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【急騰】今買えばいい株6641【ワッチョイクソが】

1 :山師さん(ワッチョイ e6bd-j70e):2016/09/12(月) 17:58:23.29 ID:SYpFVJEK0.net
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前スレ
【急騰】今買えばいい株6640【幸せは株の向こう】 [無断転載禁止]©2ch.net
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323 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:37:11.72 ID:twPsrBe10.net
したと慇懃いんぎんに狸たぬきに挨拶あいさつをした。では会議を開きますと狸はまず書記の川村君に蒟
蒻版を配布させる。見ると最初が処分の件、次が生徒取締とりしまりの件、その他二三ヶ条である。狸は
例の通りもったいぶって、教育の生霊いきりょうという見えでこんな意味の事を述べた。「学校の職員や
生徒に過失のあるのは、みんな自分の寡徳かとくの致すところで、何か事件がある度に、自分はよくこれ
で校長が勤まるとひそかに慚愧ざんきの念に堪たえんが、不幸にして今回もまたかかる騒動を引き起した
のは、深く諸君に向って謝罪しなければならん。しかしひとたび起った以上は仕方がない、どうにか処分
をせんければならん、事実はすでに諸君のご承知の通りであるからして、善後策について腹蔵のない事を
参考のためにお述べ下さい」
 おれは校長の言葉を聞いて、なるほど校長だの狸だのと云うものは、えらい事を云うもんだと感心した
。こう校長が何もかも責任を受けて、自分の咎とがだとか、不徳だとか云うくらいなら、生徒を処分する
のは、やめにして、自分から先へ免職めんしょくになったら、よさそうなもんだ。そうすればこんな面倒
めんどうな会議なんぞを開く必要もなくなる訳だ。第一常識から云いっても分ってる。おれが大人しく宿
直をする。生徒が乱暴をする。わるいのは校長でもなけりゃ、おれでもない、生徒だけに極きまってる。
もし山嵐が煽動せんどうしたとすれば、生徒と山嵐を退治たいじればそれでたくさんだ。人の尻しりを自
分で背負しょい込こんで、おれの尻だ、おれの尻だと吹き散らかす奴が、どこの国にあるもんか、狸でな
くっちゃ出来る芸当じゃない。彼かれはこんな条理じょうりに適かなわない議論を吐はいて、得意気に一
同を見廻した。ところが誰も口を開くものがない。博物の教師は第一教場の屋根に烏からすがとまってる
のを眺ながめている。漢学の先生は蒟蒻版こんにゃくばんを畳たたんだり、延ばしたりしてる。山嵐はま
だおれの顔をにらめている。会議と云うものが、こんな馬鹿気ばかげたものなら、欠席して昼寝でもして
いる方がましだ。
 おれは、じれったくなったから、一番大いに弁じてやろうと思って、半分尻をあげかけたら、赤シャツ
が何か云い出したから、やめにした。見るとパイプをしまって、縞しまのある絹ハンケチで顔をふきなが
ら、何か云っている。あの手巾はんけちはきっとマドンナから巻き上げたに相違そういない。男は白い麻
あさを使うもんだ。「私も寄宿生の乱暴を聞いてはなはだ教頭として不行届ふゆきとどきであり、かつ平
常の徳化が少年に及ばなかったのを深く慚はずるのであります。でこう云う事は、何か陥欠かんけつがあ
ると起るもので、事件その物を見ると何だか生徒だけがわるいようであるが、その真相を極めると責任は
かえって学校にあるかも知れない。だから表面上にあらわれたところだけで厳重な制裁を加えるのは、か
えって未来のためによくないかとも思われます。かつ少年血気のものであるから活気があふれて、善悪の
考えはなく、半ば無意識にこんな悪戯いたずらをやる事はないとも限らん。でもとより処分法は校長のお
考えにある事だから、私の容喙ようかいする限りではないが、どうかその辺をご斟酌しんしゃくになって
、なるべく寛大なお取計とりはからいを願いたいと思います」
 なるほど狸が狸なら、赤シャツも赤シャツだ。生徒があばれるのは、生徒がわるいんじゃない教師が悪
るいんだと公言している。気狂きちがいが人の頭を撲なぐり付けるのは、なぐられた人がわるいから、気
狂がなぐるんだそうだ。難有ありがたい仕合せだ。活気にみちて困るなら運動場へ出て相撲すもうでも取
るがいい、半ば無意識に床の中へバッタを入れられてたまるものか。この様子じゃ寝頸ねくびをかかれて
も、半ば無意識だって放免するつもりだろう。
 おれはこう考えて何か云おうかなと考えてみたが、云うなら人を驚ろすかように滔々とうとうと述べた
てなくっちゃつまらない、おれの癖として、腹が立ったときに口をきくと、二言か三言で必ず行き塞つま
ってしまう。狸でも赤シャツでも人物から云うと、おれよりも下等だが、弁舌はなかなか達者だから、ま
ずい事を喋舌しゃべって揚足あげあしを取られちゃ面白くない。ちょっと腹案を作ってみようと、胸のな
かで文章を作ってる。すると前に居た野だが突然起立したには驚ろいた。野だの癖に意見を述べるなんて
生意気だ。野だは例のへらへら調で「実に今回のバッタ事件及び咄喊とっかん事件は吾々われわれ心ある
職員をして、ひそかに吾わが校将来の前途ぜんとに危惧きぐの念を抱いだかしむるに足る珍事ちんじであ

324 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:37:20.74 ID:twPsrBe10.net
りまして、吾々職員たるものはこの際奮ふるって自ら省りみて、全校の風紀を振粛しんしゅくしなければ
なりません。それでただ今校長及び教頭のお述べになったお説は、実に肯綮こうけいに中あたった剴切が
いせつなお考えで私は徹頭徹尾てっとうてつび賛成致します。どうかなるべく寛大かんだいのご処分を仰
あおぎたいと思います」と云った。野だの云う事は言語はあるが意味がない、漢語をのべつに陳列ちんれ
つするぎりで訳が分らない。分ったのは徹頭徹尾賛成致しますと云う言葉だけだ。
 おれは野だの云う意味は分らないけれども、何だか非常に腹が立ったから、腹案も出来ないうちに起た
ち上がってしまった。「私は徹頭徹尾反対です……」と云ったがあとが急に出て来ない。「……そんな頓
珍漢とんちんかんな、処分は大嫌だいきらいです」とつけたら、職員が一同笑い出した。「一体生徒が全
然悪わるいです。どうしても詫あやまらせなくっちゃ、癖になります。退校さしても構いません。……何
だ失敬な、新しく来た教師だと思って……」と云って着席した。すると右隣りに居る博物が「生徒がわる
い事も、わるいが、あまり厳重な罰などをするとかえって反動を起していけないでしょう。やっぱり教頭
のおっしゃる通り、寛な方に賛成します」と弱い事を云った。左隣の漢学は穏便説おんびんせつに賛成と
云った。歴史も教頭と同説だと云った。忌々いまいましい、大抵のものは赤シャツ党だ。こんな連中が寄
り合って学校を立てていりゃ世話はない。おれは生徒をあやまらせるか、辞職するか二つのうち一つに極
めてるんだから、もし赤シャツが勝ちを制したら、早速うちへ帰って荷作りをする覚悟かくごでいた。ど
うせ、こんな手合てあいを弁口べんこうで屈伏くっぷくさせる手際はなし、させたところでいつまでご交
際を願うのは、こっちでご免だ。学校に居ないとすればどうなったって構うもんか。また何か云うと笑う
に違いない。だれが云うもんかと澄すましていた。
 すると今までだまって聞いていた山嵐が奮然として、起ち上がった。野郎また赤シャツ賛成の意を表す
るな、どうせ、貴様とは喧嘩だ、勝手にしろと見ていると山嵐は硝子ガラス窓を振ふるわせるような声で
「私わたくしは教頭及びその他諸君のお説には全然不同意であります。というものはこの事件はどの点か
ら見ても、五十名の寄宿生が新来の教師某氏ぼうしを軽侮けいぶしてこれを翻弄ほんろうしようとした所
為しょいとより外ほかには認められんのであります。教頭はその源因を教師の人物いかんにお求めになる
ようでありますが失礼ながらそれは失言かと思います。某氏が宿直にあたられたのは着後早々の事で、ま
だ生徒に接せられてから二十日に満たぬ頃ころであります。この短かい二十日間において生徒は君の学問
人物を評価し得る余地がないのであります。軽侮されべき至当な理由があって、軽侮を受けたのなら生徒
の行為に斟酌しんしゃくを加える理由もありましょうが、何らの源因もないのに新来の先生を愚弄ぐろう
するような軽薄な生徒を寛仮かんかしては学校の威信いしんに関わる事と思います。教育の精神は単に学
問を授けるばかりではない、高尚こうしょうな、正直な、武士的な元気を鼓吹こすいすると同時に、野卑
やひな、軽躁けいそうな、暴慢ぼうまんな悪風を掃蕩そうとうするにあると思います。もし反動が恐おそ
ろしいの、騒動が大きくなるのと姑息こそくな事を云った日にはこの弊風へいふうはいつ矯正きょうせい
出来るか知れません。かかる弊風を杜絶とぜつするためにこそ吾々はこの学校に職を奉じているので、こ
れを見逃みのがすくらいなら始めから教師にならん方がいいと思います。私は以上の理由で寄宿生一同を
厳罰げんばつに処する上に、当該とうがい教師の面前において公けに謝罪の意を表せしむるのを至当の所
置と心得ます」と云いながら、どんと腰こしを卸おろした。一同はだまって何にも言わない。赤シャツは
またパイプを拭ふき始めた。おれは何だか非常に嬉うれしかった。おれの云おうと思うところをおれの代
りに山嵐がすっかり言ってくれたようなものだ。おれはこう云う単純な人間だから、今までの喧嘩はまる
で忘れて、大いに難有ありがたいと云う顔をもって、腰を卸した山嵐の方を見たら、山嵐は一向知らん面
かおをしている。
 しばらくして山嵐はまた起立した。「ただ今ちょっと失念して言い落おとしましたから、申します。当
夜の宿直員は宿直中外出して温泉に行かれたようであるが、あれはもっての外の事と考えます。いやしく
も自分が一校の留守番を引き受けながら、咎とがめる者のないのを幸さいわいに、場所もあろうに温泉な

325 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:37:29.75 ID:twPsrBe10.net
どへ入湯にいくなどと云うのは大きな失体である。生徒は生徒として、この点については校長からとくに
責任者にご注意あらん事を希望します」
 妙な奴だ、ほめたと思ったら、あとからすぐ人の失策をあばいている。おれは何の気もなく、前の宿直
が出あるいた事を知って、そんな習慣だと思って、つい温泉まで行ってしまったんだが、なるほどそう云
われてみると、これはおれが悪るかった。攻撃こうげきされても仕方がない。そこでおれはまた起って「
私は正に宿直中に温泉に行きました。これは全くわるい。あやまります」と云って着席したら、一同がま
た笑い出した。おれが何か云いさえすれば笑う。つまらん奴等やつらだ。貴様等これほど自分のわるい事
を公けにわるかったと断言出来るか、出来ないから笑うんだろう。
 それから校長は、もう大抵ご意見もないようでありますから、よく考えた上で処分しましょうと云った
。ついでだからその結果を云うと、寄宿生は一週間の禁足になった上に、おれの前へ出て謝罪をした。謝
罪をしなければその時辞職して帰るところだったがなまじい、おれのいう通りになったのでとうとう大変
な事になってしまった。それはあとから話すが、校長はこの時会議の引き続きだと号してこんな事を云っ
た。生徒の風儀ふうぎは、教師の感化で正していかなくてはならん、その一着手として、教師はなるべく
飲食店などに出入しゅつにゅうしない事にしたい。もっとも送別会などの節は特別であるが、単独にあま
り上等でない場所へ行くのはよしたい――たとえば蕎麦屋そばやだの、団子屋だんごやだの――と云いか
けたらまた一同が笑った。野だが山嵐を見て天麩羅てんぷらと云って目くばせをしたが山嵐は取り合わな
かった。いい気味きびだ。
 おれは脳がわるいから、狸の云うことなんか、よく分らないが、蕎麦屋や団子屋へ行って、中学の教師
が勤まらなくっちゃ、おれみたような食い心棒しんぼうにゃ到底とうてい出来っ子ないと思った。それな
ら、それでいいから、初手から蕎麦と団子の嫌いなものと注文して雇やとうがいい。だんまりで辞令を下
げておいて、蕎麦を食うな、団子を食うなと罪なお布令ふれを出すのは、おれのような外に道楽のないも
のにとっては大変な打撃だ。すると赤シャツがまた口を出した。「元来中学の教師なぞは社会の上流にく
らいするものだからして、単に物質的の快楽ばかり求めるべきものでない。その方に耽ふけるとつい品性
にわるい影響えいきょうを及ぼすようになる。しかし人間だから、何か娯楽ごらくがないと、田舎いなか
へ来て狭せまい土地では到底暮くらせるものではない。それで釣つりに行くとか、文学書を読むとか、ま
たは新体詩や俳句を作るとか、何でも高尚こうしょうな精神的娯楽を求めなくってはいけない……」
 だまって聞いてると勝手な熱を吹く。沖おきへ行って肥料こやしを釣ったり、ゴルキが露西亜ロシアの
文学者だったり、馴染なじみの芸者が松まつの木の下に立ったり、古池へ蛙かわずが飛び込んだりするの
が精神的娯楽なら、天麩羅を食って団子を呑のみ込むのも精神的娯楽だ。そんな下さらない娯楽を授ける
より赤シャツの洗濯せんたくでもするがいい。あんまり腹が立ったから「マドンナに逢あうのも精神的娯
楽ですか」と聞いてやった。すると今度は誰も笑わない。妙な顔をして互たがいに眼と眼を見合せている
。赤シャツ自身は苦しそうに下を向いた。それ見ろ。利いたろう。ただ気の毒だったのはうらなり君で、
おれが、こう云ったら蒼い顔をますます蒼くした。



 おれは即夜そくや下宿を引き払はらった。宿へ帰って荷物をまとめていると、女房にょうぼうが何か不
都合ふつごうでもございましたか、お腹の立つ事があるなら、云いっておくれたら改めますと云う。どう
も驚おどろく。世の中にはどうして、こんな要領を得ない者ばかり揃そろってるんだろう。出てもらいた
いんだか、居てもらいたいんだか分わかりゃしない。まるで気狂きちがいだ。こんな者を相手に喧嘩けん
かをしたって江戸えどっ子の名折れだから、車屋をつれて来てさっさと出てきた。
 出た事は出たが、どこへ行くというあてもない。車屋が、どちらへ参りますと云うから、だまって尾つ
いて来い、今にわかる、と云って、すたすたやって来た。面倒めんどうだから山城屋へ行こうかとも考え
たが、また出なければならないから、つまり手数だ。こうして歩いてるうちには下宿とか、何とか看板の
あるうちを目付け出すだろう。そうしたら、そこが天意に叶かなったわが宿と云う事にしよう。とぐるぐ
る、閑静かんせいで住みよさそうな所をあるいているうち、とうとう鍛冶屋町かじやちょうへ出てしまっ

326 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:37:38.85 ID:twPsrBe10.net
た。ここは士族屋敷やしきで下宿屋などのある町ではないから、もっと賑にぎやかな方へ引き返そうかと
も思ったが、ふといい事を考え付いた。おれが敬愛するうらなり君はこの町内に住んでいる。うらなり君
は土地の人で先祖代々の屋敷を控ひかえているくらいだから、この辺の事情には通じているに相違そうい
ない。あの人を尋たずねて聞いたら、よさそうな下宿を教えてくれるかも知れない。幸さいわい一度挨拶
あいさつに来て勝手は知ってるから、捜さがしてあるく面倒はない。ここだろうと、いい加減に見当をつ
けて、ご免めんご免と二返ばかり云うと、奥おくから五十ぐらいな年寄としよりが古風な紙燭しそくをつ
けて、出て来た。おれは若い女も嫌きらいではないが、年寄を見ると何だかなつかしい心持ちがする。大
方清きよがすきだから、その魂たましいが方々のお婆ばあさんに乗り移るんだろう。これは大方うらなり
君のおっ母かさんだろう。切り下げの品格のある婦人だが、よくうらなり君に似ている。まあお上がりと
云うところを、ちょっとお目にかかりたいからと、主人を玄関げんかんまで呼び出して実はこれこれだが
君どこか心当りはありませんかと尋ねてみた。うらなり先生それはさぞお困りでございましょう、としば
らく考えていたが、この裏町に萩野はぎのと云って老人夫婦ぎりで暮くらしているものがある、いつぞや
座敷ざしきを明けておいても無駄むだだから、たしかな人があるなら貸してもいいから周旋しゅうせんし
てくれと頼たのんだ事がある。今でも貸すかどうか分らんが、まあいっしょに行って聞いてみましょうと
、親切に連れて行ってくれた。
 その夜から萩野の家の下宿人となった。驚おどろいたのは、おれがいか銀の座敷を引き払うと、翌日あ
くるひから入れ違ちがいに野だが平気な顔をして、おれの居た部屋を占領せんりょうした事だ。さすがの
おれもこれにはあきれた。世の中はいかさま師ばかりで、お互たがいに乗せっこをしているのかも知れな
い。いやになった。
 世間がこんなものなら、おれも負けない気で、世間並せけんなみにしなくちゃ、遣やりきれない訳にな
る。巾着切きんちゃくきりの上前をはねなければ三度のご膳ぜんが戴いただけないと、事が極きまればこ
うして、生きてるのも考え物だ。と云ってぴんぴんした達者なからだで、首を縊くくっちゃ先祖へ済まな
い上に、外聞が悪い。考えると物理学校などへはいって、数学なんて役にも立たない芸を覚えるよりも、
六百円を資本もとでにして牛乳屋でも始めればよかった。そうすれば清もおれの傍そばを離はなれずに済
むし、おれも遠くから婆さんの事を心配しずに暮くらされる。いっしょに居るうちは、そうでもなかった
が、こうして田舎いなかへ来てみると清はやっぱり善人だ。あんな気立きだてのいい女は日本中さがして
歩いたってめったにはない。婆さん、おれの立つときに、少々風邪かぜを引いていたが今頃いまごろはど
うしてるか知らん。先だっての手紙を見たらさぞ喜んだろう。それにしても、もう返事がきそうなものだ
が――おれはこんな事ばかり考えて二三日暮していた。
 気になるから、宿のお婆さんに、東京から手紙は来ませんかと時々尋たずねてみるが、聞くたんびに何
にも参りませんと気の毒そうな顔をする。ここの夫婦はいか銀とは違って、もとが士族だけに双方そうほ
う共上品だ。爺じいさんが夜よるになると、変な声を出して謡うたいをうたうには閉口するが、いか銀の
ようにお茶を入れましょうと無暗むやみに出て来ないから大きに楽だ。お婆さんは時々部屋へ来ていろい
ろな話をする。どうして奥さんをお連れなさって、いっしょにお出いでなんだのぞなもしなどと質問をす
る。奥さんがあるように見えますかね。可哀想かわいそうにこれでもまだ二十四ですぜと云ったらそれで
も、あなた二十四で奥さんがおありなさるのは当り前ぞなもしと冒頭ぼうとうを置いて、どこの誰だれさ
んは二十でお嫁よめをお貰もらいたの、どこの何とかさんは二十二で子供を二人ふたりお持ちたのと、何
でも例を半ダースばかり挙げて反駁はんばくを試みたには恐おそれ入った。それじゃ僕ぼくも二十四でお
嫁をお貰いるけれ、世話をしておくれんかなと田舎言葉を真似まねて頼んでみたら、お婆さん正直に本当
かなもしと聞いた。
「本当の本当ほんまのって僕あ、嫁が貰いたくって仕方がないんだ」
「そうじゃろうがな、もし。若いうちは誰もそんなものじゃけれ」この挨拶あいさつには痛み入って返事
が出来なかった。
「しかし先生はもう、お嫁がおありなさるに極きまっとらい。私はちゃんと、もう、睨ねらんどるぞなも

327 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:37:47.70 ID:twPsrBe10.net
し」
「へえ、活眼かつがんだね。どうして、睨らんどるんですか」
「どうしててて。東京から便りはないか、便りはないかてて、毎日便りを待ち焦こがれておいでるじゃな
いかなもし」
「こいつあ驚おどろいた。大変な活眼だ」
「中あたりましたろうがな、もし」
「そうですね。中ったかも知れませんよ」
「しかし今時の女子おなごは、昔むかしと違ちごうて油断が出来んけれ、お気をお付けたがええぞなもし

「何ですかい、僕の奥さんが東京で間男でもこしらえていますかい」
「いいえ、あなたの奥さんはたしかじゃけれど……」
「それで、やっと安心した。それじゃ何を気を付けるんですい」
「あなたのはたしか――あなたのはたしかじゃが――」
「どこに不たしかなのが居ますかね」
「ここ等らにも大分居おります。先生、あの遠山のお嬢じょうさんをご存知かなもし」
「いいえ、知りませんね」
「まだご存知ないかなもし。ここらであなた一番の別嬪べっぴんさんじゃがなもし。あまり別嬪さんじゃ
けれ、学校の先生方はみんなマドンナマドンナと言うといでるぞなもし。まだお聞きんのかなもし」
「うん、マドンナですか。僕あ芸者の名かと思った」
「いいえ、あなた。マドンナと云うと唐人とうじんの言葉で、別嬪さんの事じゃろうがなもし」
「そうかも知れないね。驚いた」
「大方画学の先生がお付けた名ぞなもし」
「野だがつけたんですかい」
「いいえ、あの吉川よしかわ先生がお付けたのじゃがなもし」
「そのマドンナが不たしかなんですかい」
「そのマドンナさんが不たしかなマドンナさんでな、もし」
「厄介やっかいだね。渾名あだなの付いてる女にゃ昔から碌ろくなものは居ませんからね。そうかも知れ
ませんよ」
「ほん当にそうじゃなもし。鬼神きじんのお松まつじゃの、妲妃だっきのお百じゃのてて怖こわい女が居
おりましたなもし」
「マドンナもその同類なんですかね」
「そのマドンナさんがなもし、あなた。そらあの、あなたをここへ世話をしておくれた古賀先生なもし―
―あの方の所へお嫁よめに行く約束やくそくが出来ていたのじゃがなもし――」
「へえ、不思議なもんですね。あのうらなり君が、そんな艶福えんぷくのある男とは思わなかった。人は
見懸みかけによらない者だな。ちっと気を付けよう」
「ところが、去年あすこのお父さんが、お亡くなりて、――それまではお金もあるし、銀行の株も持って
お出いでるし、万事都合つごうがよかったのじゃが――それからというものは、どういうものか急に暮し
向きが思わしくなくなって――つまり古賀さんがあまりお人が好過よすぎるけれ、お欺だまされたんぞな
もし。それや、これやでお輿入こしいれも延びているところへ、あの教頭さんがお出いでて、是非お嫁に
ほしいとお云いるのじゃがなもし」
「あの赤シャツがですか。ひどい奴やつだ。どうもあのシャツはただのシャツじゃないと思ってた。それ
から?」
「人を頼んで懸合かけおうておみると、遠山さんでも古賀さんに義理があるから、すぐには返事は出来か
ねて――まあよう考えてみようぐらいの挨拶をおしたのじゃがなもし。すると赤シャツさんが、手蔓てづ
るを求めて遠山さんの方へ出入でいりをおしるようになって、とうとうあなた、お嬢さんを手馴付てなづ
けておしまいたのじゃがなもし。赤シャツさんも赤シャツさんじゃが、お嬢さんもお嬢さんじゃてて、み
んなが悪わるく云いますのよ。いったん古賀さんへ嫁に行くてて承知をしときながら、今さら学士さんが
お出いでたけれ、その方に替かえよてて、それじゃ今日様こんにちさまへ済むまいがなもし、あなた」
「全く済まないね。今日様どころか明日様にも明後日様にも、いつまで行ったって済みっこありませんね

