同じように辿たどっているのだという予覚よかくが、折々風のように私の胸を横過よこぎり始めた
からです。

五十四

「その内妻さいの母が病気になりました。医者に見せると到底とうてい癒なおらないという診断でした。
私は力の及ぶかぎり懇切に看護をしてやりました。これは病人自身のためでもありますし、また愛する妻
のためでもありましたが、もっと大きな意味からいうと、ついに人間のためでした。私はそれまでにも何
かしたくって堪たまらなかったのだけれども、何もする事ができないのでやむをえず懐手ふところでをし
ていたに違いありません。世間と切り離された私が、始めて自分から手を出して、幾分でも善いい事をし
たという自覚を得たのはこの時でした。私は罪滅つみほろぼしとでも名づけなければならない、一種の気
分に支配されていたのです。
 母は死にました。私と妻さいはたった二人ぎりになりました。妻は私に向って、これから世の中で頼り
にするものは一人しかなくなったといいました。自分自身さえ頼りにする事のできない私は、妻の顔を見
て思わず涙ぐみました。そうして妻を不幸な女だと思いました。また不幸な女だと口へ出してもいいまし
た。妻はなぜだと聞きます。妻には私の意味が解わからないのです。私もそれを説明してやる事ができな
いのです。妻は泣きました。私が不断ふだんからひねくれた考えで彼女を観察しているために、そんな事
もいうようになるのだと恨うらみました。
 母の亡くなった後あと、私はできるだけ妻を親切に取り扱ってやりました。ただ、当人を愛していたか
らばかりではありません。私の親切には箇人こじんを離れてもっと広い背景があったようです。ちょうど
妻の母の看護をしたと同じ意味で、私の心は動いたらしいのです。妻は満足らしく見えました。けれども
その満足のうちには、私を理解し得ないために起るぼんやりした稀薄きはくな点がどこかに含まれている
ようでした。しかし妻が私を理解し得たにしたところで、この物足りなさは増すとも減る気遣きづかいは
なかったのです。女には大きな人道の立場から来る愛情よりも、多少義理をはずれても自分だけに集注さ
れる親切を嬉うれしがる性質が、男よりも強いように思われますから。
 妻はある時、男の心と女の心とはどうしてもぴたりと一つになれないものだろうかといいました。私は
ただ若い時ならなれるだろうと曖昧あいまいな返事をしておきました。妻は自分の過去を振り返って眺な
がめているようでしたが、やがて微かすかな溜息ためいきを洩もらしました。
 私の胸にはその時分から時々恐ろしい影が閃ひらめきました。初めはそれが偶然外そとから襲って来る
のです。私は驚きました。私はぞっとしました。しかししばらくしている中うちに、私の心がその物凄も
のすごい閃きに応ずるようになりました。しまいには外から来ないでも、自分の胸の底に生れた時から潜
ひそんでいるもののごとくに思われ出して来たのです。私はそうした心持になるたびに、自分の頭がどう
かしたのではなかろうかと疑うたぐってみました。けれども私は医者にも誰にも診みてもらう気にはなり
ませんでした。
 私はただ人間の罪というものを深く感じたのです。その感じが私をKの墓へ毎月まいげつ行かせます。
その感じが私に妻の母の看護をさせます。そうしてその感じが妻に優しくしてやれと私に命じます。私は
その感じのために、知らない路傍ろぼうの人から鞭むちうたれたいとまで思った事もあります、こうした
階段を段々経過して行くうちに、人に鞭うたれるよりも、自分で自分を鞭うつべきだという気になります

124 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:14:37.38 ID:j5ChfVo/0.net
。自分で自分を鞭うつよりも、自分で自分を殺すべきだという考えが起ります。私は仕方がないから、死
んだ気で生きて行こうと決心しました。
 私がそう決心してから今日こんにちまで何年になるでしょう。私と妻とは元の通り仲好く暮して来まし
た。私と妻とは決して不幸ではありません、幸福でした。しかし私のもっている一点、私に取っては容易
ならんこの一点が、妻には常に暗黒に見えたらしいのです。それを思うと、私は妻さいに対して非常に気
の毒な気がします。

五十五

「死んだつもりで生きて行こうと決心した私の心は、時々外界の刺戟しげきで躍おどり上がりました。し
かし私がどの方面かへ切って出ようと思い立つや否いなや、恐ろしい力がどこからか出て来て、私の心を
ぐいと握り締めて少しも動けないようにするのです。そうしてその力が私にお前は何をする資格もない男
だと抑おさえ付けるようにいって聞かせます。すると私はその一言いちげんで直すぐぐたりと萎しおれて
しまいます。しばらくしてまた立ち上がろうとすると、また締め付けられます。私は歯を食いしばって、
何で他ひとの邪魔をするのかと怒鳴り付けます。不可思議な力は冷ひややかな声で笑います。自分でよく
知っているくせにといいます。私はまたぐたりとなります。
 波瀾はらんも曲折もない単調な生活を続けて来た私の内面には、常にこうした苦しい戦争があったもの
と思って下さい。妻さいが見て歯痒はがゆがる前に、私自身が何層倍なんぞうばい歯痒い思いを重ねて来
たか知れないくらいです。私がこの牢屋ろうやの中うちに凝じっとしている事がどうしてもできなくなっ
た時、またその牢屋をどうしても突き破る事ができなくなった時、必竟ひっきょう私にとって一番楽な努
力で遂行すいこうできるものは自殺より外ほかにないと私は感ずるようになったのです。あなたはなぜと
いって眼を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはるかも知れませんが、いつも私の心を握り締
めに来るその不可思議な恐ろしい力は、私の活動をあらゆる方面で食い留めながら、死の道だけを自由に
私のために開けておくのです。動かずにいればともかくも、少しでも動く以上は、その道を歩いて進まな
ければ私には進みようがなくなったのです。
 私は今日こんにちに至るまですでに二、三度運命の導いて行く最も楽な方向へ進もうとした事がありま
す。しかし私はいつでも妻に心を惹ひかされました。そうしてその妻をいっしょに連れて行く勇気は無論
ないのです。妻にすべてを打ち明ける事のできないくらいな私ですから、自分の運命の犠牲ぎせいとして
、妻の天寿てんじゅを奪うなどという手荒てあらな所作しょさは、考えてさえ恐ろしかったのです。私に
私の宿命がある通り、妻には妻の廻まわり合せがあります、二人を一束ひとたばにして火に燻くべるのは
、無理という点から見ても、痛ましい極端としか私には思えませんでした。
 同時に私だけがいなくなった後あとの妻を想像してみるといかにも不憫ふびんでした。母の死んだ時、
これから世の中で頼りにするものは私より外になくなったといった彼女の述懐じゅっかいを、私は腸はら
わたに沁しみ込むように記憶させられていたのです。私はいつも躊躇ちゅうちょしました。妻の顔を見て
、止よしてよかったと思う事もありました。そうしてまた凝じっと竦すくんでしまいます。そうして妻か
ら時々物足りなそうな眼で眺ながめられるのです。
 記憶して下さい。私はこんな風ふうにして生きて来たのです。始めてあなたに鎌倉かまくらで会った時
も、あなたといっしょに郊外を散歩した時も、私の気分に大した変りはなかったのです。私の後ろにはい
つでも黒い影が括くッ付ついていました。私は妻さいのために、命を引きずって世の中を歩いていたよう
なものです。あなたが卒業して国へ帰る時も同じ事でした。九月になったらまたあなたに会おうと約束し
た私は、嘘うそを吐ついたのではありません。全く会う気でいたのです。秋が去って、冬が来て、その冬
が尽きても、きっと会うつもりでいたのです。
 すると夏の暑い盛りに明治天皇めいじてんのうが崩御ほうぎょになりました。その時私は明治の精神が
天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後あとに
生き残っているのは必竟ひっきょう時勢遅れだという感じが烈はげしく私の胸を打ちました。私は明白あ
からさまに妻にそういいました。妻は笑って取り合いませんでしたが、何を思ったものか、突然私に、で
は殉死じゅんしでもしたらよかろうと調戯からかいました。

125 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:14:46.54 ID:j5ChfVo/0.net
五十六

「私は殉死という言葉をほとんど忘れていました。平生へいぜい使う必要のない字だから、記憶の底に沈
んだまま、腐れかけていたものと見えます。妻の笑談じょうだんを聞いて始めてそれを思い出した時、私
は妻に向ってもし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだと答えました。私の答えも無論
笑談に過ぎなかったのですが、私はその時何だか古い不要な言葉に新しい意義を盛り得たような心持がし
たのです。
 それから約一カ月ほど経たちました。御大葬ごたいそうの夜私はいつもの通り書斎に坐すわって、相図
あいずの号砲ごうほうを聞きました。私にはそれが明治が永久に去った報知のごとく聞こえました。後で
考えると、それが乃木大将のぎたいしょうの永久に去った報知にもなっていたのです。私は号外を手にし
て、思わず妻に殉死だ殉死だといいました。
 私は新聞で乃木大将の死ぬ前に書き残して行ったものを読みました。西南戦争せいなんせんそうの時敵
に旗を奪とられて以来、申し訳のために死のう死のうと思って、つい今日こんにちまで生きていたという
意味の句を見た時、私は思わず指を折って、乃木さんが死ぬ覚悟をしながら生きながらえて来た年月とし
つきを勘定して見ました。西南戦争は明治十年ですから、明治四十五年までには三十五年の距離がありま
す。乃木さんはこの三十五年の間あいだ死のう死のうと思って、死ぬ機会を待っていたらしいのです。私
はそういう人に取って、生きていた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた一刹那いっせつなが苦
しいか、どっちが苦しいだろうと考えました。
 それから二、三日して、私はとうとう自殺する決心をしたのです。私に乃木さんの死んだ理由がよく解
わからないように、あなたにも私の自殺する訳が明らかに呑のみ込めないかも知れませんが、もしそうだ
とすると、それは時勢の推移から来る人間の相違だから仕方がありません。あるいは箇人こじんのもって
生れた性格の相違といった方が確たしかかも知れません。私は私のできる限りこの不可思議な私というも
のを、あなたに解らせるように、今までの叙述で己おのれを尽つくしたつもりです。
 私は妻さいを残して行きます。私がいなくなっても妻に衣食住の心配がないのは仕合しあわせです。私
は妻に残酷な驚怖きょうふを与える事を好みません。私は妻に血の色を見せないで死ぬつもりです。妻の
知らない間まに、こっそりこの世からいなくなるようにします。私は死んだ後で、妻から頓死とんしした
と思われたいのです。気が狂ったと思われても満足なのです。
 私が死のうと決心してから、もう十日以上になりますが、その大部分はあなたにこの長い自叙伝の一節
を書き残すために使用されたものと思って下さい。始めはあなたに会って話をする気でいたのですが、書
いてみると、かえってその方が自分を判然はっきり描えがき出す事ができたような心持がして嬉うれしい
のです。私は酔興すいきょうに書くのではありません。私を生んだ私の過去は、人間の経験の一部分とし
て、私より外ほかに誰も語り得るものはないのですから、それを偽いつわりなく書き残して置く私の努力
は、人間を知る上において、あなたにとっても、外の人にとっても、徒労ではなかろうと思います。渡辺
華山わたなべかざんは邯鄲かんたんという画えを描かくために、死期を一週間繰り延べたという話をつい
先達せんだって聞きました。他ひとから見たら余計な事のようにも解釈できましょうが、当人にはまた当
人相応の要求が心の中うちにあるのだからやむをえないともいわれるでしょう。私の努力も単にあなたに
対する約束を果たすためばかりではありません。半なかば以上は自分自身の要求に動かされた結果なので
す。
 しかし私は今その要求を果たしました。もう何にもする事はありません。この手紙があなたの手に落ち
る頃ころには、私はもうこの世にはいないでしょう。とくに死んでいるでしょう。妻は十日ばかり前から
市ヶ谷いちがやの叔母おばの所へ行きました。叔母が病気で手が足りないというから私が勧めてやったの
です。私は妻の留守の間あいだに、この長いものの大部分を書きました。時々妻が帰って来ると、私はす
ぐそれを隠しました。
 私は私の過去を善悪ともに他ひとの参考に供するつもりです。しかし妻だけはたった一人の例外だと承
知して下さい。私は妻には何にも知らせたくないのです。妻が己おのれの過去に対してもつ記憶を、なる
べく純白に保存しておいてやりたいのが私の唯一ゆいいつの希望なのですから、私が死んだ後あとでも、

126 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:14:55.38 ID:j5ChfVo/0.net
妻が生きている以上は、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、すべてを腹の中にしまっておいて
下さい。」


坊っちゃん
夏目漱石

 親譲おやゆずりの無鉄砲むてっぽうで小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階か
ら飛び降りて一週間ほど腰こしを抜ぬかした事がある。なぜそんな無闇むやみをしたと聞く人があるかも
知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談じょうだんに、
いくら威張いばっても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃はやしたからである。小使
こづかいに負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼めをして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴
やつがあるかと云いったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。
 親類のものから西洋製のナイフを貰もらって奇麗きれいな刃はを日に翳かざして、友達ともだちに見せ
ていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った。切れぬ事があるか、何でも切ってみせると受
け合った。そんなら君の指を切ってみろと注文したから、何だ指ぐらいこの通りだと右の手の親指の甲こ
うをはすに切り込こんだ。幸さいわいナイフが小さいのと、親指の骨が堅かたかったので、今だに親指は
手に付いている。しかし創痕きずあとは死ぬまで消えぬ。
 庭を東へ二十歩に行き尽つくすと、南上がりにいささかばかりの菜園があって、真中まんなかに栗くり
の木が一本立っている。これは命より大事な栗だ。実の熟する時分は起き抜けに背戸せどを出て落ちた奴
を拾ってきて、学校で食う。菜園の西側が山城屋やましろやという質屋の庭続きで、この質屋に勘太郎か
んたろうという十三四の倅せがれが居た。勘太郎は無論弱虫である。弱虫の癖くせに四つ目垣を乗りこえ
て、栗を盗ぬすみにくる。ある日の夕方折戸おりどの蔭かげに隠かくれて、とうとう勘太郎を捕つらまえ
てやった。その時勘太郎は逃にげ路みちを失って、一生懸命いっしょうけんめいに飛びかかってきた。向
むこうは二つばかり年上である。弱虫だが力は強い。鉢はちの開いた頭を、こっちの胸へ宛あててぐいぐ
い押おした拍子ひょうしに、勘太郎の頭がすべって、おれの袷あわせの袖そでの中にはいった。邪魔じゃ
まになって手が使えぬから、無暗に手を振ふったら、袖の中にある勘太郎の頭が、右左へぐらぐら靡なび
いた。しまいに苦しがって袖の中から、おれの二の腕うでへ食い付いた。痛かったから勘太郎を垣根へ押
しつけておいて、足搦あしがらをかけて向うへ倒たおしてやった。山城屋の地面は菜園より六尺がた低い
。勘太郎は四つ目垣を半分崩くずして、自分の領分へ真逆様まっさかさまに落ちて、ぐうと云った。勘太
郎が落ちるときに、おれの袷の片袖がもげて、急に手が自由になった。その晩母が山城屋に詫わびに行っ
たついでに袷の片袖も取り返して来た。
 この外いたずらは大分やった。大工の兼公かねこうと肴屋さかなやの角かくをつれて、茂作もさくの人
参畠にんじんばたけをあらした事がある。人参の芽が出揃でそろわぬ処ところへ藁わらが一面に敷しいて
あったから、その上で三人が半日相撲すもうをとりつづけに取ったら、人参がみんな踏ふみつぶされてし
まった。古川ふるかわの持っている田圃たんぼの井戸いどを埋うめて尻しりを持ち込まれた事もある。太
い孟宗もうそうの節を抜いて、深く埋めた中から水が湧わき出て、そこいらの稲いねにみずがかかる仕掛
しかけであった。その時分はどんな仕掛か知らぬから、石や棒ぼうちぎれをぎゅうぎゅう井戸の中へ挿さ
し込んで、水が出なくなったのを見届けて、うちへ帰って飯を食っていたら、古川が真赤まっかになって
怒鳴どなり込んで来た。たしか罰金ばっきんを出して済んだようである。
 おやじはちっともおれを可愛かわいがってくれなかった。母は兄ばかり贔屓ひいきにしていた。この兄
はやに色が白くって、芝居しばいの真似まねをして女形おんながたになるのが好きだった。おれを見る度
にこいつはどうせ碌ろくなものにはならないと、おやじが云った。乱暴で乱暴で行く先が案じられると母
が云った。なるほど碌なものにはならない。ご覧の通りの始末である。行く先が案じられたのも無理はな
い。ただ懲役ちょうえきに行かないで生きているばかりである。
 母が病気で死ぬ二三日にさんち前台所で宙返りをしてへっついの角で肋骨あばらぼねを撲うって大いに
痛かった。母が大層怒おこって、お前のようなものの顔は見たくないと云うから、親類へ泊とまりに行っ
ていた。するととうとう死んだと云う報知しらせが来た。そう早く死ぬとは思わなかった。そんな大病な

127 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:15:04.36 ID:j5ChfVo/0.net
ら、もう少し大人おとなしくすればよかったと思って帰って来た。そうしたら例の兄がおれを親不孝だ、
おれのために、おっかさんが早く死んだんだと云った。口惜くやしかったから、兄の横っ面を張って大変
叱しかられた。
 母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮くらしていた。おやじは何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば
貴様は駄目だめだ駄目だと口癖のように云っていた。何が駄目なんだか今に分らない。妙みょうなおやじ
があったもんだ。兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ず
るいから、仲がよくなかった。十日に一遍いっぺんぐらいの割で喧嘩けんかをしていた。ある時将棋しょ
うぎをさしたら卑怯ひきょうな待駒まちごまをして、人が困ると嬉うれしそうに冷やかした。あんまり腹
が立ったから、手に在った飛車を眉間みけんへ擲たたきつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄が
おやじに言付いつけた。おやじがおれを勘当かんどうすると言い出した。
 その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている
清きよという下女が、泣きながらおやじに詫あやまって、ようやくおやじの怒いかりが解けた。それにも
かかわらずあまりおやじを怖こわいとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。こ
の下女はもと由緒ゆいしょのあるものだったそうだが、瓦解がかいのときに零落れいらくして、つい奉公
ほうこうまでするようになったのだと聞いている。だから婆ばあさんである。この婆さんがどういう因縁
いんえんか、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想あいそをつか
した――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾つまはじきをする――このおれ
を無暗に珍重ちんちょうしてくれた。おれは到底とうてい人に好かれる性たちでないとあきらめていたか
ら、他人から木の端はしのように取り扱あつかわれるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちや
ほやしてくれるのを不審ふしんに考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたは真まっ直すぐでよい
ご気性だ」と賞ほめる事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。好いい気性なら
清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞は嫌き
らいだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれ
の顔を眺ながめている。自分の力でおれを製造して誇ほこってるように見える。少々気味がわるかった。
 母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。時々は小供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思
った。つまらない、廃よせばいいのにと思った。気の毒だと思った。それでも清は可愛がる。折々は自分
の小遣こづかいで金鍔きんつばや紅梅焼こうばいやきを買ってくれる。寒い夜などはひそかに蕎麦粉そば
こを仕入れておいて、いつの間にか寝ねている枕元まくらもとへ蕎麦湯を持って来てくれる。時には鍋焼
饂飩なべやきうどんさえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴足袋くつたびももらった。鉛筆え
んぴつも貰った、帳面も貰った。これはずっと後の事であるが金を三円ばかり貸してくれた事さえある。
何も貸せと云った訳ではない。向うで部屋へ持って来てお小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさい
と云ってくれたんだ。おれは無論入らないと云ったが、是非使えと云うから、借りておいた。実は大変嬉
しかった。その三円を蝦蟇口がまぐちへ入れて、懐ふところへ入れたなり便所へ行ったら、すぽりと後架
こうかの中へ落おとしてしまった。仕方がないから、のそのそ出てきて実はこれこれだと清に話したとこ
ろが、清は早速竹の棒を捜さがして来て、取って上げますと云った。しばらくすると井戸端いどばたでざ
あざあ音がするから、出てみたら竹の先へ蝦蟇口の紐ひもを引き懸かけたのを水で洗っていた。それから
口をあけて壱円札いちえんさつを改めたら茶色になって模様が消えかかっていた。清は火鉢で乾かわかし
て、これでいいでしょうと出した。ちょっとかいでみて臭くさいやと云ったら、それじゃお出しなさい、
取り換かえて来て上げますからと、どこでどう胡魔化ごまかしたか札の代りに銀貨を三円持って来た。こ
の三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返
してやりたくても返せない。
 清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だ