「それで古賀さんにお気の毒じゃてて、お友達の堀田ほったさんが教頭の所へ意見をしにお行きたら、赤

328 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:37:56.79 ID:twPsrBe10.net
シャツさんが、あしは約束のあるものを横取りするつもりはない。破約になれば貰うかも知れんが、今の
ところは遠山家とただ交際をしているばかりじゃ、遠山家と交際をするには別段古賀さんに済まん事もな
かろうとお云いるけれ、堀田さんも仕方がなしにお戻もどりたそうな。赤シャツさんと堀田さんは、それ
以来折合おりあいがわるいという評判ぞなもし」
「よくいろいろな事を知ってますね。どうして、そんな詳くわしい事が分るんですか。感心しちまった」
「狭せまいけれ何でも分りますぞなもし」
 分り過ぎて困るくらいだ。この容子ようすじゃおれの天麩羅てんぷらや団子だんごの事も知ってるかも
知れない。厄介やっかいな所だ。しかしお蔭様かげさまでマドンナの意味もわかるし、山嵐と赤シャツの
関係もわかるし大いに後学になった。ただ困るのはどっちが悪る者だか判然しない。おれのような単純な
ものには白とか黒とか片づけてもらわないと、どっちへ味方をしていいか分らない。
「赤シャツと山嵐たあ、どっちがいい人ですかね」
「山嵐て何ぞなもし」
「山嵐というのは堀田の事ですよ」
「そりゃ強い事は堀田さんの方が強そうじゃけれど、しかし赤シャツさんは学士さんじゃけれ、働きはあ
る方かたぞな、もし。それから優しい事も赤シャツさんの方が優しいが、生徒の評判は堀田さんの方がえ
えというぞなもし」
「つまりどっちがいいんですかね」
「つまり月給の多い方が豪えらいのじゃろうがなもし」
 これじゃ聞いたって仕方がないから、やめにした。それから二三日して学校から帰るとお婆さんがにこ
にこして、へえお待遠さま。やっと参りました。と一本の手紙を持って来てゆっくりご覧と云って出て行
った。取り上げてみると清からの便りだ。符箋ふせんが二三枚まいついてるから、よく調べると、山城屋
から、いか銀の方へ廻まわして、いか銀から、萩野はぎのへ廻って来たのである。その上山城屋では一週
間ばかり逗留とうりゅうしている。宿屋だけに手紙まで泊とめるつもりなんだろう。開いてみると、非常
に長いもんだ。坊ぼっちゃんの手紙を頂いてから、すぐ返事をかこうと思ったが、あいにく風邪を引いて
一週間ばかり寝ねていたものだから、つい遅おそくなって済まない。その上今時のお嬢さんのように読み
書きが達者でないものだから、こんなまずい字でも、かくのによっぽど骨が折れる。甥おいに代筆を頼も
うと思ったが、せっかくあげるのに自分でかかなくっちゃ、坊っちゃんに済まないと思って、わざわざ下
したがきを一返して、それから清書をした。清書をするには二日で済んだが、下た書きをするには四日か
かった。読みにくいかも知れないが、これでも一生懸命いっしょうけんめいにかいたのだから、どうぞし
まいまで読んでくれ。という冒頭ぼうとうで四尺ばかり何やらかやら認したためてある。なるほど読みに
くい。字がまずいばかりではない、大抵たいてい平仮名だから、どこで切れて、どこで始まるのだか句読
くとうをつけるのによっぽど骨が折れる。おれは焦せっ勝かちな性分だから、こんな長くて、分りにくい
手紙は、五円やるから読んでくれと頼まれても断わるのだが、この時ばかりは真面目まじめになって、始
はじめから終しまいまで読み通した。読み通した事は事実だが、読む方に骨が折れて、意味がつながらな
いから、また頭から読み直してみた。部屋のなかは少し暗くなって、前の時より見にくく、なったから、
とうとう椽鼻えんばなへ出て腰こしをかけながら鄭寧ていねいに拝見した。すると初秋はつあきの風が芭
蕉ばしょうの葉を動かして、素肌すはだに吹ふきつけた帰りに、読みかけた手紙を庭の方へなびかしたか
ら、しまいぎわには四尺あまりの半切れがさらりさらりと鳴って、手を放すと、向むこうの生垣まで飛ん
で行きそうだ。おれはそんな事には構っていられない。坊っちゃんは竹を割ったような気性だが、ただ肝
癪かんしゃくが強過ぎてそれが心配になる。――ほかの人に無暗むやみに渾名あだななんか、つけるのは
人に恨うらまれるもとになるから、やたらに使っちゃいけない、もしつけたら、清だけに手紙で知らせろ
。――田舎者は人がわるいそうだから、気をつけてひどい目に遭あわないようにしろ。――気候だって東
京より不順に極ってるから、寝冷ねびえをして風邪を引いてはいけない。坊っちゃんの手紙はあまり短過
ぎて、容子がよくわからないから、この次にはせめてこの手紙の半分ぐらいの長さのを書いてくれ。――
宿屋へ茶代を五円やるのはいいが、あとで困りゃしないか、田舎へ行って頼たよりになるはお金ばかりだ

329 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:38:05.71 ID:twPsrBe10.net
から、なるべく倹約けんやくして、万一の時に差支さしつかえないようにしなくっちゃいけない。――お
小遣こづかいがなくて困るかも知れないから、為替かわせで十円あげる。――先せんだって坊っちゃんか
らもらった五十円を、坊っちゃんが、東京へ帰って、うちを持つ時の足しにと思って、郵便局へ預けてお
いたが、この十円を引いてもまだ四十円あるから大丈夫だ。――なるほど女と云うものは細かいものだ。
 おれが椽鼻で清の手紙をひらつかせながら、考え込こんでいると、しきりの襖ふすまをあけて、萩野の
お婆さんが晩めしを持ってきた。まだ見てお出いでるのかなもし。えっぽど長いお手紙じゃなもし、と云
ったから、ええ大事な手紙だから風に吹かしては見、吹かしては見るんだと、自分でも要領を得ない返事
をして膳ぜんについた。見ると今夜も薩摩芋さつまいもの煮につけだ。ここのうちは、いか銀よりも鄭寧
ていねいで、親切で、しかも上品だが、惜おしい事に食い物がまずい。昨日も芋、一昨日おとといも芋で
今夜も芋だ。おれは芋は大好きだと明言したには相違ないが、こう立てつづけに芋を食わされては命がつ
づかない。うらなり君を笑うどころか、おれ自身が遠からぬうちに、芋のうらなり先生になっちまう。清
ならこんな時に、おれの好きな鮪まぐろのさし身か、蒲鉾かまぼこのつけ焼を食わせるんだが、貧乏びん
ぼう士族のけちん坊ぼうと来ちゃ仕方がない。どう考えても清といっしょでなくっちあ駄目だめだ。もし
あの学校に長くでも居る模様なら、東京から召よび寄よせてやろう。天麩羅蕎麦そばを食っちゃならない
、団子を食っちゃならない、それで下宿に居て芋ばかり食って黄色くなっていろなんて、教育者はつらい
ものだ。禅宗ぜんしゅう坊主だって、これよりは口に栄耀えようをさせているだろう。――おれは一皿の
芋を平げて、机の抽斗ひきだしから生卵を二つ出して、茶碗ちゃわんの縁ふちでたたき割って、ようやく
凌しのいだ。生卵ででも営養をとらなくっちあ一週二十一時間の授業が出来るものか。
 今日は清の手紙で湯に行く時間が遅くなった。しかし毎日行きつけたのを一日でも欠かすのは心持ちが
わるい。汽車にでも乗って出懸でかけようと、例の赤手拭あかてぬぐいをぶら下げて停車場ていしゃばま
で来ると二三分前に発車したばかりで、少々待たなければならぬ。ベンチへ腰を懸けて、敷島しきしまを
吹かしていると、偶然ぐうぜんにもうらなり君がやって来た。おれはさっきの話を聞いてから、うらなり
君がなおさら気の毒になった。平常ふだんから天地の間に居候いそうろうをしているように、小さく構え
ているのがいかにも憐あわれに見えたが、今夜は憐れどころの騒さわぎではない。出来るならば月給を倍
にして、遠山のお嬢さんと明日あしたから結婚けっこんさして、一ヶ月ばかり東京へでも遊びにやってや
りたい気がした矢先だから、やお湯ですか、さあ、こっちへお懸けなさいと威勢いせいよく席を譲ゆずる
と、うらなり君は恐おそれ入った体裁で、いえ構かもうておくれなさるな、と遠慮えんりょだか何だかや
っぱり立ってる。少し待たなくっちゃ出ません、草臥くたびれますからお懸けなさいとまた勧めてみた。
実はどうかして、そばへ懸けてもらいたかったくらいに気の毒でたまらない。それではお邪魔じゃまを致
いたしましょうとようやくおれの云う事を聞いてくれた。世の中には野だみたように生意気な、出ないで
済む所へ必ず顔を出す奴もいる。山嵐のようにおれが居なくっちゃ日本にっぽんが困るだろうと云うよう
な面を肩かたの上へ載のせてる奴もいる。そうかと思うと、赤シャツのようにコスメチックと色男の問屋
をもって自ら任じているのもある。教育が生きてフロックコートを着ればおれになるんだと云わぬばかり
の狸たぬきもいる。皆々みなみなそれ相応に威張ってるんだが、このうらなり先生のように在れどもなき
がごとく、人質に取られた人形のように大人おとなしくしているのは見た事がない。顔はふくれているが
、こんな結構な男を捨てて赤シャツに靡なびくなんて、マドンナもよっぼど気の知れないおきゃんだ。赤
シャツが何ダース寄ったって、これほど立派な旦那様だんなさまが出来るもんか。
「あなたはどっか悪いんじゃありませんか。大分たいぎそうに見えますが……」「いえ、別段これという
持病もないですが……」
「そりゃ結構です。からだが悪いと人間も駄目ですね」
「あなたは大分ご丈夫じょうぶのようですな」
「ええ瘠やせても病気はしません。病気なんてものあ大嫌いですから」
 うらなり君は、おれの言葉を聞いてにやにやと笑った。

330 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:38:14.77 ID:twPsrBe10.net
 ところへ入口で若々しい女の笑声が聞きこえたから、何心なく振ふり返ってみるとえらい奴が来た。色
の白い、ハイカラ頭の、背の高い美人と、四十五六の奥さんとが並ならんで切符きっぷを売る窓の前に立
っている。おれは美人の形容などが出来る男でないから何にも云えないが全く美人に相違ない。何だか水
晶すいしょうの珠たまを香水こうすいで暖あっためて、掌てのひらへ握にぎってみたような心持ちがした
。年寄の方が背は低い。しかし顔はよく似ているから親子だろう。おれは、や、来たなと思う途端とたん
に、うらなり君の事は全然すっかり忘れて、若い女の方ばかり見ていた。すると、うらなり君が突然とつ
ぜんおれの隣となりから、立ち上がって、そろそろ女の方へ歩き出したんで、少し驚いた。マドンナじゃ
ないかと思った。三人は切符所の前で軽く挨拶している。遠いから何を云ってるのか分らない。
 停車場の時計を見るともう五分で発車だ。早く汽車がくればいいがなと、話し相手が居なくなったので
待ち遠しく思っていると、また一人あわてて場内へ馳かけ込こんで来たものがある。見れば赤シャツだ。
何だかべらべら然たる着物へ縮緬ちりめんの帯をだらしなく巻き付けて、例の通り金鎖きんぐさりをぶら
つかしている。あの金鎖りは贋物にせものである。赤シャツは誰だれも知るまいと思って、見せびらかし
ているが、おれはちゃんと知ってる。赤シャツは馳け込んだなり、何かきょろきょろしていたが、切符売
下所うりさげじょの前に話している三人へ慇懃いんぎんにお辞儀じぎをして、何か二こと、三こと、云っ
たと思ったら、急にこっちへ向いて、例のごとく猫足ねこあしにあるいて来て、や君も湯ですか、僕は乗
り後れやしないかと思って心配して急いで来たら、まだ三四分ある。あの時計はたしかかしらんと、自分
の金側きんがわを出して、二分ほどちがってると云いながら、おれの傍そばへ腰を卸おろした。女の方は
ちっとも見返らないで杖つえの上に顋あごをのせて、正面ばかり眺ながめている。年寄の婦人は時々赤シ
ャツを見るが、若い方は横を向いたままである。いよいよマドンナに違いない。
 やがて、ピューと汽笛きてきが鳴って、車がつく。待ち合せた連中はぞろぞろ吾われ勝がちに乗り込む
。赤シャツはいの一号に上等へ飛び込んだ。上等へ乗ったって威張れるどころではない、住田すみたまで
上等が五銭で下等が三銭だから、わずか二銭違いで上下の区別がつく。こういうおれでさえ上等を奮発ふ
んぱつして白切符を握にぎってるんでもわかる。もっとも田舎者はけちだから、たった二銭の出入でもす
こぶる苦になると見えて、大抵たいていは下等へ乗る。赤シャツのあとからマドンナとマドンナのお袋が
上等へはいり込んだ。うらなり君は活版で押おしたように下等ばかりへ乗る男だ。先生、下等の車室の入
口へ立って、何だか躊躇ちゅうちょの体ていであったが、おれの顔を見るや否や思いきって、飛び込んで
しまった。おれはこの時何となく気の毒でたまらなかったから、うらなり君のあとから、すぐ同じ車室へ
乗り込んだ。上等の切符で下等へ乗るに不都合はなかろう。
 温泉へ着いて、三階から、浴衣ゆかたのなりで湯壺ゆつぼへ下りてみたら、またうらなり君に逢った。
おれは会議や何かでいざと極まると、咽喉のどが塞ふさがって饒舌しゃべれない男だが、平常ふだんは随
分ずいぶん弁ずる方だから、いろいろ湯壺のなかでうらなり君に話しかけてみた。何だか憐れぽくってた
まらない。こんな時に一口でも先方の心を慰なぐさめてやるのは、江戸えどっ子の義務だと思ってる。と
ころがあいにくうらなり君の方では、うまい具合にこっちの調子に乗ってくれない。何を云っても、えと
かいえとかぎりで、しかもそのえといえが大分面倒めんどうらしいので、しまいにはとうとう切り上げて
、こっちからご免蒙めんこうむった。
 湯の中では赤シャツに逢わなかった。もっとも風呂ふろの数はたくさんあるのだから、同じ汽車で着い
ても、同じ湯壺で逢うとは極まっていない。別段不思議にも思わなかった。風呂を出てみるといい月だ。
町内の両側に柳やなぎが植うわって、柳の枝えだが丸まるい影を往来の中へ落おとしている。少し散歩で
もしよう。北へ登って町のはずれへ出ると、左に大きな門があって、門の突き当りがお寺で、左右が妓楼
ぎろうである。山門のなかに遊廓ゆうかくがあるなんて、前代未聞の現象だ。ちょっとはいってみたいが
、また狸から会議の時にやられるかも知れないから、やめて素通りにした。門の並びに黒い暖簾のれんを
かけた、小さな格子窓こうしまどの平屋はおれが団子を食って、しくじった所だ。丸提灯まるぢょうちん

331 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:38:23.79 ID:twPsrBe10.net
に汁粉しるこ、お雑煮ぞうにとかいたのがぶらさがって、提灯の火が、軒端のきばに近い一本の柳の幹を
照らしている。食いたいなと思ったが我慢して通り過ぎた。
 食いたい団子の食えないのは情ない。しかし自分の許嫁いいなずけが他人に心を移したのは、なお情な
いだろう。うらなり君の事を思うと、団子は愚おろか、三日ぐらい断食だんじきしても不平はこぼせない
訳だ。本当に人間ほどあてにならないものはない。あの顔を見ると、どうしたって、そんな不人情な事を
しそうには思えないんだが――うつくしい人が不人情で、冬瓜とうがんの水膨みずぶくれのような古賀さ
んが善良な君子なのだから、油断が出来ない。淡泊たんぱくだと思った山嵐は生徒を煽動せんどうしたと
云うし。生徒を煽動したのかと思うと、生徒の処分を校長に逼せまるし。厭味いやみで練りかためたよう
な赤シャツが存外親切で、おれに余所よそながら注意をしてくれるかと思うと、マドンナを胡魔化ごまか
したり、胡魔化したのかと思うと、古賀の方が破談にならなければ結婚は望まないんだと云うし。いか銀
が難癖なんくせをつけて、おれを追い出すかと思うと、すぐ野だ公が入いれ替かわったり――どう考えて
もあてにならない。こんな事を清にかいてやったら定めて驚く事だろう。箱根はこねの向うだから化物ば
けものが寄り合ってるんだと云うかも知れない。
 おれは、性来しょうらい構わない性分だから、どんな事でも苦にしないで今日まで凌いで来たのだが、
ここへ来てからまだ一ヶ月立つか、立たないうちに、急に世のなかを物騒ぶっそうに思い出した。別段際
だった大事件にも出逢わないのに、もう五つ六つ年を取ったような気がする。早く切り上げて東京へ帰る
のが一番よかろう。などとそれからそれへ考えて、いつか石橋を渡わたって野芹川のぜりがわの堤どてへ
出た。川と云うとえらそうだが実は一間ぐらいな、ちょろちょろした流れで、土手に沿うて十二丁ほど下
ると相生村あいおいむらへ出る。村には観音様かんのんさまがある。
 温泉ゆの町を振り返ると、赤い灯が、月の光の中にかがやいている。太鼓たいこが鳴るのは遊廓に相違
ない。川の流れは浅いけれども早いから、神経質の水のようにやたらに光る。ぶらぶら土手の上をあるき
ながら、約三丁も来たと思ったら、向うに人影ひとかげが見え出した。月に透すかしてみると影は二つあ
る。温泉ゆへ来て村へ帰る若い衆しゅかも知れない。それにしては唄うたもうたわない。存外静かだ。
 だんだん歩いて行くと、おれの方が早足だと見えて、二つの影法師が、次第に大きくなる。一人は女ら
しい。おれの足音を聞きつけて、十間ぐらいの距離きょりに逼った時、男がたちまち振り向いた。月は後
うしろからさしている。その時おれは男の様子を見て、はてなと思った。男と女はまた元の通りにあるき
出した。おれは考えがあるから、急に全速力で追っ懸かけた。先方は何の気もつかずに最初の通り、ゆる
ゆる歩を移している。今は話し声も手に取るように聞える。土手の幅は六尺ぐらいだから、並んで行けば
三人がようやくだ。おれは苦もなく後ろから追い付いて、男の袖そでを擦すり抜ぬけざま、二足前へ出し
た踵くびすをぐるりと返して男の顔を覗のぞき込こんだ。月は正面からおれの五分刈がりの頭から顋の辺
あたりまで、会釈えしゃくもなく照てらす。男はあっと小声に云ったが、急に横を向いて、もう帰ろうと
女を促うながすが早いか、温泉ゆの町の方へ引き返した。
 赤シャツは図太くて胡魔化すつもりか、気が弱くて名乗り損そくなったのかしら。ところが狭くて困っ
てるのは、おればかりではなかった。



 赤シャツに勧められて釣つりに行った帰りから、山嵐やまあらしを疑ぐり出した。無い事を種に下宿を
出ろと云われた時は、いよいよ不埒ふらちな奴やつだと思った。ところが会議の席では案に相違そういし
て滔々とうとうと生徒厳罰論げんばつろんを述べたから、おや変だなと首を捩ひねった。萩野はぎのの婆
ばあさんから、山嵐が、うらなり君のために赤シャツと談判をしたと聞いた時は、それは感心だと手を拍
うった。この様子ではわる者は山嵐じゃあるまい、赤シャツの方が曲ってるんで、好加減いいかげんな邪
推じゃすいを実まことしやかに、しかも遠廻とおまわしに、おれの頭の中へ浸しみ込こましたのではある
まいかと迷ってる矢先へ、野芹川のぜりがわの土手で、マドンナを連れて散歩なんかしている姿を見たか
ら、それ以来赤シャツは曲者くせものだと極きめてしまった。曲者だか何だかよくは分わからないが、と
もかくも善いい男じゃない。表と裏とは違ちがった男だ。人間は竹のように真直まっすぐでなくっちゃ頼

332 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:38:32.74 ID:twPsrBe10.net
たのもしくない。真直なものは喧嘩けんかをしても心持ちがいい。赤シャツのようなやさしいのと、親切
なのと、高尚こうしょうなのと、琥珀こはくのパイプとを自慢じまんそうに見せびらかすのは油断が出来
ない、めったに喧嘩も出来ないと思った。喧嘩をしても、回向院えこういんの相撲すもうのような心持ち
のいい喧嘩は出来ないと思った。そうなると一銭五厘の出入でいりで控所ひかえじょ全体を驚おどろかし
た議論の相手の山嵐の方がはるかに人間らしい。会議の時に金壺眼かなつぼまなこをぐりつかせて、おれ
を睨にらめた時は憎にくい奴だと思ったが、あとで考えると、それも赤シャツのねちねちした猫撫声ねこ
なでごえよりはましだ。実はあの会議が済んだあとで、よっぽど仲直りをしようかと思って、一こと二こ
と話しかけてみたが、野郎やろう返事もしないで、まだ眼めを剥むくってみせたから、こっちも腹が立っ
てそのままにしておいた。
 それ以来山嵐はおれと口を利かない。机の上へ返した一銭五厘はいまだに机の上に乗っている。ほこり
だらけになって乗っている。おれは無論手が出せない、山嵐は決して持って帰らない。この一銭五厘が二
人の間の墻壁しょうへきになって、おれは話そうと思っても話せない、山嵐は頑がんとして黙だまってる
。おれと山嵐には一銭五厘が祟たたった。しまいには学校へ出て一銭五厘を見るのが苦になった。
 山嵐とおれが絶交の姿となったに引き易かえて、赤シャツとおれは依然いぜんとして在来の関係を保っ
て、交際をつづけている。野芹川で逢あった翌日などは、学校へ出ると第一番におれの傍そばへ来て、君
今度の下宿はいいですかのまたいっしょに露西亜ロシア文学を釣つりに行こうじゃないかのといろいろな
事を話しかけた。おれは少々憎にくらしかったから、昨夜ゆうべは二返逢いましたねと云いったら、ええ
停車場ていしゃばで――君はいつでもあの時分出掛でかけるのですか、遅いじゃないかと云う。野芹川の
土手でもお目に懸かかりましたねと喰くらわしてやったら、いいえ僕ぼくはあっちへは行かない、湯には
いって、すぐ帰ったと答えた。何もそんなに隠かくさないでもよかろう、現に逢ってるんだ。よく嘘うそ
をつく男だ。これで中学の教頭が勤まるなら、おれなんか大学総長がつとまる。おれはこの時からいよい
よ赤シャツを信用しなくなった。信用しない赤シャツとは口をきいて、感心している山嵐とは話をしない
。世の中は随分妙ずいぶんみょうなものだ。
 ある日の事赤シャツがちょっと君に話があるから、僕のうちまで来てくれと云うから、惜おしいと思っ
たが温泉行きを欠勤して四時頃ごろ出掛けて行った。赤シャツは一人ものだが、教頭だけに下宿はとくの
昔むかしに引き払はらって立派な玄関げんかんを構えている。家賃は九円五拾銭じっせんだそうだ。田舎
いなかへ来て九円五拾銭払えばこんな家へはいれるなら、おれも一つ奮発ふんぱつして、東京から清を呼
び寄せて喜ばしてやろうと思ったくらいな玄関だ。頼むと云ったら、赤シャツの弟が取次とりつぎに出て
来た。この弟は学校で、おれに代数と算術を教わる至って出来のわるい子だ。その癖渡くせわたりものだ
から、生れ付いての田舎者よりも人が悪わるい。
 赤シャツに逢って用事を聞いてみると、大将例の琥珀のパイプで、きな臭くさい烟草たばこをふかしな
がら、こんな事を云った。「君が来てくれてから、前任者の時代よりも成績せいせきがよくあがって、校
長も大いにいい人を得たと喜んでいるので――どうか学校でも信頼しんらいしているのだから、そのつも
りで勉強していただきたい」
「へえ、そうですか、勉強って今より勉強は出来ませんが――」
「今のくらいで充分じゅうぶんです。ただ先だってお話しした事ですね、あれを忘れずにいて下さればい
いのです」
「下宿の世話なんかするものあ剣呑けんのんだという事ですか」
「そう露骨ろこつに云うと、意味もない事になるが――まあ善いさ――精神は君にもよく通じている事と
思うから。そこで君が今のように出精しゅっせいして下されば、学校の方でも、ちゃんと見ているんだか
ら、もう少しして都合つごうさえつけば、待遇たいぐうの事も多少はどうにかなるだろうと思うんですが
ね」
「へえ、俸給ほうきゅうですか。俸給なんかどうでもいいんですが、上がれば上がった方がいいですね」
「それで幸い今度転任者が一人出来るから――もっとも校長に相談してみないと無論受け合えない事だが
――その俸給から少しは融通ゆうずうが出来るかも知れないから、それで都合をつけるように校長に話し

333 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:38:41.85 ID:twPsrBe10.net
てみようと思うんですがね」
「どうも難有ありがとう。だれが転任するんですか」
「もう発表になるから話しても差し支つかえないでしょう。実は古賀君です」
「古賀さんは、だってここの人じゃありませんか」
「ここの地じの人ですが、少し都合があって――半分は当人の希望です」
「どこへ行ゆくんです」
「日向ひゅうがの延岡のべおかで――土地が土地だから一級俸上あがって行く事になりました」
「誰だれか代りが来るんですか」
「代りも大抵たいてい極まってるんです。その代りの具合で君の待遇上の都合もつくんです」
「はあ、結構です。しかし無理に上がらないでも構いません」
「とも角も僕は校長に話すつもりです。それで校長も同意見らしいが、追っては君にもっと働いて頂いた
だかなくってはならんようになるかも知れないから、どうか今からそのつもりで覚悟かくごをしてやって
もらいたいですね」
「今より時間でも増すんですか」
「いいえ、時間は今より減るかも知れませんが――」
「時間が減って、もっと働くんですか、妙だな」
「ちょっと聞くと妙だが、――判然とは今言いにくいが――まあつまり、君にもっと重大な責任を持って
もらうかも知れないという意味なんです」
 おれには一向分らない。今より重大な責任と云えば、数学の主任だろうが、主任は山嵐だから、やっこ
さんなかなか辞職する気遣きづかいはない。それに、生徒の人望があるから転任や免職めんしょくは学校
の得策であるまい。赤シャツの談話はいつでも要領を得ない。要領を得なくっても用事はこれで済んだ。
それから少し雑談をしているうちに、うらなり君の送別会をやる事や、ついてはおれが酒を飲むかと云う
問や、うらなり先生は君子で愛すべき人だと云う事や――赤シャツはいろいろ弁じた。しまいに話をかえ
て君俳句をやりますかと来たから、こいつは大変だと思って、俳句はやりません、さようならと、そこそ
こに帰って来た。発句ほっくは芭蕉ばしょうか髪結床かみいどこの親方のやるもんだ。数学の先生が朝顔
やに釣瓶つるべをとられてたまるものか。
 帰ってうんと考え込んだ。世間には随分気の知れない男が居る。家屋敷はもちろん、勤める学校に不足
のない故郷がいやになったからと云って、知らぬ他国へ苦労を求めに出る。それも花の都の電車が通かよ
ってる所なら、まだしもだが、日向の延岡とは何の事だ。おれは船つきのいいここへ来てさえ、一ヶ月立
たないうちにもう帰りたくなった。延岡と云えば山の中も山の中も大変な山の中だ。赤シャツの云うとこ
ろによると船から上がって、一日いちんち馬車へ乗って、宮崎へ行って、宮崎からまた一日いちんち車へ
乗らなくっては着けないそうだ。名前を聞いてさえ、開けた所とは思えない。猿さると人とが半々に住ん
でるような気がする。いかに聖人のうらなり君だって、好んで猿の相手になりたくもないだろうに、何と
いう物数奇ものずきだ。
 ところへあいかわらず婆ばあさんが夕食ゆうめしを運んで出る。今日もまた芋いもですかいと聞いてみ
たら、いえ今日はお豆腐とうふぞなもしと云った。どっちにしたって似たものだ。
「お婆さん古賀さんは日向へ行くそうですね」
「ほん当にお気の毒じゃな、もし」
「お気の毒だって、好んで行くんなら仕方がないですね」
「好んで行くて、誰がぞなもし」
「誰がぞなもしって、当人がさ。古賀先生が物数奇に行くんじゃありませんか」
「そりゃあなた、大違いの勘五郎かんごろうぞなもし」
「勘五郎かね。だって今赤シャツがそう云いましたぜ。それが勘五郎なら赤シャツは嘘つきの法螺右衛門
ほらえもんだ」
「教頭さんが、そうお云いるのはもっともじゃが、古賀さんのお往いきともないのももっともぞなもし」
「そんなら両方もっともなんですね。お婆さんは公平でいい。一体どういう訳なんですい」
「今朝古賀のお母さんが見えて、だんだん訳をお話したがなもし」
「どんな訳をお話したんです」
「あそこもお父さんがお亡くなりてから、あたし達が思うほど暮くらし向むきが豊かになうてお困りじゃ
けれ、お母さんが校長さんにお頼みて、もう四年も勤めているものじゃけれ、どうぞ毎月頂くものを、今
少しふやしておくれんかてて、あなた」