128 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:15:13.53 ID:j5ChfVo/0.net
け得をするほど嫌いな事はない。兄とは無論仲がよくないけれども、兄に隠して清から菓子かしや色鉛筆
を貰いたくはない。なぜ、おれ一人にくれて、兄さんには遣やらないのかと清に聞く事がある。すると清
は澄すましたものでお兄様あにいさまはお父様とうさまが買ってお上げなさるから構いませんと云う。こ
れは不公平である。おやじは頑固がんこだけれども、そんな依怙贔負えこひいきはせぬ男だ。しかし清の
眼から見るとそう見えるのだろう。全く愛に溺おぼれていたに違ちがいない。元は身分のあるものでも教
育のない婆さんだから仕方がない。単にこればかりではない。贔負目は恐ろしいものだ。清はおれをもっ
て将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。その癖勉強をする兄は色ばかり白くって、とて
も役には立たないと一人できめてしまった。こんな婆さんに逢あっては叶かなわない。自分の好きなもの
は必ずえらい人物になって、嫌いなひとはきっと落ち振れるものと信じている。おれはその時から別段何
になると云う了見りょうけんもなかった。しかし清がなるなると云うものだから、やっぱり何かに成れる
んだろうと思っていた。今から考えると馬鹿馬鹿ばかばかしい。ある時などは清にどんなものになるだろ
うと聞いてみた事がある。ところが清にも別段の考えもなかったようだ。ただ手車てぐるまへ乗って、立
派な玄関げんかんのある家をこしらえるに相違そういないと云った。
 それから清はおれがうちでも持って独立したら、一所いっしょになる気でいた。どうか置いて下さいと
何遍も繰くり返して頼んだ。おれも何だかうちが持てるような気がして、うん置いてやると返事だけはし
ておいた。ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町こうじまちですか麻
布あざぶですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を
独りで並ならべていた。その時は家なんか欲しくも何ともなかった。西洋館も日本建にほんだても全く不
用であったから、そんなものは欲しくないと、いつでも清に答えた。すると、あなたは欲がすくなくって
、心が奇麗だと云ってまた賞めた。清は何と云っても賞めてくれる。
 母が死んでから五六年の間はこの状態で暮していた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には
菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない。これでたくさんだと思っていた。ほかの小供も一概いち
がいにこんなものだろうと思っていた。ただ清が何かにつけて、あなたはお可哀想かわいそうだ、不仕合
ふしあわせだと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。その外に苦にな
る事は少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。
 母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を
卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行ゆかなければな
らん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立しゅった
つすると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介やっかいになる気は
ない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極きまっている。
なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると
覚悟かくごをした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多がらくたを二束三文にそくさん
もんに売った。家屋敷いえやしきはある人の周旋しゅうせんである金満家に譲った。この方は大分金にな
ったようだが、詳くわしい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田
の小川町おがわまちへ下宿していた。清は十何年居たうちが人手に渡わたるのを大いに残念がったが、自
分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出
来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来る
はずだ。婆さんは何なんにも知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。
 兄とおれはかように分れたが、困ったのは清の行く先である。兄は無論連れて行ける身分でなし、清も
兄の尻にくっ付いて九州下くんだりまで出掛ける気は毛頭なし、と云ってこの時のおれは四畳半よじょう
はんの安下宿に籠こもって、それすらもいざとなれば直ちに引き払はらわねばならぬ始末だ。どうする事
も出来ん。清に聞いてみた。どこかへ奉公でもする気かねと云ったらあなたがおうちを持って、奥おくさ

129 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:15:22.43 ID:j5ChfVo/0.net
まをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥おいの厄介になりましょうとようやく決心した返事をした
。この甥は裁判所の書記でまず今日には差支さしつかえなく暮していたから、今までも清に来るなら来い
と二三度勧めたのだが、清はたとい下女奉公はしても年来住み馴なれた家うちの方がいいと云って応じな
かった。しかし今の場合知らぬ屋敷へ奉公易ほうこうがえをして入らぬ気兼きがねを仕直すより、甥の厄
介になる方がましだと思ったのだろう。それにしても早くうちを持ての、妻さいを貰えの、来て世話をす
るのと云う。親身しんみの甥よりも他人のおれの方が好きなのだろう。
 九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買しょうばいをするなり、学資
にして勉強をするなり、どうでも随意ずいいに使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にして
は感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊たんばくな処置が
気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと
云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場ていしゃばで分れたぎり兄にはその後一遍も
逢わない。
 おれは六百円の使用法について寝ながら考えた。商買をしたって面倒めんどくさくって旨うまく出来る
ものじゃなし、ことに六百円の金で商買らしい商買がやれる訳でもなかろう。よしやれるとしても、今の
ようじゃ人の前へ出て教育を受けたと威張れないからつまり損になるばかりだ。資本などはどうでもいい
から、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三に割って一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強が出
来る。三年間一生懸命にやれば何か出来る。それからどこの学校へはいろうと考えたが、学問は生来しょ
うらいどれもこれも好きでない。ことに語学とか文学とか云うものは真平まっぴらご免めんだ。新体詩な
どと来ては二十行あるうちで一行も分らない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、
幸い物理学校の前を通り掛かかったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらっ
てすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起おこった失策だ。
 三年間まあ人並ひとなみに勉強はしたが別段たちのいい方でもないから、席順はいつでも下から勘定か
んじょうする方が便利であった。しかし不思議なもので、三年立ったらとうとう卒業してしまった。自分
でも可笑おかしいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく卒業しておいた。
 卒業してから八日目に校長が呼びに来たから、何か用だろうと思って、出掛けて行ったら、四国辺のあ
る中学校で数学の教師が入る。月給は四十円だが、行ってはどうだという相談である。おれは三年間学問
はしたが実を云うと教師になる気も、田舎いなかへ行く考えも何もなかった。もっとも教師以外に何をし
ようと云うあてもなかったから、この相談を受けた時、行きましょうと即席そくせきに返事をした。これ
も親譲りの無鉄砲が祟たたったのである。
 引き受けた以上は赴任ふにんせねばならぬ。この三年間は四畳半に蟄居ちっきょして小言はただの一度
も聞いた事がない。喧嘩もせずに済んだ。おれの生涯のうちでは比較的ひかくてき呑気のんきな時節であ
った。しかしこうなると四畳半も引き払わなければならん。生れてから東京以外に踏み出したのは、同級
生と一所に鎌倉かまくらへ遠足した時ばかりである。今度は鎌倉どころではない。大変な遠くへ行かねば
ならぬ。地図で見ると海浜で針の先ほど小さく見える。どうせ碌な所ではあるまい。どんな町で、どんな
人が住んでるか分らん。分らんでも困らない。心配にはならぬ。ただ行くばかりである。もっとも少々面
倒臭い。
 家を畳たたんでからも清の所へは折々行った。清の甥というのは存外結構な人である。おれが行ゆくた
びに、居おりさえすれば、何くれと款待もてなしてくれた。清はおれを前へ置いて、いろいろおれの自慢
じまんを甥に聞かせた。今に学校を卒業すると麹町辺へ屋敷を買って役所へ通うのだなどと吹聴ふいちょ
うした事もある。独りで極きめて一人ひとりで喋舌しゃべるから、こっちは困こまって顔を赤くした。そ
れも一度や二度ではない。折々おれが小さい時寝小便をした事まで持ち出すには閉口した。甥は何と思っ
て清の自慢を聞いていたか分らぬ。ただ清は昔風むかしふうの女だから、自分とおれの関係を封建ほうけ
ん時代の主従しゅじゅうのように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点がてん

130 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:15:31.33 ID:j5ChfVo/0.net
したものらしい。甥こそいい面つらの皮だ。
 いよいよ約束が極まって、もう立つと云う三日前に清を尋たずねたら、北向きの三畳に風邪かぜを引い
て寝ていた。おれの来たのを見て起き直るが早いか、坊ぼっちゃんいつ家うちをお持ちなさいますと聞い
た。卒業さえすれば金が自然とポッケットの中に湧いて来ると思っている。そんなにえらい人をつらまえ
て、まだ坊っちゃんと呼ぶのはいよいよ馬鹿気ている。おれは単簡に当分うちは持たない。田舎へ行くん
だと云ったら、非常に失望した容子ようすで、胡麻塩ごましおの鬢びんの乱れをしきりに撫なでた。あま
り気の毒だから「行ゆく事は行くがじき帰る。来年の夏休みにはきっと帰る」と慰なぐさめてやった。そ
れでも妙な顔をしているから「何を見やげに買って来てやろう、何が欲しい」と聞いてみたら「越後えち
ごの笹飴ささあめが食べたい」と云った。越後の笹飴なんて聞いた事もない。第一方角が違う。「おれの
行く田舎には笹飴はなさそうだ」と云って聞かしたら「そんなら、どっちの見当です」と聞き返した。「
西の方だよ」と云うと「箱根はこねのさきですか手前ですか」と問う。随分持てあました。
 出立の日には朝から来て、いろいろ世話をやいた。来る途中とちゅう小間物屋で買って来た歯磨はみが
きと楊子ようじと手拭てぬぐいをズックの革鞄かばんに入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもな
かなか承知しない。車を並べて停車場へ着いて、プラットフォームの上へ出た時、車へ乗り込んだおれの
顔をじっと見て「もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌きげんよう」と小さな声で云った。目に
涙なみだが一杯いっぱいたまっている。おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。汽
車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だいしょうぶだろうと思って、窓から首を出して、振り向いた
ら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。



 ぶうと云いって汽船がとまると、艀はしけが岸を離はなれて、漕こぎ寄せて来た。船頭は真まっ裸ぱだ
かに赤ふんどしをしめている。野蛮やばんな所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いの
で水がやに光る。見つめていても眼めがくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。
見るところでは大森おおもりぐらいな漁村だ。人を馬鹿ばかにしていらあ、こんな所に我慢がまんが出来
るものかと思ったが仕方がない。威勢いせいよく一番に飛び込んだ。続つづいて五六人は乗ったろう。外
に大きな箱はこを四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻もどして来た。陸おかへ着いた時も、いの一
番に飛び上がって、いきなり、磯いそに立っていた鼻たれ小僧こぞうをつらまえて中学校はどこだと聞い
た。小僧はぼんやりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田舎いなかものだ。猫ねこの額ほどな町内
の癖くせに、中学校のありかも知らぬ奴やつがあるものか。ところへ妙みょうな筒つつっぽうを着た男が
きて、こっちへ来いと云うから、尾ついて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来た。やな女が声を揃そ
ろえてお上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中学校を教えろと云った
ら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった
。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄かばんを二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋
のものは変な顔をしていた。
 停車場はすぐ知れた。切符きっぷも訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろご
ろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭
である。それから車を傭やとって、中学校へ来たら、もう放課後で誰だれも居ない。宿直はちょっと用達
ようたしに出たと小使こづかいが教えた。随分ずいぶん気楽な宿直がいるものだ。校長でも尋たずねよう
かと思ったが、草臥くたびれたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に云い付けた。車夫は威勢よく
山城屋やましろやと云ううちへ横付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎かんたろうの屋号と同じだからち
ょっと面白く思った。
 何だか二階の楷子段はしごだんの下の暗い部屋へ案内した。熱くって居られやしない。こんな部屋はい
やだと云ったらあいにくみんな塞ふさがっておりますからと云いながら革鞄を抛ほうり出したまま出て行
った。仕方がないから部屋の中へはいって汗あせをかいて我慢がまんしていた。やがて湯に入れと云うか
ら、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけに覗のぞいてみると涼すずしそうな部屋がたくさん空

131 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:15:40.38 ID:j5ChfVo/0.net
いている。失敬な奴だ。嘘うそをつきゃあがった。それから下女が膳ぜんを持って来た。部屋は熱あつか
ったが、飯は下宿のよりも大分旨うまかった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞
くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったから当あたり前だと答え
てやった。膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い声が聞きこえた。くだらないから、すぐ寝ね
たが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒々そうぞうしい。下宿の五倍ぐらいやかましい。う
とうとしたら清きよの夢ゆめを見た。清が越後えちごの笹飴ささあめを笹ぐるみ、むしゃむしゃ食ってい
る。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云いって旨そうに食って
いる。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。
相変らず空の底が突つき抜ぬけたような天気だ。
 道中どうちゅうをしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末そまつに取り扱われる
と聞いていた。こんな、狭せまくて暗い部屋へ押おし込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらし
い服装なりをして、ズックの革鞄と毛繻子けじゅすの蝙蝠傘こうもりを提げてるからだろう。田舎者の癖
に人を見括みくびったな。一番茶代をやって驚おどろかしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十
円ほど懐ふところに入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほ
どある。みんなやったってこれからは月給を貰もらうんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円
もやれば驚おどろいて眼を廻まわすに極きまっている。どうするか見ろと済すまして顔を洗って、部屋へ
帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って来た。盆ぼんを持って給仕をしながら、やににやにや笑って
る。失敬な奴だ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女の面つらよりよっぽど上等だ
。飯を済ましてからにしようと思っていたが、癪しゃくに障さわったから、中途ちゅうとで五円札さつを
一枚まい出して、あとでこれを帳場へ持って行けと云ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済
ましてすぐ学校へ出懸でかけた。靴くつは磨みがいてなかった。
 学校は昨日きのう車で乗りつけたから、大概たいがいの見当は分っている。四つ角を二三度曲がったら
すぐ門の前へ出た。門から玄関げんかんまでは御影石みかげいしで敷しきつめてある。きのうこの敷石の
上を車でがらがらと通った時は、無暗むやみに仰山ぎょうさんな音がするので少し弱った。途中から小倉
こくらの制服を着た生徒にたくさん逢あったが、みんなこの門をはいって行く。中にはおれより背が高く
って強そうなのが居る。あんな奴を教えるのかと思ったら何だか気味が悪わるくなった。名刺めいしを出
したら校長室へ通した。校長は薄髯うすひげのある、色の黒い、目の大きな狸たぬきのような男である。
やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと云って、恭うやうやしく大きな印の捺おさった、
辞令を渡わたした。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り込こんでしまった。校長は今に職員に
紹介しょうかいしてやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だ。そ
んな面倒めんどうな事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。
 教員が控所ひかえじょへ揃そろうには一時間目の喇叭らっぱが鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。
校長は時計を出して見て、追々おいおいゆるりと話すつもりだが、まず大体の事を呑のみ込んでおいても
らおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていた
が、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような無鉄
砲むてっぽうなものをつらまえて、生徒の模範もはんになれの、一校の師表しひょうと仰あおがれなくて
はいかんの、学問以外に個人の徳化を及およぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をす
る。そんなえらい人が月給四十円で遥々はるばるこんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が
立てば喧嘩けんかの一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、
散歩も出来ない。そんなむずかしい役なら雇やとう前にこれこれだと話すがいい。おれは嘘うそをつくの
が嫌きらいだから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで断ことわって
帰っちまおうと思った。宿屋へ五円やったから財布さいふの中には九円なにがししかない。九円じゃ東京

132 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:15:49.54 ID:j5ChfVo/0.net
までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。惜おしい事をした。しかし九円だって、どうかなら
ない事はない。旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、到底とうていあなたのおっしゃる通
りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見
ていた。やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しなく
ってもいいと云いながら笑った。そのくらいよく知ってるなら、始めから威嚇おどささなければいいのに

 そう、こうする内に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃いましたろうと
云うから、校長に尾いて教員控所へはいった。広い細長い部屋の周囲に机を並ならべてみんな腰こしをか
けている。おれがはいったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。
それから申し付けられた通り一人一人ひとりびとりの前へ行って辞令を出して挨拶あいさつをした。大概
たいがいは椅子いすを離れて腰をかがめるばかりであったが、念の入ったのは差し出した辞令を受け取っ
て一応拝見をしてそれを恭うやうやしく返却へんきゃくした。まるで宮芝居の真似まねだ。十五人目に体
操たいそうの教師へと廻って来た時には、同じ事を何返もやるので少々じれったくなった。向むこうは一
度で済む。こっちは同じ所作しょさを十五返繰り返している。少しはひとの了見りょうけんも察してみる
がいい。
 挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。文学士と云えば大学の卒業
生だからえらい人なんだろう。妙みょうに女のような優しい声を出す人だった。もっとも驚いたのはこの
暑いのにフランネルの襯衣しゃつを着ている。いくらか薄うすい地には相違そういなくっても暑いには極
ってる。文学士だけにご苦労千万な服装なりをしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿ばかに
している。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があった者だ。当人
の説明では赤は身体からだに薬になるから、衛生のためにわざわざ誂あつらえるんだそうだが、入らざる
心配だ。そんならついでに着物も袴はかまも赤にすればいい。それから英語の教師に古賀こがとか云う大
変顔色の悪わるい男が居た。大概顔の蒼あおい人は瘠やせてるもんだがこの男は蒼くふくれている。昔む
かし小学校へ行く時分、浅井あさいの民たみさんと云う子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやは
り、こんな色つやだった。浅井は百姓ひゃくしょうだから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いて
みたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの唐茄子とうなすばかり食べるから、蒼くふくれるんで
すと教えてくれた。それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食った酬むくいだと思う。
この英語の教師もうらなりばかり食ってるに違ちがいない。もっともうらなりとは何の事か今もって知ら
ない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろう。それからおれ
と同じ数学の教師に堀田ほったというのが居た。これは逞たくましい毬栗坊主いがぐりぼうずで、叡山え
いざんの悪僧あくそうと云うべき面構つらがまえである。人が叮寧ていねいに辞令を見せたら見向きもせ
ず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給きたまえアハハハと云った。何がアハハハだ。そんな礼儀れい
ぎを心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれはこの時からこの坊主に山嵐やまあらしという渾名あだ
なをつけてやった。漢学の先生はさすがに堅かたいものだ。昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授
業をお始めで、大分ご励精れいせいで、――とのべつに弁じたのは愛嬌あいきょうのあるお爺じいさんだ
。画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾すきやの羽織を着て、扇子せんすをぱちつかせて、お国
はどちらでげす、え? 東京? そりゃ嬉うれしい、お仲間が出来て……私わたしもこれで江戸えどっ子
ですと云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。そのほか一人一人
についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
 挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち
合せをしておいて、明後日あさってから課業を始めてくれと云った。数学の主任は誰かと聞いてみたら例
の山嵐であった。忌々いまいましい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は「おい君どこに
宿とまってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と云い残して白墨はくぼくを持って教場へ出て

133 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:15:58.43 ID:j5ChfVo/0.net
行った。主任の癖に向うから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。
 それから学校の門を出て、すぐ宿へ帰ろうと思ったが、帰ったって仕方がないから、少し町を散歩して
やろうと思って、無暗に足の向く方をあるき散らした。県庁も見た。古い前世紀の建築である。兵営も見
た。麻布あざぶの聯隊れんたいより立派でない。大通りも見た。神楽坂かぐらざかを半分に狭くしたぐら
いな道幅みちはばで町並まちなみはあれより落ちる。二十五万石の城下だって高の知れたものだ。こんな
所に住んでご城下だなどと威張いばってる人間は可哀想かわいそうなものだと考えながらくると、いつし
か山城屋の前に出た。広いようでも狭いものだ。これで大抵たいていは見尽みつくしたのだろう。帰って
飯でも食おうと門口をはいった。帳場に坐すわっていたかみさんが、おれの顔を見ると急に飛び出してき
てお帰り……と板の間へ頭をつけた。靴くつを脱ぬいで上がると、お座敷ざしきがあきましたからと下女
が二階へ案内をした。十五畳じょうの表二階で大きな床とこの間まがついている。おれは生れてからまだ
こんな立派な座敷へはいった事はない。この後いつはいれるか分らないから、洋服を脱いで浴衣ゆかた一
枚になって座敷の真中まんなかへ大の字に寝てみた。いい心持ちである。
 昼飯を食ってから早速清へ手紙をかいてやった。おれは文章がまずい上に字を知らないから手紙を書く
のが大嫌だいきらいだ。またやる所もない。しかし清は心配しているだろう。難船して死にやしないかな
どと思っちゃ困るから、奮発ふんぱつして長いのを書いてやった。その文句はこうである。
「きのう着いた。つまらん所だ。十五畳の座敷に寝ている。宿屋へ茶代を五円やった。かみさんが頭を板
の間へすりつけた。夕べは寝られなかった。清が笹飴を笹ごと食う夢を見た。来年の夏は帰る。今日学校
へ行ってみんなにあだなをつけてやった。校長は狸、教頭は赤シャツ、英語の教師はうらなり、数学は山
嵐、画学はのだいこ。今にいろいろな事を書いてやる。さようなら」
 手紙をかいてしまったら、いい心持ちになって眠気ねむけがさしたから、最前のように座敷の真中への
びのびと大の字に寝た。今度は夢も何も見ないでぐっすり寝た。この部屋かいと大きな声がするので目が
覚めたら、山嵐がはいって来た。最前は失敬、君の受持ちは……と人が起き上がるや否や談判を開かれた
ので大いに狼狽ろうばいした。受持ちを聞いてみると別段むずかしい事もなさそうだから承知した。この
くらいの事なら、明後日は愚おろか、明日あしたから始めろと云ったって驚ろかない。授業上の打ち合せ
が済んだら、君はいつまでこんな宿屋に居るつもりでもあるまい、僕ぼくがいい下宿を周旋しゅうせんし
てやるから移りたまえ。外のものでは承知しないが僕が話せばすぐ出来る。早い方がいいから、今日見て
、あす移って、あさってから学校へ行けば極りがいいと一人で呑み込んでいる。なるほど十五畳敷にいつ
まで居る訳にも行くまい。月給をみんな宿料しゅくりょうに払はらっても追っつかないかもしれぬ。五円
の茶代を奮発ふんぱつしてすぐ移るのはちと残念だが、どうせ移る者なら、早く引き越こして落ち付く方
が便利だから、そこのところはよろしく山嵐に頼たのむ事にした。すると山嵐はともかくもいっしょに来
てみろと云うから、行った。町はずれの岡の中腹にある家で至極閑静かんせいだ。主人は骨董こっとうを
売買するいか銀と云う男で、女房にょうぼうは亭主ていしゅよりも四つばかり年嵩としかさの女だ。中学
校に居た時ウィッチと云う言葉を習った事があるがこの女房はまさにウィッチに似ている。ウィッチだっ
て人の女房だから構わない。とうとう明日から引き移る事にした。帰りに山嵐は通町とおりちょうで氷水
を一杯ぱい奢おごった。学校で逢った時はやに横風おうふうな失敬な奴だと思ったが、こんなにいろいろ
世話をしてくれるところを見ると、わるい男でもなさそうだ。ただおれと同じようにせっかちで肝癪持か
んしゃくもちらしい。あとで聞いたらこの男が一番生徒に人望があるのだそうだ。



 いよいよ学校へ出た。初めて教場へはいって高い所へ乗った時は、何だか変だった。講釈をしながら、
おれでも先生が勤まるのかと思った。生徒はやかましい。時々図抜ずぬけた大きな声で先生と云いう。先
生には応こたえた。今まで物理学校で毎日先生先生と呼びつけていたが、先生と呼ぶのと、呼ばれるのは
雲泥うんでいの差だ。何だか足の裏がむずむずする。おれは卑怯ひきょうな人間ではない。臆病おくびょ

134 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:16:07.43 ID:j5ChfVo/0.net
うな男でもないが、惜おしい事に胆力たんりょくが欠けている。先生と大きな声をされると、腹の減った
時に丸の内で午砲どんを聞いたような気がする。最初の一時間は何だかいい加減にやってしまった。しか
し別段困った質問も掛かけられずに済んだ。控所ひかえじょへ帰って来たら、山嵐がどうだいと聞いた。
うんと単簡に返事をしたら山嵐は安心したらしかった。
 二時間目に白墨はくぼくを持って控所を出た時には何だか敵地へ乗り込こむような気がした。教場へ出
ると今度の組は前より大きな奴やつばかりである。おれは江戸えどっ子で華奢きゃしゃに小作りに出来て
いるから、どうも高い所へ上がっても押おしが利かない。喧嘩けんかなら相撲取すもうとりとでもやって
みせるが、こんな大僧おおぞうを四十人も前へ並ならべて、ただ一枚まいの舌をたたいて恐縮きょうしゅ
くさせる手際はない。しかしこんな田舎者いなかものに弱身を見せると癖くせになると思ったから、なる
べく大きな声をして、少々巻き舌で講釈してやった。最初のうちは、生徒も烟けむに捲まかれてぼんやり
していたから、それ見ろとますます得意になって、べらんめい調を用いてたら、一番前の列の真中まんな
かに居た、一番強そうな奴が、いきなり起立して先生と云う。そら来たと思いながら、何だと聞いたら、
「あまり早くて分からんけれ、もちっと、ゆるゆる遣やって、おくれんかな、もし」と云った。おくれん
かな、もしは生温なまぬるい言葉だ。早過ぎるなら、ゆっくり云ってやるが、おれは江戸っ子だから君等
きみらの言葉は使えない、分わからなければ、分るまで待ってるがいいと答えてやった。この調子で二時
間目は思ったより、うまく行った。ただ帰りがけに生徒の一人がちょっとこの問題を解釈をしておくれん
かな、もし、と出来そうもない幾何きかの問題を持って逼せまったには冷汗ひやあせを流した。仕方がな
いから何だか分らない、この次教えてやると急いで引き揚あげたら、生徒がわあと囃はやした。その中に
出来ん出来んと云う声が聞きこえる。箆棒べらぼうめ、先生だって、出来ないのは当り前だ。出来ないの
を出来ないと云うのに不思議があるもんか。そんなものが出来るくらいなら四十円でこんな田舎へくるも
んかと控所へ帰って来た。今度はどうだとまた山嵐が聞いた。うんと云ったが、うんだけでは気が済まな
かったから、この学校の生徒は分らずやだなと云ってやった。山嵐は妙みょうな顔をしていた。
 三時間目も、四時間目も昼過ぎの一時間も大同小異であった。最初の日に出た級は、いずれも少々ずつ
失敗した。教師ははたで見るほど楽じゃないと思った。授業はひと通り済んだが、まだ帰れない、三時ま
でぽつ然ねんとして待ってなくてはならん。三時になると、受持級の生徒が自分の教室を掃除そうじして
報知しらせにくるから検分をするんだそうだ。それから、出席簿しゅっせきぼを一応調べてようやくお暇
ひまが出る。いくら月給で買われた身体からだだって、あいた時間まで学校へ縛しばりつけて机と睨にら
めっくらをさせるなんて法があるものか。しかしほかの連中はみんな大人おとなしくご規則通りやってる
から新参のおればかり、だだを捏こねるのもよろしくないと思って我慢がまんしていた。帰りがけに、君
何でもかんでも三時過すぎまで学校にいさせるのは愚おろかだぜと山嵐に訴えたら、山嵐はそうさアハハ
ハと笑ったが、あとから真面目まじめになって、君あまり学校の不平を云うと、いかんぜ。云うなら僕ぼ
くだけに話せ、随分ずいぶん妙な人も居るからなと忠告がましい事を云った。四つ角で分れたから詳くわ
しい事は聞くひまがなかった。
 それからうちへ帰ってくると、宿の亭主ていしゅがお茶を入れましょうと云ってやって来る。お茶を入
れると云うからご馳走ちそうをするのかと思うと、おれの茶を遠慮えんりょなく入れて自分が飲むのだ。
この様子では留守中るすちゅうも勝手にお茶を入れましょうを一人ひとりで履行りこうしているかも知れ
ない。亭主が云うには手前は書画骨董しょがこっとうがすきで、とうとうこんな商買を内々で始めるよう
になりました。あなたもお見受け申すところ大分ご風流でいらっしゃるらしい。ちと道楽にお始めなすっ
てはいかがですと、飛んでもない勧誘かんゆうをやる。二年前ある人の使つかいに帝国ていこくホテルへ
行った時は錠前じょうまえ直しと間違まちがえられた事がある。ケットを被かぶって、鎌倉かまくらの大
仏を見物した時は車屋から親方と云われた。その外今日こんにちまで見損みそくなわれた事は随分あるが
、まだおれをつらまえて大分ご風流でいらっしゃると云ったものはない。大抵たいていはなりや様子でも

135 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:16:16.46 ID:j5ChfVo/0.net
分る。風流人なんていうものは、画えを見ても、頭巾ずきんを被かぶるか短冊たんざくを持ってるものだ
。このおれを風流人だなどと真面目に云うのはただの曲者くせものじゃない。おれはそんな呑気のんきな
隠居いんきょのやるような事は嫌きらいだと云ったら、亭主はへへへへと笑いながら、いえ始めから好き
なものは、どなたもございませんが、いったんこの道にはいるとなかなか出られませんと一人で茶を注い
で妙な手付てつきをして飲んでいる。実はゆうべ茶を買ってくれと頼たのんでおいたのだが、こんな苦い
濃こい茶はいやだ。一杯ぱい飲むと胃に答えるような気がする。今度からもっと苦くないのを買ってくれ
と云ったら、かしこまりましたとまた一杯しぼって飲んだ。人の茶だと思って無暗むやみに飲む奴やつだ
。主人が引き下がってから、明日の下読したよみをしてすぐ寝ねてしまった。
 それから毎日毎日学校へ出ては規則通り働く、毎日毎日帰って来ると主人がお茶を入れましょうと出て
くる。一週間ばかりしたら学校の様子もひと通りは飲み込めたし、宿の夫婦の人物も大概たいがいは分っ
た。ほかの教師に聞いてみると辞令を受けて一週間から一ヶ月ぐらいの間は自分の評判がいいだろうか、
悪わるいだろうか非常に気に掛かかるそうであるが、おれは一向そんな感じはなかった。教場で折々しく
じるとその時だけはやな心持ちだが三十分ばかり立つと奇麗きれいに消えてしまう。おれは何事によらず
長く心配しようと思っても心配が出来ない男だ。教場のしくじりが生徒にどんな影響えいきょうを与あた
えて、その影響が校長や教頭にどんな反応を呈ていするかまるで無頓着むとんじゃくであった。おれは前
に云う通りあまり度胸の据すわった男ではないのだが、思い切りはすこぶるいい人間である。この学校が
いけなければすぐどっかへ行ゆく覚悟かくごでいたから、狸たぬきも赤シャツも、ちっとも恐おそろしく
はなかった。まして教場の小僧こぞう共なんかには愛嬌あいきょうもお世辞も使う気になれなかった。学
校はそれでいいのだが下宿の方はそうはいかなかった。亭主が茶を飲みに来るだけなら我慢もするが、い
ろいろな者を持ってくる。始めに持って来たのは何でも印材で、十とおばかり並ならべておいて、みんな
で三円なら安い物だお買いなさいと云う。田舎巡いなかまわりのヘボ絵師じゃあるまいし、そんなものは
入らないと云ったら、今度は華山かざんとか何とか云う男の花鳥の掛物かけものをもって来た。自分で床
とこの間まへかけて、いい出来じゃありませんかと云うから、そうかなと好加減いいかげんに挨拶あいさ
つをすると、華山には二人ふたりある、一人は何とか華山で、一人は何とか華山ですが、この幅ふくはそ
の何とか華山の方だと、くだらない講釈をしたあとで、どうです、あなたなら十五円にしておきます。お
買いなさいと催促さいそくをする。金がないと断わると、金なんか、いつでもようございますとなかなか
頑固がんこだ。金があつても買わないんだと、その時は追っ払ぱらっちまった。その次には鬼瓦おにがわ
らぐらいな大硯おおすずりを担ぎ込んだ。これは端渓たんけいです、端渓ですと二遍へんも三遍も端渓が
るから、面白半分に端渓た何だいと聞いたら、すぐ講釈を始め出した。端渓には上層中層下層とあって、
今時のものはみんな上層ですが、これはたしかに中層です、この眼がんをご覧なさい。眼が三つあるのは
珍めずらしい。溌墨はつぼくの具合も至極よろしい、試してご覧なさいと、おれの前へ大きな硯を突つき
つける。いくらだと聞くと、持主が支那しなから持って帰って来て是非売りたいと云いますから、お安く
して三十円にしておきましょうと云う。この男は馬鹿ばかに相違そういない。学校の方はどうかこうか無
事に勤まりそうだが、こう骨董責こっとうぜめに逢あってはとても長く続きそうにない。
 そのうち学校もいやになった。  ある日の晩大町おおまちと云う所を散歩していたら郵便局の隣とな
りに蕎麦そばとかいて、下に東京と注を加えた看板があった。おれは蕎麦が大好きである。東京に居おっ
た時でも蕎麦屋の前を通って薬味の香においをかぐと、どうしても暖簾のれんがくぐりたくなった。今日
までは数学と骨董で蕎麦を忘れていたが、こうして看板を見ると素通りが出来なくなる。ついでだから一
杯食って行こうと思って上がり込んだ。見ると看板ほどでもない。東京と断ことわる以上はもう少し奇麗
にしそうなものだが、東京を知らないのか、金がないのか、滅法めっぽうきたない。畳たたみは色が変っ
てお負けに砂でざらざらしている。壁かべは煤すすで真黒まっくろだ。天井てんじょうはランプの油烟ゆ

136 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:16:25.38 ID:j5ChfVo/0.net
えんで燻くすぼってるのみか、低くって、思わず首を縮めるくらいだ。ただ麗々と蕎麦の名前をかいて張
り付けたねだん付けだけは全く新しい。何でも古いうちを買って二三日にさんち前から開業したに違ちが
いなかろう。ねだん付の第一号に天麩羅てんぷらとある。おい天麩羅を持ってこいと大きな声を出した。
するとこの時まで隅すみの方に三人かたまって、何かつるつる、ちゅうちゅう食ってた連中れんじゅうが
、ひとしくおれの方を見た。部屋へやが暗いので、ちょっと気がつかなかったが顔を合せると、みんな学
校の生徒である。先方で挨拶あいさつをしたから、おれも挨拶をした。その晩は久ひさし振ぶりに蕎麦を
食ったので、旨うまかったから天麩羅を四杯平たいらげた。
 翌日何の気もなく教場へはいると、黒板一杯ぐらいな大きな字で、天麩羅先生とかいてある。おれの顔
を見てみんなわあと笑った。おれは馬鹿馬鹿しいから、天麩羅を食っちゃ可笑おかしいかと聞いた。する
と生徒の一人ひとりが、しかし四杯は過ぎるぞな、もし、と云った。四杯食おうが五杯食おうがおれの銭
でおれが食うのに文句があるもんかと、さっさと講義を済まして控所へ帰って来た。十分立って次の教場
へ出ると一つ天麩羅四杯なり。但ただし笑うべからず。と黒板にかいてある。さっきは別に腹も立たなか
ったが今度は癪しゃくに障さわった。冗談じょうだんも度を過ごせばいたずらだ。焼餅やきもちの黒焦く
ろこげのようなもので誰だれも賞ほめ手はない。田舎者はこの呼吸が分からないからどこまで押おして行
っても構わないと云う了見りょうけんだろう。一時間あるくと見物する町もないような狭せまい都に住ん
で、外に何にも芸がないから、天麩羅事件を日露にちろ戦争のように触ふれちらかすんだろう。憐あわれ
な奴等やつらだ。小供の時から、こんなに教育されるから、いやにひねっこびた、植木鉢うえきばちの楓
かえでみたような小人しょうじんが出来るんだ。無邪気むじゃきならいっしょに笑ってもいいが、こりゃ
なんだ。小供の癖くせに乙おつに毒気を持ってる。おれはだまって、天麩羅を消して、こんないたずらが
面白いか、卑怯ひきょうな冗談だ。君等は卑怯と云う意味を知ってるか、と云ったら、自分がした事を笑
われて怒おこるのが卑怯じゃろうがな、もしと答えた奴がある。やな奴だ。わざわざ東京から、こんな奴
を教えに来たのかと思ったら情なくなった。余計な減らず口を利かないで勉強しろと云って、授業を始め
てしまった。それから次の教場へ出たら天麩羅を食うと減らず口が利きたくなるものなりと書いてある。
どうも始末に終えない。あんまり腹が立ったから、そんな生意気な奴は教えないと云ってすたすた帰って
来てやった。生徒は休みになって喜んだそうだ。こうなると学校より骨董の方がまだましだ。
 天麩羅蕎麦もうちへ帰って、一晩寝たらそんなに肝癪かんしゃくに障らなくなった。学校へ出てみると
、生徒も出ている。何だか訳が分らない。それから三日ばかりは無事であったが、四日目の晩に住田すみ
たと云う所へ行って団子だんごを食った。この住田と云う所は温泉のある町で城下から汽車だと十分ばか
り、歩いて三十分で行かれる、料理屋も温泉宿も、公園もある上に遊廓ゆうかくがある。おれのはいった
団子屋は遊廓の入口にあって、大変うまいという評判だから、温泉に行った帰りがけにちょっと食ってみ
た。今度は生徒にも逢わなかったから、誰だれも知るまいと思って、翌日学校へ行って、一時間目の教場
へはいると団子二皿さら七銭と書いてある。実際おれは二皿食って七銭払はらった。どうも厄介やっかい
な奴等だ。二時間目にもきっと何かあると思うと遊廓の団子旨い旨いと書いてある。あきれ返った奴等だ
。団子がそれで済んだと思ったら今度は赤手拭あかてぬぐいと云うのが評判になった。何の事だと思った
ら、つまらない来歴だ。おれはここへ来てから、毎日住田の温泉へ行く事に極きめている。ほかの所は何
を見ても東京の足元にも及およばないが温泉だけは立派なものだ。せっかく来た者だから毎日はいってや
ろうという気で、晩飯前に運動かたがた出掛でかける。ところが行くときは必ず西洋手拭の大きな奴をぶ
ら下げて行く。この手拭が湯に染そまった上へ、赤い縞しまが流れ出したのでちょっと見ると紅色べにい
ろに見える。おれはこの手拭を行きも帰りも、汽車に乗ってもあるいても、常にぶら下げている。それで
生徒がおれの事を赤手拭赤手拭と云うんだそうだ。どうも狭い土地に住んでるとうるさいものだ。まだあ
る。温泉は三階の新築で上等は浴衣ゆかたをかして、流しをつけて八銭で済む。その上に女が天目てんも

137 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:16:34.54 ID:j5ChfVo/0.net
くへ茶を載のせて出す。おれはいつでも上等へはいった。すると四十円の月給で毎日上等へはいるのは贅
沢ぜいたくだと云い出した。余計なお世話だ。まだある。湯壺ゆつぼは花崗石みかげいしを畳たたみ上げ
て、十五畳敷じょうじきぐらいの広さに仕切ってある。大抵たいていは十三四人漬つかってるがたまには
誰も居ない事がある。深さは立って乳の辺まであるから、運動のために、湯の中を泳ぐのはなかなか愉快
ゆかいだ。おれは人の居ないのを見済みすましては十五畳の湯壺を泳ぎ巡まわって喜んでいた。ところが
ある日三階から威勢いせいよく下りて今日も泳げるかなとざくろ口を覗のぞいてみると、大きな札へ黒々
と湯の中で泳ぐべからずとかいて貼はりつけてある。湯の中で泳ぐものは、あまりあるまいから、この貼
札はりふだはおれのために特別に新調したのかも知れない。おれはそれから泳ぐのは断念した。泳ぐのは
断念したが、学校へ出てみると、例の通り黒板に湯の中で泳ぐべからずと書いてあるには驚おどろいた。
何だか生徒全体がおれ一人を探偵たんていしているように思われた。くさくさした。生徒が何を云ったっ
て、やろうと思った事をやめるようなおれではないが、何でこんな狭苦しい鼻の先がつかえるような所へ
来たのかと思うと情なくなった。それでうちへ帰ると相変らず骨董責である。



 学校には宿直があって、職員が代る代るこれをつとめる。但ただし狸たぬきと赤シャツは例外である。
何でこの両人が当然の義務を免まぬかれるのかと聞いてみたら、奏任待遇そうにんたいぐうだからと云う
。面白くもない。月給はたくさんとる、時間は少ない、それで宿直を逃のがれるなんて不公平があるもの
か。勝手な規則をこしらえて、それが当あたり前まえだというような顔をしている。よくまああんなにず
うずうしく出来るものだ。これについては大分不平であるが、山嵐やまあらしの説によると、いくら一人
ひとりで不平を並ならべたって通るものじゃないそうだ。一人だって二人ふたりだって正しい事なら通り
そうなものだ。山嵐は might is right という英語を引いて説諭せつゆを加えたが、何
だか要領を得ないから、聞き返してみたら強者の権利と云う意味だそうだ。強者の権利ぐらいなら昔むか
しから知っている。今さら山嵐から講釈をきかなくってもいい。強者の権利と宿直とは別問題だ。狸や赤
シャツが強者だなんて、誰だれが承知するものか。議論は議論としてこの宿直がいよいよおれの番に廻ま
わって来た。一体疳性かんしょうだから夜具やぐ蒲団ふとんなどは自分のものへ楽に寝ないと寝たような
心持ちがしない。小供の時から、友達のうちへ泊とまった事はほとんどないくらいだ。友達のうちでさえ
厭いやなら学校の宿直はなおさら厭だ。厭だけれども、これが四十円のうちへ籠こもっているなら仕方が
ない。我慢がまんして勤めてやろう。
 教師も生徒も帰ってしまったあとで、一人ぽかんとしているのは随分ずいぶん間が抜ぬけたものだ。宿
直部屋は教場の裏手にある寄宿舎の西はずれの一室だ。ちょっとはいってみたが、西日をまともに受けて
、苦しくって居たたまれない。田舎いなかだけあって秋がきても、気長に暑いもんだ。生徒の賄まかない
を取りよせて晩飯を済ましたが、まずいには恐おそれ入いった。よくあんなものを食って、あれだけに暴
れられたもんだ。それで晩飯を急いで四時半に片付けてしまうんだから豪傑ごうけつに違ちがいない。飯
は食ったが、まだ日が暮くれないから寝ねる訳に行かない。ちょっと温泉に行きたくなった。宿直をして
、外へ出るのはいい事だか、悪わるい事だかしらないが、こうつくねんとして重禁錮じゅうきんこ同様な
憂目うきめに逢あうのは我慢の出来るもんじゃない。始めて学校へ来た時当直の人はと聞いたら、ちょっ
と用達ようたしに出たと小使こづかいが答えたのを妙みょうだと思ったが、自分に番が廻まわってみると
思い当る。出る方が正しいのだ。おれは小使にちょっと出てくると云ったら、何かご用ですかと聞くから
、用じゃない、温泉へはいるんだと答えて、さっさと出掛でかけた。赤手拭あかてぬぐいは宿へ忘れて来
たのが残念だが今日は先方で借りるとしよう。
 それからかなりゆるりと、出たりはいったりして、ようやく日暮方ひぐれがたになったから、汽車へ乗
って古町こまちの停車場ていしゃばまで来て下りた。学校まではこれから四丁だ。訳はないとあるき出す
と、向うから狸が来た。狸はこれからこの汽車で温泉へ行こうと云う計画なんだろう。すたすた急ぎ足に
やってきたが、擦すれ違ちがった時おれの顔を見たから、ちょっと挨拶あいさつをした。すると狸はあな