334 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:38:50.74 ID:twPsrBe10.net
「なるほど」
「校長さんが、ようまあ考えてみとこうとお云いたげな。それでお母さんも安心して、今に増給のご沙汰
さたがあろぞ、今月か来月かと首を長くして待っておいでたところへ、校長さんがちょっと来てくれと古
賀さんにお云いるけれ、行ってみると、気の毒だが学校は金が足りんけれ、月給を上げる訳にゆかん。し
かし延岡になら空いた口があって、そっちなら毎月五円余分にとれるから、お望み通りでよかろうと思う
て、その手続きにしたから行くがええと云われたげな。――」
「じゃ相談じゃない、命令じゃありませんか」
「さよよ。古賀さんはよそへ行って月給が増すより、元のままでもええから、ここに居おりたい。屋敷も
あるし、母もあるからとお頼みたけれども、もうそう極めたあとで、古賀さんの代りは出来ているけれ仕
方がないと校長がお云いたげな」
「へん人を馬鹿ばかにしてら、面白おもしろくもない。じゃ古賀さんは行く気はないんですね。どうれで
変だと思った。五円ぐらい上がったって、あんな山の中へ猿のお相手をしに行く唐変木とうへんぼくはま
ずないからね」
「唐変木て、先生なんぞなもし」
「何でもいいでさあ、――全く赤シャツの作略さりゃくだね。よくない仕打しうちだ。まるで欺撃だまし
うちですね。それでおれの月給を上げるなんて、不都合ふつごうな事があるものか。上げてやるったって
、誰が上がってやるものか」
「先生は月給がお上りるのかなもし」
「上げてやるって云うから、断ことわろうと思うんです」
「何で、お断わりるのぞなもし」
「何でもお断わりだ。お婆さん、あの赤シャツは馬鹿ですぜ。卑怯ひきょうでさあ」
「卑怯でもあんた、月給を上げておくれたら、大人おとなしく頂いておく方が得ぞなもし。若いうちはよ
く腹の立つものじゃが、年をとってから考えると、も少しの我慢がまんじゃあったのに惜しい事をした。
腹立てたためにこないな損をしたと悔くやむのが当り前じゃけれ、お婆の言う事をきいて、赤シャツさん
が月給をあげてやろとお言いたら、難有ありがとうと受けておおきなさいや」
「年寄としよりの癖に余計な世話を焼かなくってもいい。おれの月給は上がろうと下がろうとおれの月給
だ」
 婆さんはだまって引き込んだ。爺じいさんは呑気のんきな声を出して謡うたいをうたってる。謡という
ものは読んでわかる所を、やにむずかしい節をつけて、わざと分らなくする術だろう。あんな者を毎晩飽
あきずに唸うなる爺さんの気が知れない。おれは謡どころの騒さわぎじゃない。月給を上げてやろうと云
うから、別段欲しくもなかったが、入らない金を余しておくのももったいないと思って、よろしいと承知
したのだが、転任したくないものを無理に転任させてその男の月給の上前を跳はねるなんて不人情な事が
出来るものか。当人がもとの通りでいいと云うのに延岡下くんだりまで落ちさせるとは一体どう云う了見
りょうけんだろう。太宰権帥だざいごんのそつでさえ博多はかた近辺で落ちついたものだ。河合又五郎か
あいまたごろうだって相良さがらでとまってるじゃないか。とにかく赤シャツの所へ行って断わって来な
くっちあ気が済まない。
 小倉こくらの袴はかまをつけてまた出掛けた。大きな玄関へ突つっ立って頼むと云うと、また例の弟が
取次に出て来た。おれの顔を見てまた来たかという眼付めつきをした。用があれば二度だって三度だって
来る。よる夜なかだって叩たたき起おこさないとは限らない。教頭の所へご機嫌伺きげんうかがいにくる
ようなおれと見損みそくなってるか。これでも月給が入らないから返しに来きたんだ。すると弟が今来客
中だと云うから、玄関でいいからちょっとお目にかかりたいと云ったら奥おくへ引き込んだ。足元を見る
と、畳付たたみつきの薄っぺらな、のめりの駒下駄こまげたがある。奥でもう万歳ばんざいですよと云う
声が聞きこえる。お客とは野だだなと気がついた。野だでなくては、あんな黄色い声を出して、こんな芸
人じみた下駄を穿はくものはない。
 しばらくすると、赤シャツがランプを持って玄関まで出て来て、まあ上がりたまえ、外の人じゃない吉
川君だ、と云うから、いえここでたくさんです。ちょっと話せばいいんです、と云って、赤シャツの顔を
見ると金時のようだ。野だ公と一杯いっぱい飲んでると見える。
「さっき僕の月給を上げてやるというお話でしたが、少し考えが変ったから断わりに来たんです」
 赤シャツはランプを前へ出して、奥の方からおれの顔を眺ながめたが、とっさの場合返事をしかねて茫
然ぼうぜんとしている。増給を断わる奴が世の中にたった一人飛び出して来たのを不審ふしんに思ったの

335 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:38:59.74 ID:twPsrBe10.net
か、断わるにしても、今帰ったばかりで、すぐ出直してこなくってもよさそうなものだと、呆あきれ返っ
たのか、または双方合併そうほうがっぺいしたのか、妙な口をして突っ立ったままである。
「あの時承知したのは、古賀君が自分の希望で転任するという話でしたからで……」
「古賀君は全く自分の希望で半ば転任するんです」
「そうじゃないんです、ここに居たいんです。元の月給でもいいから、郷里に居たいのです」
「君は古賀君から、そう聞いたのですか」
「そりゃ当人から、聞いたんじゃありません」
「じゃ誰からお聞きです」
「僕の下宿の婆さんが、古賀さんのおっ母かさんから聞いたのを今日僕に話したのです」
「じゃ、下宿の婆さんがそう云ったのですね」
「まあそうです」
「それは失礼ながら少し違うでしょう。あなたのおっしゃる通りだと、下宿屋の婆さんの云う事は信ずる
が、教頭の云う事は信じないと云うように聞えるが、そういう意味に解釈して差支さしつかえないでしょ
うか」
 おれはちょっと困った。文学士なんてものはやっぱりえらいものだ。妙な所へこだわって、ねちねち押
おし寄せてくる。おれはよく親父おやじから貴様はそそっかしくて駄目だめだ駄目だと云われたが、なる
ほど少々そそっかしいようだ。婆さんの話を聞いてはっと思って飛び出して来たが、実はうらなり君にも
うらなりのおっ母さんにも逢って詳くわしい事情は聞いてみなかったのだ。だからこう文学士流に斬きり
付けられると、ちょっと受け留めにくい。
 正面からは受け留めにくいが、おれはもう赤シャツに対して不信任を心の中うちで申し渡してしまった
。下宿の婆さんもけちん坊ぼうの欲張り屋に相違ないが、嘘は吐つかない女だ、赤シャツのように裏表は
ない。おれは仕方がないから、こう答えた。
「あなたの云う事は本当かも知れないですが――とにかく増給はご免蒙めんこうむります」
「それはますます可笑おかしい。今君がわざわざお出いでになったのは増俸を受けるには忍しのびない、
理由を見出したからのように聞えたが、その理由が僕の説明で取り去られたにもかかわらず増俸を否まれ
るのは少し解しかねるようですね」
「解しかねるかも知れませんがね。とにかく断わりますよ」
「そんなに否いやなら強いてとまでは云いませんが、そう二三時間のうちに、特別の理由もないのに豹変
ひょうへんしちゃ、将来君の信用にかかわる」
「かかわっても構わないです」
「そんな事はないはずです、人間に信用ほど大切なものはありませんよ。よしんば今一歩譲ゆずって、下
宿の主人が……」
「主人じゃない、婆さんです」
「どちらでもよろしい。下宿の婆さんが君に話した事を事実としたところで、君の増給は古賀君の所得を
削けずって得たものではないでしょう。古賀君は延岡へ行かれる。その代りがくる。その代りが古賀君よ
りも多少低給で来てくれる。その剰余じょうよを君に廻まわすと云うのだから、君は誰にも気の毒がる必
要はないはずです。古賀君は延岡でただ今よりも栄進される。新任者は最初からの約束やくそくで安くく
る。それで君が上がられれば、これほど都合つごうのいい事はないと思うですがね。いやなら否いやでも
いいが、もう一返うちでよく考えてみませんか」
 おれの頭はあまりえらくないのだから、いつもなら、相手がこういう巧妙こうみょうな弁舌を揮ふるえ
ば、おやそうかな、それじゃ、おれが間違ってたと恐おそれ入って引きさがるのだけれども、今夜はそう
は行かない。ここへ来た最初から赤シャツは何だか虫が好かなかった。途中とちゅうで親切な女みたよう
な男だと思い返した事はあるが、それが親切でも何でもなさそうなので、反動の結果今じゃよっぽど厭い
やになっている。だから先がどれほどうまく論理的に弁論を逞たくましくしようとも、堂々たる教頭流に
おれを遣り込めようとも、そんな事は構わない。議論のいい人が善人とはきまらない。遣り込められる方
が悪人とは限らない。表向きは赤シャツの方が重々もっともだが、表向きがいくら立派だって、腹の中ま
で惚ほれさせる訳には行かない。金や威力いりょくや理屈りくつで人間の心が買える者なら、高利貸でも
巡査じゅんさでも大学教授でも一番人に好かれなくてはならない。中学の教頭ぐらいな論法でおれの心が
どう動くものか。人間は好き嫌いで働くものだ。論法で働くものじゃない。
「あなたの云う事はもっともですが、僕は増給がいやになったんですから、まあ断わります。考えたって
同じ事です。さようなら」と云いすてて門を出た。頭の上には天の川が一筋かかっている。

336 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:39:08.87 ID:twPsrBe10.net


 うらなり君の送別会のあるという日の朝、学校へ出たら、山嵐やまあらしが突然とつぜん、君先だって
はいか銀が来て、君が乱暴して困るから、どうか出るように話してくれと頼たのんだから、真面目まじめ
に受けて、君に出てやれと話したのだが、あとから聞いてみると、あいつは悪わるい奴やつで、よく偽筆
ぎひつへ贋落款にせらっかんなどを押おして売りつけるそうだから、全く君の事も出鱈目でたらめに違ち
がいない。君に懸物かけものや骨董こっとうを売りつけて、商売にしようと思ってたところが、君が取り
合わないで儲もうけがないものだから、あんな作りごとをこしらえて胡魔化ごまかしたのだ。僕はあの人
物を知らなかったので君に大変失敬した勘弁かんべんしたまえと長々しい謝罪をした。
 おれは何とも云わずに、山嵐の机の上にあった、一銭五厘りんをとって、おれの蝦蟇口がまぐちのなか
へ入れた。山嵐は君それを引き込こめるのかと不審ふしんそうに聞くから、うんおれは君に奢おごられる
のが、いやだったから、是非返すつもりでいたが、その後だんだん考えてみると、やっぱり奢ってもらう
方がいいようだから、引き込ますんだと説明した。山嵐は大きな声をしてアハハハと笑いながら、そんな
ら、なぜ早く取らなかったのだと聞いた。実は取ろう取ろうと思ってたが、何だか妙みょうだからそのま
まにしておいた。近来は学校へ来て一銭五厘を見るのが苦になるくらいいやだったと云ったら、君はよっ
ぽど負け惜おしみの強い男だと云うから、君はよっぽど剛情張ごうじょうっぱりだと答えてやった。それ
から二人の間にこんな問答が起おこった。
「君は一体どこの産だ」
「おれは江戸えどっ子だ」
「うん、江戸っ子か、道理で負け惜しみが強いと思った」
「きみはどこだ」
「僕は会津あいづだ」
「会津っぽか、強情な訳だ。今日の送別会へ行くのかい」
「行くとも、君は?」
「おれは無論行くんだ。古賀さんが立つ時は、浜はままで見送りに行こうと思ってるくらいだ」
「送別会は面白いぜ、出て見たまえ。今日は大いに飲むつもりだ」
「勝手に飲むがいい。おれは肴さかなを食ったら、すぐ帰る。酒なんか飲む奴は馬鹿ばかだ」
「君はすぐ喧嘩けんかを吹ふき懸かける男だ。なるほど江戸っ子の軽跳けいちょうな風を、よく、あらわ
してる」
「何でもいい、送別会へ行く前にちょっとおれのうちへお寄り、話はなしがあるから」

 山嵐は約束やくそく通りおれの下宿へ寄った。おれはこの間から、うらなり君の顔を見る度に気の毒で
たまらなかったが、いよいよ送別の今日となったら、何だか憐あわれっぽくって、出来る事なら、おれが
代りに行ってやりたい様な気がしだした。それで送別会の席上で、大いに演説でもしてその行を盛さかん
にしてやりたいと思うのだが、おれのべらんめえ調子じゃ、到底とうてい物にならないから、大きな声を
出す山嵐を雇やとって、一番赤シャツの荒肝あらぎもを挫ひしいでやろうと考え付いたから、わざわざ山
嵐を呼んだのである。
 おれはまず冒頭ぼうとうとしてマドンナ事件から説き出したが、山嵐は無論マドンナ事件はおれより詳
くわしく知っている。おれが野芹川のぜりがわの土手の話をして、あれは馬鹿野郎ばかやろうだと云った
ら、山嵐は君はだれを捕つらまえても馬鹿呼よばわりをする。今日学校で自分の事を馬鹿と云ったじゃな
いか。自分が馬鹿なら、赤シャツは馬鹿じゃない。自分は赤シャツの同類じゃないと主張した。それじゃ
赤シャツは腑抜ふぬけの呆助ほうすけだと云ったら、そうかもしれないと山嵐は大いに賛成した。山嵐は
強い事は強いが、こんな言葉になると、おれより遥はるかに字を知っていない。会津っぽなんてものはみ
んな、こんな、ものなんだろう。
 それから増給事件と将来重く登用すると赤シャツが云った話をしたら山嵐はふふんと鼻から声を出して
、それじゃ僕を免職めんしょくする考えだなと云った。免職するつもりだって、君は免職になる気かと聞
いたら、誰だれがなるものか、自分が免職になるなら、赤シャツもいっしょに免職させてやると大いに威
張いばった。どうしていっしょに免職させる気かと押し返して尋たずねたら、そこはまだ考えていないと
答えた。山嵐は強そうだが、智慧ちえはあまりなさそうだ。おれが増給を断ことわったと話したら、大将
大きに喜んでさすが江戸っ子だ、えらいと賞ほめてくれた。

337 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:39:17.75 ID:twPsrBe10.net
 うらなりが、そんなに厭いやがっているなら、なぜ留任の運動をしてやらなかったと聞いてみたら、う
らなりから話を聞いた時は、既すでにきまってしまって、校長へ二度、赤シャツへ一度行って談判してみ
たが、どうする事も出来なかったと話した。それについても古賀があまり好人物過ぎるから困る。赤シャ
ツから話があった時、断然断わるか、一応考えてみますと逃にげればいいのに、あの弁舌に胡魔化されて
、即席そくせきに許諾きょだくしたものだから、あとからお母っかさんが泣きついても、自分が談判に行
っても役に立たなかったと非常に残念がった。
 今度の事件は全く赤シャツが、うらなりを遠ざけて、マドンナを手に入れる策略なんだろうとおれが云
ったら、無論そうに違いない。あいつは大人おとなしい顔をして、悪事を働いて、人が何か云うと、ちゃ
んと逃道にげみちを拵こしらえて待ってるんだから、よっぽど奸物かんぶつだ。あんな奴にかかっては鉄
拳制裁てっけんせいさいでなくっちゃ利かないと、瘤こぶだらけの腕うでをまくってみせた。おれはつい
でだから、君の腕は強そうだな柔術じゅうじゅつでもやるかと聞いてみた。すると大将二の腕へ力瘤を入
れて、ちょっと攫つかんでみろと云うから、指の先で揉もんでみたら、何の事はない湯屋にある軽石の様
なものだ。
 おれはあまり感心したから、君そのくらいの腕なら、赤シャツの五人や六人は一度に張り飛ばされるだ
ろうと聞いたら、無論さと云いながら、曲げた腕を伸のばしたり、縮ましたりすると、力瘤がぐるりぐる
りと皮のなかで廻転かいてんする。すこぶる愉快ゆかいだ。山嵐の証明する所によると、かんじん綯より
を二本より合せて、この力瘤の出る所へ巻きつけて、うんと腕を曲げると、ぷつりと切れるそうだ。かん
じんよりなら、おれにも出来そうだと云ったら、出来るものか、出来るならやってみろと来た。切れない
と外聞がわるいから、おれは見合せた。
 君どうだ、今夜の送別会に大いに飲んだあと、赤シャツと野だを撲なぐってやらないかと面白半分に勧
めてみたら、山嵐はそうだなと考えていたが、今夜はまあよそうと云った。なぜと聞くと、今夜は古賀に
気の毒だから――それにどうせ撲るくらいなら、あいつらの悪るい所を見届けて現場で撲らなくっちゃ、
こっちの落度になるからと、分別のありそうな事を附加つけたした。山嵐でもおれよりは考えがあると見
える。
 じゃ演説をして古賀君を大いにほめてやれ、おれがすると江戸っ子のぺらぺらになって重みがなくてい
けない。そうして、きまった所へ出ると、急に溜飲りゅういんが起って咽喉のどの所へ、大きな丸たまが
上がって来て言葉が出ないから、君に譲ゆずるからと云ったら、妙な病気だな、じゃ君は人中じゃ口は利
けないんだね、困るだろう、と聞くから、何そんなに困りゃしないと答えておいた。
 そうこうするうち時間が来たから、山嵐と一所に会場へ行く。会場は花晨亭かしんていといって、当地
ここで第一等の料理屋だそうだが、おれは一度も足を入れた事がない。もとの家老とかの屋敷やしきを買
い入れて、そのまま開業したという話だが、なるほど見懸みかけからして厳いかめしい構えだ。家老の屋
敷が料理屋になるのは、陣羽織じんばおりを縫ぬい直して、胴着どうぎにする様なものだ。
 二人が着いた頃ころには、人数にんずももう大概たいがい揃そろって、五十畳じょうの広間に二つ三つ
人間の塊かたまりが出来ている。五十畳だけに床とこは素敵に大きい。おれが山城屋で占領せんりょうし
た十五畳敷の床とは比較にならない。尺を取ってみたら二間あった。右の方に、赤い模様のある瀬戸物の
瓶かめを据すえて、その中に松まつの大きな枝えだが挿さしてある。松の枝を挿して何にする気か知らな
いが、何ヶ月立っても散る気遣いがないから、銭が懸らなくって、よかろう。あの瀬戸物はどこで出来る
んだと博物の教師に聞いたら、あれは瀬戸物じゃありません、伊万里いまりですと云った。伊万里だって
瀬戸物じゃないかと、云ったら、博物はえへへへへと笑っていた。あとで聞いてみたら、瀬戸で出来る焼
物だから、瀬戸と云うのだそうだ。おれは江戸っ子だから、陶器とうきの事を瀬戸物というのかと思って
いた。床の真中に大きな懸物があって、おれの顔くらいな大きさな字が二十八字かいてある。どうも下手
へたなものだ。あんまり不味まずいから、漢学の先生に、なぜあんなまずいものを麗々れいれいと懸けて
おくんですと尋たずねたところ、先生はあれは海屋かいおくといって有名な書家のかいた者だと教えてく
れた。海屋だか何だか、おれは今だに下手だと思っている。

338 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:39:26.86 ID:twPsrBe10.net
 やがて書記の川村がどうかお着席をと云うから、柱があって靠よりかかるのに都合のいい所へ坐すわっ
た。海屋の懸物の前に狸たぬきが羽織はおり、袴はかまで着席すると、左に赤シャツが同じく羽織袴で陣
取じんどった。右の方は主人公だというのでうらなり先生、これも日本服で控ひかえている。おれは洋服
だから、かしこまるのが窮屈きゅうくつだったから、すぐ胡坐あぐらをかいた。隣となりの体操たいそう
教師は黒ずぼんで、ちゃんとかしこまっている。体操の教師だけにいやに修行が積んでいる。やがてお膳
ぜんが出る。徳利とくりが並ならぶ。幹事が立って、一言いちごん開会の辞を述べる。それから狸が立つ
。赤シャツが起たつ。ことごとく送別の辞を述べたが、三人共申し合せたようにうらなり君の、良教師で
好人物な事を吹聴ふいちょうして、今回去られるのはまことに残念である、学校としてのみならず、個人
として大いに惜しむところであるが、ご一身上のご都合で、切に転任をご希望になったのだから致いたし
方かたがないという意味を述べた。こんな嘘うそをついて送別会を開いて、それでちっとも恥はずかしい
とも思っていない。ことに赤シャツに至って三人のうちで一番うらなり君をほめた。この良友を失うのは
実に自分にとって大なる不幸であるとまで云った。しかもそのいい方がいかにも、もっともらしくって、
例のやさしい声を一層やさしくして、述べ立てるのだから、始めて聞いたものは、誰でもきっとだまされ
るに極きまってる。マドンナも大方この手で引掛ひっかけたんだろう。赤シャツが送別の辞を述べ立てて
いる最中、向側むかいがわに坐っていた山嵐がおれの顔を見てちょっと稲光いなびかりをさした。おれは
返電として、人指し指でべっかんこうをして見せた。
 赤シャツが座に復するのを待ちかねて、山嵐がぬっと立ち上がったから、おれは嬉うれしかったので、
思わず手をぱちぱちと拍うった。すると狸を始め一同がことごとくおれの方を見たには少々困った。山嵐
は何を云うかと思うとただ今校長始めことに教頭は古賀君の転任を非常に残念がられたが、私は少々反対
で古賀君が一日いちじつも早く当地を去られるのを希望しております。延岡は僻遠へきえんの地で、当地
に比べたら物質上の不便はあるだろう。が、聞くところによれば風俗のすこぶる淳朴じゅんぼくな所で、
職員生徒ことごとく上代樸直じょうだいぼくちょくの気風を帯びているそうである。心にもないお世辞を
振ふり蒔まいたり、美しい顔をして君子を陥おとしいれたりするハイカラ野郎は一人もないと信ずるから
して、君のごとき温良篤厚とっこうの士は必ずその地方一般の歓迎かんげいを受けられるに相違そういな
い。吾輩わがはいは大いに古賀君のためにこの転任を祝するのである。終りに臨んで君が延岡に赴任ふに
んされたら、その地の淑女しゅくじょにして、君子の好逑こうきゅうとなるべき資格あるものを択えらん
で一日いちじつも早く円満なる家庭をかたち作って、かの不貞無節なるお転婆てんばを事実の上において
慚死ざんしせしめん事を希望します。えへんえへんと二つばかり大きな咳払せきばらいをして席に着いた
。おれは今度も手を叩たたこうと思ったが、またみんながおれの面かおを見るといやだから、やめにして
おいた。山嵐が坐ると今度はうらなり先生が起った。先生はご鄭寧ていねいに、自席から、座敷の端はし
の末座まで行って、慇懃いんぎんに一同に挨拶あいさつをした上、今般は一身上の都合で九州へ参る事に
なりましたについて、諸先生方が小生のためにこの盛大せいだいなる送別会をお開き下さったのは、まこ
とに感銘かんめいの至りに堪たえぬ次第で――ことにただ今は校長、教頭その他諸君の送別の辞を頂戴ち
ょうだいして、大いに難有ありがたく服膺ふくようする訳であります。私はこれから遠方へ参りますが、
なにとぞ従前の通りお見捨てなくご愛顧あいこのほどを願います。とへえつく張って席に戻もどった。う
らなり君はどこまで人が好いんだか、ほとんど底が知れない。自分がこんなに馬鹿にされている校長や、
教頭に恭うやうやしくお礼を云っている。それも義理一遍いっぺんの挨拶ならだが、あの様子や、あの言
葉つきや、あの顔つきから云うと、心しんから感謝しているらしい。こんな聖人に真面目にお礼を云われ
たら、気の毒になって、赤面しそうなものだが狸も赤シャツも真面目に謹聴きんちょうしているばかりだ

 挨拶が済んだら、あちらでもチュー、こちらでもチュー、という音がする。おれも真似をして汁しるを
飲んでみたがまずいもんだ。口取くちとりに蒲鉾かまぼこはついてるが、どす黒くて竹輪の出来損できそ

339 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:39:35.76 ID:twPsrBe10.net
こないである。刺身さしみも並んでるが、厚くって鮪まぐろの切り身を生で食うと同じ事だ。それでも隣
となり近所の連中はむしゃむしゃ旨うまそうに食っている。大方江戸前の料理を食った事がないんだろう

 そのうち燗徳利かんどくりが頻繁ひんぱんに往来し始めたら、四方が急に賑にぎやかになった。野だ公
は恭しく校長の前へ出て盃さかずきを頂いてる。いやな奴だ。うらなり君は順々に献酬けんしゅうをして
、一巡周いちじゅんめぐるつもりとみえる。はなはだご苦労である。うらなり君がおれの前へ来て、一つ
頂戴致しましょうと袴のひだを正して申し込まれたから、おれも窮屈にズボンのままかしこまって、一盃
ぱい差し上げた。せっかく参って、すぐお別れになるのは残念ですね。ご出立しゅったつはいつです、是
非浜までお見送りをしましょうと云ったら、うらなり君はいえご用多おおのところ決してそれには及およ
びませんと答えた。うらなり君が何と云ったって、おれは学校を休んで送る気でいる。
 それから一時間ほどするうちに席上は大分乱れて来る。まあ一杯ぱい、おや僕が飲めと云うのに……な
どと呂律ろれつの巡まわりかねるのも一人二人ひとりふたり出来て来た。少々退屈たいくつしたから便所
へ行って、昔風な庭を星明りにすかして眺ながめていると山嵐が来た。どうださっきの演説はうまかった
ろう。と大分得意である。大賛成だが一ヶ所気に入らないと抗議こうぎを申し込んだら、どこが不賛成だ
と聞いた。
「美しい顔をして人を陥れるようなハイカラ野郎は延岡に居おらないから……と君は云ったろう」
「うん」
「ハイカラ野郎だけでは不足だよ」

「じゃ何と云うんだ」
「ハイカラ野郎の、ペテン師の、イカサマ師の、猫被ねこっかぶりの、香具師やしの、モモンガーの、岡
っ引きの、わんわん鳴けば犬も同然な奴とでも云うがいい」
「おれには、そう舌は廻らない。君は能弁だ。第一単語を大変たくさん知ってる。それで演舌えんぜつが
出来ないのは不思議だ」
「なにこれは喧嘩けんかのときに使おうと思って、用心のために取っておく言葉さ。演舌となっちゃ、こ
うは出ない」
「そうかな、しかしぺらぺら出るぜ。もう一遍やって見たまえ」
「何遍でもやるさいいか。――ハイカラ野郎のペテン師の、イカサマ師の……」と云いかけていると、椽
側えんがわをどたばた云わして、二人ばかり、よろよろしながら馳かけ出して来た。
「両君そりゃひどい、――逃げるなんて、――僕が居るうちは決して逃にがさない、さあのみたまえ。―
―いかさま師?――面白い、いかさま面白い。――さあ飲みたまえ」
とおれと山嵐をぐいぐい引っ張って行く。実はこの両人共便所に来たのだが、酔よってるもんだから、便
所へはいるのを忘れて、おれ等を引っ張るのだろう。酔っ払いは目の中あたる所へ用事を拵えて、前の事
はすぐ忘れてしまうんだろう。
「さあ、諸君、いかさま師を引っ張って来た。さあ飲ましてくれたまえ。いかさま師をうんと云うほど、
酔わしてくれたまえ。君逃げちゃいかん」
と逃げもせぬ、おれを壁際かべぎわへ圧おし付けた。諸方を見廻してみると、膳の上に満足な肴の乗って
いるのは一つもない。自分の分を奇麗きれいに食い尽つくして、五六間先へ遠征えんせいに出た奴もいる
。校長はいつ帰ったか姿が見えない。
 ところへお座敷はこちら? と芸者が三四人はいって来た。おれも少し驚おどろいたが、壁際へ圧し付
けられているんだから、じっとしてただ見ていた。すると今まで床柱とこばしらへもたれて例の琥珀こは
くのパイプを自慢じまんそうに啣くわえていた、赤シャツが急に起たって、座敷を出にかかった。向むこ
うからはいって来た芸者の一人が、行き違いながら、笑って挨拶をした。その一人は一番若くて一番奇麗
な奴だ。遠くで聞きこえなかったが、おや今晩はぐらい云ったらしい。赤シャツは知らん顔をして出て行
ったぎり、顔を出さなかった。大方校長のあとを追懸おいかけて帰ったんだろう。
 芸者が来たら座敷中急に陽気になって、一同が鬨ときの声を揚あげて歓迎かんげいしたのかと思うくら
い、騒々そうぞうしい。そうしてある奴はなんこを攫つかむ。その声の大きな事、まるで居合抜いあいぬ
きの稽古けいこのようだ。こっちでは拳けんを打ってる。よっ、はっ、と夢中むちゅうで両手を振るとこ
ろは、ダーク一座の操人形あやつりにんぎょうよりよっぽど上手じょうずだ。向うの隅すみではおいお酌
しゃくだ、と徳利を振ってみて、酒だ酒だと言い直している。どうもやかましくて騒々しくってたまらな

340 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:39:44.82 ID:twPsrBe10.net
い。そのうちで手持無沙汰てもちぶさたに下を向いて考え込んでるのはうらなり君ばかりである。自分の
ために送別会を開いてくれたのは、自分の転任を惜おしんでくれるんじゃない。みんなが酒を呑のんで遊
ぶためだ。自分独りが手持無沙汰で苦しむためだ。こんな送別会なら、開いてもらわない方がよっぽどま
しだ。
 しばらくしたら、めいめい胴間声どうまごえを出して何か唄うたい始めた。おれの前へ来た一人の芸者
が、あんた、なんぞ、唄いなはれ、と三味線を抱かかえたから、おれは唄わない、貴様唄ってみろと云っ
たら、金かねや太鼓たいこでねえ、迷子の迷子の三太郎と、どんどこ、どんのちゃんちきりん。叩いて廻
って逢あわれるものならば、わたしなんぞも、金や太鼓でどんどこ、どんのちゃんちきりんと叩いて廻っ
て逢いたい人がある、と二た息にうたって、おおしんどと云った。おおしんどなら、もっと楽なものをや
ればいいのに。
 すると、いつの間にか傍そばへ来て坐った、野だが、鈴ちゃん逢いたい人に逢ったと思ったら、すぐお
帰りで、お気の毒さまみたようでげすと相変らず噺はなし家みたような言葉使いをする。知りまへんと芸
者はつんと済ました。野だは頓着とんじゃくなく、たまたま逢いは逢いながら……と、いやな声を出して
義太夫ぎだゆうの真似まねをやる。おきなはれやと芸者は平手で野だの膝ひざを叩いたら野だは恐悦きょ
うえつして笑ってる。この芸者は赤シャツに挨拶をした奴だ。芸者に叩かれて笑うなんて、野だもおめで
たい者だ。鈴ちゃん僕が紀伊きの国を踴おどるから、一つ弾ひいて頂戴と云い出した。野だはこの上まだ
踴る気でいる。
 向うの方で漢学のお爺じいさんが歯のない口を歪ゆがめて、そりゃ聞えません伝兵衛でんべいさん、お
前とわたしのその中は……とまでは無事に済すましたが、それから? と芸者に聞いている。爺さんなん
て物覚えのわるいものだ。一人が博物を捕つらまえて近頃ちかごろこないなのが、でけましたぜ、弾いて
みまほうか。よう聞いて、いなはれや――花月巻かげつまき、白いリボンのハイカラ頭、乗るは自転車、
弾くはヴァイオリン、半可はんかの英語でぺらぺらと、I am glad to see you と
唄うと、博物はなるほど面白い、英語入りだねと感心している。
 山嵐は馬鹿に大きな声を出して、芸者、芸者と呼んで、おれが剣舞けんぶをやるから、三味線を弾けと
号令を下した。芸者はあまり乱暴な声なので、あっけに取られて返事もしない。山嵐は委細構わず、ステ
ッキを持って来て、踏破千山万岳烟ふみやぶるせんざんばんがくのけむりと真中まんなかへ出て独りで隠
かくし芸を演じている。ところへ野だがすでに紀伊きの国を済まして、かっぽれを済まして、棚たなの達
磨だるまさんを済して丸裸まるはだかの越中褌えっちゅうふんどし一つになって、棕梠箒しゅろぼうきを
小脇に抱かい込んで、日清談判破裂はれつして……と座敷中練りあるき出した。まるで気違きちがいだ。
 おれはさっきから苦しそうに袴も脱ぬがず控えているうらなり君が気の毒でたまらなかったが、なんぼ
自分の送別会だって、越中褌の裸踴はだかおどりまで羽織袴で我慢がまんしてみている必要はあるまいと
思ったから、そばへ行って、古賀さんもう帰りましょうと退去を勧めてみた。するとうらなり君は今日は
私の送別会だから、私が先へ帰っては失礼です、どうぞご遠慮えんりょなくと動く景色もない。なに構う
もんですか、送別会なら、送別会らしくするがいいです、あの様をご覧なさい。気狂会きちがいかいです
。さあ行きましょうと、進まないのを無理に勧めて、座敷を出かかるところへ、野だが箒を振り振り進行
して来て、やご主人が先へ帰るとはひどい。日清談判だ。帰せないと箒を横にして行く手を塞ふさいだ。
おれはさっきから肝癪かんしゃくが起っているところだから、日清談判なら貴様はちゃんちゃんだろうと
、いきなり拳骨げんこつで、野だの頭をぽかりと喰くわしてやった。野だは二三秒の間毒気を抜かれた体
ていで、ぼんやりしていたが、おやこれはひどい。お撲ぶちになったのは情ない。この吉川をご打擲ちょ
うちゃくとは恐れ入った。いよいよもって日清談判だ。とわからぬ事をならべているところへ、うしろか
ら山嵐が何か騒動そうどうが始まったと見てとって、剣舞をやめて、飛んできたが、このていたらくを見
て、いきなり頸筋くびすじをうんと攫つかんで引き戻もどした。日清……いたい。いたい。どうもこれは
乱暴だと振りもがくところを横に捩ねじったら、すとんと倒たおれた。あとはどうなったか知らない。途
中とちゅうでうらなり君に別れて、うちへ帰ったら十一時過ぎだった。

341 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:39:53.75 ID:twPsrBe10.net


 祝勝会で学校はお休みだ。練兵場れんぺいばで式があるというので、狸たぬきは生徒を引率して参列し
なくてはならない。おれも職員の一人ひとりとしていっしょにくっついて行くんだ。町へ出ると日の丸だ
らけで、まぼしいくらいである。学校の生徒は八百人もあるのだから、体操の教師が隊伍たいごを整えて
、一組一組の間を少しずつ明けて、それへ職員が一人か二人ふたりずつ監督かんとくとして割り込こむ仕
掛しかけである。仕掛しかけだけはすこぶる巧妙こうみょうなものだが、実際はすこぶる不手際である。
生徒は小供こどもの上に、生意気で、規律を破らなくっては生徒の体面にかかわると思ってる奴等やつら
だから、職員が幾人いくたりついて行ったって何の役に立つもんか。命令も下さないのに勝手な軍歌をう
たったり、軍歌をやめるとワーと訳もないのに鬨ときの声を揚あげたり、まるで浪人ろうにんが町内をね
りあるいてるようなものだ。軍歌も鬨の声も揚げない時はがやがや何か喋舌しゃべってる。喋舌らないで
も歩けそうなもんだが、日本人はみな口から先へ生れるのだから、いくら小言を云いったって聞きっこな
い。喋舌るのもただ喋舌るのではない、教師のわる口を喋舌るんだから、下等だ。おれは宿直事件で生徒
を謝罪さして、まあこれならよかろうと思っていた。ところが実際は大違おおちがいである。下宿の婆ば
あさんの言葉を借りて云えば、正に大違いの勘五郎かんごろうである。生徒があやまったのは心しんから
後悔こうかいしてあやまったのではない。ただ校長から、命令されて、形式的に頭を下げたのである。商
人が頭ばかり下げて、狡ずるい事をやめないのと一般で生徒も謝罪だけはするが、いたずらは決してやめ
るものでない。よく考えてみると世の中はみんなこの生徒のようなものから成立しているかも知れない。
人があやまったり詫わびたりするのを、真面目まじめに受けて勘弁するのは正直過ぎる馬鹿ばかと云うん
だろう。あやまるのも仮りにあやまるので、勘弁するのも仮りに勘弁するのだと思ってれば差さし支つか
えない。もし本当にあやまらせる気なら、本当に後悔するまで叩たたきつけなくてはいけない。
 おれが組と組の間にはいって行くと、天麩羅てんぷらだの、団子だんごだの、と云う声が絶えずする。
しかも大勢だから、誰だれが云うのだか分らない。よし分ってもおれの事を天麩羅と云ったんじゃありま
せん、団子と申したのじゃありません、それは先生が神経衰弱しんけいすいじゃくだから、ひがんで、そ
う聞くんだぐらい云うに極きまってる。こんな卑劣ひれつな根性は封建時代から、養成したこの土地の習
慣なんだから、いくら云って聞かしたって、教えてやったって、到底とうてい直りっこない。こんな土地
に一年も居ると、潔白なおれも、この真似まねをしなければならなく、なるかも知れない。向むこうでう
まく言い抜ぬけられるような手段で、おれの顔を汚よごすのを抛ほうっておく、樗蒲一ちょぼいちはない
。向こうが人ならおれも人だ。生徒だって、子供だって、ずう体はおれより大きいや。だから刑罰けいば
つとして何か返報をしてやらなくっては義理がわるい。ところがこっちから返報をする時分に尋常じんじ
ょうの手段で行くと、向うから逆捩さかねじを食わして来る。貴様がわるいからだと云うと、初手から逃
にげ路みちが作ってある事だから滔々とうとうと弁じ立てる。弁じ立てておいて、自分の方を表向きだけ
立派にしてそれからこっちの非を攻撃こうげきする。もともと返報にした事だから、こちらの弁護は向う
の非が挙がらない上は弁護にならない。つまりは向うから手を出しておいて、世間体はこっちが仕掛けた
喧嘩けんかのように、見傚みなされてしまう。大変な不利益だ。それなら向うのやるなり、愚迂多良童子
ぐうたらどうじを極め込んでいれば、向うはますます増長するばかり、大きく云えば世の中のためになら
ない。そこで仕方がないから、こっちも向うの筆法を用いて捕つらまえられないで、手の付けようのない
返報をしなくてはならなくなる。そうなっては江戸えどっ子も駄目だめだ。駄目だが一年もこうやられる
以上は、おれも人間だから駄目でも何でもそうならなくっちゃ始末がつかない。どうしても早く東京へ帰
って清きよといっしょになるに限る。こんな田舎いなかに居るのは堕落だらくしに来ているようなものだ
。新聞配達をしたって、ここまで堕落するよりはましだ。
 こう考えて、いやいや、附ついてくると、何だか先鋒せんぽうが急にがやがや騒さわぎ出した。同時に
列はぴたりと留まる。変だから、列を右へはずして、向うを見ると、大手町おおてまちを突つき当って薬

342 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:40:02.79 ID:twPsrBe10.net
師町やくしまちへ曲がる角の所で、行き詰づまったぎり、押おし返したり、押し返されたりして揉もみ合
っている。前方から静かに静かにと声を涸からして来た体操教師に何ですと聞くと、曲り角で中学校と師
範しはん学校が衝突しょうとつしたんだと云う。
 中学と師範とはどこの県下でも犬と猿さるのように仲がわるいそうだ。なぜだかわからないが、まるで
気風が合わない。何かあると喧嘩をする。大方狭せまい田舎で退屈たいくつだから、暇潰ひまつぶしにや
る仕事なんだろう。おれは喧嘩は好きな方だから、衝突と聞いて、面白半分に馳かけ出して行った。する
と前の方にいる連中は、しきりに何だ地方税の癖くせに、引き込めと、怒鳴どなってる。後ろからは押せ
押せと大きな声を出す。おれは邪魔じゃまになる生徒の間をくぐり抜けて、曲がり角へもう少しで出よう
とした時に、前へ! と云う高く鋭するどい号令が聞きこえたと思ったら師範学校の方は粛粛しゅくしゅ
くとして行進を始めた。先を争った衝突は、折合がついたには相違そういないが、つまり中学校が一歩を
譲ゆずったのである。資格から云うと師範学校の方が上だそうだ。
 祝勝の式はすこぶる簡単なものであった。旅団長が祝詞を読む、知事が祝詞を読む、参列者が万歳ばん
ざいを唱える。それでおしまいだ。余興は午後にあると云う話だから、ひとまず下宿へ帰って、こないだ
じゅうから、気に掛かかっていた、清への返事をかきかけた。今度はもっと詳くわしく書いてくれとの注
文だから、なるべく念入ねんいりに認したためなくっちゃならない。しかしいざとなって、半切はんきれ
を取り上げると、書く事はたくさんあるが、何から書き出していいか、わからない。あれにしようか、あ
れは面倒臭めんどうくさい。これにしようか、これはつまらない。何か、すらすらと出て、骨が折れなく
って、そうして清が面白がるようなものはないかしらん、と考えてみると、そんな注文通りの事件は一つ
もなさそうだ。おれは墨すみを磨すって、筆をしめして、巻紙を睨にらめて、――巻紙を睨めて、筆をし
めして、墨を磨って――同じ所作を同じように何返も繰くり返したあと、おれには、とても手紙は書ける
ものではないと、諦あきらめて硯すずりの蓋ふたをしてしまった。手紙なんぞをかくのは面倒臭い。やっ
ぱり東京まで出掛けて行って、逢あって話をするのが簡便だ。清の心配は察しないでもないが、清の注文
通りの手紙を書くのは三七日の断食だんじきよりも苦しい。
 おれは筆と巻紙を抛ほうり出して、ごろりと転がって肱枕ひじまくらをして庭にわの方を眺ながめてみ
たが、やっぱり清の事が気にかかる。その時おれはこう思った。こうして遠くへ来てまで、清の身の上を
案じていてやりさえすれば、おれの真心まことは清に通じるに違いない。通じさえすれば手紙なんぞやる
必要はない。やらなければ無事で暮くらしてると思ってるだろう。たよりは死んだ時か病気の時か、何か
事の起った時にやりさえすればいい訳だ。
 庭は十坪とつぼほどの平庭で、これという植木もない。ただ一本の蜜柑みかんがあって、塀へいのそと
から、目標めじるしになるほど高い。おれはうちへ帰ると、いつでもこの蜜柑を眺める。東京を出た事の
ないものには蜜柑の生なっているところはすこぶる珍めずらしいものだ。あの青い実がだんだん熟してき
て、黄色になるんだろうが、定めて奇麗きれいだろう。今でももう半分色の変ったのがある。婆ばあさん
に聞いてみると、すこぶる水気の多い、旨うまい蜜柑だそうだ。今に熟うれたら、たんと召めし上がれと
云ったから、毎日少しずつ食ってやろう。もう三週間もしたら、充分じゅうぶん食えるだろう。まさか三
週間以内にここを去る事もなかろう。
 おれが蜜柑の事を考えているところへ、偶然ぐうぜん山嵐やまあらしが話しにやって来た。今日は祝勝
会だから、君といっしょにご馳走ちそうを食おうと思って牛肉を買って来たと、竹の皮の包つつみを袂た
もとから引きずり出して、座敷ざしきの真中まんなかへ抛り出した。おれは下宿で芋責いもぜめ豆腐責に
なってる上、蕎麦そば屋行き、団子だんご屋行きを禁じられてる際だから、そいつは結構だと、すぐ婆さ
んから鍋なべと砂糖をかり込んで、煮方にかたに取りかかった。
 山嵐は無暗むやみに牛肉を頬張ほおばりながら、君あの赤シャツが芸者に馴染なじみのある事を知って
るかと聞くから、知ってるとも、この間うらなりの送別会の時に来た一人がそうだろうと云ったら、そう
だ僕ぼくはこの頃ごろようやく勘づいたのに、君はなかなか敏捷びんしょうだと大いにほめた。

343 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:40:11.73 ID:twPsrBe10.net
「あいつは、ふた言目には品性だの、精神的娯楽ごらくだのと云う癖くせに、裏へ廻まわって、芸者と関
係なんかつけとる、怪けしからん奴やつだ。それもほかの人が遊ぶのを寛容かんようするならいいが、君
が蕎麦屋へ行ったり、団子屋へはいるのさえ取締上とりしまりじょう害になると云って、校長の口を通し
て注意を加えたじゃないか」
「うん、あの野郎の考えじゃ芸者買は精神的娯楽で、天麩羅や、団子は物理的娯楽なんだろう。精神的娯
楽なら、もっと大べらにやるがいい。何だあの様ざまは。馴染の芸者がはいってくると、入れ代りに席を
はずして、逃げるなんて、どこまでも人を胡魔化ごまかす気だから気に食わない。そうして人が攻撃こう
げきすると、僕は知らないとか、露西亜ロシア文学だとか、俳句が新体詩の兄弟分だとか云って、人を烟
けむに捲まくつもりなんだ。あんな弱虫は男じゃないよ。全く御殿女中ごてんじょちゅうの生れ変りか何
かだぜ。ことによると、あいつのおやじは湯島のかげまかもしれない」
「湯島のかげまた何だ」
「何でも男らしくないもんだろう。――君そこのところはまだ煮えていないぜ。そんなのを食うと絛虫さ
なだむしが湧わくぜ」
「そうか、大抵たいてい大丈夫だいじょうぶだろう。それで赤シャツは人に隠かくれて、温泉ゆの町の角
屋かどやへ行って、芸者と会見するそうだ」
「角屋って、あの宿屋か」
「宿屋兼料理屋さ。だからあいつを一番へこますためには、あいつが芸者をつれて、あすこへはいり込む
ところを見届けておいて面詰めんきつするんだね」
「見届けるって、夜番よばんでもするのかい」
「うん、角屋の前に枡屋ますやという宿屋があるだろう。あの表二階をかりて、障子しょうじへ穴をあけ
て、見ているのさ」
「見ているときに来るかい」
「来るだろう。どうせひと晩じゃいけない。二週間ばかりやるつもりでなくっちゃ」
「随分ずいぶん疲れるぜ。僕あ、おやじの死ぬとき一週間ばかり徹夜てつやして看病した事があるが、あ
とでぼんやりして、大いに弱った事がある」
「少しぐらい身体が疲れたって構わんさ。あんな奸物かんぶつをあのままにしておくと、日本のためにな
らないから、僕が天に代って誅戮ちゅうりくを加えるんだ」
「愉快ゆかいだ。そう事が極まれば、おれも加勢してやる。それで今夜から夜番をやるのかい」
「まだ枡屋に懸合かけあってないから、今夜は駄目だ」
「それじゃ、いつから始めるつもりだい」
「近々のうちやるさ。いずれ君に報知をするから、そうしたら、加勢してくれたまえ」
「よろしい、いつでも加勢する。僕ぼくは計略はかりごとは下手へただが、喧嘩とくるとこれでなかなか
すばしこいぜ」
 おれと山嵐がしきりに赤シャツ退治の計略はかりごとを相談していると、宿の婆さんが出て来て、学校
の生徒さんが一人、堀田ほった先生にお目にかかりたいててお出いでたぞなもし。今お宅へ参じたのじゃ
が、お留守るすじゃけれ、大方ここじゃろうてて捜さがし当ててお出でたのじゃがなもしと、閾しきいの
所へ膝ひざを突ついて山嵐の返事を待ってる。山嵐はそうですかと玄関げんかんまで出て行ったが、やが
て帰って来て、君、生徒が祝勝会の余興を見に行かないかって誘さそいに来たんだ。今日は高知こうちか
ら、何とか踴おどりをしに、わざわざここまで多人数たにんず乗り込んで来ているのだから、是非見物し
ろ、めったに見られない踴おどりだというんだ、君もいっしょに行ってみたまえと山嵐は大いに乗り気で
、おれに同行を勧める。おれは踴なら東京でたくさん見ている。毎年八幡様はちまんさまのお祭りには屋
台が町内へ廻ってくるんだから汐酌しおくみでも何でもちゃんと心得ている。土佐っぽの馬鹿踴なんか、
見たくもないと思ったけれども、せっかく山嵐が勧めるもんだから、つい行く気になって門へ出た。山嵐
を誘いに来たものは誰かと思ったら赤シャツの弟だ。妙みょうな奴やつが来たもんだ。
 会場へはいると、回向院えこういんの相撲すもうか本門寺ほんもんじの御会式おえしきのように幾旒い
くながれとなく長い旗を所々に植え付けた上に、世界万国の国旗をことごとく借りて来たくらい、縄なわ
から縄、綱つなから綱へ渡わたしかけて、大きな空が、いつになく賑にぎやかに見える。東の隅すみに一
夜作りの舞台ぶたいを設けて、ここでいわゆる高知の何とか踴りをやるんだそうだ。舞台を右へ半町ばか
りくると葭簀よしずの囲いをして、活花いけばなが陳列ちんれつしてある。みんなが感心して眺めている
が、一向くだらないものだ。あんなに草や竹を曲げて嬉うれしがるなら、背虫の色男や、跛びっこの亭主

344 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:40:20.73 ID:twPsrBe10.net
ていしゅを持って自慢じまんするがよかろう。
 舞台とは反対の方面で、しきりに花火を揚げる。花火の中から風船が出た。帝国万歳ていこくばんざい
とかいてある。天主の松の上をふわふわ飛んで営所のなかへ落ちた。次はぽんと音がして、黒い団子が、
しょっと秋の空を射抜いぬくように揚あがると、それがおれの頭の上で、ぽかりと割れて、青い烟けむり
が傘かさの骨のように開いて、だらだらと空中に流れ込んだ。風船がまた上がった。今度は陸海軍万歳と
赤地に白く染め抜いた奴が風に揺られて、温泉ゆの町から、相生村あいおいむらの方へ飛んでいった。大
方観音様の境内けいだいへでも落ちたろう。
 式の時はさほどでもなかったが、今度は大変な人出だ。田舎にもこんなに人間が住んでるかと驚おどろ
いたぐらいうじゃうじゃしている。利口りこうな顔はあまり見当らないが、数から云うとたしかに馬鹿に
出来ない。そのうち評判の高知の何とか踴が始まった。踴というから藤間か何ぞのやる踴りかと早合点し
ていたが、これは大間違いであった。
 いかめしい後鉢巻うしろはちまきをして、立たっ付つけ袴ばかまを穿はいた男が十人ばかりずつ、舞台
の上に三列に並ならんで、その三十人がことごとく抜き身を携さげているには魂消たまげた。前列と後列
の間はわずか一尺五寸ぐらいだろう、左右の間隔かんかくはそれより短いとも長くはない。たった一人列
を離はなれて舞台の端はしに立ってるのがあるばかりだ。この仲間外はずれの男は袴だけはつけているが
、後鉢巻は倹約して、抜身の代りに、胸へ太鼓たいこを懸かけている。太鼓は太神楽だいかぐらの太鼓と
同じ物だ。この男がやがて、いやあ、はああと呑気のんきな声を出して、妙な謡うたをうたいながら、太
鼓をぼこぼん、ぼこぼんと叩たたく。歌の調子は前代未聞の不思議なものだ。三河万歳みかわまんざいと
普陀洛ふだらくやの合併がっぺいしたものと思えば大した間違いにはならない。
 歌はすこぶる悠長ゆうちょうなもので、夏分の水飴みずあめのように、だらしがないが、句切りをとる
ためにぼこぼんを入れるから、のべつのようでも拍子ひょうしは取れる。この拍子に応じて三十人の抜き
身がぴかぴかと光るのだが、これはまたすこぶる迅速じんそくなお手際で、拝見していても冷々ひやひや
する。隣となりも後ろも一尺五寸以内に生きた人間が居て、その人間がまた切れる抜き身を自分と同じよ
うに振ふり舞まわすのだから、よほど調子が揃そろわなければ、同志撃どうしうちを始めて怪我けがをす
る事になる。それも動かないで刀だけ前後とか上下とかに振るのなら、まだ危険あぶなくもないが、三十
人が一度に足踏あしぶみをして横を向く時がある。ぐるりと廻る事がある。膝を曲げる事がある。隣りの
ものが一秒でも早過ぎるか、遅おそ過ぎれば、自分の鼻は落ちるかも知れない。隣りの頭はそがれるかも
知れない。抜き身の動くのは自由自在だが、その動く範囲はんいは一尺五寸角の柱のうちにかぎられた上
に、前後左右のものと同方向に同速度にひらめかなければならない。こいつは驚いた、なかなかもって汐
酌しおくみや関せきの戸との及およぶところでない。聞いてみると、これははなはだ熟練の入るもので容
易な事では、こういう風に調子が合わないそうだ。ことにむずかしいのは、かの万歳節のぼこぼん先生だ
そうだ。三十人の足の運びも、手の働きも、腰こしの曲げ方も、ことごとくこのぼこぼん君の拍子一つで
極まるのだそうだ。傍はたで見ていると、この大将が一番呑気そうに、いやあ、はああと気楽にうたって
るが、その実ははなはだ責任が重くって非常に骨が折れるとは不思議なものだ。
 おれと山嵐が感心のあまりこの踴を余念なく見物していると、半町ばかり、向うの方で急にわっと云う
鬨の声がして、今まで穏おだやかに諸所を縦覧していた連中が、にわかに波を打って、右左りに揺うごき
始める。喧嘩だ喧嘩だと云う声がすると思うと、人の袖そでを潜くぐり抜ぬけて来た赤シャツの弟が、先
生また喧嘩です、中学の方で、今朝けさの意趣返いしゅがえしをするんで、また師範しはんの奴と決戦を
始めたところです、早く来て下さいと云いながらまた人の波のなかへ潜もぐり込こんでどっかへ行ってし
まった。
 山嵐は世話の焼ける小僧だまた始めたのか、いい加減にすればいいのにと逃げる人を避よけながら一散
に馳かけ出した。見ている訳にも行かないから取り鎮しずめるつもりだろう。おれは無論の事逃げる気は
ない。山嵐の踵かかとを踏んであとからすぐ現場へ馳けつけた。喧嘩は今が真最中まっさいちゅうである