138 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:16:43.36 ID:j5ChfVo/0.net
たは今日は宿直ではなかったですかねえと真面目まじめくさって聞いた。なかったですかねえもないもん
だ。二時間前おれに向って今夜は始めての宿直ですね。ご苦労さま。と礼を云ったじゃないか。校長なん
かになるといやに曲りくねった言葉を使うもんだ。おれは腹が立ったから、ええ宿直です。宿直ですから
、これから帰って泊る事はたしかに泊りますと云い捨てて済ましてあるき出した。竪町たてまちの四つ角
までくると今度は山嵐やまあらしに出っ喰くわした。どうも狭せまい所だ。出てあるきさえすれば必ず誰
かに逢う。「おい君は宿直じゃないか」と聞くから「うん、宿直だ」と答えたら、「宿直が無暗むやみに
出てあるくなんて、不都合ふつごうじゃないか」と云った。「ちっとも不都合なもんか、出てあるかない
方が不都合だ」と威張いばってみせた。「君のずぼらにも困るな、校長か教頭に出逢うと面倒めんどうだ
ぜ」と山嵐に似合わない事を云うから「校長にはたった今逢った。暑い時には散歩でもしないと宿直も骨
でしょうと校長が、おれの散歩をほめたよ」と云って、面倒臭くさいから、さっさと学校へ帰って来た。
 それから日はすぐくれる。くれてから二時間ばかりは小使を宿直部屋へ呼んで話をしたが、それも飽あ
きたから、寝られないまでも床とこへはいろうと思って、寝巻に着換きがえて、蚊帳かやを捲まくって、
赤い毛布けっとを跳はねのけて、とんと尻持しりもちを突ついて、仰向あおむけになった。おれが寝ると
きにとんと尻持をつくのは小供の時からの癖くせだ。わるい癖だと云って小川町おがわまちの下宿に居た
時分、二階下に居た法律学校の書生が苦情を持ち込こんだ事がある。法律の書生なんてものは弱い癖に、
やに口が達者なもので、愚ぐな事を長たらしく述べ立てるから、寝る時にどんどん音がするのはおれの尻
がわるいのじゃない。下宿の建築が粗末そまつなんだ。掛かケ合うなら下宿へ掛ケ合えと凹へこましてや
った。この宿直部屋は二階じゃないから、いくら、どしんと倒たおれても構わない。なるべく勢いきおい
よく倒れないと寝たような心持ちがしない。ああ愉快だと足をうんと延ばすと、何だか両足へ飛び付いた
。ざらざらして蚤のみのようでもないからこいつあと驚おどろいて、足を二三度毛布けっとの中で振ふっ
てみた。するとざらざらと当ったものが、急に殖ふえ出して脛すねが五六カ所、股ももが二三カ所、尻の
下でぐちゃりと踏ふみ潰つぶしたのが一つ、臍へその所まで飛び上がったのが一つ――いよいよ驚ろいた
。早速さっそく起き上あがって、毛布けっとをぱっと後ろへ抛ほうると、蒲団の中から、バッタが五六十
飛び出した。正体の知れない時は多少気味が悪わるかったが、バッタと相場が極きまってみたら急に腹が
立った。バッタの癖に人を驚ろかしやがって、どうするか見ろと、いきなり括くくり枕まくらを取って、
二三度擲たたきつけたが、相手が小さ過ぎるから勢よく抛なげつける割に利目ききめがない。仕方がない
から、また布団の上へ坐すわって、煤掃すすはきの時に蓙ござを丸めて畳たたみを叩たたくように、そこ
ら近辺を無暗にたたいた。バッタが驚ろいた上に、枕の勢で飛び上がるものだから、おれの肩かただの、
頭だの鼻の先だのへくっ付いたり、ぶつかったりする。顔へ付いた奴やつは枕で叩く訳に行かないから、
手で攫つかんで、一生懸命に擲きつける。忌々いまいましい事に、いくら力を出しても、ぶつかる先が蚊
帳だから、ふわりと動くだけで少しも手答がない。バッタは擲きつけられたまま蚊帳へつらまっている。
死にもどうもしない。ようやくの事に三十分ばかりでバッタは退治たいじた。箒ほうきを持って来てバッ
タの死骸しがいを掃き出した。小使が来て何ですかと云うから、何ですかもあるもんか、バッタを床の中
に飼かっとく奴がどこの国にある。間抜まぬけめ。と叱しかったら、私は存じませんと弁解をした。存じ
ませんで済むかと箒を椽側えんがわへ抛ほうり出したら、小使は恐る恐る箒を担いで帰って行った。
 おれは早速寄宿生を三人ばかり総代に呼び出した。すると六人出て来た。六人だろうが十人だろうが構
うものか。寝巻のまま腕うでまくりをして談判を始めた。
「なんでバッタなんか、おれの床の中へ入れた」
「バッタた何ぞな」と真先まっさきの一人がいった。やに落ち付いていやがる。この学校じゃ校長ばかり
じゃない、生徒まで曲りくねった言葉を使うんだろう。
「バッタを知らないのか、知らなけりゃ見せてやろう」と云ったが、生憎あいにく掃き出してしまって一
匹ぴきも居ない。また小使を呼んで、「さっきのバッタを持ってこい」と云ったら、「もう掃溜はきだめ

139 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:16:52.40 ID:j5ChfVo/0.net
へ棄すててしまいましたが、拾って参りましょうか」と聞いた。「うんすぐ拾って来い」と云うと小使は
急いで馳かけ出したが、やがて半紙の上へ十匹ばかり載のせて来て「どうもお気の毒ですが、生憎夜でこ
れだけしか見当りません。あしたになりましたらもっと拾って参ります」と云う。小使まで馬鹿ばかだ。
おれはバッタの一つを生徒に見せて「バッタたこれだ、大きなずう体をして、バッタを知らないた、何の
事だ」と云うと、一番左の方に居た顔の丸い奴が「そりゃ、イナゴぞな、もし」と生意気におれを遣やり
込こめた。「篦棒べらぼうめ、イナゴもバッタも同じもんだ。第一先生を捕つらまえてなもした何だ。菜
飯なめしは田楽でんがくの時より外に食うもんじゃない」とあべこべに遣り込めてやったら「なもしと菜
飯とは違うぞな、もし」と云った。いつまで行ってもなもしを使う奴だ。
「イナゴでもバッタでも、何でおれの床の中へ入れたんだ。おれがいつ、バッタを入れてくれと頼たのん
だ」
「誰も入れやせんがな」
「入れないものが、どうして床の中に居るんだ」
「イナゴは温ぬくい所が好きじゃけれ、大方一人でおはいりたのじゃあろ」
「馬鹿あ云え。バッタが一人でおはいりになるなんて――バッタにおはいりになられてたまるもんか。―
―さあなぜこんないたずらをしたか、云え」
「云えてて、入れんものを説明しようがないがな」
 けちな奴等やつらだ。自分で自分のした事が云えないくらいなら、てんでしないがいい。証拠しょうこ
さえ挙がらなければ、しらを切るつもりで図太く構えていやがる。おれだって中学に居た時分は少しはい
たずらもしたもんだ。しかしだれがしたと聞かれた時に、尻込みをするような卑怯ひきょうな事はただの
一度もなかった。したものはしたので、しないものはしないに極きまってる。おれなんぞは、いくら、い
たずらをしたって潔白なものだ。嘘を吐ついて罰ばつを逃にげるくらいなら、始めからいたずらなんかや
るものか。いたずらと罰はつきもんだ。罰があるからいたずらも心持ちよく出来る。いたずらだけで罰は
ご免蒙めんこうむるなんて下劣げれつな根性がどこの国に流行はやると思ってるんだ。金は借りるが、返
す事はご免だと云う連中はみんな、こんな奴等が卒業してやる仕事に相違そういない。全体中学校へ何し
にはいってるんだ。学校へはいって、嘘を吐いて、胡魔化ごまかして、陰かげでこせこせ生意気な悪いた
ずらをして、そうして大きな面で卒業すれば教育を受けたもんだと癇違かんちがいをしていやがる。話せ
ない雑兵ぞうひょうだ。
 おれはこんな腐くさった了見りょうけんの奴等と談判するのは胸糞むなくそが悪わるいから、「そんな
に云われなきゃ、聞かなくっていい。中学校へはいって、上品も下品も区別が出来ないのは気の毒なもの
だ」と云って六人を逐おっ放ぱなしてやった。おれは言葉や様子こそあまり上品じゃないが、心はこいつ
らよりも遥はるかに上品なつもりだ。六人は悠々ゆうゆうと引き揚あげた。上部うわべだけは教師のおれ
よりよっぽどえらく見える。実は落ち付いているだけなお悪るい。おれには到底とうていこれほどの度胸
はない。
 それからまた床へはいって横になったら、さっきの騒動そうどうで蚊帳の中はぶんぶん唸うなっている
。手燭てしょくをつけて一匹ずつ焼くなんて面倒な事は出来ないから、釣手つりてをはずして、長く畳た
たんでおいて部屋の中で横竪よこたて十文字に振ふるったら、環かんが飛んで手の甲こうをいやというほ
ど撲ぶった。三度目に床へはいった時は少々落ち付いたがなかなか寝られない。時計を見ると十時半だ。
考えてみると厄介な所へ来たもんだ。一体中学の先生なんて、どこへ行っても、こんなものを相手にする
なら気の毒なものだ。よく先生が品切れにならない。よっぽど辛防しんぼう強い朴念仁ぼくねんじんがな
るんだろう。おれには到底やり切れない。それを思うと清きよなんてのは見上げたものだ。教育もない身
分もない婆ばあさんだが、人間としてはすこぶる尊たっとい。今まではあんなに世話になって別段難有あ
りがたいとも思わなかったが、こうして、一人で遠国へ来てみると、始めてあの親切がわかる。越後えち
ごの笹飴ささあめが食いたければ、わざわざ越後まで買いに行って食わしてやっても、食わせるだけの価
値は充分じゅうぶんある。清はおれの事を欲がなくって、真直まっすぐな気性だと云って、ほめるが、ほ
められるおれよりも、ほめる本人の方が立派な人間だ。何だか清に逢いたくなった。
 清の事を考えながら、のつそつしていると、突然とつぜんおれの頭の上で、数で云ったら三四十人もあ

140 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:17:02.83 ID:j5ChfVo/0.net
ろうか、二階が落っこちるほどどん、どん、どんと拍子ひょうしを取って床板を踏みならす音がした。す
ると足音に比例した大きな鬨ときの声が起おこった。おれは何事が持ち上がったのかと驚ろいて飛び起き
た。飛び起きる途端とたんに、ははあさっきの意趣返いしゅがえしに生徒があばれるのだなと気がついた
。手前のわるい事は悪るかったと言ってしまわないうちは罪は消えないもんだ。わるい事は、手前達に覚
おぼえがあるだろう。本来なら寝てから後悔こうかいしてあしたの朝でもあやまりに来るのが本筋だ。た
とい、あやまらないまでも恐れ入って、静粛せいしゅくに寝ているべきだ。それを何だこの騒さわぎは。
寄宿舎を建てて豚ぶたでも飼っておきあしまいし。気狂きちがいじみた真似まねも大抵たいていにするが
いい。どうするか見ろと、寝巻のまま宿直部屋を飛び出して、楷子段はしごだんを三股半みまたはんに二
階まで躍おどり上がった。すると不思議な事に、今まで頭の上で、たしかにどたばた暴れていたのが、急
に静まり返って、人声どころか足音もしなくなった。これは妙だ。ランプはすでに消してあるから、暗く
てどこに何が居るか判然と分わからないが、人気ひとけのあるとないとは様子でも知れる。長く東から西
へ貫つらぬいた廊下ろうかには鼠ねずみ一匹ぴきも隠かくれていない。廊下のはずれから月がさして、遥
か向うが際どく明るい。どうも変だ、おれは小供の時から、よく夢ゆめを見る癖があって、夢中むちゅう
に跳ね起きて、わからぬ寝言を云って、人に笑われた事がよくある。十六七の時ダイヤモンドを拾った夢
を見た晩なぞは、むくりと立ち上がって、そばに居た兄に、今のダイヤモンドはどうしたと、非常な勢い
きおいで尋たずねたくらいだ。その時は三日ばかりうち中じゅうの笑い草になって大いに弱った。ことに
よると今のも夢かも知れない。しかしたしかにあばれたに違いないがと、廊下の真中まんなかで考え込ん
でいると、月のさしている向うのはずれで、一二三わあと、三四十人の声がかたまって響ひびいたかと思
う間もなく、前のように拍子を取って、一同が床板ゆかいたを踏み鳴らした。それ見ろ夢じゃないやっぱ
り事実だ。静かにしろ、夜なかだぞ、とこっちも負けんくらいな声を出して、廊下を向うへ馳かけだした
。おれの通る路みちは暗い、ただはずれに見える月あかりが目標めじるしだ。おれが馳け出して二間も来
たかと思うと、廊下の真中で、堅かたい大きなものに向脛むこうずねをぶつけて、あ痛いが頭へひびく間
に、身体はすとんと前へ抛ほうり出された。こん畜生ちきしょうと起き上がってみたが、馳けられない。
気はせくが、足だけは云う事を利かない。じれったいから、一本足で飛んで来たら、もう足音も人声も静
まり返って、森しんとしている。いくら人間が卑怯だって、こんなに卑怯に出来るものじゃない。まるで
豚だ。こうなれば隠れている奴を引きずり出して、あやまらせてやるまではひかないぞと、心を極きめて
寝室しんしつの一つを開けて中を検査しようと思ったが開かない。錠じょうをかけてあるのか、机か何か
積んで立て懸かけてあるのか、押おしても、押しても決して開かない。今度は向う合せの北側の室へやを
試みた。開かない事はやっぱり同然である。おれが戸を開けて中に居る奴を引っ捕つらまえてやろうと、
焦慮いらってると、また東のはずれで鬨の声と足拍子が始まった。この野郎やろう申し合せて、東西相応
じておれを馬鹿にする気だな、とは思ったがさてどうしていいか分らない。正直に白状してしまうが、お
れは勇気のある割合に智慧ちえが足りない。こんな時にはどうしていいかさっぱりわからない。わからな
いけれども、決して負けるつもりはない。このままに済ましてはおれの顔にかかわる。江戸えどっ子は意
気地いくじがないと云われるのは残念だ。宿直をして鼻垂はなったれ小僧こぞうにからかわれて、手のつ
けようがなくって、仕方がないから泣き寝入りにしたと思われちゃ一生の名折れだ。これでも元は旗本は
たもとだ。旗本の元は清和源氏せいわげんじで、多田ただの満仲まんじゅうの後裔こうえいだ。こんな土
百姓どびゃくしょうとは生まれからして違うんだ。ただ智慧のないところが惜しいだけだ。どうしていい
か分らないのが困るだけだ。困ったって負けるものか。正直だから、どうしていいか分らないんだ。世の
中に正直が勝たないで、外に勝つものがあるか、考えてみろ。今夜中に勝てなければ、あした勝つ。あし
た勝てなければ、あさって勝つ。あさって勝てなければ、下宿から弁当を取り寄せて勝つまでここに居る
。おれはこう決心をしたから、廊下の真中へあぐらをかいて夜のあけるのを待っていた。蚊がぶんぶん来

141 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:17:10.41 ID:j5ChfVo/0.net
たけれども何ともなかった。さっき、ぶつけた向脛を撫なでてみると、何だかぬらぬらする。血が出るん
だろう。血なんか出たければ勝手に出るがいい。そのうち最前からの疲つかれが出て、ついうとうと寝て
しまった。何だか騒がしいので、眼めが覚めた時はえっ糞くそしまったと飛び上がった。おれの坐すわっ
てた右側にある戸が半分あいて、生徒が二人、おれの前に立っている。おれは正気に返って、はっと思う
途端に、おれの鼻の先にある生徒の足を引ひっ攫つかんで、力任せにぐいと引いたら、そいつは、どたり
と仰向あおむけに倒れた。ざまを見ろ。残る一人がちょっと狼狽ろうばいしたところを、飛びかかって、
肩を抑おさえて二三度こづき廻したら、あっけに取られて、眼をぱちぱちさせた。さあおれの部屋まで来
いと引っ立てると、弱虫だと見えて、一も二もなく尾ついて来た。夜よはとうにあけている。
 おれが宿直部屋へ連れてきた奴を詰問きつもんし始めると、豚は、打ぶっても擲いても豚だから、ただ
知らんがなで、どこまでも通す了見と見えて、けっして白状しない。そのうち一人来る、二人来る、だん
だん二階から宿直部屋へ集まってくる。見るとみんな眠ねむそうに瞼まぶたをはらしている。けちな奴等
だ。一晩ぐらい寝ないで、そんな面をして男と云われるか。面でも洗って議論に来いと云ってやったが、
誰も面を洗いに行かない。
 おれは五十人あまりを相手に約一時間ばかり押問答おしもんどうをしていると、ひょっくり狸がやって
来た。あとから聞いたら、小使が学校に騒動がありますって、わざわざ知らせに行ったのだそうだ。これ
しきの事に、校長を呼ぶなんて意気地がなさ過ぎる。それだから中学校の小使なんぞをしてるんだ。
 校長はひと通りおれの説明を聞いた。生徒の言草いいぐさもちょっと聞いた。追って処分するまでは、
今まで通り学校へ出ろ。早く顔を洗って、朝飯を食わないと時間に間に合わないから、早くしろと云って
寄宿生をみんな放免ほうめんした。手温てぬるい事だ。おれなら即席そくせきに寄宿生をことごとく退校
してしまう。こんな悠長ゆうちょうな事をするから生徒が宿直員を馬鹿にするんだ。その上おれに向って
、あなたもさぞご心配でお疲れでしょう、今日はご授業に及およばんと云うから、おれはこう答えた。「
いえ、ちっとも心配じゃありません。こんな事が毎晩あっても、命のある間は心配にゃなりません。授業
はやります、一晩ぐらい寝なくって、授業が出来ないくらいなら、頂戴ちょうだいした月給を学校の方へ
割戻わりもどします」校長は何と思ったものか、しばらくおれの顔を見つめていたが、しかし顔が大分は
れていますよと注意した。なるほど何だか少々重たい気がする。その上べた一面痒かゆい。蚊がよっぽと
刺さしたに相違ない。おれは顔中ぼりぼり掻かきながら、顔はいくら膨はれたって、口はたしかにきけま
すから、授業には差し支つかえませんと答えた。校長は笑いながら、大分元気ですねと賞ほめた。実を云
うと賞めたんじゃあるまい、ひやかしたんだろう。



 君釣つりに行きませんかと赤シャツがおれに聞いた。赤シャツは気味の悪わるいように優しい声を出す
男である。まるで男だか女だか分わかりゃしない。男なら男らしい声を出すもんだ。ことに大学卒業生じ
ゃないか。物理学校でさえおれくらいな声が出るのに、文学士がこれじゃ見っともない。
 おれはそうですなあと少し進まない返事をしたら、君釣をした事がありますかと失敬な事を聞く。あん
まりないが、子供の時、小梅こうめの釣堀つりぼりで鮒ふなを三匹びき釣った事がある。それから神楽坂
かぐらざかの毘沙門びしゃもんの縁日えんにちで八寸ばかりの鯉こいを針で引っかけて、しめたと思った
ら、ぽちゃりと落としてしまったがこれは今考えても惜おしいと云いったら、赤シャツは顋あごを前の方
へ突つき出してホホホホと笑った。何もそう気取って笑わなくっても、よさそうな者だ。「それじゃ、ま
だ釣りの味は分らんですな。お望みならちと伝授しましょう」とすこぶる得意である。だれがご伝授をう
けるものか。一体釣や猟りょうをする連中はみんな不人情な人間ばかりだ。不人情でなくって、殺生せっ
しょうをして喜ぶ訳がない。魚だって、鳥だって殺されるより生きてる方が楽に極きまってる。釣や猟を
しなくっちゃ活計かっけいがたたないなら格別だが、何不足なく暮くらしている上に、生き物を殺さなく
っちゃ寝られないなんて贅沢ぜいたくな話だ。こう思ったが向むこうは文学士だけに口が達者だから、議
論じゃ叶かなわないと思って、だまってた。すると先生このおれを降参させたと疳違かんちがいして、早