345 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:40:29.75 ID:twPsrBe10.net
。師範の方は五六十人もあろうか、中学はたしかに三割方多い。師範は制服をつけているが、中学は式後
大抵たいていは日本服に着換きがえているから、敵味方はすぐわかる。しかし入り乱れて組んづ、解ほご
れつ戦ってるから、どこから、どう手を付けて引き分けていいか分らない。山嵐は困ったなと云う風で、
しばらくこの乱雑な有様を眺めていたが、こうなっちゃ仕方がない。巡査じゅんさがくると面倒だ。飛び
込んで分けようと、おれの方を見て云うから、おれは返事もしないで、いきなり、一番喧嘩の烈はげしそ
うな所へ躍おどり込こんだ。止よせ止せ。そんな乱暴をすると学校の体面に関わる。よさないかと、出る
だけの声を出して敵と味方の分界線らしい所を突つき貫ぬけようとしたが、なかなかそう旨うまくは行か
ない。一二間はいったら、出る事も引く事も出来なくなった。目の前に比較的ひかくてき大きな師範生が
、十五六の中学生と組み合っている。止せと云ったら、止さないかと師範生の肩かたを持って、無理に引
き分けようとする途端とたんにだれか知らないが、下からおれの足をすくった。おれは不意を打たれて握
にぎった、肩を放して、横に倒たおれた。堅かたい靴くつでおれの背中の上へ乗った奴がある。両手と膝
を突いて下から、跳はね起きたら、乗った奴は右の方へころがり落ちた。起き上がって見ると、三間ばか
り向うに山嵐の大きな身体が生徒の間に挟はさまりながら、止せ止せ、喧嘩は止せ止せと揉み返されてる
のが見えた。おい到底駄目だと云ってみたが聞えないのか返事もしない。
 ひゅうと風を切って飛んで来た石が、いきなりおれの頬骨ほおぼねへ中あたったなと思ったら、後ろか
らも、背中を棒ぼうでどやした奴がある。教師の癖くせに出ている、打ぶて打てと云う声がする。教師は
二人だ。大きい奴と、小さい奴だ。石を抛なげろ。と云う声もする。おれは、なに生意気な事をぬかすな
、田舎者の癖にと、いきなり、傍そばに居た師範生の頭を張りつけてやった。石がまたひゅうと来る。今
度はおれの五分ぶ刈がりの頭を掠かすめて後ろの方へ飛んで行った。山嵐はどうなったか見えない。こう
なっちゃ仕方がない。始めは喧嘩をとめにはいったんだが、どやされたり、石をなげられたりして、恐お
それ入って引き下がるうんでれがんがあるものか。おれを誰だと思うんだ。身長なりは小さくっても喧嘩
の本場で修行を積んだ兄さんだと無茶苦茶に張り飛ばしたり、張り飛ばされたりしていると、やがて巡査
だ巡査だ逃げろ逃げろと云う声がした。今まで葛練くずねりの中で泳いでるように身動きも出来なかった
のが、急に楽になったと思ったら、敵も味方も一度に引上げてしまった。田舎者でも退却たいきゃくは巧
妙だ。クロパトキンより旨いくらいである。
 山嵐はどうしたかと見ると、紋付もんつきの一重羽織ひとえばおりをずたずたにして、向うの方で鼻を
拭ふいている。鼻柱をなぐられて大分出血したんだそうだ。鼻がふくれ上がって真赤まっかになってすこ
ぶる見苦しい。おれは飛白かすりの袷あわせを着ていたから泥どろだらけになったけれども、山嵐の羽織
ほどな損害はない。しかし頬ほっぺたがぴりぴりしてたまらない。山嵐は大分血が出ているぜと教えてく
れた。
 巡査は十五六名来たのだが、生徒は反対の方面から退却したので、捕つらまったのは、おれと山嵐だけ
である。おれらは姓名せいめいを告げて、一部始終を話したら、ともかくも警察まで来いと云うから、警
察へ行って、署長の前で事の顛末てんまつを述べて下宿へ帰った。

十一

 あくる日眼めが覚めてみると、身体中からだじゅう痛くてたまらない。久しく喧嘩けんかをしつけなか
ったから、こんなに答えるんだろう。これじゃあんまり自慢じまんもできないと床とこの中で考えている
と、婆ばあさんが四国新聞を持ってきて枕元まくらもとへ置いてくれた。実は新聞を見るのも退儀たいぎ
なんだが、男がこれしきの事に閉口へこたれて仕様があるものかと無理に腹這はらばいになって、寝ねな
がら、二頁を開けてみると驚おどろいた。昨日の喧嘩がちゃんと出ている。喧嘩の出ているのは驚ろかな
いのだが、中学の教師堀田某ほったぼうと、近頃ちかごろ東京から赴任ふにんした生意気なる某とが、順
良なる生徒を使嗾しそうしてこの騒動そうどうを喚起かんきせるのみならず、両人は現場にあって生徒を
指揮したる上、みだりに師範生に向むかって暴行をほしいままにしたりと書いて、次にこんな意見が附記
ふきしてある。本県の中学は昔時せきじより善良温順の気風をもって全国の羨望せんぼうするところなり

346 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:40:38.76 ID:twPsrBe10.net
しが、軽薄けいはくなる二豎子じゅしのために吾校わがこうの特権を毀損きそんせられて、この不面目を
全市に受けたる以上は、吾人ごじんは奮然ふんぜんとして起たってその責任を問わざるを得ず。吾人は信
ず、吾人が手を下す前に、当局者は相当の処分をこの無頼漢ぶらいかんの上に加えて、彼等かれらをして
再び教育界に足を入るる余地なからしむる事を。そうして一字ごとにみんな黒点を加えて、お灸きゅうを
据すえたつもりでいる。おれは床の中で、糞くそでも喰くらえと云いいながら、むっくり飛び起きた。不
思議な事に今まで身体の関節ふしぶしが非常に痛かったのが、飛び起きると同時に忘れたように軽くなっ
た。
 おれは新聞を丸めて庭へ抛なげつけたが、それでもまだ気に入らなかったから、わざわざ後架こうかへ
持って行って棄すてて来た。新聞なんて無暗むやみな嘘うそを吐つくもんだ。世の中に何が一番法螺ほら
を吹ふくと云って、新聞ほどの法螺吹きはあるまい。おれの云ってしかるべき事をみんな向むこうで並な
らべていやがる。それに近頃東京から赴任した生意気な某とは何だ。天下に某と云う名前の人があるか。
考えてみろ。これでもれっきとした姓せいもあり名もあるんだ。系図が見たけりゃ、多田満仲ただのまん
じゅう以来の先祖を一人ひとり残らず拝ましてやらあ。――顔を洗ったら、頬ほっぺたが急に痛くなった
。婆さんに鏡をかせと云ったら、けさの新聞をお見たかなもしと聞く。読んで後架へ棄てて来た。欲しけ
りゃ拾って来いと云ったら、驚おどろいて引き下がった。鏡で顔を見ると昨日きのうと同じように傷がつ
いている。これでも大事な顔だ、顔へ傷まで付けられた上へ生意気なる某などと、某呼ばわりをされれば
たくさんだ。
 今日の新聞に辟易へきえきして学校を休んだなどと云われちゃ一生の名折れだから、飯を食っていの一
号に出頭した。出てくる奴やつも、出てくる奴もおれの顔を見て笑っている。何がおかしいんだ。貴様達
にこしらえてもらった顔じゃあるまいし。そのうち、野だが出て来て、いや昨日はお手柄てがらで、――
名誉めいよのご負傷でげすか、と送別会の時に撲なぐった返報と心得たのか、いやに冷ひやかしたから、
余計な事を言わずに絵筆でも舐なめていろと云ってやった。するとこりゃ恐入おそれいりやした。しかし
さぞお痛い事でげしょうと云うから、痛かろうが、痛くなかろうがおれの面だ。貴様の世話になるもんか
と怒鳴どなりつけてやったら、向むこう側の自席へ着いて、やっぱりおれの顔を見て、隣となりの歴史の
教師と何か内所話をして笑っている。
 それから山嵐が出頭した。山嵐の鼻に至っては、紫色むらさきいろに膨張ぼうちょうして、掘ほったら
中から膿うみが出そうに見える。自惚うぬぼれのせいか、おれの顔よりよっぽど手ひどく遣やられている
。おれと山嵐は机を並べて、隣り同志の近しい仲で、お負けにその机が部屋の戸口から真正面にあるんだ
から運がわるい。妙な顔が二つ塊かたまっている。ほかの奴は退屈たいくつにさえなるときっとこっちば
かり見る。飛んだ事でと口で云うが、心のうちではこの馬鹿ばかがと思ってるに相違そういない。それで
なければああいう風に私語合ささやきあってはくすくす笑う訳がない。教場へ出ると生徒は拍手をもって
迎むかえた。先生万歳ばんざいと云うものが二三人あった。景気がいいんだか、馬鹿にされてるんだか分
からない。おれと山嵐がこんなに注意の焼点しょうてんとなってるなかに、赤シャツばかりは平常の通り
傍そばへ来て、どうも飛んだ災難でした。僕は君等に対してお気の毒でなりません。新聞の記事は校長と
も相談して、正誤を申し込こむ手続きにしておいたから、心配しなくてもいい。僕の弟が堀田君を誘さそ
いに行ったから、こんな事が起おこったので、僕は実に申し訳がない。それでこの件についてはあくまで
尽力じんりょくするつもりだから、どうかあしからず、などと半分謝罪的な言葉を並べている。校長は三
時間目に校長室から出てきて、困った事を新聞がかき出しましたね。むずかしくならなければいいがと多
少心配そうに見えた。おれには心配なんかない、先で免職めんしょくをするなら、免職される前に辞表を
出してしまうだけだ。しかし自分がわるくないのにこっちから身を引くのは法螺吹きの新聞屋をますます
増長させる訳だから、新聞屋を正誤させて、おれが意地にも務めるのが順当だと考えた。帰りがけに新聞
屋に談判に行こうと思ったが、学校から取消とりけしの手続きはしたと云うから、やめた。
 おれと山嵐は校長と教頭に時間の合間を見計みはからって、嘘のないところを一応説明した。校長と教

347 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:40:48.16 ID:twPsrBe10.net
頭はそうだろう、新聞屋が学校に恨うらみを抱いだいて、あんな記事をことさらに掲かかげたんだろうと
論断した。赤シャツはおれ等の行為こういを弁解しながら控所ひかえじょを一人ごとに廻まわってあるい
ていた。ことに自分の弟が山嵐を誘い出したのを自分の過失であるかのごとく吹聴ふいちょうしていた。
みんなは全く新聞屋がわるい、怪けしからん、両君は実に災難だと云った。
 帰りがけに山嵐は、君赤シャツは臭くさいぜ、用心しないとやられるぜと注意した。どうせ臭いんだ、
今日から臭くなったんじゃなかろうと云うと、君まだ気が付かないか、きのうわざわざ、僕等を誘い出し
て喧嘩のなかへ、捲まき込こんだのは策だぜと教えてくれた。なるほどそこまでは気がつかなかった。山
嵐は粗暴そぼうなようだが、おれより智慧ちえのある男だと感心した。
「ああやって喧嘩をさせておいて、すぐあとから新聞屋へ手を廻してあんな記事をかかせたんだ。実に奸
物かんぶつだ」
「新聞までも赤シャツか。そいつは驚いた。しかし新聞が赤シャツの云う事をそう容易たやすく聴きくか
ね」
「聴かなくって。新聞屋に友達が居りゃ訳はないさ」
「友達が居るのかい」
「居なくても訳ないさ。嘘をついて、事実これこれだと話しゃ、すぐ書くさ」
「ひどいもんだな。本当に赤シャツの策なら、僕等はこの事件で免職になるかも知れないね」
「わるくすると、遣やられるかも知れない」
「そんなら、おれは明日あした辞表を出してすぐ東京へ帰っちまわあ。こんな下等な所に頼たのんだって
居るのはいやだ」
「君が辞表を出したって、赤シャツは困らない」
「それもそうだな。どうしたら困るだろう」
「あんな奸物の遣る事は、何でも証拠しょうこの挙がらないように、挙がらないようにと工夫するんだか
ら、反駁はんばくするのはむずかしいね」
「厄介やっかいだな。それじゃ濡衣ぬれぎぬを着るんだね。面白おもしろくもない。天道是耶非てんどう
ぜかひかだ」
「まあ、もう二三日様子を見ようじゃないか。それでいよいよとなったら、温泉ゆの町で取って抑おさえ
るより仕方がないだろう」
「喧嘩事件は、喧嘩事件としてか」
「そうさ。こっちはこっちで向うの急所を抑えるのさ」
「それもよかろう。おれは策略は下手へたなんだから、万事よろしく頼む。いざとなれば何でもする」
 俺と山嵐はこれで分わかれた。赤シャツが果はたたして山嵐の推察通りをやったのなら、実にひどい奴
だ。到底とうてい智慧比べで勝てる奴ではない。どうしても腕力わんりょくでなくっちゃ駄目だめだ。な
るほど世界に戦争は絶えない訳だ。個人でも、とどの詰つまりは腕力だ。
 あくる日、新聞のくるのを待ちかねて、披ひらいてみると、正誤どころか取り消しも見えない。学校へ
行って狸たぬきに催促さいそくすると、あしたぐらい出すでしょうと云う。明日になって六号活字で小さ
く取消が出た。しかし新聞屋の方で正誤は無論しておらない。また校長に談判すると、あれより手続きの
しようはないのだと云う答だ。校長なんて狸のような顔をして、いやにフロック張っているが存外無勢力
なものだ。虚偽きょぎの記事を掲げた田舎新聞一つ詫あやまらせる事が出来ない。あんまり腹が立ったか
ら、それじゃ私が一人で行って主筆に談判すると云ったら、それはいかん、君が談判すればまた悪口を書
かれるばかりだ。つまり新聞屋にかかれた事は、うそにせよ、本当にせよ、つまりどうする事も出来ない
ものだ。あきらめるより外に仕方がないと、坊主の説教じみた説諭せつゆを加えた。新聞がそんな者なら
、一日も早く打ぶっ潰つぶしてしまった方が、われわれの利益だろう。新聞にかかれるのと、泥鼈すっぽ
んに食いつかれるとが似たり寄ったりだとは今日こんにちただ今狸の説明によって始めて承知仕つかまつ
った。
 それから三日ばかりして、ある日の午後、山嵐が憤然ふんぜんとやって来て、いよいよ時機が来た、お
れは例の計画を断行するつもりだと云うから、そうかそれじゃおれもやろうと、即座そくざに一味徒党に
加盟した。ところが山嵐が、君はよす方がよかろうと首を傾かたむけた。なぜと聞くと君は校長に呼ばれ
て辞表を出せと云われたかと尋たずねるから、いや云われない。君は? と聴き返すと、今日校長室で、
まことに気の毒だけれども、事情やむをえんから処決しょけつしてくれと云われたとの事だ。
「そんな裁判はないぜ。狸は大方腹鼓はらつづみを叩たたき過ぎて、胃の位置が顛倒てんどうしたんだ。
君とおれは、いっしょに、祝勝会へ出てさ、いっしょに高知のぴかぴか踴おどりを見てさ、いっしょに喧

348 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:40:56.82 ID:twPsrBe10.net
嘩をとめにはいったんじゃないか。辞表を出せというなら公平に両方へ出せと云うがいい。なんで田舎い
なかの学校はそう理窟りくつが分らないんだろう。焦慮じれったいな」
「それが赤シャツの指金さしがねだよ。おれと赤シャツとは今までの行懸ゆきがかり上到底とうてい両立
しない人間だが、君の方は今の通り置いても害にならないと思ってるんだ」
「おれだって赤シャツと両立するものか。害にならないと思うなんて生意気だ」
「君はあまり単純過ぎるから、置いたって、どうでも胡魔化ごまかされると考えてるのさ」
「なお悪いや。誰だれが両立してやるものか」
「それに先だって古賀が去ってから、まだ後任が事故のために到着とうちゃくしないだろう。その上に君
と僕を同時に追い出しちゃ、生徒の時間に明きが出来て、授業にさし支つかえるからな」
「それじゃおれを間あいのくさびに一席伺うかがわせる気なんだな。こん畜生ちくしょう、だれがその手
に乗るものか」

 翌日あくるひおれは学校へ出て校長室へ入って談判を始めた。
「何で私に辞表を出せと云わないんですか」
「へえ?」と狸はあっけに取られている。
「堀田には出せ、私には出さないで好いいと云う法がありますか」
「それは学校の方の都合つごうで……」
「その都合が間違まちがってまさあ。私が出さなくって済むなら堀田だって、出す必要はないでしょう」
「その辺は説明が出来かねますが――堀田君は去られてもやむをえんのですが、あなたは辞表をお出しに
なる必要を認めませんから」
 なるほど狸だ、要領を得ない事ばかり並べて、しかも落ち付き払はらってる。おれは仕様がないから
「それじゃ私も辞表を出しましょう。堀田君一人辞職させて、私が安閑あんかんとして、留まっていられ
ると思っていらっしゃるかも知れないが、私にはそんな不人情な事は出来ません」
「それは困る。堀田も去りあなたも去ったら、学校の数学の授業がまるで出来なくなってしまうから……

「出来なくなっても私の知った事じゃありません」
「君そう我儘わがままを云うものじゃない、少しは学校の事情も察してくれなくっちゃ困る。それに、来
てから一月立つか立たないのに辞職したと云うと、君の将来の履歴りれきに関係するから、その辺も少し
は考えたらいいでしょう」
「履歴なんか構うもんですか、履歴より義理が大切です」
「そりゃごもっとも――君の云うところは一々ごもっともだが、わたしの云う方も少しは察して下さい。
君が是非辞職すると云うなら辞職されてもいいから、代りのあるまでどうかやってもらいたい。とにかく
、うちでもう一返考え直してみて下さい」
 考え直すって、直しようのない明々白々たる理由だが、狸が蒼あおくなったり、赤くなったりして、可
愛想かわいそうになったからひとまず考え直す事として引き下がった。赤シャツには口もきかなかった。
どうせ遣っつけるなら塊かためて、うんと遣っつける方がいい。
 山嵐に狸と談判した模様を話したら、大方そんな事だろうと思った。辞表の事はいざとなるまでそのま
まにしておいても差支さしつかえあるまいとの話だったから、山嵐の云う通りにした。どうも山嵐の方が
おれよりも利巧りこうらしいから万事山嵐の忠告に従う事にした。
 山嵐はいよいよ辞表を出して、職員一同に告別の挨拶あいさつをして浜はまの港屋まで下さがったが、
人に知れないように引き返して、温泉ゆの町の枡屋ますやの表二階へ潜ひそんで、障子しょうじへ穴をあ
けて覗のぞき出した。これを知ってるものはおればかりだろう。赤シャツが忍しのんで来ればどうせ夜だ
。しかも宵よいの口は生徒やその他の目があるから、少なくとも九時過ぎに極きまってる。最初の二晩は
おれも十一時頃ごろまで張番はりばんをしたが、赤シャツの影かげも見えない。三日目には九時から十時
半まで覗いたがやはり駄目だ。駄目を踏ふんで夜なかに下宿へ帰るほど馬鹿気た事はない。四五日しごん
ちすると、うちの婆さんが少々心配を始めて、奥おくさんのおありるのに、夜遊びはおやめたがええぞな
もしと忠告した。そんな夜遊びとは夜遊びが違う。こっちのは天に代って誅戮ちゅうりくを加える夜遊び
だ。とはいうものの一週間も通って、少しも験げんが見えないと、いやになるもんだ。おれは性急せっか
ちな性分だから、熱心になると徹夜てつやでもして仕事をするが、その代り何によらず長持ちのした試し
がない。いかに天誅党でも飽あきる事に変りはない。六日目には少々いやになって、七日目にはもう休も
うかと思った。そこへ行くと山嵐は頑固がんこなものだ。宵よいから十二時過すぎまでは眼を障子へつけ

349 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:41:05.81 ID:twPsrBe10.net
て、角屋の丸ぼやの瓦斯燈がすとうの下を睨にらめっきりである。おれが行くと今日は何人客があって、
泊とまりが何人、女が何人といろいろな統計を示すのには驚ろいた。どうも来ないようじゃないかと云う
と、うん、たしかに来るはずだがと時々腕組うでぐみをして溜息ためいきをつく。可愛想に、もし赤シャ
ツがここへ一度来てくれなければ、山嵐は、生涯しょうがい天誅を加える事は出来ないのである。
 八日目には七時頃から下宿を出て、まずゆるりと湯に入って、それから町で鶏卵けいらんを八つ買った
。これは下宿の婆さんの芋責いもぜめに応ずる策である。その玉子を四つずつ左右の袂たもとへ入れて、
例の赤手拭あかてぬぐいを肩かたへ乗せて、懐手ふところでをしながら、枡屋ますやの楷子段はしごだん
を登って山嵐の座敷ざしきの障子をあけると、おい有望有望と韋駄天いだてんのような顔は急に活気を呈
ていした。昨夜ゆうべまでは少し塞ふさぎの気味で、はたで見ているおれさえ、陰気臭いんきくさいと思
ったくらいだが、この顔色を見たら、おれも急にうれしくなって、何も聞かない先から、愉快ゆかい愉快
と云った。
「今夜七時半頃あの小鈴こすずと云う芸者が角屋へはいった」
「赤シャツといっしょか」
「いいや」
「それじゃ駄目だ」
「芸者は二人づれだが、――どうも有望らしい」
「どうして」
「どうしてって、ああ云う狡ずるい奴だから、芸者を先へよこして、後から忍んでくるかも知れない」
「そうかも知れない。もう九時だろう」
「今九時十二分ばかりだ」と帯の間からニッケル製の時計を出して見ながら云ったが「おい洋燈らんぷを
消せ、障子へ二つ坊主頭が写ってはおかしい。狐きつねはすぐ疑ぐるから」
 おれは一貫張いっかんばりの机の上にあった置き洋燈らんぷをふっと吹きけした。星明りで障子だけは
少々あかるい。月はまだ出ていない。おれと山嵐は一生懸命いっしょうけんめいに障子へ面かおをつけて
、息を凝こらしている。チーンと九時半の柱時計が鳴った。
「おい来るだろうかな。今夜来なければ僕はもう厭いやだぜ」
「おれは銭のつづく限りやるんだ」
「銭っていくらあるんだい」
「今日までで八日分五円六十銭払った。いつ飛び出しても都合つごうのいいように毎晩勘定かんじょうす
るんだ」
「それは手廻しがいい。宿屋で驚いてるだろう」
「宿屋はいいが、気が放せないから困る」
「その代り昼寝ひるねをするだろう」
「昼寝はするが、外出が出来ないんで窮屈きゅうくつでたまらない」
「天誅も骨が折れるな。これで天網恢々てんもうかいかい疎そにして洩もらしちまったり、何かしちゃ、
つまらないぜ」
「なに今夜はきっとくるよ。――おい見ろ見ろ」と小声になったから、おれは思わずどきりとした。黒い
帽子ぼうしを戴いただいた男が、角屋の瓦斯燈を下から見上げたまま暗い方へ通り過ぎた。違っている。
おやおやと思った。そのうち帳場の時計が遠慮えんりょなく十時を打った。今夜もとうとう駄目らしい。
 世間は大分静かになった。遊廓ゆうかくで鳴らす太鼓たいこが手に取るように聞きこえる。月が温泉ゆ
の山の後うしろからのっと顔を出した。往来はあかるい。すると、下しもの方から人声が聞えだした。窓
から首を出す訳には行かないから、姿を突つき留める事は出来ないが、だんだん近づいて来る模様だ。か
らんからんと駒下駄こまげたを引き擦ずる音がする。眼を斜ななめにするとやっと二人の影法師かげぼう
しが見えるくらいに近づいた。
「もう大丈夫だいじょうぶですね。邪魔じゃまものは追っ払ったから」正まさしく野だの声である。「強
がるばかりで策がないから、仕様がない」これは赤シャツだ。「あの男もべらんめえに似ていますね。あ
のべらんめえと来たら、勇み肌はだの坊ぼっちゃんだから愛嬌あいきょうがありますよ」「増給がいやだ
の辞表を出したいのって、ありゃどうしても神経に異状があるに相違ない」おれは窓をあけて、二階から
飛び下りて、思う様打ぶちのめしてやろうと思ったが、やっとの事で辛防しんぼうした。二人はハハハハ
と笑いながら、瓦斯燈の下を潜くぐって、角屋の中へはいった。
「おい」
「おい」