142 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:17:19.39 ID:j5ChfVo/0.net
速伝授しましょう。おひまなら、今日どうです、いっしょに行っちゃ。吉川よしかわ君と二人ふたりぎり
じゃ、淋さむしいから、来たまえとしきりに勧める。吉川君というのは画学の教師で例の野だいこの事だ
。この野だは、どういう了見りょうけんだか、赤シャツのうちへ朝夕出入でいりして、どこへでも随行ず
いこうして行ゆく。まるで同輩どうはいじゃない。主従しゅうじゅうみたようだ。赤シャツの行く所なら
、野だは必ず行くに極きまっているんだから、今さら驚おどろきもしないが、二人で行けば済むところを
、なんで無愛想ぶあいそのおれへ口を掛かけたんだろう。大方高慢こうまんちきな釣道楽で、自分の釣る
ところをおれに見せびらかすつもりかなんかで誘さそったに違いない。そんな事で見せびらかされるおれ
じゃない。鮪まぐろの二匹や三匹釣ったって、びくともするもんか。おれだって人間だ、いくら下手へた
だって糸さえ卸おろしゃ、何かかかるだろう、ここでおれが行かないと、赤シャツの事だから、下手だか
ら行かないんだ、嫌きらいだから行かないんじゃないと邪推じゃすいするに相違そういない。おれはこう
考えたから、行きましょうと答えた。それから、学校をしまって、一応うちへ帰って、支度したくを整え
て、停車場で赤シャツと野だを待ち合せて浜はまへ行った。船頭は一人ひとりで、船ふねは細長い東京辺
では見た事もない恰好かっこうである。さっきから船中見渡みわたすが釣竿つりざおが一本も見えない。
釣竿なしで釣が出来るものか、どうする了見だろうと、野だに聞くと、沖釣おきづりには竿は用いません
、糸だけでげすと顋を撫なでて黒人くろうとじみた事を云った。こう遣やり込こめられるくらいならだま
っていればよかった。
 船頭はゆっくりゆっくり漕こいでいるが熟練は恐おそろしいもので、見返みかえると、浜が小さく見え
るくらいもう出ている。高柏寺こうはくじの五重の塔とうが森の上へ抜ぬけ出して針のように尖とんがっ
てる。向側むこうがわを見ると青嶋あおしまが浮いている。これは人の住まない島だそうだ。よく見ると
石と松まつばかりだ。なるほど石と松ばかりじゃ住めっこない。赤シャツは、しきりに眺望ちょうぼうし
ていい景色だと云ってる。野だは絶景でげすと云ってる。絶景だか何だか知らないが、いい心持ちには相
違ない。ひろびろとした海の上で、潮風に吹ふかれるのは薬だと思った。いやに腹が減る。「あの松を見
たまえ、幹が真直まっすぐで、上が傘かさのように開いてターナーの画にありそうだね」と赤シャツが野
だに云うと、野だは「全くターナーですね。どうもあの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくり
ですよ」と心得顔である。ターナーとは何の事だか知らないが、聞かないでも困らない事だから黙だまっ
ていた。舟は島を右に見てぐるりと廻まわった。波は全くない。これで海だとは受け取りにくいほど平た
いらだ。赤シャツのお陰かげではなはだ愉快ゆかいだ。出来る事なら、あの島の上へ上がってみたいと思
ったから、あの岩のある所へは舟はつけられないんですかと聞いてみた。つけられん事もないですが、釣
をするには、あまり岸じゃいけないですと赤シャツが異議を申し立てた。おれは黙ってた。すると野だが
どうです教頭、これからあの島をターナー島と名づけようじゃありませんかと余計な発議ほつぎをした。
赤シャツはそいつは面白い、吾々われわれはこれからそう云おうと賛成した。この吾々のうちにおれもは
いってるなら迷惑めいわくだ。おれには青嶋でたくさんだ。あの岩の上に、どうです、ラフハエルのマド
ンナを置いちゃ。いい画が出来ますぜと野だが云うと、マドンナの話はよそうじゃないかホホホホと赤シ
ャツが気味の悪るい笑い方をした。なに誰も居ないから大丈夫だいじょうぶですと、ちょっとおれの方を
見たが、わざと顔をそむけてにやにやと笑った。おれは何だかやな心持ちがした。マドンナだろうが、小
旦那こだんなだろうが、おれの関係した事でないから、勝手に立たせるがよかろうが、人に分らない事を
言って分らないから聞いたって構やしませんてえような風をする。下品な仕草だ。これで当人は私わたし
も江戸えどっ子でげすなどと云ってる。マドンナと云うのは何でも赤シャツの馴染なじみの芸者の渾名あ
だなか何かに違いないと思った。なじみの芸者を無人島の松の木の下に立たして眺ながめていれば世話は
ない。それを野だが油絵にでもかいて展覧会へ出したらよかろう。
 ここいらがいいだろうと船頭は船をとめて、錨いかりを卸した。幾尋いくひろあるかねと赤シャツが聞
くと、六尋むひろぐらいだと云う。六尋ぐらいじゃ鯛たいはむずかしいなと、赤シャツは糸を海へなげ込

143 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:17:28.44 ID:j5ChfVo/0.net
んだ。大将鯛を釣る気と見える、豪胆ごうたんなものだ。野だは、なに教頭のお手際じゃかかりますよ。
それになぎですからとお世辞を云いながら、これも糸を繰くり出して投げ入れる。何だか先に錘おもりの
ような鉛なまりがぶら下がってるだけだ。浮うきがない。浮がなくって釣をするのは寒暖計なしで熱度を
はかるようなものだ。おれには到底とうてい出来ないと見ていると、さあ君もやりたまえ糸はありますか
と聞く。糸はあまるほどあるが、浮がありませんと云ったら、浮がなくっちゃ釣が出来ないのは素人しろ
うとですよ。こうしてね、糸が水底みずそこへついた時分に、船縁ふなべりの所で人指しゆびで呼吸をは
かるんです、食うとすぐ手に答える。――そらきた、と先生急に糸をたぐり始めるから、何かかかったと
思ったら何にもかからない、餌えがなくなってたばかりだ。いい気味きびだ。教頭、残念な事をしました
ね、今のはたしかに大ものに違いなかったんですが、どうも教頭のお手際でさえ逃にげられちゃ、今日は
油断ができませんよ。しかし逃げられても何ですね。浮と睨にらめくらをしている連中よりはましですね
。ちょうど歯どめがなくっちゃ自転車へ乗れないのと同程度ですからねと野だは妙みような事ばかり喋舌
しゃべる。よっぽど撲なぐりつけてやろうかと思った。おれだって人間だ、教頭ひとりで借り切った海じ
ゃあるまいし。広い所だ。鰹かつおの一匹ぐらい義理にだって、かかってくれるだろうと、どぼんと錘と
糸を抛ほうり込んでいい加減に指の先であやつっていた。
 しばらくすると、何だかぴくぴくと糸にあたるものがある。おれは考えた。こいつは魚に相違ない。生
きてるものでなくっちゃ、こうぴくつく訳がない。しめた、釣れたとぐいぐい手繰たぐり寄せた。おや釣
れましたかね、後世恐おそるべしだと野だがひやかすうち、糸はもう大概手繰り込んでただ五尺ばかりほ
どしか、水に浸ついておらん。船縁から覗のぞいてみたら、金魚のような縞しまのある魚が糸にくっつい
て、右左へ漾ただよいながら、手に応じて浮き上がってくる。面白い。水際から上げるとき、ぽちゃりと
跳はねたから、おれの顔は潮水だらけになった。ようやくつらまえて、針をとろうとするがなかなか取れ
ない。捕つらまえた手はぬるぬるする。大いに気味がわるい。面倒だから糸を振ふって胴どうの間まへ擲
たたきつけたら、すぐ死んでしまった。赤シャツと野だは驚ろいて見ている。おれは海の中で手をざぶざ
ぶと洗って、鼻の先へあてがってみた。まだ腥臭なまぐさい。もう懲こり懲ごりだ。何が釣れたって魚は
握にぎりたくない。魚も握られたくなかろう。そうそう糸を捲いてしまった。
 一番槍いちばんやりはお手柄てがらだがゴルキじゃ、と野だがまた生意気を云うと、ゴルキと云うと露
西亜ロシアの文学者みたような名だねと赤シャツが洒落しゃれた。そうですね、まるで露西亜の文学者で
すねと野だはすぐ賛成しやがる。ゴルキが露西亜の文学者で、丸木が芝しばの写真師で、米のなる木が命
の親だろう。一体この赤シャツはわるい癖くせだ。誰だれを捕つらまえても片仮名の唐人とうじんの名を
並べたがる。人にはそれぞれ専門があったものだ。おれのような数学の教師にゴルキだか車力しゃりきだ
か見当がつくものか、少しは遠慮えんりょするがいい。云いうならフランクリンの自伝だとかプッシング
、ツー、ゼ、フロントだとか、おれでも知ってる名を使うがいい。赤シャツは時々帝国文学とかいう真赤
まっかな雑誌を学校へ持って来て難有ありがたそうに読んでいる。山嵐やまあらしに聞いてみたら、赤シ
ャツの片仮名はみんなあの雑誌から出るんだそうだ。帝国文学も罪な雑誌だ。
 それから赤シャツと野だは一生懸命いっしょうけんめいに釣っていたが、約一時間ばかりのうちに二人
ふたりで十五六上げた。可笑おかしい事に釣れるのも、釣れるのも、みんなゴルキばかりだ。鯛なんて薬
にしたくってもありゃしない。今日は露西亜文学の大当りだと赤シャツが野だに話している。あなたの手
腕しゅわんでゴルキなんですから、私わたしなんぞがゴルキなのは仕方がありません。当り前ですなと野
だが答えている。船頭に聞くとこの小魚は骨が多くって、まずくって、とても食えないんだそうだ。ただ
肥料こやしには出来るそうだ。赤シャツと野だは一生懸命に肥料を釣っているんだ。気の毒の至りだ。お
れは一匹ぴきで懲こりたから、胴の間へ仰向あおむけになって、さっきから大空を眺めていた。釣をする
よりこの方がよっぽど洒落しゃれている。
 すると二人は小声で何か話し始めた。おれにはよく聞きこえない、また聞きたくもない。おれは空を見

144 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:17:37.38 ID:j5ChfVo/0.net
ながら清きよの事を考えている。金があって、清をつれて、こんな奇麗きれいな所へ遊びに来たらさぞ愉
快だろう。いくら景色がよくっても野だなどといっしょじゃつまらない。清は皺苦茶しわくちゃだらけの
婆さんだが、どんな所へ連れて出たって恥はずかしい心持ちはしない。野だのようなのは、馬車に乗ろう
が、船に乗ろうが、凌雲閣りょううんかくへのろうが、到底寄り付けたものじゃない。おれが教頭で、赤
シャツがおれだったら、やっぱりおれにへけつけお世辞を使って赤シャツを冷ひやかすに違いない。江戸
っ子は軽薄けいはくだと云うがなるほどこんなものが田舎巡いなかまわりをして、私わたしは江戸っ子で
げすと繰り返していたら、軽薄は江戸っ子で、江戸っ子は軽薄の事だと田舎者が思うに極まってる。こん
な事を考えていると、何だか二人がくすくす笑い出した。笑い声の間に何か云うが途切とぎれ途切れでと
んと要領を得ない。
「え? どうだか……」「……全くです……知らないんですから……罪ですね」「まさか……」「バッタ
を……本当ですよ」
 おれは外の言葉には耳を傾かたむけなかったが、バッタと云う野だの語ことばを聴きいた時は、思わず
きっとなった。野だは何のためかバッタと云う言葉だけことさら力を入れて、明瞭めいりょうにおれの耳
にはいるようにして、そのあとをわざとぼかしてしまった。おれは動かないでやはり聞いていた。
「また例の堀田ほったが……」「そうかも知れない……」「天麩羅てんぷら……ハハハハハ」「……煽動
せんどうして……」「団子だんごも?」
 言葉はかように途切れ途切れであるけれども、バッタだの天麩羅だの、団子だのというところをもって
推し測ってみると、何でもおれのことについて内所話ないしょばなしをしているに相違ない。話すならも
っと大きな声で話すがいい、また内所話をするくらいなら、おれなんか誘わなければいい。いけ好かない
連中だ。バッタだろうが雪踏せっただろうが、非はおれにある事じゃない。校長がひとまずあずけろと云
ったから、狸たぬきの顔にめんじてただ今のところは控ひかえているんだ。野だの癖に入らぬ批評をしや
がる。毛筆けふででもしゃぶって引っ込んでるがいい。おれの事は、遅おそかれ早かれ、おれ一人で片付
けてみせるから、差支さしつかえはないが、また例の堀田がとか煽動してとか云う文句が気にかかる。堀
田がおれを煽動して騒動そうどうを大きくしたと云う意味なのか、あるいは堀田が生徒を煽動しておれを
いじめたと云うのか方角がわからない。青空を見ていると、日の光がだんだん弱って来て、少しはひやり
とする風が吹き出した。線香せんこうの烟けむりのような雲が、透すき徹とおる底の上を静かに伸のして
行ったと思ったら、いつしか底の奥おくに流れ込んで、うすくもやを掛かけたようになった。
 もう帰ろうかと赤シャツが思い出したように云うと、ええちょうど時分ですね。今夜はマドンナの君に
お逢あいですかと野だが云う。赤シャツは馬鹿ばかあ云っちゃいけない、間違いになると、船縁に身を倚
もたした奴やつを、少し起き直る。エヘヘヘヘ大丈夫ですよ。聞いたって……と野だが振り返った時、お
れは皿さらのような眼めを野だの頭の上へまともに浴びせ掛けてやった。野だはまぼしそうに引っ繰り返
って、や、こいつは降参だと首を縮めて、頭を掻かいた。何という猪口才ちょこざいだろう。
 船は静かな海を岸へ漕こぎ戻もどる。君釣つりはあまり好きでないと見えますねと赤シャツが聞くから
、ええ寝ねていて空を見る方がいいですと答えて、吸いかけた巻烟草まきたばこを海の中へたたき込んだ
ら、ジュと音がして艪ろの足で掻き分けられた浪なみの上を揺ゆられながら漾ただよっていった。「君が
来たんで生徒も大いに喜んでいるから、奮発ふんぱつしてやってくれたまえ」と今度は釣にはまるで縁故
えんこもない事を云い出した。「あんまり喜んでもいないでしょう」「いえ、お世辞じゃない。全く喜ん
でいるんです、ね、吉川君」「喜んでるどころじゃない。大騒おおさわぎです」と野だはにやにやと笑っ
た。こいつの云う事は一々癪しゃくに障さわるから妙だ。「しかし君注意しないと、険呑けんのんですよ
」と赤シャツが云うから「どうせ険呑です。こうなりゃ険呑は覚悟かくごです」と云ってやった。実際お
れは免職めんしょくになるか、寄宿生をことごとくあやまらせるか、どっちか一つにする了見でいた。「
そう云っちゃ、取りつきどころもないが――実は僕も教頭として君のためを思うから云うんだが、わるく
取っちゃ困る」「教頭は全く君に好意を持ってるんですよ。僕も及およばずながら、同じ江戸っ子だから

145 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:17:46.54 ID:j5ChfVo/0.net
、なるべく長くご在校を願って、お互たがいに力になろうと思って、これでも蔭ながら尽力じんりょくし
ているんですよ」と野だが人間並なみの事を云った。野だのお世話になるくらいなら首を縊くくって死ん
じまわあ。
「それでね、生徒は君の来たのを大変歓迎かんげいしているんだが、そこにはいろいろな事情があってね
。君も腹の立つ事もあるだろうが、ここが我慢がまんだと思って、辛防しんぼうしてくれたまえ。決して
君のためにならないような事はしないから」
「いろいろの事情た、どんな事情です」
「それが少し込み入ってるんだが、まあだんだん分りますよ。僕ぼくが話さないでも自然と分って来るで
す、ね吉川君」
「ええなかなか込み入ってますからね。一朝一夕にゃ到底分りません。しかしだんだん分ります、僕が話
さないでも自然と分って来るです」と野だは赤シャツと同じような事を云う。
「そんな面倒めんどうな事情なら聞かなくてもいいんですが、あなたの方から話し出したから伺うかがう
んです」
「そりゃごもっともだ。こっちで口を切って、あとをつけないのは無責任ですね。それじゃこれだけの事
を云っておきましょう。あなたは失礼ながら、まだ学校を卒業したてで、教師は始めての、経験である。
ところが学校というものはなかなか情実のあるもので、そう書生流に淡泊たんぱくには行ゆかないですか
らね」
「淡泊に行かなければ、どんな風に行くんです」
「さあ君はそう率直だから、まだ経験に乏とぼしいと云うんですがね……」
「どうせ経験には乏しいはずです。履歴書りれきしょにもかいときましたが二十三年四ヶ月ですから」
「さ、そこで思わぬ辺から乗ぜられる事があるんです」
「正直にしていれば誰だれが乗じたって怖こわくはないです」
「無論怖くはない、怖くはないが、乗ぜられる。現に君の前任者がやられたんだから、気を付けないとい
けないと云うんです」
 野だが大人おとなしくなったなと気が付いて、ふり向いて見ると、いつしか艫ともの方で船頭と釣の話
をしている。野だが居ないんでよっぽど話しよくなった。
「僕の前任者が、誰だれに乗ぜられたんです」
「だれと指すと、その人の名誉に関係するから云えない。また判然と証拠しょうこのない事だから云うと
こっちの落度になる。とにかく、せっかく君が来たもんだから、ここで失敗しちゃ僕等ぼくらも君を呼ん
だ甲斐かいがない。どうか気を付けてくれたまえ」
「気を付けろったって、これより気の付けようはありません。わるい事をしなけりゃ好いいんでしょう」
 赤シャツはホホホホと笑った。別段おれは笑われるような事を云った覚えはない。今日こんにちただ今
に至るまでこれでいいと堅かたく信じている。考えてみると世間の大部分の人はわるくなる事を奨励しょ
うれいしているように思う。わるくならなければ社会に成功はしないものと信じているらしい。たまに正
直な純粋じゅんすいな人を見ると、坊ぼっちゃんだの小僧こぞうだのと難癖なんくせをつけて軽蔑けいべ
つする。それじゃ小学校や中学校で嘘うそをつくな、正直にしろと倫理りんりの先生が教えない方がいい
。いっそ思い切って学校で嘘をつく法とか、人を信じない術とか、人を乗せる策を教授する方が、世のた
めにも当人のためにもなるだろう。赤シャツがホホホホと笑ったのは、おれの単純なのを笑ったのだ。単
純や真率が笑われる世の中じゃ仕様がない。清はこんな時に決して笑った事はない。大いに感心して聞い
たもんだ。清の方が赤シャツよりよっぽど上等だ。
「無論悪わるい事をしなければ好いんですが、自分だけ悪るい事をしなくっても、人の悪るいのが分らな
くっちゃ、やっぱりひどい目に逢うでしょう。世の中には磊落らいらくなように見えても、淡泊なように
見えても、親切に下宿の世話なんかしてくれても、めったに油断の出来ないのがありますから……。大分
寒くなった。もう秋ですね、浜の方は靄もやでセピヤ色になった。いい景色だ。おい、吉川君どうだい、
あの浜の景色は……」と大きな声を出して野だを呼んだ。なあるほどこりゃ奇絶きぜつですね。時間があ
ると写生するんだが、惜おしいですね、このままにしておくのはと野だは大いにたたく。
 港屋の二階に灯が一つついて、汽車の笛ふえがヒューと鳴るとき、おれの乗っていた舟は磯いその砂へ
ざぐりと、舳へさきをつき込んで動かなくなった。お早うお帰りと、かみさんが、浜に立って赤シャツに
挨拶あいさつする。おれは船端ふなばたから、やっと掛声かけごえをして磯へ飛び下りた。



146 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:17:55.38 ID:j5ChfVo/0.net
 野だは大嫌だいきらいだ。こんな奴やつは沢庵石たくあんいしをつけて海の底へ沈しずめちまう方が日
本のためだ。赤シャツは声が気に食わない。あれは持前の声をわざと気取ってあんな優しいように見せて
るんだろう。いくら気取ったって、あの面じゃ駄目だめだ。惚ほれるものがあったってマドンナぐらいな
ものだ。しかし教頭だけに野だよりむずかしい事を云いう。うちへ帰って、あいつの申し条を考えてみる
と一応もっとものようでもある。はっきりとした事は云わないから、見当がつきかねるが、何でも山嵐や
まあらしがよくない奴だから用心しろと云うのらしい。それならそうとはっきり断言するがいい、男らし
くもない。そうして、そんな悪わるい教師なら、早く免職めんしょくさしたらよかろう。教頭なんて文学
士の癖くせに意気地いくじのないもんだ。蔭口かげぐちをきくのでさえ、公然と名前が云えないくらいな
男だから、弱虫に極きまってる。弱虫は親切なものだから、あの赤シャツも女のような親切ものなんだろ
う。親切は親切、声は声だから、声が気に入らないって、親切を無にしちゃ筋が違ちがう。それにしても
世の中は不思議なものだ、虫の好かない奴が親切で、気のあった友達が悪漢わるものだなんて、人を馬鹿
ばかにしている。大方田舎いなかだから万事東京のさかに行くんだろう。物騒ぶっそうな所だ。今に火事
が氷って、石が豆腐とうふになるかも知れない。しかし、あの山嵐が生徒を煽動するなんて、いたずらを
しそうもないがな。一番人望のある教師だと云うから、やろうと思ったら大抵たいていの事は出来るかも
知れないが、――第一そんな廻まわりくどい事をしないでも、じかにおれを捕つらまえて喧嘩けんかを吹
き懸かけりゃ手数が省ける訳だ。おれが邪魔じゃまになるなら、実はこれこれだ、邪魔だから辞職してく
れと云や、よさそうなもんだ。物は相談ずくでどうでもなる。向むこうの云い条がもっともなら、明日に
でも辞職してやる。ここばかり米が出来る訳でもあるまい。どこの果はてへ行ったって、のたれ死じには
しないつもりだ。山嵐もよっぽど話せない奴だな。
 ここへ来た時第一番に氷水を奢おごったのは山嵐だ。そんな裏表のある奴から、氷水でも奢ってもらっ
ちゃ、おれの顔に関わる。おれはたった一杯ぱいしか飲まなかったから一銭五厘りんしか払はらわしちゃ
ない。しかし一銭だろうが五厘だろうが、詐欺師さぎしの恩になっては、死ぬまで心持ちがよくない。あ
した学校へ行ったら、一銭五厘返しておこう。おれは清きよから三円借りている。その三円は五年経たっ
た今日までまだ返さない。返せないんじゃない。返さないんだ。清は今に返すだろうなどと、かりそめに
もおれの懐中かいちゅうをあてにしてはいない。おれも今に返そうなどと他人がましい義理立てはしない
つもりだ。こっちがこんな心配をすればするほど清の心を疑ぐるようなもので、清の美しい心にけちを付
けると同じ事になる。返さないのは清を踏ふみつけるのじゃない、清をおれの片破かたわれと思うからだ
。清と山嵐とはもとより比べ物にならないが、たとい氷水だろうが、甘茶あまちゃだろうが、他人から恵
めぐみを受けて、だまっているのは向うをひとかどの人間と見立てて、その人間に対する厚意の所作だ。
割前を出せばそれだけの事で済むところを、心のうちで難有ありがたいと恩に着るのは銭金で買える返礼
じゃない。無位無冠でも一人前の独立した人間だ。独立した人間が頭を下げるのは百万両より尊たっとい
お礼と思わなければならない。
 おれはこれでも山嵐に一銭五厘奮発ふんぱつさせて、百万両より尊とい返礼をした気でいる。山嵐は難
有ありがたいと思ってしかるべきだ。それに裏へ廻って卑劣ひれつな振舞ふるまいをするとは怪けしから
ん野郎やろうだ。あした行って一銭五厘返してしまえば借りも貸しもない。そうしておいて喧嘩をしてや
ろう。
 おれはここまで考えたら、眠ねむくなったからぐうぐう寝ねてしまった。あくる日は思う仔細しさいが
あるから、例刻より早ヤ目に出校して山嵐を待ち受けた。ところがなかなか出て来ない。うらなりが出て
来る。漢学の先生が出て来る。野だが出て来る。しまいには赤シャツまで出て来たが山嵐の机の上は白墨
はくぼくが一本竪たてに寝ているだけで閑静かんせいなものだ。おれは、控所ひかえじょへはいるや否や
返そうと思って、うちを出る時から、湯銭のように手の平へ入れて一銭五厘、学校まで握にぎって来た。
おれは膏あぶらっ手だから、開けてみると一銭五厘が汗あせをかいている。汗をかいてる銭を返しちゃ、

147 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:18:04.35 ID:j5ChfVo/0.net
山嵐が何とか云うだろうと思ったから、机の上へ置いてふうふう吹いてまた握った。ところへ赤シャツが
来て昨日は失敬、迷惑めいわくでしたろうと云ったから、迷惑じゃありません、お蔭で腹が減りましたと
答えた。すると赤シャツは山嵐の机の上へ肱ひじを突ついて、あの盤台面ばんだいづらをおれの鼻の側面
へ持って来たから、何をするかと思ったら、君昨日返りがけに船の中で話した事は、秘密にしてくれたま
え。まだ誰だれにも話しやしますまいねと云った。女のような声を出すだけに心配性な男と見える。話さ
ない事はたしかである。しかしこれから話そうと云う心持ちで、すでに一銭五厘手の平に用意しているく
らいだから、ここで赤シャツから口留めをされちゃ、ちと困る。赤シャツも赤シャツだ。山嵐と名を指さ
ないにしろ、あれほど推察の出来る謎なぞをかけておきながら、今さらその謎を解いちゃ迷惑だとは教頭
とも思えぬ無責任だ。元来ならおれが山嵐と戦争をはじめて鎬しのぎを削けずってる真中まんなかへ出て
堂々とおれの肩かたを持つべきだ。それでこそ一校の教頭で、赤シャツを着ている主意も立つというもん
だ。
 おれは教頭に向むかって、まだ誰にも話さないが、これから山嵐と談判するつもりだと云ったら、赤シ
ャツは大いに狼狽ろうばいして、君そんな無法な事をしちゃ困る。僕ぼくは堀田ほった君の事について、
別段君に何も明言した覚えはないんだから――君がもしここで乱暴を働いてくれると、僕は非常に迷惑す
る。君は学校に騒動そうどうを起すつもりで来たんじゃなかろうと妙みょうに常識をはずれた質問をする
から、当あたり前まえです、月給をもらったり、騒動を起したりしちゃ、学校の方でも困るでしょうと云
った。すると赤シャツはそれじゃ昨日の事は君の参考だけにとめて、口外してくれるなと汗をかいて依頼
いらいに及およぶから、よろしい、僕も困るんだが、そんなにあなたが迷惑ならよしましょうと受け合っ
た。君大丈夫だいじょうぶかいと赤シャツは念を押おした。どこまで女らしいんだか奥行おくゆきがわか
らない。文学士なんて、みんなあんな連中ならつまらんものだ。辻褄つじつまの合わない、論理に欠けた
注文をして恬然てんぜんとしている。しかもこのおれを疑ぐってる。憚はばかりながら男だ。受け合った
事を裏へ廻って反古ほごにするようなさもしい了見りょうけんはもってるもんか。
 ところへ両隣りょうどなりの机の所有主も出校したんで、赤シャツは早々自分の席へ帰って行った。赤
シャツは歩あるき方から気取ってる。部屋の中を往来するのでも、音を立てないように靴くつの底をそっ
と落おとす。音を立てないであるくのが自慢じまんになるもんだとは、この時から始めて知った。泥棒ど
ろぼうの稽古けいこじゃあるまいし、当り前にするがいい。やがて始業の喇叭らっぱがなった。山嵐はと
うとう出て来ない。仕方がないから、一銭五厘を机の上へ置いて教場へ出掛でかけた。
 授業の都合つごうで一時間目は少し後おくれて、控所へ帰ったら、ほかの教師はみんな机を控えて話を
している。山嵐もいつの間にか来ている。欠勤だと思ったら遅刻ちこくしたんだ。おれの顔を見るや否や
今日は君のお蔭で遅刻したんだ。罰金ばっきんを出したまえと云った。おれは机の上にあった一銭五厘を
出して、これをやるから取っておけ。先達せんだって通町とおりちょうで飲んだ氷水の代だと山嵐の前へ
置くと、何を云ってるんだと笑いかけたが、おれが存外真面目まじめでいるので、つまらない冗談じょう
だんをするなと銭をおれの机の上に掃はき返した。おや山嵐の癖くせにどこまでも奢る気だな。
「冗談じゃない本当だ。おれは君に氷水を奢られる因縁いんえんがないから、出すんだ。取らない法があ
るか」
「そんなに一銭五厘が気になるなら取ってもいいが、なぜ思い出したように、今時分返すんだ」
「今時分でも、いつ時分でも、返すんだ。奢られるのが、いやだから返すんだ」
 山嵐は冷然とおれの顔を見てふんと云った。赤シャツの依頼がなければ、ここで山嵐の卑劣ひれつをあ
ばいて大喧嘩をしてやるんだが、口外しないと受け合ったんだから動きがとれない。人がこんなに真赤ま
っかになってるのにふんという理窟りくつがあるものか。
「氷水の代は受け取るから、下宿は出てくれ」
「一銭五厘受け取ればそれでいい。下宿を出ようが出まいがおれの勝手だ」
「ところが勝手でない、昨日、あすこの亭主ていしゅが来て君に出てもらいたいと云うから、その訳を聞
いたら亭主の云うのはもっともだ。それでももう一応たしかめるつもりで今朝けさあすこへ寄って詳くわ

148 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:18:13.47 ID:j5ChfVo/0.net
しい話を聞いてきたんだ」
 おれには山嵐の云う事が何の意味だか分らない。
「亭主が君に何を話したんだか、おれが知ってるもんか。そう自分だけで極めたって仕様があるか。訳が
あるなら、訳を話すが順だ。てんから亭主の云う方がもっともだなんて失敬千万な事を云うな」
「うん、そんなら云ってやろう。君は乱暴であの下宿で持て余あまされているんだ。いくら下宿の女房だ
って、下女たあ違うぜ。足を出して拭ふかせるなんて、威張いばり過ぎるさ」
「おれが、いつ下宿の女房に足を拭かせた」
「拭かせたかどうだか知らないが、とにかく向うじゃ、君に困ってるんだ。下宿料の十円や十五円は懸物
かけものを一幅ぷく売りゃ、すぐ浮ういてくるって云ってたぜ」
「利いた風な事をぬかす野郎やろうだ。そんなら、なぜ置いた」
「なぜ置いたか、僕は知らん、置くことは置いたんだが、いやになったんだから、出ろと云うんだろう。
君出てやれ」
「当り前だ。居てくれと手を合せたって、居るものか。一体そんな云い懸がかりを云うような所へ周旋し
ゅうせんする君からしてが不埒ふらちだ」
「おれが不埒か、君が大人おとなしくないんだか、どっちかだろう」
 山嵐もおれに劣おとらぬ肝癪持かんしゃくもちだから、負け嫌ぎらいな大きな声を出す。控所に居た連
中は何事が始まったかと思って、みんな、おれと山嵐の方を見て、顋あごを長くしてぼんやりしている。
おれは、別に恥はずかしい事をした覚えはないんだから、立ち上がりながら、部屋中一通り見巡みまわし
てやった。みんなが驚おどろいてるなかに野だだけは面白そうに笑っていた。おれの大きな眼めが、貴様
も喧嘩をするつもりかと云う権幕で、野だの干瓢かんぴょうづらを射貫いぬいた時に、野だは突然とつぜ
ん真面目な顔をして、大いにつつしんだ。少し怖こわかったと見える。そのうち喇叭が鳴る。山嵐もおれ
も喧嘩を中止して教場へ出た。

 午後は、先夜おれに対して無礼を働いた寄宿生の処分法についての会議だ。会議というものは生れて始
めてだからとんと容子ようすが分らないが、職員が寄って、たかって自分勝手な説をたてて、それを校長
が好い加減に纏まとめるのだろう。纏めるというのは黒白こくびゃくの決しかねる事柄ことがらについて
云うべき言葉だ。この場合のような、誰が見たって、不都合としか思われない事件に会議をするのは暇潰
ひまつぶしだ。誰が何と解釈したって異説の出ようはずがない。こんな明白なのは即座そくざに校長が処
分してしまえばいいに。随分ずいぶん決断のない事だ。校長ってものが、これならば、何の事はない、煮
にえ切きらない愚図ぐずの異名だ。
 会議室は校長室の隣となりにある細長い部屋で、平常は食堂の代理を勤める。黒い皮で張った椅子いす
が二十脚きゃくばかり、長いテーブルの周囲に並ならんでちょっと神田の西洋料理屋ぐらいな格だ。その
テーブルの端はじに校長が坐すわって、校長の隣りに赤シャツが構える。あとは勝手次第に席に着くんだ
そうだが、体操たいそうの教師だけはいつも席末に謙遜けんそんするという話だ。おれは様子が分らない
から、博物の教師と漢学の教師の間へはいり込こんだ。向うを見ると山嵐と野だが並んでる。野だの顔は
どう考えても劣等だ。喧嘩はしても山嵐の方が遥はるかに趣おもむきがある。おやじの葬式そうしきの時
に小日向こびなたの養源寺ようげんじの座敷ざしきにかかってた懸物はこの顔によく似ている。坊主ぼう
ずに聞いてみたら韋駄天いだてんと云う怪物だそうだ。今日は怒おこってるから、眼をぐるぐる廻しちゃ
、時々おれの方を見る。そんな事で威嚇おどかされてたまるもんかと、おれも負けない気で、やっぱり眼
をぐりつかせて、山嵐をにらめてやった。おれの眼は恰好かっこうはよくないが、大きい事においては大
抵な人には負けない。あなたは眼が大きいから役者になるときっと似合いますと清がよく云ったくらいだ

 もう大抵お揃そろいでしょうかと校長が云うと、書記の川村と云うのが一つ二つと頭数を勘定かんじょ
うしてみる。一人足りない。一人不足ですがと考えていたが、これは足りないはずだ。唐茄子とうなすの
うらなり君が来ていない。おれとうらなり君とはどう云う宿世すくせの因縁かしらないが、この人の顔を
見て以来どうしても忘れられない。控所へくれば、すぐ、うらなり君が眼に付く、途中とちゅうをあるい
ていても、うらなり先生の様子が心に浮うかぶ。温泉へ行くと、うらなり君が時々蒼あおい顔をして湯壺
ゆつぼのなかに膨ふくれている。挨拶あいさつをするとへえと恐縮きょうしゅくして頭を下げるから気の

149 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:18:22.55 ID:j5ChfVo/0.net
毒になる。学校へ出てうらなり君ほど大人しい人は居ない。めったに笑った事もないが、余計な口をきい
た事もない。おれは君子という言葉を書物の上で知ってるが、これは字引にあるばかりで、生きてるもの
ではないと思ってたが、うらなり君に逢あってから始めて、やっぱり正体のある文字だと感心したくらい
だ。
 このくらい関係の深い人の事だから、会議室へはいるや否や、うらなり君の居ないのは、すぐ気がつい
た。実を云うと、この男の次へでも坐すわろうかと、ひそかに目標めじるしにして来たくらいだ。校長は
もうやがて見えるでしょうと、自分の前にある紫むらさきの袱紗包ふくさづつみをほどいて、蒟蒻版こん
にゃくばんのような者を読んでいる。赤シャツは琥珀こはくのパイプを絹ハンケチで磨みがき始めた。こ
の男はこれが道楽である。赤シャツ相当のところだろう。ほかの連中は隣り同志で何だか私語ささやき合
っている。手持無沙汰てもちぶさたなのは鉛筆えんぴつの尻しりに着いている、護謨ゴムの頭でテーブル
の上へしきりに何か書いている。野だは時々山嵐に話しかけるが、山嵐は一向応じない。ただうんとかあ
あと云うばかりで、時々怖こわい眼をして、おれの方を見る。おれも負けずに睨にらめ返す。
 ところへ待ちかねた、うらなり君が気の毒そうにはいって来て少々用事がありまして、遅刻致いたしま
したと慇懃いんぎんに狸たぬきに挨拶あいさつをした。では会議を開きますと狸はまず書記の川村君に蒟
蒻版を配布させる。見ると最初が処分の件、次が生徒取締とりしまりの件、その他二三ヶ条である。狸は
例の通りもったいぶって、教育の生霊いきりょうという見えでこんな意味の事を述べた。「学校の職員や
生徒に過失のあるのは、みんな自分の寡徳かとくの致すところで、何か事件がある度に、自分はよくこれ
で校長が勤まるとひそかに慚愧ざんきの念に堪たえんが、不幸にして今回もまたかかる騒動を引き起した
のは、深く諸君に向って謝罪しなければならん。しかしひとたび起った以上は仕方がない、どうにか処分
をせんければならん、事実はすでに諸君のご承知の通りであるからして、善後策について腹蔵のない事を
参考のためにお述べ下さい」
 おれは校長の言葉を聞いて、なるほど校長だの狸だのと云うものは、えらい事を云うもんだと感心した
。こう校長が何もかも責任を受けて、自分の咎とがだとか、不徳だとか云うくらいなら、生徒を処分する
のは、やめにして、自分から先へ免職めんしょくになったら、よさそうなもんだ。そうすればこんな面倒
めんどうな会議なんぞを開く必要もなくなる訳だ。第一常識から云いっても分ってる。おれが大人しく宿
直をする。生徒が乱暴をする。わるいのは校長でもなけりゃ、おれでもない、生徒だけに極きまってる。
もし山嵐が煽動せんどうしたとすれば、生徒と山嵐を退治たいじればそれでたくさんだ。人の尻しりを自
分で背負しょい込こんで、おれの尻だ、おれの尻だと吹き散らかす奴が、どこの国にあるもんか、狸でな
くっちゃ出来る芸当じゃない。彼かれはこんな条理じょうりに適かなわない議論を吐はいて、得意気に一
同を見廻した。ところが誰も口を開くものがない。博物の教師は第一教場の屋根に烏からすがとまってる
のを眺ながめている。漢学の先生は蒟蒻版こんにゃくばんを畳たたんだり、延ばしたりしてる。山嵐はま
だおれの顔をにらめている。会議と云うものが、こんな馬鹿気ばかげたものなら、欠席して昼寝でもして
いる方がましだ。
 おれは、じれったくなったから、一番大いに弁じてやろうと思って、半分尻をあげかけたら、赤シャツ
が何か云い出したから、やめにした。見るとパイプをしまって、縞しまのある絹ハンケチで顔をふきなが
ら、何か云っている。あの手巾はんけちはきっとマドンナから巻き上げたに相違そういない。男は白い麻
あさを使うもんだ。「私も寄宿生の乱暴を聞いてはなはだ教頭として不行届ふゆきとどきであり、かつ平
常の徳化が少年に及ばなかったのを深く慚はずるのであります。でこう云う事は、何か陥欠かんけつがあ
ると起るもので、事件その物を見ると何だか生徒だけがわるいようであるが、その真相を極めると責任は
かえって学校にあるかも知れない。だから表面上にあらわれたところだけで厳重な制裁を加えるのは、か
えって未来のためによくないかとも思われます。かつ少年血気のものであるから活気があふれて、善悪の
考えはなく、半ば無意識にこんな悪戯いたずらをやる事はないとも限らん。でもとより処分法は校長のお
考えにある事だから、私の容喙ようかいする限りではないが、どうかその辺をご斟酌しんしゃくになって