350 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:41:14.75 ID:twPsrBe10.net
「来たぜ」
「とうとう来た」
「これでようやく安心した」
「野だの畜生、おれの事を勇み肌の坊っちゃんだと抜ぬかしやがった」
「邪魔物と云うのは、おれの事だぜ。失敬千万な」
 おれと山嵐は二人の帰路を要撃ようげきしなければならない。しかし二人はいつ出てくるか見当がつか
ない。山嵐は下へ行って今夜ことによると夜中に用事があって出るかも知れないから、出られるようにし
ておいてくれと頼たのんで来た。今思うと、よく宿のものが承知したものだ。大抵たいていなら泥棒どろ
ぼうと間違えられるところだ。
 赤シャツの来るのを待ち受けたのはつらかったが、出て来るのをじっとして待ってるのはなおつらい。
寝る訳には行かないし、始終障子の隙すきから睨めているのもつらいし、どうも、こうも心が落ちつかな
くって、これほど難儀なんぎな思いをした事はいまだにない。いっその事角屋へ踏み込んで現場を取って
抑おさえようと発議ほつぎしたが、山嵐は一言にして、おれの申し出を斥しりぞけた。自分共が今時分飛
び込んだって、乱暴者だと云って途中とちゅうで遮さえぎられる。訳を話して面会を求めれば居ないと逃
にげるか別室へ案内をする。不用意のところへ踏み込めると仮定したところで何十とある座敷のどこに居
るか分るものではない、退屈でも出るのを待つより外に策はないと云うから、ようやくの事でとうとう朝
の五時まで我慢がまんした。
 角屋から出る二人の影を見るや否や、おれと山嵐はすぐあとを尾つけた。一番汽車はまだないから、二
人とも城下まであるかなければならない。温泉ゆの町をはずれると一丁ばかりの杉並木すぎなみきがあっ
て左右は田圃たんぼになる。それを通りこすとここかしこに藁葺わらぶきがあって、畠はたけの中を一筋
に城下まで通る土手へ出る。町さえはずれれば、どこで追いついても構わないが、なるべくなら、人家の
ない、杉並木で捕つらまえてやろうと、見えがくれについて来た。町を外はずれると急に馳かけ足あしの
姿勢で、はやてのように後ろから、追いついた。何が来たかと驚ろいて振ふり向く奴を待てと云って肩に
手をかけた。野だは狼狽ろうばいの気味で逃げ出そうという景色けしきだったから、おれが前へ廻って行
手を塞ふさいでしまった。
「教頭の職を持ってるものが何で角屋へ行って泊とまった」と山嵐はすぐ詰なじりかけた。
「教頭は角屋へ泊って悪わるいという規則がありますか」と赤シャツは依然いぜんとして鄭寧ていねいな
言葉を使ってる。顔の色は少々蒼い。
「取締上とりしまりじょう不都合だから、蕎麦屋そばやや団子屋だんごやへさえはいってはいかんと、云
うくらい謹直きんちょくな人が、なぜ芸者といっしょに宿屋へとまり込んだ」野だは隙を見ては逃げ出そ
うとするからおれはすぐ前に立ち塞がって「べらんめえの坊っちゃんた何だ」と怒鳴り付けたら、「いえ
君の事を云ったんじゃないんです、全くないんです」と鉄面皮に言訳がましい事をぬかした。おれはこの
時気がついてみたら、両手で自分の袂を握にぎってる。追っかける時に袂の中の卵がぶらぶらして困るか
ら、両手で握りながら来たのである。おれはいきなり袂へ手を入れて、玉子を二つ取り出して、やっと云
いながら、野だの面へ擲たたきつけた。玉子がぐちゃりと割れて鼻の先から黄味がだらだら流れだした。
野だはよっぽど仰天ぎょうてんした者と見えて、わっと言いながら、尻持しりもちをついて、助けてくれ
と云った。おれは食うために玉子は買ったが、打ぶつけるために袂へ入れてる訳ではない。ただ肝癪かん
しゃくのあまりに、ついぶつけるともなしに打つけてしまったのだ。しかし野だが尻持を突いたところを
見て始めて、おれの成功した事に気がついたから、こん畜生ちくしょう、こん畜生と云いながら残る六つ
を無茶苦茶に擲たたきつけたら、野だは顔中黄色になった。
 おれが玉子をたたきつけているうち、山嵐と赤シャツはまだ談判最中である。
「芸者をつれて僕が宿屋へ泊ったと云う証拠しょうこがありますか」
「宵に貴様のなじみの芸者が角屋へはいったのを見て云う事だ。胡魔化せるものか」
「胡魔化す必要はない。僕は吉川君と二人で泊ったのである。芸者が宵にはいろうが、はいるまいが、僕
の知った事ではない」
「だまれ」と山嵐は拳骨げんこつを食わした。赤シャツはよろよろしたが「これは乱暴だ、狼藉ろうぜき
である。理非を弁じないで腕力に訴えるのは無法だ」
「無法でたくさんだ」とまたぽかりと撲なぐる。「貴様のような奸物はなぐらなくっちゃ、答えないんだ
」とぽかぽかなぐる。おれも同時に野だを散々に擲き据えた。しまいには二人とも杉の根方にうずくまっ

351 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:41:59.77 ID:twPsrBe10.net
とに瓦斯竈ガスがまを使えと書いて、瓦斯竈から火の出ている画えまで添えてあった。三番目には露国文
豪トルストイ伯傑作「千古の雪」と云うのと、バンカラ喜劇小辰こたつ大一座と云うのが、赤地に白で染
め抜いてあった。
 宗助は約十分もかかって、すべての広告を丁寧ていねいに三返ほど読み直した。別に行って見ようと思
うものも、買って見たいと思うものも無かったが、ただこれらの広告が判然はっきりと自分の頭に映って
、そうしてそれを一々読み終おおせた時間のあった事と、それをことごとく理解し得たと云う心の余裕よ
ゆうが、宗助には少なからぬ満足を与えた。彼の生活はこれほどの余裕にすら誇りを感ずるほどに、日曜
以外の出入ではいりには、落ちついていられないものであった。
 宗助は駿河台下するがだいしたで電車を降りた。降りるとすぐ右側の窓硝子まどガラスの中に美しく並
べてある洋書に眼がついた。宗助はしばらくその前に立って、赤や青や縞しまや模様の上に、鮮あざやか
に叩たたき込んである金文字を眺めた。表題の意味は無論解るが、手に取って、中を検しらべて見ようと
いう好奇心はちっとも起らなかった。本屋の前を通ると、きっと中へ這入はいって見たくなったり、中へ
這入ると必ず何か欲しくなったりするのは、宗助から云うと、すでに一昔ひとむかし前の生活である。た
だ Historyヒストリ ofオフ Gamblingガムブリング(博奕史ばくえきし)と云うの
が、ことさらに美装して、一番真中に飾られてあったので、それが幾分か彼の頭に突飛とっぴな新し味を
加えただけであった。
 宗助は微笑しながら、急忙せわしい通りを向側むこうがわへ渡って、今度は時計屋の店を覗のぞき込ん
だ。金時計だの金鎖が幾つも並べてあるが、これもただ美しい色や恰好かっこうとして、彼の眸ひとみに
映るだけで、買いたい了簡りょうけんを誘致するには至らなかった。その癖彼は一々絹糸で釣るした価格
札ねだんふだを読んで、品物と見較みくらべて見た。そうして実際金時計の安価なのに驚ろいた。
 蝙蝠傘屋こうもりがさやの前にもちょっと立ちどまった。西洋小間物こまものを売る店先では、礼帽シ
ルクハットの傍わきにかけてあった襟飾えりかざりに眼がついた。自分の毎日かけているのよりも大変柄
がらが好かったので、価ねを聞いてみようかと思って、半分店の中へ這入はいりかけたが、明日あしたか
ら襟飾りなどをかけ替えたところが下らない事だと思い直すと、急に蟇口がまぐちの口を開けるのが厭い
やになって行き過ぎた。呉服店でもだいぶ立見をした。鶉御召うずらおめしだの、高貴織こうきおりだの
、清凌織せいりょうおりだの、自分の今日こんにちまで知らずに過ぎた名をたくさん覚えた。京都の襟新
えりしんと云う家うちの出店の前で、窓硝子まどガラスへ帽子の鍔つばを突きつけるように近く寄せて、
精巧に刺繍ぬいをした女の半襟はんえりを、いつまでも眺ながめていた。その中うちにちょうど細君に似
合いそうな上品なのがあった。買って行ってやろうかという気がちょっと起るや否いなや、そりゃ五六年
前ぜんの事だと云う考が後あとから出て来て、せっかく心持の好い思いつきをすぐ揉もみ消してしまった
。宗助は苦笑しながら窓硝子を離れてまた歩き出したが、それから半町ほどの間は何だかつまらないよう
な気分がして、往来にも店先にも格段の注意を払わなかった。
 ふと気がついて見ると角に大きな雑誌屋があって、その軒先には新刊の書物が大きな字で広告してある
。梯子はしごのような細長い枠わくへ紙を張ったり、ペンキ塗の一枚板へ模様画みたような色彩を施こし
たりしてある。宗助はそれを一々読んだ。著者の名前も作物さくぶつの名前も、一度は新聞の広告で見た
ようでもあり、また全く新奇のようでもあった。
 この店の曲り角の影になった所で、黒い山高帽を被かぶった三十ぐらいの男が地面の上へ気楽そうに胡
坐あぐらをかいて、ええ御子供衆の御慰おなぐさみと云いながら、大きな護謨風船ゴムふうせんを膨ふく
らましている。それが膨れると自然と達磨だるまの恰好かっこうになって、好加減いいかげんな所に眼口
まで墨で書いてあるのに宗助は感心した。その上一度息を入れると、いつまでも膨れている。かつ指の先
へでも、手の平の上へでも自由に尻が据すわる。それが尻の穴へ楊枝ようじのような細いものを突っ込む
としゅうっと一度に収縮してしまう。
 忙がしい往来の人は何人でも通るが、誰も立ちどまって見るほどのものはない。山高帽の男は賑にぎや
かな町の隅に、冷やかに胡坐あぐらをかいて、身の周囲まわりに何事が起りつつあるかを感ぜざるものの

352 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:42:26.76 ID:twPsrBe10.net
長閑のどかな話をつづけた。しまいに小六が気を換えて、
「時に伊藤さんもとんだ事になりましたね」と云い出した。宗助は五六日前伊藤公暗殺の号外を見たとき
、御米の働いている台所へ出て来て、「おい大変だ、伊藤さんが殺された」と云って、手に持った号外を
御米のエプロンの上に乗せたなり書斎へ這入はいったが、その語気からいうと、むしろ落ちついたもので
あった。
「あなた大変だって云う癖に、ちっとも大変らしい声じゃなくってよ」と御米が後あとから冗談じょうだ
ん半分にわざわざ注意したくらいである。その後日ごとの新聞に伊藤公の事が五六段ずつ出ない事はない
が、宗助はそれに目を通しているんだか、いないんだか分らないほど、暗殺事件については平気に見えた
。夜帰って来て、御米が飯の御給仕をするときなどに、「今日も伊藤さんの事が何か出ていて」と聞く事
があるが、その時には「うんだいぶ出ている」と答えるぐらいだから、夫の隠袋かくしの中に畳んである
今朝の読殻よみがらを、後あとから出して読んで見ないと、その日の記事は分らなかった。御米もつまり
は夫が帰宅後の会話の材料として、伊藤公を引合に出すぐらいのところだから、宗助が進まない方向へは
、たって話を引張りたくはなかった。それでこの二人の間には、号外発行の当日以後、今夜小六がそれを
云い出したまでは、公おおやけには天下を動かしつつある問題も、格別の興味をもって迎えられていなか
ったのである。
「どうして、まあ殺されたんでしょう」と御米は号外を見たとき、宗助に聞いたと同じ事をまた小六に向
って聞いた。
「短銃ピストルをポンポン連発したのが命中めいちゅうしたんです」と小六は正直に答えた。
「だけどさ。どうして、まあ殺されたんでしょう」
 小六は要領を得ないような顔をしている。宗助は落ちついた調子で、
「やっぱり運命だなあ」と云って、茶碗の茶を旨うまそうに飲んだ。御米はこれでも納得なっとくができ
なかったと見えて、
「どうしてまた満洲まんしゅうなどへ行ったんでしょう」と聞いた。
「本当にな」と宗助は腹が張って充分物足りた様子であった。
「何でも露西亜ロシアに秘密な用があったんだそうです」と小六が真面目まじめな顔をして云った。御米
は、
「そう。でも厭いやねえ。殺されちゃ」と云った。
「おれみたような腰弁こしべんは、殺されちゃ厭だが、伊藤さんみたような人は、哈爾賓ハルピンへ行っ
て殺される方がいいんだよ」と宗助が始めて調子づいた口を利きいた。
「あら、なぜ」
「なぜって伊藤さんは殺されたから、歴史的に偉い人になれるのさ。ただ死んで御覧、こうはいかないよ

「なるほどそんなものかも知れないな」と小六は少し感服したようだったが、やがて、
「とにかく満洲だの、哈爾賓だのって物騒な所ですね。僕は何だか危険なような心持がしてならない」と
云った。
「そりゃ、色んな人が落ち合ってるからね」
 この時御米は妙な顔をして、こう答えた夫の顔を見た。宗助もそれに気がついたらしく、
「さあ、もう御膳おぜんを下げたら好かろう」と細君を促うながして、先刻さっきの達磨だるまをまた畳
の上から取って、人指指ひとさしゆびの先へ載のせながら、
「どうも妙だよ。よくこう調子好くできるものだと思ってね」と云っていた。
 台所から清きよが出て来て、食い散らした皿小鉢さらこばちを食卓ごと引いて行った後で、御米も茶を
入れ替えるために、次の間へ立ったから、兄弟は差向いになった。
「ああ奇麗きれいになった。どうも食った後は汚ないものでね」と宗助は全く食卓に未練のない顔をした
。勝手の方で清がしきりに笑っている。
「何がそんなにおかしいの、清」と御米が障子越しょうじごしに話しかける声が聞えた。清はへえと云っ
てなお笑い出した。兄弟は何にも云わず、半なかば下女の笑い声に耳を傾けていた。
 しばらくして、御米が菓子皿と茶盆を両手に持って、また出て来た。藤蔓ふじづるの着いた大きな急須
きゅうすから、胃にも頭にも応こたえない番茶を、湯呑ゆのみほどな大きな茶碗ちゃわんに注ついで、両
人ふたりの前へ置いた。
「何だって、あんなに笑うんだい」と夫が聞いた。けれども御米の顔は見ずにかえって菓子皿の中を覗の
ぞいていた。

353 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:42:35.73 ID:twPsrBe10.net
「あなたがあんな玩具おもちゃを買って来て、面白そうに指の先へ乗せていらっしゃるからよ。子供もな
い癖に」
 宗助は意にも留めないように、軽く「そうか」と云ったが、後あとから緩ゆっくり、
「これでも元は子供があったんだがね」と、さも自分で自分の言葉を味わっている風につけ足して、生温
なまぬるい眼を挙げて細君を見た。御米はぴたりと黙ってしまった。
「あなた御菓子食べなくって」と、しばらくしてから小六の方へ向いて話し掛けたが、
「ええ食べます」と云う小六の返事を聞き流して、ついと茶の間へ立って行った。兄弟はまた差向いにな
った。
 電車の終点から歩くと二十分近くもかかる山の手の奥だけあって、まだ宵よいの口くちだけれども、四
隣あたりは存外静かである。時々表を通る薄歯の下駄の響が冴さえて、夜寒よさむがしだいに増して来る
。宗助は懐手ふところでをして、
「昼間は暖あったかいが、夜になると急に寒くなるね。寄宿じゃもう蒸汽スチームを通しているかい」と
聞いた。
「いえ、まだです。学校じゃよっぽど寒くならなくっちゃ、蒸汽なんか焚たきゃしません」
「そうかい。それじゃ寒いだろう」
「ええ。しかし寒いくらいどうでも構わないつもりですが」と云ったまま、小六はすこし云い淀よどんで
いたが、しまいにとうとう思い切って、
「兄さん、佐伯さえきの方はいったいどうなるんでしょう。先刻さっき姉さんから聞いたら、今日手紙を
出して下すったそうですが」
「ああ出した。二三日中に何とか云って来るだろう。その上でまたおれが行くともどうともしようよ」
 小六は兄の平気な態度を、心の中うちでは飽足らず眺ながめた。しかし宗助の様子にどこと云って、他
ひとを激させるような鋭するどいところも、自みずからを庇護かばうような卑いやしい点もないので、喰
くってかかる勇気はさらに出なかった。ただ
「じゃ今日きょうまであのままにしてあったんですか」と単に事実を確めた。
「うん、実は済まないがあのままだ。手紙も今日やっとの事で書いたくらいだ。どうも仕方がないよ。近
頃神経衰弱でね」と真面目まじめに云う。小六は苦笑した。
「もし駄目なら、僕は学校をやめて、いっそ今のうち、満洲か朝鮮へでも行こうかと思ってるんです」
「満洲か朝鮮? ひどくまた思い切ったもんだね。だって、御前先刻さっき満洲は物騒で厭いやだって云
ったじゃないか」
 用談はこんなところに往ったり来たりして、ついに要領を得なかった。しまいに宗助が、
「まあ、好いや、そう心配しないでも、どうかなるよ。何しろ返事の来しだい、おれがすぐ知らせてやる
。その上でまた相談するとしよう」と云ったので、談話はなしに区切がついた。
 小六が帰りがけに茶の間を覗のぞいたら、御米は何にもしずに、長火鉢ながひばちに倚よりかかってい
た。
「姉さん、さようなら」と声を掛けたら、「おや御帰り」と云いながらようやく立って来た。



 小六ころくの苦くにしていた佐伯さえきからは、予期の通り二三日して返事があったが、それは極きわ
めて簡単なもので、端書はがきでも用の足りるところを、鄭重ていちょうに封筒へ入れて三銭の切手を貼
はった、叔母の自筆に過ぎなかった。
 役所から帰って、筒袖つつそでの仕事着を、窮屈そうに脱ぬぎ易かえて、火鉢ひばちの前へ坐すわるや
否や、抽出ひきだしから一寸ほどわざと余して差し込んであった状袋に眼が着いたので、御米およねの汲
んで出す番茶を一口呑のんだまま、宗助そうすけはすぐ封を切った。
「へえ、安やすさんは神戸へ行ったんだってね」と手紙を読みながら云った。
「いつ?」と御米は湯呑を夫の前に出した時の姿勢のままで聞いた。
「いつとも書いてないがね。何しろ遠からぬうちには帰京仕るべく候間と書いてあるから、もうじき帰っ
て来るんだろう」
「遠からぬうちなんて、やっぱり叔母さんね」
 宗助は御米の批評に、同意も不同意も表しなかった。読んだ手紙を巻き納めて、投げるようにそこへ放
り出して、四五日目になる、ざらざらした腮あごを、気味わるそうに撫なで廻した。

354 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:42:44.78 ID:twPsrBe10.net
 御米はすぐその手紙を拾ったが、別に読もうともしなかった。それを膝ひざの上へ乗せたまま、夫の顔
を見て、
「遠からぬうちには帰京仕つかまつるべく候間、どうだって云うの」と聞いた。
「いずれ帰ったら、安之助やすのすけと相談して何とか御挨拶ごあいさつを致しますと云うのさ」
「遠からぬうちじゃ曖昧あいまいね。いつ帰るとも書いてなくって」
「いいや」
 御米は念のため、膝の上の手紙を始めて開いて見た。そうしてそれを元のように畳んで、
「ちょっとその状袋を」と手を夫おっとの方へ出した。宗助は自分と火鉢の間に挟まっている青い封筒を
取って細君に渡した。御米はそれをふっと吹いて、中を膨ふくらまして手紙を収めた。そうして台所へ立
った。
 宗助はそれぎり手紙の事には気を留めなかった。今日役所で同僚が、この間英吉利イギリスから来遊し
たキチナー元帥に、新橋の傍そばで逢あったと云う話を思い出して、ああ云う人間になると、世界中どこ
へ行っても、世間を騒がせるようにできているようだが、実際そういう風に生れついて来たものかも知れ
ない。自分の過去から引き摺ずってきた運命や、またその続きとして、これから自分の眼前に展開されべ
き[#「展開されべき」はママ]将来を取って、キチナーと云う人のそれに比べて見ると、とうてい同じ
人間とは思えないぐらい懸かけ隔へだたっている。
 こう考えて宗助はしきりに煙草たばこを吹かした。表は夕方から風が吹き出して、わざと遠くの方から
襲おそって来るような音がする。それが時々やむと、やんだ間は寂しんとして、吹き荒れる時よりはなお
淋さびしい。宗助は腕組をしながら、もうそろそろ火事の半鐘はんしょうが鳴り出す時節だと思った。
 台所へ出て見ると、細君は七輪しちりんの火を赤くして、肴さかなの切身を焼いていた。清きよは流し
元に曲こごんで漬物を洗っていた。二人とも口を利きかずにせっせと自分のやる事をやっている。宗助は
障子しょうじを開けたなり、しばらく肴から垂たる汁つゆか膏あぶらの音を聞いていたが、無言のままま
た障子を閉たてて元の座へ戻った。細君は眼さえ肴から離さなかった。
 食事を済まして、夫婦が火鉢を間あいに向い合った時、御米はまた
「佐伯の方は困るのね」と云い出した。
「まあ仕方がない。安さんが神戸から帰るまで待つよりほかに道はあるまい」
「その前にちょっと叔母さんに逢って話をしておいた方が好かなくって」
「そうさ。まあそのうち何とか云って来るだろう。それまで打遣うっちゃっておこうよ」
「小六さんが怒ってよ。よくって」と御米はわざと念を押しておいて微笑した。宗助は下眼を使って、手
に持った小楊枝こようじを着物の襟えりへ差した。
 中一日なかいちんち置いて、宗助はようやく佐伯からの返事を小六に知らせてやった。その時も手紙の
尻しりに、まあそのうちどうかなるだろうと云う意味を、例のごとく付け加えた。そうして当分はこの事
件について肩が抜けたように感じた。自然の経過なりゆきがまた窮屈に眼の前に押し寄せて来るまでは、
忘れている方が面倒がなくって好いぐらいな顔をして、毎日役所へ出てはまた役所から帰って来た。帰り
も遅いが、帰ってから出かけるなどという億劫おっくうな事は滅多めったになかった。客はほとんど来な
い。用のない時は清を十時前に寝ねかす事さえあった。夫婦は毎夜同じ火鉢の両側に向き合って、食後一
時間ぐらい話をした。話の題目は彼らの生活状態に相応した程度のものであった。けれども米屋の払を、
この三十日みそかにはどうしたものだろうという、苦しい世帯話は、いまだかつて一度も彼らの口には上
らなかった。と云って、小説や文学の批評はもちろんの事、男と女の間を陽炎かげろうのように飛び廻る
、花やかな言葉のやりとりはほとんど聞かれなかった。彼らはそれほどの年輩でもないのに、もうそこを
通り抜けて、日ごとに地味になって行く人のようにも見えた。または最初から、色彩の薄い極きわめて通
俗の人間が、習慣的に夫婦の関係を結ぶために寄り合ったようにも見えた。
 上部うわべから見ると、夫婦ともそう物に屈托くったくする気色けしきはなかった。それは彼らが小六
の事に関して取った態度について見てもほぼ想像がつく。さすが女だけに御米は一二度、
「安さんは、まだ帰らないんでしょうかね。あなた今度こんだの日曜ぐらいに番町まで行って御覧なさら
なくって」と注意した事があるが、宗助は、
「うん、行っても好い」ぐらいな返事をするだけで、その行っても好い日曜が来ると、まるで忘れたよう
に済ましている。御米もそれを見て、責める様子もない。天気が好いと、