150 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:18:31.54 ID:j5ChfVo/0.net
、なるべく寛大なお取計とりはからいを願いたいと思います」
 なるほど狸が狸なら、赤シャツも赤シャツだ。生徒があばれるのは、生徒がわるいんじゃない教師が悪
るいんだと公言している。気狂きちがいが人の頭を撲なぐり付けるのは、なぐられた人がわるいから、気
狂がなぐるんだそうだ。難有ありがたい仕合せだ。活気にみちて困るなら運動場へ出て相撲すもうでも取
るがいい、半ば無意識に床の中へバッタを入れられてたまるものか。この様子じゃ寝頸ねくびをかかれて
も、半ば無意識だって放免するつもりだろう。
 おれはこう考えて何か云おうかなと考えてみたが、云うなら人を驚ろすかように滔々とうとうと述べた
てなくっちゃつまらない、おれの癖として、腹が立ったときに口をきくと、二言か三言で必ず行き塞つま
ってしまう。狸でも赤シャツでも人物から云うと、おれよりも下等だが、弁舌はなかなか達者だから、ま
ずい事を喋舌しゃべって揚足あげあしを取られちゃ面白くない。ちょっと腹案を作ってみようと、胸のな
かで文章を作ってる。すると前に居た野だが突然起立したには驚ろいた。野だの癖に意見を述べるなんて
生意気だ。野だは例のへらへら調で「実に今回のバッタ事件及び咄喊とっかん事件は吾々われわれ心ある
職員をして、ひそかに吾わが校将来の前途ぜんとに危惧きぐの念を抱いだかしむるに足る珍事ちんじであ
りまして、吾々職員たるものはこの際奮ふるって自ら省りみて、全校の風紀を振粛しんしゅくしなければ
なりません。それでただ今校長及び教頭のお述べになったお説は、実に肯綮こうけいに中あたった剴切が
いせつなお考えで私は徹頭徹尾てっとうてつび賛成致します。どうかなるべく寛大かんだいのご処分を仰
あおぎたいと思います」と云った。野だの云う事は言語はあるが意味がない、漢語をのべつに陳列ちんれ
つするぎりで訳が分らない。分ったのは徹頭徹尾賛成致しますと云う言葉だけだ。
 おれは野だの云う意味は分らないけれども、何だか非常に腹が立ったから、腹案も出来ないうちに起た
ち上がってしまった。「私は徹頭徹尾反対です……」と云ったがあとが急に出て来ない。「……そんな頓
珍漢とんちんかんな、処分は大嫌だいきらいです」とつけたら、職員が一同笑い出した。「一体生徒が全
然悪わるいです。どうしても詫あやまらせなくっちゃ、癖になります。退校さしても構いません。……何
だ失敬な、新しく来た教師だと思って……」と云って着席した。すると右隣りに居る博物が「生徒がわる
い事も、わるいが、あまり厳重な罰などをするとかえって反動を起していけないでしょう。やっぱり教頭
のおっしゃる通り、寛な方に賛成します」と弱い事を云った。左隣の漢学は穏便説おんびんせつに賛成と
云った。歴史も教頭と同説だと云った。忌々いまいましい、大抵のものは赤シャツ党だ。こんな連中が寄
り合って学校を立てていりゃ世話はない。おれは生徒をあやまらせるか、辞職するか二つのうち一つに極
めてるんだから、もし赤シャツが勝ちを制したら、早速うちへ帰って荷作りをする覚悟かくごでいた。ど
うせ、こんな手合てあいを弁口べんこうで屈伏くっぷくさせる手際はなし、させたところでいつまでご交
際を願うのは、こっちでご免だ。学校に居ないとすればどうなったって構うもんか。また何か云うと笑う
に違いない。だれが云うもんかと澄すましていた。
 すると今までだまって聞いていた山嵐が奮然として、起ち上がった。野郎また赤シャツ賛成の意を表す
るな、どうせ、貴様とは喧嘩だ、勝手にしろと見ていると山嵐は硝子ガラス窓を振ふるわせるような声で
「私わたくしは教頭及びその他諸君のお説には全然不同意であります。というものはこの事件はどの点か
ら見ても、五十名の寄宿生が新来の教師某氏ぼうしを軽侮けいぶしてこれを翻弄ほんろうしようとした所
為しょいとより外ほかには認められんのであります。教頭はその源因を教師の人物いかんにお求めになる
ようでありますが失礼ながらそれは失言かと思います。某氏が宿直にあたられたのは着後早々の事で、ま
だ生徒に接せられてから二十日に満たぬ頃ころであります。この短かい二十日間において生徒は君の学問
人物を評価し得る余地がないのであります。軽侮されべき至当な理由があって、軽侮を受けたのなら生徒
の行為に斟酌しんしゃくを加える理由もありましょうが、何らの源因もないのに新来の先生を愚弄ぐろう
するような軽薄な生徒を寛仮かんかしては学校の威信いしんに関わる事と思います。教育の精神は単に学
問を授けるばかりではない、高尚こうしょうな、正直な、武士的な元気を鼓吹こすいすると同時に、野卑

151 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:18:40.55 ID:j5ChfVo/0.net
やひな、軽躁けいそうな、暴慢ぼうまんな悪風を掃蕩そうとうするにあると思います。もし反動が恐おそ
ろしいの、騒動が大きくなるのと姑息こそくな事を云った日にはこの弊風へいふうはいつ矯正きょうせい
出来るか知れません。かかる弊風を杜絶とぜつするためにこそ吾々はこの学校に職を奉じているので、こ
れを見逃みのがすくらいなら始めから教師にならん方がいいと思います。私は以上の理由で寄宿生一同を
厳罰げんばつに処する上に、当該とうがい教師の面前において公けに謝罪の意を表せしむるのを至当の所
置と心得ます」と云いながら、どんと腰こしを卸おろした。一同はだまって何にも言わない。赤シャツは
またパイプを拭ふき始めた。おれは何だか非常に嬉うれしかった。おれの云おうと思うところをおれの代
りに山嵐がすっかり言ってくれたようなものだ。おれはこう云う単純な人間だから、今までの喧嘩はまる
で忘れて、大いに難有ありがたいと云う顔をもって、腰を卸した山嵐の方を見たら、山嵐は一向知らん面
かおをしている。
 しばらくして山嵐はまた起立した。「ただ今ちょっと失念して言い落おとしましたから、申します。当
夜の宿直員は宿直中外出して温泉に行かれたようであるが、あれはもっての外の事と考えます。いやしく
も自分が一校の留守番を引き受けながら、咎とがめる者のないのを幸さいわいに、場所もあろうに温泉な
どへ入湯にいくなどと云うのは大きな失体である。生徒は生徒として、この点については校長からとくに
責任者にご注意あらん事を希望します」
 妙な奴だ、ほめたと思ったら、あとからすぐ人の失策をあばいている。おれは何の気もなく、前の宿直
が出あるいた事を知って、そんな習慣だと思って、つい温泉まで行ってしまったんだが、なるほどそう云
われてみると、これはおれが悪るかった。攻撃こうげきされても仕方がない。そこでおれはまた起って「
私は正に宿直中に温泉に行きました。これは全くわるい。あやまります」と云って着席したら、一同がま
た笑い出した。おれが何か云いさえすれば笑う。つまらん奴等やつらだ。貴様等これほど自分のわるい事
を公けにわるかったと断言出来るか、出来ないから笑うんだろう。
 それから校長は、もう大抵ご意見もないようでありますから、よく考えた上で処分しましょうと云った
。ついでだからその結果を云うと、寄宿生は一週間の禁足になった上に、おれの前へ出て謝罪をした。謝
罪をしなければその時辞職して帰るところだったがなまじい、おれのいう通りになったのでとうとう大変
な事になってしまった。それはあとから話すが、校長はこの時会議の引き続きだと号してこんな事を云っ
た。生徒の風儀ふうぎは、教師の感化で正していかなくてはならん、その一着手として、教師はなるべく
飲食店などに出入しゅつにゅうしない事にしたい。もっとも送別会などの節は特別であるが、単独にあま
り上等でない場所へ行くのはよしたい――たとえば蕎麦屋そばやだの、団子屋だんごやだの――と云いか
けたらまた一同が笑った。野だが山嵐を見て天麩羅てんぷらと云って目くばせをしたが山嵐は取り合わな
かった。いい気味きびだ。
 おれは脳がわるいから、狸の云うことなんか、よく分らないが、蕎麦屋や団子屋へ行って、中学の教師
が勤まらなくっちゃ、おれみたような食い心棒しんぼうにゃ到底とうてい出来っ子ないと思った。それな
ら、それでいいから、初手から蕎麦と団子の嫌いなものと注文して雇やとうがいい。だんまりで辞令を下
げておいて、蕎麦を食うな、団子を食うなと罪なお布令ふれを出すのは、おれのような外に道楽のないも
のにとっては大変な打撃だ。すると赤シャツがまた口を出した。「元来中学の教師なぞは社会の上流にく
らいするものだからして、単に物質的の快楽ばかり求めるべきものでない。その方に耽ふけるとつい品性
にわるい影響えいきょうを及ぼすようになる。しかし人間だから、何か娯楽ごらくがないと、田舎いなか
へ来て狭せまい土地では到底暮くらせるものではない。それで釣つりに行くとか、文学書を読むとか、ま
たは新体詩や俳句を作るとか、何でも高尚こうしょうな精神的娯楽を求めなくってはいけない……」
 だまって聞いてると勝手な熱を吹く。沖おきへ行って肥料こやしを釣ったり、ゴルキが露西亜ロシアの
文学者だったり、馴染なじみの芸者が松まつの木の下に立ったり、古池へ蛙かわずが飛び込んだりするの
が精神的娯楽なら、天麩羅を食って団子を呑のみ込むのも精神的娯楽だ。そんな下さらない娯楽を授ける
より赤シャツの洗濯せんたくでもするがいい。あんまり腹が立ったから「マドンナに逢あうのも精神的娯

152 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:18:49.55 ID:j5ChfVo/0.net
楽ですか」と聞いてやった。すると今度は誰も笑わない。妙な顔をして互たがいに眼と眼を見合せている
。赤シャツ自身は苦しそうに下を向いた。それ見ろ。利いたろう。ただ気の毒だったのはうらなり君で、
おれが、こう云ったら蒼い顔をますます蒼くした。



 おれは即夜そくや下宿を引き払はらった。宿へ帰って荷物をまとめていると、女房にょうぼうが何か不
都合ふつごうでもございましたか、お腹の立つ事があるなら、云いっておくれたら改めますと云う。どう
も驚おどろく。世の中にはどうして、こんな要領を得ない者ばかり揃そろってるんだろう。出てもらいた
いんだか、居てもらいたいんだか分わかりゃしない。まるで気狂きちがいだ。こんな者を相手に喧嘩けん
かをしたって江戸えどっ子の名折れだから、車屋をつれて来てさっさと出てきた。
 出た事は出たが、どこへ行くというあてもない。車屋が、どちらへ参りますと云うから、だまって尾つ
いて来い、今にわかる、と云って、すたすたやって来た。面倒めんどうだから山城屋へ行こうかとも考え
たが、また出なければならないから、つまり手数だ。こうして歩いてるうちには下宿とか、何とか看板の
あるうちを目付け出すだろう。そうしたら、そこが天意に叶かなったわが宿と云う事にしよう。とぐるぐ
る、閑静かんせいで住みよさそうな所をあるいているうち、とうとう鍛冶屋町かじやちょうへ出てしまっ
た。ここは士族屋敷やしきで下宿屋などのある町ではないから、もっと賑にぎやかな方へ引き返そうかと
も思ったが、ふといい事を考え付いた。おれが敬愛するうらなり君はこの町内に住んでいる。うらなり君
は土地の人で先祖代々の屋敷を控ひかえているくらいだから、この辺の事情には通じているに相違そうい
ない。あの人を尋たずねて聞いたら、よさそうな下宿を教えてくれるかも知れない。幸さいわい一度挨拶
あいさつに来て勝手は知ってるから、捜さがしてあるく面倒はない。ここだろうと、いい加減に見当をつ
けて、ご免めんご免と二返ばかり云うと、奥おくから五十ぐらいな年寄としよりが古風な紙燭しそくをつ
けて、出て来た。おれは若い女も嫌きらいではないが、年寄を見ると何だかなつかしい心持ちがする。大
方清きよがすきだから、その魂たましいが方々のお婆ばあさんに乗り移るんだろう。これは大方うらなり
君のおっ母かさんだろう。切り下げの品格のある婦人だが、よくうらなり君に似ている。まあお上がりと
云うところを、ちょっとお目にかかりたいからと、主人を玄関げんかんまで呼び出して実はこれこれだが
君どこか心当りはありませんかと尋ねてみた。うらなり先生それはさぞお困りでございましょう、としば
らく考えていたが、この裏町に萩野はぎのと云って老人夫婦ぎりで暮くらしているものがある、いつぞや
座敷ざしきを明けておいても無駄むだだから、たしかな人があるなら貸してもいいから周旋しゅうせんし
てくれと頼たのんだ事がある。今でも貸すかどうか分らんが、まあいっしょに行って聞いてみましょうと
、親切に連れて行ってくれた。
 その夜から萩野の家の下宿人となった。驚おどろいたのは、おれがいか銀の座敷を引き払うと、翌日あ
くるひから入れ違ちがいに野だが平気な顔をして、おれの居た部屋を占領せんりょうした事だ。さすがの
おれもこれにはあきれた。世の中はいかさま師ばかりで、お互たがいに乗せっこをしているのかも知れな
い。いやになった。
 世間がこんなものなら、おれも負けない気で、世間並せけんなみにしなくちゃ、遣やりきれない訳にな
る。巾着切きんちゃくきりの上前をはねなければ三度のご膳ぜんが戴いただけないと、事が極きまればこ
うして、生きてるのも考え物だ。と云ってぴんぴんした達者なからだで、首を縊くくっちゃ先祖へ済まな
い上に、外聞が悪い。考えると物理学校などへはいって、数学なんて役にも立たない芸を覚えるよりも、
六百円を資本もとでにして牛乳屋でも始めればよかった。そうすれば清もおれの傍そばを離はなれずに済
むし、おれも遠くから婆さんの事を心配しずに暮くらされる。いっしょに居るうちは、そうでもなかった
が、こうして田舎いなかへ来てみると清はやっぱり善人だ。あんな気立きだてのいい女は日本中さがして
歩いたってめったにはない。婆さん、おれの立つときに、少々風邪かぜを引いていたが今頃いまごろはど
うしてるか知らん。先だっての手紙を見たらさぞ喜んだろう。それにしても、もう返事がきそうなものだ
が――おれはこんな事ばかり考えて二三日暮していた。
 気になるから、宿のお婆さんに、東京から手紙は来ませんかと時々尋たずねてみるが、聞くたんびに何

153 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:18:58.42 ID:j5ChfVo/0.net
にも参りませんと気の毒そうな顔をする。ここの夫婦はいか銀とは違って、もとが士族だけに双方そうほ
う共上品だ。爺じいさんが夜よるになると、変な声を出して謡うたいをうたうには閉口するが、いか銀の
ようにお茶を入れましょうと無暗むやみに出て来ないから大きに楽だ。お婆さんは時々部屋へ来ていろい
ろな話をする。どうして奥さんをお連れなさって、いっしょにお出いでなんだのぞなもしなどと質問をす
る。奥さんがあるように見えますかね。可哀想かわいそうにこれでもまだ二十四ですぜと云ったらそれで
も、あなた二十四で奥さんがおありなさるのは当り前ぞなもしと冒頭ぼうとうを置いて、どこの誰だれさ
んは二十でお嫁よめをお貰もらいたの、どこの何とかさんは二十二で子供を二人ふたりお持ちたのと、何
でも例を半ダースばかり挙げて反駁はんばくを試みたには恐おそれ入った。それじゃ僕ぼくも二十四でお
嫁をお貰いるけれ、世話をしておくれんかなと田舎言葉を真似まねて頼んでみたら、お婆さん正直に本当
かなもしと聞いた。
「本当の本当ほんまのって僕あ、嫁が貰いたくって仕方がないんだ」
「そうじゃろうがな、もし。若いうちは誰もそんなものじゃけれ」この挨拶あいさつには痛み入って返事
が出来なかった。
「しかし先生はもう、お嫁がおありなさるに極きまっとらい。私はちゃんと、もう、睨ねらんどるぞなも
し」
「へえ、活眼かつがんだね。どうして、睨らんどるんですか」
「どうしててて。東京から便りはないか、便りはないかてて、毎日便りを待ち焦こがれておいでるじゃな
いかなもし」
「こいつあ驚おどろいた。大変な活眼だ」
「中あたりましたろうがな、もし」
「そうですね。中ったかも知れませんよ」
「しかし今時の女子おなごは、昔むかしと違ちごうて油断が出来んけれ、お気をお付けたがええぞなもし

「何ですかい、僕の奥さんが東京で間男でもこしらえていますかい」
「いいえ、あなたの奥さんはたしかじゃけれど……」
「それで、やっと安心した。それじゃ何を気を付けるんですい」
「あなたのはたしか――あなたのはたしかじゃが――」
「どこに不たしかなのが居ますかね」
「ここ等らにも大分居おります。先生、あの遠山のお嬢じょうさんをご存知かなもし」
「いいえ、知りませんね」
「まだご存知ないかなもし。ここらであなた一番の別嬪べっぴんさんじゃがなもし。あまり別嬪さんじゃ
けれ、学校の先生方はみんなマドンナマドンナと言うといでるぞなもし。まだお聞きんのかなもし」
「うん、マドンナですか。僕あ芸者の名かと思った」
「いいえ、あなた。マドンナと云うと唐人とうじんの言葉で、別嬪さんの事じゃろうがなもし」
「そうかも知れないね。驚いた」
「大方画学の先生がお付けた名ぞなもし」
「野だがつけたんですかい」
「いいえ、あの吉川よしかわ先生がお付けたのじゃがなもし」
「そのマドンナが不たしかなんですかい」
「そのマドンナさんが不たしかなマドンナさんでな、もし」
「厄介やっかいだね。渾名あだなの付いてる女にゃ昔から碌ろくなものは居ませんからね。そうかも知れ
ませんよ」
「ほん当にそうじゃなもし。鬼神きじんのお松まつじゃの、妲妃だっきのお百じゃのてて怖こわい女が居
おりましたなもし」
「マドンナもその同類なんですかね」
「そのマドンナさんがなもし、あなた。そらあの、あなたをここへ世話をしておくれた古賀先生なもし―
―あの方の所へお嫁よめに行く約束やくそくが出来ていたのじゃがなもし――」
「へえ、不思議なもんですね。あのうらなり君が、そんな艶福えんぷくのある男とは思わなかった。人は
見懸みかけによらない者だな。ちっと気を付けよう」
「ところが、去年あすこのお父さんが、お亡くなりて、――それまではお金もあるし、銀行の株も持って
お出いでるし、万事都合つごうがよかったのじゃが――それからというものは、どういうものか急に暮し

154 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:19:07.50 ID:j5ChfVo/0.net
向きが思わしくなくなって――つまり古賀さんがあまりお人が好過よすぎるけれ、お欺だまされたんぞな
もし。それや、これやでお輿入こしいれも延びているところへ、あの教頭さんがお出いでて、是非お嫁に
ほしいとお云いるのじゃがなもし」
「あの赤シャツがですか。ひどい奴やつだ。どうもあのシャツはただのシャツじゃないと思ってた。それ
から?」
「人を頼んで懸合かけおうておみると、遠山さんでも古賀さんに義理があるから、すぐには返事は出来か
ねて――まあよう考えてみようぐらいの挨拶をおしたのじゃがなもし。すると赤シャツさんが、手蔓てづ
るを求めて遠山さんの方へ出入でいりをおしるようになって、とうとうあなた、お嬢さんを手馴付てなづ
けておしまいたのじゃがなもし。赤シャツさんも赤シャツさんじゃが、お嬢さんもお嬢さんじゃてて、み
んなが悪わるく云いますのよ。いったん古賀さんへ嫁に行くてて承知をしときながら、今さら学士さんが
お出いでたけれ、その方に替かえよてて、それじゃ今日様こんにちさまへ済むまいがなもし、あなた」
「全く済まないね。今日様どころか明日様にも明後日様にも、いつまで行ったって済みっこありませんね

「それで古賀さんにお気の毒じゃてて、お友達の堀田ほったさんが教頭の所へ意見をしにお行きたら、赤
シャツさんが、あしは約束のあるものを横取りするつもりはない。破約になれば貰うかも知れんが、今の
ところは遠山家とただ交際をしているばかりじゃ、遠山家と交際をするには別段古賀さんに済まん事もな
かろうとお云いるけれ、堀田さんも仕方がなしにお戻もどりたそうな。赤シャツさんと堀田さんは、それ
以来折合おりあいがわるいという評判ぞなもし」
「よくいろいろな事を知ってますね。どうして、そんな詳くわしい事が分るんですか。感心しちまった」
「狭せまいけれ何でも分りますぞなもし」
 分り過ぎて困るくらいだ。この容子ようすじゃおれの天麩羅てんぷらや団子だんごの事も知ってるかも
知れない。厄介やっかいな所だ。しかしお蔭様かげさまでマドンナの意味もわかるし、山嵐と赤シャツの
関係もわかるし大いに後学になった。ただ困るのはどっちが悪る者だか判然しない。おれのような単純な
ものには白とか黒とか片づけてもらわないと、どっちへ味方をしていいか分らない。
「赤シャツと山嵐たあ、どっちがいい人ですかね」
「山嵐て何ぞなもし」
「山嵐というのは堀田の事ですよ」
「そりゃ強い事は堀田さんの方が強そうじゃけれど、しかし赤シャツさんは学士さんじゃけれ、働きはあ
る方かたぞな、もし。それから優しい事も赤シャツさんの方が優しいが、生徒の評判は堀田さんの方がえ
えというぞなもし」
「つまりどっちがいいんですかね」
「つまり月給の多い方が豪えらいのじゃろうがなもし」
 これじゃ聞いたって仕方がないから、やめにした。それから二三日して学校から帰るとお婆さんがにこ
にこして、へえお待遠さま。やっと参りました。と一本の手紙を持って来てゆっくりご覧と云って出て行
った。取り上げてみると清からの便りだ。符箋ふせんが二三枚まいついてるから、よく調べると、山城屋
から、いか銀の方へ廻まわして、いか銀から、萩野はぎのへ廻って来たのである。その上山城屋では一週
間ばかり逗留とうりゅうしている。宿屋だけに手紙まで泊とめるつもりなんだろう。開いてみると、非常
に長いもんだ。坊ぼっちゃんの手紙を頂いてから、すぐ返事をかこうと思ったが、あいにく風邪を引いて
一週間ばかり寝ねていたものだから、つい遅おそくなって済まない。その上今時のお嬢さんのように読み
書きが達者でないものだから、こんなまずい字でも、かくのによっぽど骨が折れる。甥おいに代筆を頼も
うと思ったが、せっかくあげるのに自分でかかなくっちゃ、坊っちゃんに済まないと思って、わざわざ下
したがきを一返して、それから清書をした。清書をするには二日で済んだが、下た書きをするには四日か
かった。読みにくいかも知れないが、これでも一生懸命いっしょうけんめいにかいたのだから、どうぞし
まいまで読んでくれ。という冒頭ぼうとうで四尺ばかり何やらかやら認したためてある。なるほど読みに
くい。字がまずいばかりではない、大抵たいてい平仮名だから、どこで切れて、どこで始まるのだか句読
くとうをつけるのによっぽど骨が折れる。おれは焦せっ勝かちな性分だから、こんな長くて、分りにくい
手紙は、五円やるから読んでくれと頼まれても断わるのだが、この時ばかりは真面目まじめになって、始
はじめから終しまいまで読み通した。読み通した事は事実だが、読む方に骨が折れて、意味がつながらな

155 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:19:16.40 ID:j5ChfVo/0.net
いから、また頭から読み直してみた。部屋のなかは少し暗くなって、前の時より見にくく、なったから、
とうとう椽鼻えんばなへ出て腰こしをかけながら鄭寧ていねいに拝見した。すると初秋はつあきの風が芭
蕉ばしょうの葉を動かして、素肌すはだに吹ふきつけた帰りに、読みかけた手紙を庭の方へなびかしたか
ら、しまいぎわには四尺あまりの半切れがさらりさらりと鳴って、手を放すと、向むこうの生垣まで飛ん
で行きそうだ。おれはそんな事には構っていられない。坊っちゃんは竹を割ったような気性だが、ただ肝
癪かんしゃくが強過ぎてそれが心配になる。――ほかの人に無暗むやみに渾名あだななんか、つけるのは
人に恨うらまれるもとになるから、やたらに使っちゃいけない、もしつけたら、清だけに手紙で知らせろ
。――田舎者は人がわるいそうだから、気をつけてひどい目に遭あわないようにしろ。――気候だって東
京より不順に極ってるから、寝冷ねびえをして風邪を引いてはいけない。坊っちゃんの手紙はあまり短過
ぎて、容子がよくわからないから、この次にはせめてこの手紙の半分ぐらいの長さのを書いてくれ。――
宿屋へ茶代を五円やるのはいいが、あとで困りゃしないか、田舎へ行って頼たよりになるはお金ばかりだ
から、なるべく倹約けんやくして、万一の時に差支さしつかえないようにしなくっちゃいけない。――お
小遣こづかいがなくて困るかも知れないから、為替かわせで十円あげる。――先せんだって坊っちゃんか
らもらった五十円を、坊っちゃんが、東京へ帰って、うちを持つ時の足しにと思って、郵便局へ預けてお
いたが、この十円を引いてもまだ四十円あるから大丈夫だ。――なるほど女と云うものは細かいものだ。
 おれが椽鼻で清の手紙をひらつかせながら、考え込こんでいると、しきりの襖ふすまをあけて、萩野の
お婆さんが晩めしを持ってきた。まだ見てお出いでるのかなもし。えっぽど長いお手紙じゃなもし、と云
ったから、ええ大事な手紙だから風に吹かしては見、吹かしては見るんだと、自分でも要領を得ない返事
をして膳ぜんについた。見ると今夜も薩摩芋さつまいもの煮につけだ。ここのうちは、いか銀よりも鄭寧
ていねいで、親切で、しかも上品だが、惜おしい事に食い物がまずい。昨日も芋、一昨日おとといも芋で
今夜も芋だ。おれは芋は大好きだと明言したには相違ないが、こう立てつづけに芋を食わされては命がつ
づかない。うらなり君を笑うどころか、おれ自身が遠からぬうちに、芋のうらなり先生になっちまう。清
ならこんな時に、おれの好きな鮪まぐろのさし身か、蒲鉾かまぼこのつけ焼を食わせるんだが、貧乏びん
ぼう士族のけちん坊ぼうと来ちゃ仕方がない。どう考えても清といっしょでなくっちあ駄目だめだ。もし
あの学校に長くでも居る模様なら、東京から召よび寄よせてやろう。天麩羅蕎麦そばを食っちゃならない
、団子を食っちゃならない、それで下宿に居て芋ばかり食って黄色くなっていろなんて、教育者はつらい
ものだ。禅宗ぜんしゅう坊主だって、これよりは口に栄耀えようをさせているだろう。――おれは一皿の
芋を平げて、机の抽斗ひきだしから生卵を二つ出して、茶碗ちゃわんの縁ふちでたたき割って、ようやく
凌しのいだ。生卵ででも営養をとらなくっちあ一週二十一時間の授業が出来るものか。
 今日は清の手紙で湯に行く時間が遅くなった。しかし毎日行きつけたのを一日でも欠かすのは心持ちが
わるい。汽車にでも乗って出懸でかけようと、例の赤手拭あかてぬぐいをぶら下げて停車場ていしゃばま
で来ると二三分前に発車したばかりで、少々待たなければならぬ。ベンチへ腰を懸けて、敷島しきしまを
吹かしていると、偶然ぐうぜんにもうらなり君がやって来た。おれはさっきの話を聞いてから、うらなり
君がなおさら気の毒になった。平常ふだんから天地の間に居候いそうろうをしているように、小さく構え
ているのがいかにも憐あわれに見えたが、今夜は憐れどころの騒さわぎではない。出来るならば月給を倍
にして、遠山のお嬢さんと明日あしたから結婚けっこんさして、一ヶ月ばかり東京へでも遊びにやってや
りたい気がした矢先だから、やお湯ですか、さあ、こっちへお懸けなさいと威勢いせいよく席を譲ゆずる
と、うらなり君は恐おそれ入った体裁で、いえ構かもうておくれなさるな、と遠慮えんりょだか何だかや
っぱり立ってる。少し待たなくっちゃ出ません、草臥くたびれますからお懸けなさいとまた勧めてみた。
実はどうかして、そばへ懸けてもらいたかったくらいに気の毒でたまらない。それではお邪魔じゃまを致
いたしましょうとようやくおれの云う事を聞いてくれた。世の中には野だみたように生意気な、出ないで

156 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:19:25.56 ID:j5ChfVo/0.net
済む所へ必ず顔を出す奴もいる。山嵐のようにおれが居なくっちゃ日本にっぽんが困るだろうと云うよう
な面を肩かたの上へ載のせてる奴もいる。そうかと思うと、赤シャツのようにコスメチックと色男の問屋
をもって自ら任じているのもある。教育が生きてフロックコートを着ればおれになるんだと云わぬばかり
の狸たぬきもいる。皆々みなみなそれ相応に威張ってるんだが、このうらなり先生のように在れどもなき
がごとく、人質に取られた人形のように大人おとなしくしているのは見た事がない。顔はふくれているが
、こんな結構な男を捨てて赤シャツに靡なびくなんて、マドンナもよっぼど気の知れないおきゃんだ。赤
シャツが何ダース寄ったって、これほど立派な旦那様だんなさまが出来るもんか。
「あなたはどっか悪いんじゃありませんか。大分たいぎそうに見えますが……」「いえ、別段これという
持病もないですが……」
「そりゃ結構です。からだが悪いと人間も駄目ですね」
「あなたは大分ご丈夫じょうぶのようですな」
「ええ瘠やせても病気はしません。病気なんてものあ大嫌いですから」
 うらなり君は、おれの言葉を聞いてにやにやと笑った。
 ところへ入口で若々しい女の笑声が聞きこえたから、何心なく振ふり返ってみるとえらい奴が来た。色
の白い、ハイカラ頭の、背の高い美人と、四十五六の奥さんとが並ならんで切符きっぷを売る窓の前に立
っている。おれは美人の形容などが出来る男でないから何にも云えないが全く美人に相違ない。何だか水
晶すいしょうの珠たまを香水こうすいで暖あっためて、掌てのひらへ握にぎってみたような心持ちがした
。年寄の方が背は低い。しかし顔はよく似ているから親子だろう。おれは、や、来たなと思う途端とたん
に、うらなり君の事は全然すっかり忘れて、若い女の方ばかり見ていた。すると、うらなり君が突然とつ
ぜんおれの隣となりから、立ち上がって、そろそろ女の方へ歩き出したんで、少し驚いた。マドンナじゃ
ないかと思った。三人は切符所の前で軽く挨拶している。遠いから何を云ってるのか分らない。
 停車場の時計を見るともう五分で発車だ。早く汽車がくればいいがなと、話し相手が居なくなったので
待ち遠しく思っていると、また一人あわてて場内へ馳かけ込こんで来たものがある。見れば赤シャツだ。
何だかべらべら然たる着物へ縮緬ちりめんの帯をだらしなく巻き付けて、例の通り金鎖きんぐさりをぶら
つかしている。あの金鎖りは贋物にせものである。赤シャツは誰だれも知るまいと思って、見せびらかし
ているが、おれはちゃんと知ってる。赤シャツは馳け込んだなり、何かきょろきょろしていたが、切符売
下所うりさげじょの前に話している三人へ慇懃いんぎんにお辞儀じぎをして、何か二こと、三こと、云っ
たと思ったら、急にこっちへ向いて、例のごとく猫足ねこあしにあるいて来て、や君も湯ですか、僕は乗
り後れやしないかと思って心配して急いで来たら、まだ三四分ある。あの時計はたしかかしらんと、自分
の金側きんがわを出して、二分ほどちがってると云いながら、おれの傍そばへ腰を卸おろした。女の方は
ちっとも見返らないで杖つえの上に顋あごをのせて、正面ばかり眺ながめている。年寄の婦人は時々赤シ
ャツを見るが、若い方は横を向いたままである。いよいよマドンナに違いない。
 やがて、ピューと汽笛きてきが鳴って、車がつく。待ち合せた連中はぞろぞろ吾われ勝がちに乗り込む
。赤シャツはいの一号に上等へ飛び込んだ。上等へ乗ったって威張れるどころではない、住田すみたまで
上等が五銭で下等が三銭だから、わずか二銭違いで上下の区別がつく。こういうおれでさえ上等を奮発ふ
んぱつして白切符を握にぎってるんでもわかる。もっとも田舎者はけちだから、たった二銭の出入でもす
こぶる苦になると見えて、大抵たいていは下等へ乗る。赤シャツのあとからマドンナとマドンナのお袋が
上等へはいり込んだ。うらなり君は活版で押おしたように下等ばかりへ乗る男だ。先生、下等の車室の入
口へ立って、何だか躊躇ちゅうちょの体ていであったが、おれの顔を見るや否や思いきって、飛び込んで
しまった。おれはこの時何となく気の毒でたまらなかったから、うらなり君のあとから、すぐ同じ車室へ
乗り込んだ。上等の切符で下等へ乗るに不都合はなかろう。
 温泉へ着いて、三階から、浴衣ゆかたのなりで湯壺ゆつぼへ下りてみたら、またうらなり君に逢った。
おれは会議や何かでいざと極まると、咽喉のどが塞ふさがって饒舌しゃべれない男だが、平常ふだんは随
分ずいぶん弁ずる方だから、いろいろ湯壺のなかでうらなり君に話しかけてみた。何だか憐れぽくってた

157 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:19:34.39 ID:j5ChfVo/0.net
まらない。こんな時に一口でも先方の心を慰なぐさめてやるのは、江戸えどっ子の義務だと思ってる。と
ころがあいにくうらなり君の方では、うまい具合にこっちの調子に乗ってくれない。何を云っても、えと
かいえとかぎりで、しかもそのえといえが大分面倒めんどうらしいので、しまいにはとうとう切り上げて
、こっちからご免蒙めんこうむった。
 湯の中では赤シャツに逢わなかった。もっとも風呂ふろの数はたくさんあるのだから、同じ汽車で着い
ても、同じ湯壺で逢うとは極まっていない。別段不思議にも思わなかった。風呂を出てみるといい月だ。
町内の両側に柳やなぎが植うわって、柳の枝えだが丸まるい影を往来の中へ落おとしている。少し散歩で
もしよう。北へ登って町のはずれへ出ると、左に大きな門があって、門の突き当りがお寺で、左右が妓楼
ぎろうである。山門のなかに遊廓ゆうかくがあるなんて、前代未聞の現象だ。ちょっとはいってみたいが
、また狸から会議の時にやられるかも知れないから、やめて素通りにした。門の並びに黒い暖簾のれんを
かけた、小さな格子窓こうしまどの平屋はおれが団子を食って、しくじった所だ。丸提灯まるぢょうちん
に汁粉しるこ、お雑煮ぞうにとかいたのがぶらさがって、提灯の火が、軒端のきばに近い一本の柳の幹を
照らしている。食いたいなと思ったが我慢して通り過ぎた。
 食いたい団子の食えないのは情ない。しかし自分の許嫁いいなずけが他人に心を移したのは、なお情な
いだろう。うらなり君の事を思うと、団子は愚おろか、三日ぐらい断食だんじきしても不平はこぼせない
訳だ。本当に人間ほどあてにならないものはない。あの顔を見ると、どうしたって、そんな不人情な事を
しそうには思えないんだが――うつくしい人が不人情で、冬瓜とうがんの水膨みずぶくれのような古賀さ
んが善良な君子なのだから、油断が出来ない。淡泊たんぱくだと思った山嵐は生徒を煽動せんどうしたと
云うし。生徒を煽動したのかと思うと、生徒の処分を校長に逼せまるし。厭味いやみで練りかためたよう
な赤シャツが存外親切で、おれに余所よそながら注意をしてくれるかと思うと、マドンナを胡魔化ごまか
したり、胡魔化したのかと思うと、古賀の方が破談にならなければ結婚は望まないんだと云うし。いか銀
が難癖なんくせをつけて、おれを追い出すかと思うと、すぐ野だ公が入いれ替かわったり――どう考えて
もあてにならない。こんな事を清にかいてやったら定めて驚く事だろう。箱根はこねの向うだから化物ば
けものが寄り合ってるんだと云うかも知れない。
 おれは、性来しょうらい構わない性分だから、どんな事でも苦にしないで今日まで凌いで来たのだが、
ここへ来てからまだ一ヶ月立つか、立たないうちに、急に世のなかを物騒ぶっそうに思い出した。別段際
だった大事件にも出逢わないのに、もう五つ六つ年を取ったような気がする。早く切り上げて東京へ帰る
のが一番よかろう。などとそれからそれへ考えて、いつか石橋を渡わたって野芹川のぜりがわの堤どてへ
出た。川と云うとえらそうだが実は一間ぐらいな、ちょろちょろした流れで、土手に沿うて十二丁ほど下
ると相生村あいおいむらへ出る。村には観音様かんのんさまがある。
 温泉ゆの町を振り返ると、赤い灯が、月の光の中にかがやいている。太鼓たいこが鳴るのは遊廓に相違
ない。川の流れは浅いけれども早いから、神経質の水のようにやたらに光る。ぶらぶら土手の上をあるき
ながら、約三丁も来たと思ったら、向うに人影ひとかげが見え出した。月に透すかしてみると影は二つあ
る。温泉ゆへ来て村へ帰る若い衆しゅかも知れない。それにしては唄うたもうたわない。存外静かだ。
 だんだん歩いて行くと、おれの方が早足だと見えて、二つの影法師が、次第に大きくなる。一人は女ら
しい。おれの足音を聞きつけて、十間ぐらいの距離きょりに逼った時、男がたちまち振り向いた。月は後
うしろからさしている。その時おれは男の様子を見て、はてなと思った。男と女はまた元の通りにあるき
出した。おれは考えがあるから、急に全速力で追っ懸かけた。先方は何の気もつかずに最初の通り、ゆる
ゆる歩を移している。今は話し声も手に取るように聞える。土手の幅は六尺ぐらいだから、並んで行けば
三人がようやくだ。おれは苦もなく後ろから追い付いて、男の袖そでを擦すり抜ぬけざま、二足前へ出し
た踵くびすをぐるりと返して男の顔を覗のぞき込こんだ。月は正面からおれの五分刈がりの頭から顋の辺
あたりまで、会釈えしゃくもなく照てらす。男はあっと小声に云ったが、急に横を向いて、もう帰ろうと

158 :山師さん (ワッチョイ 39c0-vUKX):2016/12/16(金) 10:19:43.46 ID:j5ChfVo/0.net
女を促うながすが早いか、温泉ゆの町の方へ引き返した。
 赤シャツは図太くて胡魔化すつもりか、気が弱くて名乗り損そくなったのかしら。ところが狭くて困っ
てるのは、おればかりではなかった。



 赤シャツに勧められて釣つりに行った帰りから、山嵐やまあらしを疑ぐり出した。無い事を種に下宿を
出ろと云われた時は、いよいよ不埒ふらちな奴やつだと思った。ところが会議の席では案に相違そういし
て滔々とうとうと生徒厳罰論げんばつろんを述べたから、おや変だなと首を捩ひねった。萩野はぎのの婆
ばあさんから、山嵐が、うらなり君のために赤シャツと談判をしたと聞いた時は、それは感心だと手を拍
うった。この様子ではわる者は山嵐じゃあるまい、赤シャツの方が曲ってるんで、好加減いいかげんな邪
推じゃすいを実まことしやかに、しかも遠廻とおまわしに、おれの頭の中へ浸しみ込こましたのではある
まいかと迷ってる矢先へ、野芹川のぜりがわの土手で、マドンナを連れて散歩なんかしている姿を見たか
ら、それ以来赤シャツは曲者くせものだと極きめてしまった。曲者だか何だかよくは分わからないが、と
もかくも善いい男じゃない。表と裏とは違ちがった男だ。人間は竹のように真直まっすぐでなくっちゃ頼
たのもしくない。真直なものは喧嘩けんかをしても心持ちがいい。赤シャツのようなやさしいのと、親切
なのと、高尚こうしょうなのと、琥珀こはくのパイプとを自慢じまんそうに見せびらかすのは油断が出来
ない、めったに喧嘩も出来ないと思った。喧嘩をしても、回向院えこういんの相撲すもうのような心持ち
のいい喧嘩は出来ないと思った。そうなると一銭五厘の出入でいりで控所ひかえじょ全体を驚おどろかし
た議論の相手の山嵐の方がはるかに人間らしい。会議の時に金壺眼かなつぼまなこをぐりつかせて、おれ
を睨にらめた時は憎にくい奴だと思ったが、あとで考えると、それも赤シャツのねちねちした猫撫声ねこ
なでごえよりはましだ。実はあの会議が済んだあとで、よっぽど仲直りをしようかと思って、一こと二こ
と話しかけてみたが、野郎やろう返事もしないで、まだ眼めを剥むくってみせたから、こっちも腹が立っ
てそのままにしておいた。
 それ以来山嵐はおれと口を利かない。机の上へ返した一銭五厘はいまだに机の上に乗っている。ほこり
だらけになって乗っている。おれは無論手が出せない、山嵐は決して持って帰らない。この一銭五厘が二
人の間の墻壁しょうへきになって、おれは話そうと思っても話せない、山嵐は頑がんとして黙だまってる
。おれと山嵐には一銭五厘が祟たたった。しまいには学校へ出て一銭五厘を見るのが苦になった。
 山嵐とおれが絶交の姿となったに引き易かえて、赤シャツとおれは依然いぜんとして在来の関係を保っ
て、交際をつづけている。野芹川で逢あった翌日などは、学校へ出ると第一番におれの傍そばへ来て、君
今度の下宿はいいですかのまたいっしょに露西亜ロシア文学を釣つりに行こうじゃないかのといろいろな
事を話しかけた。おれは少々憎にくらしかったから、昨夜ゆうべは二返逢いましたねと云いったら、ええ
停車場ていしゃばで――君はいつでもあの時分出掛でかけるのですか、遅いじゃないかと云う。野芹川の
土手でもお目に懸かかりましたねと喰くらわしてやったら、いいえ僕ぼくはあっちへは行かない、湯には
いって、すぐ帰ったと答えた。何もそんなに隠かくさないでもよかろう、現に逢ってるんだ。よく嘘うそ

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