355 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:42:53.83 ID:twPsrBe10.net
「ちと散歩でもしていらっしゃい」と云う。雨が降ったり、風が吹いたりすると、
「今日は日曜で仕合せね」と云う。
 幸にして小六はその後ご一度もやって来ない。この青年は、至って凝こり性しょうの神経質で、こうと
思うとどこまでも進んで来るところが、書生時代の宗助によく似ている代りに、ふと気が変ると、昨日き
のうの事はまるで忘れたように引っ繰り返って、けろりとした顔をしている。そこも兄弟だけあって、昔
の宗助にそのままである。それから、頭脳が比較的明暸めいりょうで、理路に感情を注つぎ込むのか、ま
たは感情に理窟りくつの枠わくを張るのか、どっちか分らないが、とにかく物に筋道を付けないと承知し
ないし、また一返いっぺん筋道が付くと、その筋道を生かさなくってはおかないように熱中したがる。そ
の上体質の割合に精力がつづくから、若い血気に任せて大抵の事はする。
 宗助は弟を見るたびに、昔の自分が再び蘇生そせいして、自分の眼の前に活動しているような気がして
ならなかった。時には、はらはらする事もあった。また苦々にがにがしく思う折もあった。そう云う場合
には、心のうちに、当時の自分が一図に振舞った苦い記憶を、できるだけしばしば呼び起させるために、
とくに天が小六を自分の眼の前に据すえ付けるのではなかろうかと思った。そうして非常に恐ろしくなっ
た。こいつもあるいはおれと同一の運命に陥おちいるために生れて来たのではなかろうかと考えると、今
度は大いに心がかりになった。時によると心がかりよりは不愉快であった。
 けれども、今日こんにちまで宗助は、小六に対して意見がましい事を云った事もなければ、将来につい
て注意を与えた事もなかった。彼の弟に対する待遇方ほうはただ普通凡庸ぼんようのものであった。彼の
今の生活が、彼のような過去を有っている人とは思えないほどに、沈んでいるごとく、彼の弟を取り扱う
様子にも、過去と名のつくほどの経験を有もった年長者の素振そぶりは容易に出なかった。
 宗助と小六の間には、まだ二人ほど男の子が挟はさまっていたが、いずれも早世そうせいしてしまった
ので、兄弟とは云いながら、年は十とおばかり違っている。その上宗助はある事情のために、一年の時京
都へ転学したから、朝夕ちょうせきいっしょに生活していたのは、小六の十二三の時までである。宗助は
剛情ごうじょうな聴きかぬ気の腕白小僧としての小六をいまだに記憶している。その時分は父も生きてい
たし、家うちの都合も悪くはなかったので、抱車夫かかえしゃふを邸内の長屋に住まわして、楽に暮して
いた。この車夫に小六よりは三つほど年下の子供があって、始終しじゅう小六の御相手をして遊んでいた
。ある夏の日盛りに、二人して、長い竿さおのさきへ菓子袋を括くくり付けて、大きな柿の木の下で蝉せ
みの捕りくらをしているのを、宗助が見て、兼坊けんぼうそんなに頭を日に照らしつけると霍乱かくらん
になるよ、さあこれを被かぶれと云って、小六の古い夏帽を出してやった。すると、小六は自分の所有物
を兄が無断で他ひとにくれてやったのが、癪しゃくに障さわったので、突然いきなり兼坊の受取った帽子
を引ったくって、それを地面の上へ抛なげつけるや否や、馳かけ上がるようにその上へ乗って、くしゃり
と麦藁帽むぎわらぼうを踏み潰つぶしてしまった。宗助は縁から跣足はだしで飛んで下りて、小六の頭を
擲なぐりつけた。その時から、宗助の眼には、小六が小悪こにくらしい小僧として映った。
 二年の時宗助は大学を去らなければならない事になった。東京の家うちへも帰かえれない事になった。
京都からすぐ広島へ行って、そこに半年ばかり暮らしているうちに父が死んだ。母は父よりも六年ほど前
に死んでいた。だから後には二十五六になる妾めかけと、十六になる小六が残っただけであった。
 佐伯から電報を受け取って、久しぶりに出京した宗助は、葬式を済ました上、家うちの始末をつけよう
と思ってだんだん調べて見ると、あると思った財産は案外に少なくって、かえって無いつもりの借金がだ
いぶあったに驚ろかされた。叔父の佐伯に相談すると、仕方がないから邸やしきを売るが好かろうと云う
話であった。妾めかけは相当の金をやってすぐ暇を出す事にきめた。小六は当分叔父の家に引き取って世
話をして貰もらう事にした。しかし肝心かんじんの家屋敷はすぐ右から左へと売れる訳わけには行かなか
った。仕方がないから、叔父に一時の工面くめんを頼んで、当座の片をつけて貰った。叔父は事業家でい
ろいろな事に手を出しては失敗する、云わば山気やまぎの多い男であった。宗助が東京にいる時分も、よ

356 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:43:02.87 ID:twPsrBe10.net
く宗助の父を説きつけては、旨うまい事を云って金を引き出したものである。宗助の父にも慾があったか
も知れないが、この伝でんで叔父の事業に注つぎ込んだ金高はけっして少ないものではなかった。
 父の亡くなったこの際にも、叔父の都合は元と余り変っていない様子であったが、生前の義理もあるし
、またこう云う男の常として、いざと云う場合には比較的融通のつくものと見えて、叔父は快よく整理を
引き受けてくれた。その代り宗助は自分の家屋敷の売却方についていっさいの事を叔父に一任してしまっ
た。早く云うと、急場の金策に対する報酬として土地家屋を提供したようなものである。叔父は、
「何しろ、こう云うものは買手を見て売らないと損だからね」と云った。
 道具類も積せきばかり取って、金目にならないものは、ことごとく売り払ったが、五六幅の掛物と十二
三点の骨董品こっとうひんだけは、やはり気長に欲しがる人を探さがさないと損だと云う叔父の意見に同
意して、叔父に保管を頼む事にした。すべてを差し引いて手元に残った有金は、約二千円ほどのものであ
ったが、宗助はそのうちの幾分を、小六の学資として、使わなければならないと気がついた。しかし月々
自分の方から送るとすると、今日こんにちの位置が堅固でない当時、はなはだ実行しにくい結果に陥おち
いりそうなので、苦しくはあったが、思い切って、半分だけを叔父に渡して、何分宜よろしくと頼んだ。
自分が中途で失敗しくじったから、せめて弟だけは物にしてやりたい気もあるので、この千円が尽きたあ
とは、またどうにか心配もできようしまたしてくれるだろうぐらいの不慥ふたしかな希望を残して、また
広島へ帰って行った。
 それから半年ばかりして、叔父の自筆で、家はとうとう売れたから安心しろと云う手紙が来たが、いく
らに売れたとも何とも書いてないので、折り返して聞き合せると、二週間ほど経たっての返事に、優に例
の立替を償つぐなうに足る金額だから心配しなくても好いとあった。宗助はこの返事に対して少なからず
不満を感じたには感じたが、同じ書信の中に、委細はいずれ御面会の節云々とあったので、すぐにも東京
へ行きたいような気がして、実はこうこうだがと、相談半分細君に話して見ると、御米は気の毒そうな顔
をして、
「でも、行けないんだから、仕方がないわね」と云って、例のごとく微笑した。その時宗助は始めて細君
から宣告を受けた人のように、しばらく腕組をして考えたが、どう工夫したって、抜ける事のできないよ
うな位地いちと事情の下もとに束縛そくばくされていたので、ついそれなりになってしまった。
 仕方がないから、なお三四回書面で往復を重ねて見たが、結果はいつも同じ事で、版行はんこうで押し
たようにいずれ御面会の節を繰り返して来るだけであった。
「これじゃしようがないよ」と宗助は腹が立ったような顔をして御米を見た。三カ月ばかりして、ようや
く都合がついたので、久し振りに御米を連れて、出京しようと思う矢先に、つい風邪かぜを引いて寝ねた
のが元で、腸窒扶斯ちょうチフスに変化したため、六十日余りを床の上に暮らした上に、あとの三十日ほ
どは充分仕事もできないくらい衰えてしまった。
 病気が本復してから間もなく、宗助はまた広島を去って福岡の方へ移らなければならない身となった。
移る前に、好い機会だからちょっと東京まで出たいものだと考えているうちに、今度もいろいろの事情に
制せられて、ついそれも遂行すいこうせずに、やはり下り列車の走る方かたに自己の運命を托した。その
頃は東京の家を畳むとき、懐ふところにして出た金は、ほとんど使い果たしていた。彼の福岡生活は前後
二年を通じて、なかなかの苦闘であった。彼は書生として京都にいる時分、種々の口実の下もとに、父か
ら臨時随意に多額の学資を請求して、勝手しだいに消費した昔をよく思い出して、今の身分と比較しつつ
、しきりに因果いんがの束縛を恐れた。ある時はひそかに過ぎた春を回顧して、あれが己おれの栄華の頂
点だったんだと、始めて醒さめた眼に遠い霞かすみを眺ながめる事もあった。いよいよ苦しくなった時、
「御米、久しく放っておいたが、また東京へ掛合かけあってみようかな」と云い出した。御米は無論逆さ
からいはしなかった。ただ下を向いて、
「駄目よ。だって、叔父さんに全く信用がないんですもの」と心細そうに答えた。
「向うじゃこっちに信用がないかも知れないが、こっちじゃまた向うに信用がないんだ」と宗助は威張っ
て云い出したが、御米の俯目ふしめになっている様子を見ると、急に勇気が挫くじける風に見えた。こん

357 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:43:11.78 ID:twPsrBe10.net
な問答を最初は月に一二返ぐらい繰り返していたが、後のちには二月ふたつきに一返になり、三月みつき
に一返になり、とうとう、
「好いいや、小六さえどうかしてくれれば。あとの事はいずれ東京へ出たら、逢あった上で話をつけらあ
。ねえ御米、そうすると、しようじゃないか」と云い出した。
「それで、好よござんすとも」と御米は答えた。
 宗助は佐伯の事をそれなり放ってしまった。単なる無心は、自分の過去に対しても、叔父に向って云い
出せるものでないと、宗助は考えていた。したがってその方の談判は、始めからいまだかつて筆にした事
がなかった。小六からは時々手紙が来たが、極きわめて短かい形式的のものが多かった。宗助は父の死ん
だ時、東京で逢った小六を覚えているだけだから、いまだに小六を他愛たわいない小供ぐらいに想像する
ので、自分の代理に叔父と交渉させようなどと云う気は無論起らなかった。
 夫婦は世の中の日の目を見ないものが、寒さに堪たえかねて、抱き合って暖だんを取るような具合に、
御互同志を頼りとして暮らしていた。苦しい時には、御米がいつでも、宗助に、
「でも仕方がないわ」と云った。宗助は御米に、
「まあ我慢するさ」と云った。
 二人の間には諦あきらめとか、忍耐とか云うものが断えず動いていたが、未来とか希望と云うものの影
はほとんど射さないように見えた。彼らは余り多く過去を語らなかった。時としては申し合わせたように
、それを回避する風さえあった。御米が時として、
「そのうちにはまたきっと好い事があってよ。そうそう悪い事ばかり続くものじゃないから」と夫おっと
を慰さめるように云う事があった。すると、宗助にはそれが、真心まごころある妻さいの口を藉かりて、
自分を翻弄ほんろうする運命の毒舌のごとくに感ぜられた。宗助はそう云う場合には何にも答えずにただ
苦笑するだけであった。御米がそれでも気がつかずに、なにか云い続けると、
「我々は、そんな好い事を予期する権利のない人間じゃないか」と思い切って投げ出してしまう。細君は
ようやく気がついて口を噤つぐんでしまう。そうして二人が黙って向き合っていると、いつの間にか、自
分達は自分達の拵こしらえた、過去という暗い大きな窖あなの中に落ちている。
 彼らは自業自得じごうじとくで、彼らの未来を塗抹とまつした。だから歩いている先の方には、花やか
な色彩を認める事ができないものと諦あきらめて、ただ二人手を携たずさえて行く気になった。叔父の売
り払ったと云う地面家作についても、固もとより多くの期待は持っていなかった。時々考え出したように

「だって、近頃の相場なら、捨売すてうりにしたって、あの時叔父の拵らえてくれた金の倍にはなるんだ
もの。あんまり馬鹿馬鹿しいからね」と宗助が云い出すと、御米は淋さみしそうに笑って、
「また地面? いつまでもあの事ばかり考えていらっしゃるのね。だって、あなたが万事宜よろしく願い
ますと、叔父さんにおっしゃったんでしょう」と云う。
「そりゃ仕方がないさ。あの場合ああでもしなければ方ほうがつかないんだもの」と宗助が云う。
「だからさ。叔父さんの方では、御金の代りに家うちと地面を貰ったつもりでいらっしゃるかも知れなく
ってよ」と御米が云う。
 そう云われると、宗助も叔父の処置に一理あるようにも思われて、口では、
「そのつもりが好くないじゃないか」と答弁するようなものの、この問題はその都度つどしだいしだいに
背景の奥に遠ざかって行くのであった。
 夫婦がこんな風に淋しく睦むつまじく暮らして来た二年目の末に、宗助はもとの同級生で、学生時代に
は大変懇意であった杉原と云う男に偶然出逢った。杉原は卒業後高等文官試験に合格して、その時すでに
或省に奉職していたのだが、公務上福岡と佐賀へ出張することになって、東京からわざわざやって来たの
である。宗助は所の新聞で、杉原のいつ着いて、どこに泊っているかをよく知ってはいたが、失敗者とし
ての自分に顧かえりみて、成効者せいこうしゃの前に頭を下げる対照を恥ずかしく思った上に、自分は在
学当時の旧友に逢うのを、特に避けたい理由を持っていたので、彼の旅館を訪ねる気は毛頭なかった。
 ところが杉原の方では、妙な引掛りから、宗助のここに燻くすぶっている事を聞き出して、強しいて面
会を希望するので、宗助もやむを得ず我がを折った。宗助が福岡から東京へ移れるようになったのは、全
くこの杉原の御蔭おかげである。杉原から手紙が来て、いよいよ事がきまったとき、宗助は箸はしを置い
て、
「御米、とうとう東京へ行けるよ」と云った。

358 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:43:20.81 ID:twPsrBe10.net
「まあ結構ね」と御米が夫の顔を見た。
 東京に着いてから二三週間は、眼の回まわるように日が経たった。新らしく世帯を有もって、新らしい
仕事を始める人に、あり勝ちな急忙せわしなさと、自分達を包む大都の空気の、日夜劇はげしく震盪しん
とうする刺戟しげきとに駆かられて、何事をもじっと考える閑ひまもなく、また落ちついて手を下くだす
分別も出なかった。
 夜汽車で新橋へ着いた時は、久しぶりに叔父夫婦の顔を見たが、夫婦とも灯ひのせいか晴れやかな色に
は宗助の眼に映らなかった。途中に事故があって、着ちゃくの時間が珍らしく三十分ほど後れたのを、宗
助の過失ででもあるかのように、待草臥まちくたびれた気色けしきであった。
 宗助がこの時叔母から聞いた言葉は、
「おや宗そうさん、しばらく御目に掛かからないうちに、大変御老おふけなすった事」という一句であっ
た。御米はその折おり始めて叔父夫婦に紹介された。
「これがあの……」と叔母は逡巡ためらって宗助の方を見た。御米は何と挨拶あいさつのしようもないの
で、無言のままただ頭を下げた。
 小六も無論叔父夫婦と共に二人を迎いに来ていた。宗助は一眼その姿を見たとき、いつの間にか自分を
凌しのぐように大きくなった、弟の発育に驚ろかされた。小六はその時中学を出て、これから高等学校へ
這入はいろうという間際まぎわであった。宗助を見て、「兄さん」とも「御帰りなさい」とも云わないで
、ただ不器用に挨拶をした。
 宗助と御米は一週ばかり宿屋住居ずまいをして、それから今の所に引き移った。その時は叔父夫婦がい
ろいろ世話を焼いてくれた。細々こまごましい台所道具のようなものは買うまでもあるまい、古いのでよ
ければと云うので、小人数に必要なだけ一通り取り揃そろえて送って来た。その上、
「御前も新世帯だから、さぞ物要ものいりが多かろう」と云って金を六十円くれた。
 家うちを持ってかれこれ取り紛まぎれているうちに、早はや半月余よも経ったが、地方にいる時分あん
なに気にしていた家邸いえやしきの事は、ついまだ叔父に言い出さずにいた。ある時御米が、
「あなたあの事を叔父さんにおっしゃって」と聞いた。宗助はそれで急に思い出したように、
「うん、まだ云わないよ」と答えた。
「妙ね、あれほど気にしていらしったのに」と御米がうす笑をした。
「だって、落ちついて、そんな事を云い出す暇ひまがないんだもの」と宗助が弁解した。
 また十日ほど経たった。すると今度こんだは宗助の方から、
「御米、あの事はまだ云わないよ。どうも云うのが面倒で厭いやになった」と云い出した。
「厭なのを無理におっしゃらなくってもいいわ」と御米が答えた。
「好いかい」と宗助が聞き返した。
「好いかいって、もともとあなたの事じゃなくって。私は先せんからどうでも好いんだわ」と御米が答え
た。
 その時宗助は、
「じゃ、鹿爪しかつめらしく云い出すのも何だか妙だから、そのうち機会おりがあったら、聞くとしよう
。なにそのうち聞いて見る機会おりがきっと出て来るよ」と云って延ばしてしまった。
 小六は何不足なく叔父の家に寝起ねおきしていた。試験を受けて高等学校へ這入はいれれば、寄宿へ入
舎しなければならないと云うので、その相談まですでに叔父と打合せがしてあるようであった。新らしく
出京した兄からは別段学資の世話を受けないせいか、自分の身の上については叔父ほどに親しい相談も持
ち込んで来なかった。従兄弟いとこの安之助とは今までの関係上大変仲が好かった。かえってこの方が兄
弟らしかった。
 宗助は自然叔父の家うちに足が遠くなるようになった。たまに行っても、義理一遍の訪問に終る事が多
いので、帰り路にはいつもつまらない気がしてならなかった。しまいには時候の挨拶あいさつを済ますと
、すぐ帰りたくなる事もあった。こう云う時には三十分と坐すわって、世間話に時間を繋つなぐのにさえ
骨が折れた。向うでも何だか気が置けて窮屈だと云う風が見えた。
「まあいいじゃありませんか」と叔母が留めてくれるのが例であるが、そうすると、なおさらいにくい心
持がした。それでも、たまには行かないと、心のうちで気が咎とがめるような不安を感ずるので、また行
くようになった。折々は、
「どうも小六が御厄介ごやっかいになりまして」とこっちから頭を下げて礼を云う事もあった。けれども
、それ以上は、弟の将来の学資についても、また自分が叔父に頼んで、留守中に売り払って貰もらった地
所家作についても、口を切るのがつい面倒になった。しかし宗助が興味を有もたない叔父の所へ、不精無

359 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:43:29.81 ID:twPsrBe10.net
精ふしょうぶしょうにせよ、時たま出掛けて行くのは、単に叔父甥おいの血属関係を、世間並に持ち堪こ
たえるための義務心からではなくって、いつか機会があったら、片をつけたい或物を胸の奥に控えていた
結果に過ぎないのは明かであった。
「宗さんはどうもすっかり変っちまいましたね」と叔母が叔父に話す事があった。すると叔父は、
「そうよなあ。やっぱり、ああ云う事があると、永ながくまで後あとへ響くものだからな」と答えて、因
果いんがは恐ろしいと云う風をする。叔母は重ねて、
「本当に、怖こわいもんですね。元はあんな寝入ねいった子こじゃなかったが――どうもはしゃぎ過ぎる
くらい活溌かっぱつでしたからね。それが二三年見ないうちに、まるで別の人みたように老ふけちまって
。今じゃあなたより御爺おじいさん御爺さんしていますよ」と云う。
「真逆まさか」と叔父がまた答える。
「いえ、頭や顔は別として、様子がさ」と叔母がまた弁解する。
 こんな会話が老夫婦の間に取り換わされたのは、宗助が出京して以来一度や二度ではなかった。実際彼
は叔父の所へ来ると、老人の眼に映る通りの人間に見えた。
 御米はどう云うものか、新橋へ着いた時、老人夫婦に紹介されたぎり、かつて叔父の家の敷居を跨また
いだ事がない。むこうから見えれば叔父さん叔母さんと丁寧ていねいに接待するが、帰りがけに、
「どうです、ちと御出かけなすっちゃ」などと云われると、ただ、
「ありがとう」と頭を下げるだけで、ついぞ出掛けた試ためしはなかった。さすがの宗助さえ一度は、
「叔父さんの所へ一度行って見ちゃ、どうだい」と勧すすめた事があるが、
「でも」と変な顔をするので、宗助はそれぎりけっしてその事を云い出さなかった。
 両家族はこの状態で約一年ばかりを送った。すると宗助よりも気分は若いと許された叔父が突然死んだ
。病症は脊髄脳膜炎せきずいのうまくえんとかいう劇症げきしょうで、二三日風邪かぜの気味で寝ねてい
たが、便所へ行った帰りに、手を洗おうとして、柄杓ひしゃくを持ったまま卒倒したなり、一日いちんち
経たつか経たないうちに冷たくなってしまったのである。
「御米、叔父はとうとう話をしずに死んでしまったよ」と宗助が云った。
「あなたまだ、あの事を聞くつもりだったの、あなたも随分執念深しゅうねんぶかいのね」と御米が云っ
た。
 それからまた一年ばかり経ったら、叔父の子の安之助が大学を卒業して、小六が高等学校の二年生にな
った。叔母は安之助といっしょに中六番町に引き移った。
 三年目の夏休みに小六は房州の海水浴へ行った。そこに一月余りも滞在しているうちに九月になり掛け
たので、保田ほたから向うへ突切つっきって、上総かずさの海岸を九十九里伝いに、銚子ちょうしまで来
たが、そこから思い出したように東京へ帰った。宗助の所へ見えたのは、帰ってから、まだ二三日しか立
たない、残暑の強い午後である。真黒に焦こげた顔の中に、眼だけ光らして、見違えるように蛮色ばんし
ょくを帯びた彼は、比較的日の遠い座敷へ這入はいったなり横になって、兄の帰りを待ち受けていたが、
宗助の顔を見るや否や、むっくり起き上がって、
「兄さん、少し御話があって来たんですが」と開き直られたので、宗助は少し驚ろいた気味で、暑苦しい
洋服さえ脱ぎ更かえずに、小六の話を聞いた。
 小六の云うところによると、二三日前彼が上総から帰った晩、彼の学資はこの暮限り、気の毒ながら出
してやれないと叔母から申し渡されたのだそうである。小六は父が死んで、すぐと叔父に引き取られて以
来、学校へも行けるし、着物も自然ひとりでにできるし、小遣こづかいも適宜てきぎに貰えるので、父の
存生中ぞんしょうちゅうと同じように、何不足なく暮らせて来た惰性から、その日その晩までも、ついぞ
学資と云う問題を頭に思い浮べた事がなかったため、叔母の宣告を受けた時は、茫然ぼんやりしてとかく
の挨拶あいさつさえできなかったのだと云う。
 叔母は気の毒そうに、なぜ小六の世話ができなくなったかを、女だけに、一時間も掛かって委くわしく
説明してくれたそうである。それには叔父の亡なくなった事やら、継ついで起る経済上の変化やら、また
安之助の卒業やら、卒業後に控えている結婚問題やらが這入っていたのだと云う。
「できるならば、せめて高等学校を卒業するまでと思って、今日きょうまでいろいろ骨を折ったんだけれ
ども」
 叔母はこう云ったと小六は繰り返した。小六はその時ふと兄が、先年父の葬式の時に出京して、万事を
片づけた後、広島へ帰るとき、小六に、御前の学資は叔父さんに預けてあるからと云った事があるのを思

360 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:43:38.80 ID:twPsrBe10.net
い出して、叔母に始めて聞いて見ると、叔母は案外な顔をして、
「そりゃ、あの時、宗そうさんが若干いくらか置いて行きなすった事は、行きなすったが、それはもうあ
りゃしないよ。叔父さんのまだ生きて御出おいでの時分から、御前の学資は融通して来たんだから」と答
えた。
 小六は兄から自分の学資がどれほどあって、何年分の勘定かんじょうで、叔父に預けられたかを、聞い
ておかなかったから、叔母からこう云われて見ると、一言ひとことも返しようがなかった。
「御前おまえも一人じゃなし、兄さんもある事だからよく相談をして見たら好いだろう。その代り私わた
しも宗さんに逢って、とっくり訳わけを話しましょうから。どうも、宗さんも余あんまり近頃は御出おい
ででないし、私も御無沙汰ごぶさたばかりしているのでね、つい御前の事は御話をする訳にも行かなかっ
たんだよ」と叔母は最後につけ加えたそうである。
 小六から一部始終いちぶしじゅうを聞いた時、宗助はただ弟の顔を眺ながめて、一口、
「困ったな」と云った。昔のように赫かっと激して、すぐ叔母の所へ談判に押し掛ける気色けしきもなけ
れば、今まで自分に対して、世話にならないでも済む人のように、よそよそしく仕向けて来た弟の態度が
、急に方向を転じたのを、悪にくいと思う様子も見えなかった。
 自分の勝手に作り上げた美くしい未来が、半分壊くずれかかったのを、さも傍はたの人のせいででもあ
るかのごとく心を乱している小六の帰る姿を見送った宗助は、暗い玄関の敷居の上に立って、格子こうし
の外に射す夕日をしばらく眺ながめていた。
 その晩宗助は裏から大きな芭蕉ばしょうの葉を二枚剪きって来て、それを座敷の縁に敷いて、その上に
御米と並んで涼すずみながら、小六の事を話した。
「叔母さんは、こっちで、小六さんの世話をしろって云う気なんじゃなくって」と御米が聞いた。
「まあ、逢って聞いて見ないうちは、どう云う料簡りょうけんか分らないがね」と宗助が云うと、御米は

「きっとそうよ」と答えながら、暗がりで団扇うちわをはたはた動かした。宗助は何も云わずに、頸くび
を延ばして、庇ひさしと崖がけの間に細く映る空の色を眺めた。二人はそのまましばらく黙っていたが、
良ややあって、
「だってそれじゃ無理ね」と御米がまた云った。
「人間一人大学を卒業させるなんて、おれの手際てぎわじゃ到底とても駄目だ」と宗助は自分の能力だけ
を明らかにした。
 会話はそこで別の題目に移って、再び小六の上にも叔母の上にも帰って来なかった。それから二三日す
るとちょうど土曜が来たので、宗助は役所の帰りに、番町の叔母の所へ寄って見た。叔母は、
「おやおや、まあ御珍らしい事」と云って、いつもよりは愛想あいそよく宗助を款待もてなしてくれた。
その時宗助は厭いやなのを我慢して、この四五年来溜めて置いた質問を始めて叔母に掛けた。叔母は固も
とよりできるだけは弁解しない訳に行かなかった。
 叔母の云うところによると、宗助の邸宅やしきを売払った時、叔父の手に這入はいった金は、たしかに
は覚えていないが、何でも、宗助のために、急場の間に合せた借財を返した上、なお四千五百円とか四千
三百円とか余ったそうである。ところが叔父の意見によると、あの屋敷は宗助が自分に提供して行ったの
だから、たといいくら余ろうと、余った分は自分の所得と見傚みなして差支さしつかえない。しかし宗助
の邸宅を売って儲もうけたと云われては心持が悪いから、これは小六の名義で保管して置いて、小六の財
産にしてやる。宗助はあんな事をして廃嫡はいちゃくにまでされかかった奴だから、一文いちもんだって
取る権利はない。
「宗さん怒っちゃいけませんよ。ただ叔父さんの云った通りを話すんだから」と叔母が断った。宗助は黙
ってあとを聞いていた。
 小六の名義で保管されべき財産は、不幸にして、叔父の手腕で、すぐ神田の賑にぎやかな表通りの家屋
に変形した。そうして、まだ保険をつけないうちに、火事で焼けてしまった。小六には始めから話してな
い事だから、そのままにして、わざと知らせずにおいた。
「そう云う訳でね、まことに宗さんにも、御気の毒だけれども、何しろ取って返しのつかない事だから仕
方がない。運だと思って諦あきらめて下さい。もっとも叔父さんさえ生きていれば、またどうともなるん
でしょうさ。小六一人ぐらいそりゃ訳はありますまいよ。よしんば、叔父さんがいなさらない、今にした
って、こっちの都合さえ好ければ、焼けた家うちと同じだけのものを、小六に返すか、それでなくっても

361 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:43:47.76 ID:twPsrBe10.net
、当人の卒業するまでぐらいは、どうにかして世話もできるんですけれども」と云って叔母はまたほかの
内幕話をして聞かせた。それは安之助の職業についてであった。
 安之助は叔父の一人息子で、この夏大学を出たばかりの青年である。家庭で暖かに育った上に、同級の
学生ぐらいよりほかに交際のない男だから、世の中の事にはむしろ迂濶うかつと云ってもいいが、その迂
濶なところにどこか鷹揚おうような趣おもむきを具そなえて実社会へ顔を出したのである。専門は工科の
器械学だから、企業熱の下火になった今日こんにちといえども、日本中にたくさんある会社に、相応の口
の一つや二つあるのは、もちろんであるが、親譲おやゆずりの山気やまぎがどこかに潜ひそんでいるもの
と見えて、自分で自分の仕事をして見たくてならない矢先へ、同じ科の出身で、小規模ながら専有の工場
こうばを月島辺へんに建てて、独立の経営をやっている先輩に出逢ったのが縁となって、その先輩と相談
の上、自分も幾分かの資本を注つぎ込んで、いっしょに仕事をしてみようという考になった。叔母の内幕
話と云ったのはそこである。
「でね、少しあった株をみんなその方へ廻す事にしたもんだから、今じゃ本当に一文いちもんなし同然な
仕儀しぎでいるんですよ。それは世間から見ると、人数は少なし、家邸いえやしきは持っているし、楽に
見えるのも無理のないところでしょうさ。この間も原の御母おっかさんが来て、まああなたほど気楽な方
はない、いつ来て見ても万年青おもとの葉ばかり丹念に洗っているってね。真逆まさかそうでも無いんで
すけれども」と叔母が云った。
 宗助が叔母の説明を聞いた時は、ぼんやりしてとかくの返事が容易に出なかった。心のなかで、これは
神経衰弱の結果、昔のように機敏で明快な判断を、すぐ作り上げる頭が失なくなった証拠しょうこだろう
と自覚した。叔母は自分の云う通りが、宗助に本当と受けられないのを気にするように、安之助から持ち
出した資本の高まで話した。それは五千円ほどであった。安之助は当分の間、わずかな月給と、この五千
円に対する利益配当とで暮らさなければならないのだそうである。
「その配当だって、まだどうなるか分りゃしないんでさあね。旨うまく行ったところで、一割か一割五分
ぐらいなものでしょうし、また一つ間違えばまるで煙けむにならないとも限らないんですから」と叔母が
つけ加えた。
 宗助は叔母の仕打に、これと云う目立った阿漕あこぎなところも見えないので、心の中うちでは少なか
らず困ったが、小六の将来について一口の掛合かけあいもせずに帰るのはいかにも馬鹿馬鹿しい気がした
。そこで今までの問題はそこに据すえっきりにして置いて、自分が当時小六の学資として叔父に預けて行
った千円の所置を聞き糺ただして見ると、叔母は、
「宗さん、あれこそ本当に小六が使っちまったんですよ。小六が高等学校へ這入はいってからでも、もう
かれこれ七百円は掛かっているんですもの」と答えた。
 宗助はついでだから、それと同時に、叔父に保管を頼んだ書画や骨董品こっとうひんの成行なりゆきを
確かめて見た。すると、叔母は、
「ありあとんだ馬鹿な目に逢って」と云いかけたが、宗助の様子を見て、
「宗さん、何ですか、あの事はまだ御話をしなかったんでしたかね」と聞いた。宗助がいいえと答えると

「おやおや、それじゃ叔父さんが忘れちまったんですよ」と云いながら、その顛末てんまつを語って聞か
した。
 宗助が広島へ帰ると間もなく、叔父はその売捌方うりさばきかたを真田さなだとかいう懇意の男に依頼
した。この男は書画骨董の道に明るいとかいうので、平生そんなものの売買の周旋をして諸方へ出入する
そうであったが、すぐさま叔父の依頼を引き受けて、誰某だれそれがしが何を欲しいと云うから、ちょっ
と拝見とか、何々氏がこう云う物を希望だから、見せましょうとか号ごうして、品物を持って行ったぎり
、返して来ない。催促すると、まだ先方から戻って参りませんからとか何とか言訳をするだけでかつて埒
らちの明いた試ためしがなかったが、とうとう持ち切れなくなったと見えて、どこかへ姿を隠してしまっ
た。
「でもね、まだ屏風びょうぶが一つ残っていますよ。この間引越の時に、気がついて、こりゃ宗さんのだ
から、今度こんだついでがあったら届けて上げたらいいだろうって、安がそう云っていましたっけ」
 叔母は宗助の預けて行った品物にはまるで重きを置いていないような、ものの云い方をした。宗助も今
日きょうまで放っておくくらいだから、あまりその方面には興味を有もち得なかったので、少しも良心に

362 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:43:56.74 ID:twPsrBe10.net
悩まされている気色けしきのない叔母の様子を見ても、別に腹は立たなかった。それでも、叔母が、
「宗さん、どうせ家うちじゃ使っていないんだから、なんなら持っておいでなすっちゃどうです。この頃
はああいうものが、大変価ねが出たと云う話じゃありませんか」と云ったときは、実際それを持って帰る
気になった。
 納戸なんどから取り出して貰って、明るい所で眺ながめると、たしかに見覚みおぼえのある二枚折であ
った。下に萩はぎ、桔梗ききょう、芒すすき、葛くず、女郎花おみなえしを隙間すきまなく描かいた上に
、真丸な月を銀で出して、その横の空あいた所へ、野路のじや空月の中なる女郎花、其一きいちと題して
ある。宗助は膝ひざを突いて銀の色の黒く焦こげた辺あたりから、葛の葉の風に裏を返している色の乾い
た様から、大福だいふくほどな大きな丸い朱の輪廓りんかくの中に、抱一ほういつと行書で書いた落款ら
っかんをつくづくと見て、父の生きている当時を憶おもい起さずにはいられなかった。
 父は正月になると、きっとこの屏風びょうぶを薄暗い蔵くらの中から出して、玄関の仕切りに立てて、
その前へ紫檀したんの角かくな名刺入を置いて、年賀を受けたものである。その時はめでたいからと云う
ので、客間の床とこには必ず虎の双幅そうふくを懸かけた。これは岸駒がんくじゃない岸岱がんたいだと
父が宗助に云って聞かせた事があるのを、宗助はいまだに記憶していた。この虎の画えには墨が着いてい
た。虎が舌を出して谷の水を呑のんでいる鼻柱が少し汚けがされたのを、父は苛ひどく気にして、宗助を
見るたびに、御前ここへ墨を塗った事を覚えているか、これは御前の小さい時分の悪戯いたずらだぞと云
って、おかしいような恨うらめしいような一種の表情をした。
 宗助は屏風びょうぶの前に畏かしこまって、自分が東京にいた昔の事を考えながら、
「叔母さん、じゃこの屏風はちょうだいして行きましょう」と云った。
「ああああ、御持ちなさいとも。何なら使に持たせて上げましょう」と叔母は好意から申し添えた。
 宗助は然しかるべく叔母に頼んで、その日はそれで切り上げて帰った。晩食ばんめしの後のち御米とい
っしょにまた縁側へ出て、暗い所で白地の浴衣ゆかたを並べて、涼みながら、画の話をした。
「安さんには、御逢いなさらなかったの」と御米が聞いた。
「ああ、安さんは土曜でも何でも夕方まで、工場にいるんだそうだ」
「随分骨が折れるでしょうね」
 御米はそう云ったなり、叔父や叔母の処置については、一言ひとことの批評も加えなかった。
「小六の事はどうしたものだろう」と宗助が聞くと、
「そうね」と云うだけであった。
「理窟りくつを云えば、こっちにも云い分はあるが、云い出せば、とどのつまりは裁判沙汰になるばかり
だから、証拠しょうこも何もなければ勝てる訳のものじゃなし」と宗助が極端を予想すると、
「裁判なんかに勝たなくたってもいいわ」と御米がすぐ云ったので、宗助は苦笑してやめた。
「つまりおれがあの時東京へ出られなかったからの事さ」
「そうして東京へ出られた時は、もうそんな事はどうでもよかったんですもの」
 夫婦はこんな話をしながら、また細い空を庇ひさしの下から覗のぞいて見て、明日あしたの天気を語り
合って蚊帳かやに這入はいった。
 次の日曜に宗助は小六を呼んで、叔母の云った通りを残らず話して聞かせて、
「叔母さんが御前に詳しい説明をしなかったのは、短兵急な御前の性質を知ってるせいか、それともまだ
小供だと思ってわざと略してしまったのか、そこはおれにも分らないが、何しろ事実は今云った通りなん
だよ」と教えた。
 小六にはいかに詳しい説明も腹の足しにはならなかった。ただ、
「そうですか」と云ってむずかしい不満な顔をして宗助を見た。
「仕方がないよ。叔母さんだって、安さんだって、そう悪い料簡りょうけんはないんだから」
「そりゃ、分っています」と弟は峻けわしい物の云い方をした。
「じゃおれが悪いって云うんだろう。おれは無論悪いよ。昔から今日こんにちまで悪いところだらけな男
だもの」
 宗助は横になって煙草たばこを吹かしながら、これより以上は何とも語らなかった。小六も黙って、座
敷の隅すみに立ててあった二枚折の抱一の屏風びょうぶを眺ながめていた。
「御前あの屏風を覚えているかい」とやがて兄が聞いた。
「ええ」と小六が答えた。
「一昨日おととい佐伯から届けてくれた。御父さんの持ってたもので、おれの手に残ったのは、今じゃこ
れだけだ。これが御前の学資になるなら、今すぐにでもやるが、剥はげた屏風一枚で大学を卒業する訳に

363 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:44:05.87 ID:twPsrBe10.net
も行かずな」と宗助が云った。そうして苦笑しながら、
「この暑いのに、こんなものを立てて置くのは、気狂きちがいじみているが、入れておく所がないから、
仕方がない」と云う述懐じゅっかいをした。
 小六はこの気楽なような、ぐずのような、自分とは余りに懸かけ隔へだたっている兄を、いつも物足り
なくは思うものの、いざという場合に、けっして喧嘩けんかはし得なかった。この時も急に癇癪かんしゃ
くの角つのを折られた気味で、
「屏風はどうでも好いが、これから先さき僕はどうしたもんでしょう」と聞き出した。
「それは問題だ。何しろことしいっぱいにきまれば好い事だから、まあよく考えるさ。おれも考えて置こ
う」と宗助が云った。
 弟は彼の性質として、そんな中ぶらりんの姿は嫌きらいである、学校へ出ても落ちついて稽古けいこも
できず、下調も手につかないような境遇は、とうてい自分には堪たえられないと云う訴うったえを切にや
り出したが、宗助の態度は依然として変らなかった。小六があまり癇かんの高い不平を並べると、
「そのくらいな事でそれほど不平が並べられれば、どこへ行ったって大丈夫だ。学校をやめたって、いっ
こう差支さしつかえない。御前の方がおれよりよっぽどえらいよ」と兄が云ったので、話はそれぎり頓挫
とんざして、小六はとうとう本郷へ帰って行った。
 宗助はそれから湯を浴びて、晩食ばんめしを済まして、夜は近所の縁日へ御米といっしょに出掛けた。
そうして手頃な花物を二鉢買って、夫婦して一つずつ持って帰って来た。夜露にあてた方がよかろうと云
うので、崖下がけしたの雨戸を明けて、庭先にそれを二つ並べて置いた。
 蚊帳かやの中へ這入はいった時、御米は、
「小六さんの事はどうなって」と夫に聞くと、
「まだどうもならないさ」と宗助は答えたが、十分ばかりの後のち夫婦ともすやすや寝入ねいった。
 翌日眼が覚めて役所の生活が始まると、宗助はもう小六の事を考える暇を有もたなかった。家うちへ帰
って、のっそりしている時ですら、この問題を確的はっきり眼の前に描えがいて明らかにそれを眺ながめ
る事を憚はばかった。髪の毛の中に包んである彼の脳は、その煩わずらわしさに堪たえなかった。昔は数
学が好きで、随分込み入った幾何きかの問題を、頭の中で明暸めいりょうな図にして見るだけの根気があ
った事を憶おもい出すと、時日の割には非常に烈はげしく来たこの変化が自分にも恐ろしく映った。
 それでも日に一度ぐらいは小六の姿がぼんやり頭の奥に浮いて来る事があって、その時だけは、あいつ
の将来も何とか考えておかなくっちゃならないと云う気も起った。しかしすぐあとから、まあ急ぐにも及
ぶまいぐらいに、自分と打ち消してしまうのが常であった。そうして、胸の筋きんが一本鉤かぎに引っ掛
ったような心を抱いだいて、日を暮らしていた。
 そのうち九月も末になって、毎晩天あまの河がわが濃く見えるある宵よいの事、空から降ったように安
之助がやって来た。宗助にも御米にも思い掛けないほど稀たまな客なので、二人とも何か用があっての訪
問だろうと推すいしたが、はたして小六に関する件であった。
 この間月島の工場へひょっくり小六がやって来て云うには、自分の学資についての詳しい話は兄から聞
いたが、自分も今まで学問をやって来て、とうとう大学へ這入はいれずじまいになるのはいかにも残念だ
から、借金でも何でもして、行けるところまで行きたいが、何か好い工夫はあるまいかと相談をかけるの
で、安之助はよく宗さんにも話して見ようと答えると、小六はたちまちそれを遮さえぎって、兄はとうて
い相談になってくれる人じゃない。自分が大学を卒業しないから、他ひとも中途でやめるのは当然だぐら
いに考えている。元来今度の事も元を糺ただせば兄が責任者であるのに、あの通りいっこう平気なもので
、他が何を云っても取り合ってくれない。だから、ただ頼りにするのは君だけだ。叔母さんに正式に断わ
られながら、また君に依頼するのはおかしいようだが、君の方が叔母さんより話が分るだろうと思って来
たと云って、なかなか動きそうもなかったそうである。
 安之助は、そんな事はない、宗さんも君の事ではだいぶ心配して、近いうちまた家うちへ相談に来るは
ずになっているんだからと慰めて、小六を帰したんだと云う。帰るときに、小六は袂たもとから半紙を何
枚も出して、欠席届が入用にゅうようだからこれに判を押してくれと請求して、僕は退学か在学か片がつ
くまでは勉強ができないから、毎日学校へ出る必要はないんだと云ったそうである。

364 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:44:14.77 ID:twPsrBe10.net
 安之助は忙がしいとかで、一時間足らず話して帰って行ったが、小六の所置については、両人の間に具
体的の案は別に出なかった。いずれ緩ゆっくりみんなで寄ってきめよう、都合がよければ小六も列席する
が好かろうというのが別れる時の言葉であった。二人になったとき、御米は宗助に、
「何を考えていらっしゃるの」と聞いた。宗助は両手を兵児帯へこおびの間に挟はさんで、心持肩を高く
したなり、
「おれももう一返小六みたようになって見たい」と云った。「こっちじゃ、向むこうがおれのような運命
に陥おちいるだろうと思って心配しているのに、向じゃ兄貴なんざあ眼中にないから偉いや」
 御米は茶器を引いて台所へ出た。夫婦はそれぎり話を切り上げて、また床とこを延べて寝ねた。夢の上
に高い銀河あまのがわが涼しく懸かかった。
 次の週間には、小六も来ず、佐伯からの音信たよりもなく、宗助の家庭はまた平日の無事に帰った。夫
婦は毎朝露に光る頃起きて、美しい日を廂ひさしの上に見た。夜は煤竹すすだけの台を着けた洋灯ランプ
の両側に、長い影を描えがいて坐っていた。話が途切れた時はひそりとして、柱時計の振子の音だけが聞
える事も稀まれではなかった。
 それでも夫婦はこの間に小六の事を相談した。小六がもしどうしても学問を続ける気なら無論の事、そ
うでなくても、今の下宿を一時引き上げなければならなくなるのは知れているが、そうすればまた佐伯へ
帰るか、あるいは宗助の所へ置くよりほかに途みちはない。佐伯ではいったんああ云い出したようなもの
の、頼んで見たら、当分宅うちへ置くぐらいの事は、好意上してくれまいものでもない。が、その上修業
をさせるとなると、月謝小遣その他は宗助の方で担任たんにんしなければ義理が悪い。ところがそれは家
計上宗助の堪たえるところでなかった。月々の収支を事細かに計算して見た両人ふたりは、
「とうてい駄目だね」
「どうしたって無理ですわ」と云った。
 夫婦の坐すわっている茶の間の次が台所で、台所の右に下女部屋、左に六畳が一間ひとまある。下女を
入れて三人の小人数こにんずだから、この六畳には余り必要を感じない御米は、東向の窓側にいつも自分
の鏡台を置いた。宗助も朝起きて顔を洗って、飯を済ますと、ここへ来て着物を脱ぬぎ更かえた。
「それよりか、あの六畳を空あけて、あすこへ来ちゃいけなくって」と御米が云い出した。御米の考えで
は、こうして自分の方で部屋と食物だけを分担して、あとのところを月々いくらか佐伯から助すけて貰も
らったら、小六の望み通り大学卒業までやって行かれようと云うのである。
「着物は安さんの古いのや、あなたのを直して上げたら、どうかなるでしょう」と御米が云い添えた。実
は宗助にもこんな考が、多少頭に浮かんでいた。ただ御米に遠慮がある上に、それほど気が進まなかった
ので、つい口へ出さなかったまでだから、細君からこう反対あべこべに相談を掛けられて見ると、固もと
よりそれを拒こばむだけの勇気はなかった。
 小六にその通りを通知して、御前さえそれで差支さしつかえなければ、おれがもう一遍佐伯へ行って掛
合って見るがと、手紙で問い合せると、小六は郵便の着いた晩、すぐ雨の降る中を、傘からかさに音を立
ててやって来て、もう学資ができでもしたように嬉うれしがった。
「何、叔母さんの方じゃ、こっちでいつまでもあなたの事を放り出したまんま、構わずにおくもんだから
、それでああおっしゃるのよ。なに兄さんだって、もう少し都合が好ければ、疾とうにもどうにかしたん
ですけれども、御存じの通りだから実際やむを得なかったんですわ。しかしこっちからこう云って行けば
、叔母さんだって、安さんだって、それでも否いやだとは云われないわ。きっとできるから安心していら
っしゃい。私わたし受合うわ」
 御米にこう受合って貰った小六は、また雨の音を頭の上に受けて本郷へ帰って行った。しかし中一日置
いて、兄さんはまだ行かないんですかと聞きに来た。また三日ばかり過ぎてから、今度は叔母さんの所へ
行って聞いたら、兄さんはまだ来ないそうだから、なるべく早く行くように勧すすめてくれと催促して行
った。
 宗助が行く行くと云って、日を暮らしているうちに世の中はようやく秋になった。その朗らかな或日曜
の午後に、宗助はあまり佐伯へ行くのが後おくれるので、この要件を手紙に認したためて番町へ相談した
のである。すると、叔母から安之助は神戸へ行って留守だと云う返事が来たのである。



 佐伯さえきの叔母の尋ねて来たのは、土曜の午後の二時過であった。その日は例になく朝から雲が出て

365 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:44:23.83 ID:twPsrBe10.net
、突然と風が北に変ったように寒かった。叔母は竹で編んだ丸い火桶ひおけの上へ手を翳かざして、
「何ですね、御米およねさん。この御部屋は夏は涼しそうで結構だが、これからはちと寒うござんすね」
と云った。叔母は癖のある髪を、奇麗きれいに髷まげに結いって、古風な丸打の羽織の紐ひもを、胸の所
で結んでいた。酒の好きな質たちで、今でも少しずつは晩酌をやるせいか、色沢いろつやもよく、でっぷ
り肥ふとっているから、年よりはよほど若く見える。御米は叔母が来るたんびに、叔母さんは若いのねと
、後あとでよく宗助そうすけに話した。すると宗助がいつでも、若いはずだ、あの年になるまで、子供を
たった一人しか生まないんだからと説明した。御米は実際そうかも知れないと思った。そうしてこう云わ
れた後では、折々そっと六畳へ這入はいって、自分の顔を鏡に映して見た。その時は何だか自分の頬ほお
が見るたびに瘠こけて行くような気がした。御米には自分と子供とを連想して考えるほど辛つらい事はな
かったのである。裏の家主の宅うちに、小さい子供が大勢いて、それが崖がけの上の庭へ出て、ブランコ
へ乗ったり、鬼ごっこをやったりして騒ぐ声が、よく聞えると、御米はいつでも、はかないような恨うら
めしいような心持になった。今自分の前に坐っている叔母は、たった一人の男の子を生んで、その男の子
が順当に育って、立派な学士になったればこそ、叔父が死んだ今日こんにちでも、何不足のない顔をして
、腮あごなどは二重ふたえに見えるくらいに豊ゆたかなのである。御母さんは肥っているから剣呑けんの
んだ、気をつけないと卒中でやられるかも知れないと、安之助やすのすけが始終しじゅう心配するそうだ
けれども、御米から云わせると、心配する安之助も、心配される叔母も、共に幸福を享うけ合っているも
のとしか思われなかった。
「安さんは」と御米が聞いた。
「ええようやくね、あなた。一昨日おとといの晩帰りましてね。それでついつい御返事も後おくれちまっ
て、まことに済みませんような訳で」と云ったが、返事の方はそれなりにして、話はまた安之助へ戻って
来た。
「あれもね、御蔭おかげさまでようやく学校だけは卒業しましたが、これからが大事のところで、心配で
ございます。――それでもこの九月から、月島の工場の方へ出る事になりまして、まあさいわいとこの分
で勉強さえして行ってくれれば、この末ともに、そう悪い事も無かろうかと思ってるんですけれども、ま
あ若いものの事ですから、これから先どう変化へんげるか分りゃしませんよ」
 御米はただ結構でございますとか、おめでとうございますとか云う言葉を、間々あいだあいだに挟はさ
んでいた。
「神戸へ参ったのも、全くその方の用向なので。石油発動機とか何とか云うものを鰹船かつおぶねへ据す
え付けるんだとかってねあなた」
 御米にはまるで意味が分らなかった。分らないながらただへええと受けていると、叔母はすぐ後あとを
話した。
「私にも何のこったか、ちっとも分らなかったんですが、安之助の講釈を聞いて始めて、おやそうかいと
云うような訳でしてね。――もっとも石油発動機は今もって分らないんですけれども」と云いながら、大
きな声を出して笑った。「何でも石油を焚たいて、それで船を自由にする器械なんだそうですが、聞いて
見るとよほど重宝なものらしいんですよ。それさえ付ければ、舟を漕こぐ手間てまがまるで省けるとかで
ね。五里も十里も沖へ出るのに、大変楽なんですとさ。ところがあなた、この日本全国で鰹船の数ったら
、それこそ大したものでしょう。その鰹船が一つずつこの器械を具そなえ付けるようになったら、莫大ば
くだいな利益だって云うんで、この頃は夢中になってその方ばっかりに掛かかっているようですよ。莫大
な利益はありがたいが、そう凝こって身体からだでも悪くしちゃつまらないじゃないかって、この間も笑
ったくらいで」
 叔母はしきりに鰹船と安之助の話をした。そうして大変得意のように見えたが、小六の事はなかなか云
い出さなかった。もう疾とうに帰るはずの宗助もどうしたか帰って来なかった。
 彼はその日役所の帰りがけに駿河台下するがだいしたまで来て、電車を下りて、酸すいものを頬張ほお
ばったような口を穿すぼめて一二町歩いた後のち、ある歯医者の門かどを潜くぐったのである。三四日前
彼は御米と差向いで、夕飯の膳ぜんに着いて、話しながら箸はしを取っている際に、どうした拍子か、前
歯を逆にぎりりと噛かんでから、それが急に痛み出した。指で揺うごかすと、根がぐらぐらする。食事の

366 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:44:32.80 ID:twPsrBe10.net
時には湯茶が染しみる。口を開けて息をすると風も染みた。宗助はこの朝歯を磨みがくために、わざと痛
い所を避よけて楊枝ようじを使いながら、口の中を鏡に照らして見たら、広島で銀を埋うめた二枚の奥歯
と、研といだように磨すり減らした不揃ぶそろの前歯とが、にわかに寒く光った。洋服に着換える時、
「御米、おれは歯の性しょうがよっぽど悪いと見えるね。こうやると大抵動くぜ」と下歯を指で動かして
見せた。御米は笑いながら、
「もう御年のせいよ」と云って白い襟えりを後へ廻って襯衣シャツへ着けた。
 宗助はその日の午後とうとう思い切って、歯医者へ寄ったのである。応接間へ通ると、大きな洋卓テー
ブルの周囲まわりに天鵞絨びろうどで張った腰掛が并ならんでいて、待ち合している三四人が、うずくま
るように腮あごを襟えりに埋うずめていた。それが皆女であった。奇麗きれいな茶色の瓦斯暖炉ガススト
ーヴには火がまだ焚たいてなかった。宗助は大きな姿見に映る白壁の色を斜ななめに見て、番の来るのを
待っていたが、あまり退屈になったので、洋卓の上に重ねてあった雑誌に眼を着けた。一二冊手に取って
見ると、いずれも婦人用のものであった。宗助はその口絵に出ている女の写真を、何枚も繰り返して眺な
がめた。それから「成功」と云う雑誌を取り上げた。その初めに、成効の秘訣ひけつというようなものが
箇条書にしてあったうちに、何でも猛進しなくってはいけないと云う一カ条と、ただ猛進してもいけない
、立派な根底の上に立って、猛進しなくってはならないと云う一カ条を読んで、それなり雑誌を伏せた。
「成功」と宗助は非常に縁の遠いものであった。宗助はこういう名の雑誌があると云う事さえ、今日こん
にちまで知らなかった。それでまた珍らしくなって、いったん伏せたのをまた開けて見ると、ふと仮名か
なの交らない四角な字が二行ほど並んでいた。それには風かぜ碧落へきらくを吹ふいて浮雲ふうん尽つき
、月つき東山とうざんに上のぼって玉ぎょく一団いちだんとあった。宗助は詩とか歌とかいうものには、
元から余り興味を持たない男であったが、どう云う訳かこの二句を読んだ時に大変感心した。対句ついく
が旨うまくできたとか何とか云う意味ではなくって、こんな景色けしきと同じような心持になれたら、人
間もさぞ嬉うれしかろうと、ひょっと心が動いたのである。宗助は好奇心からこの句の前に付いている論
文を読んで見た。しかしそれはまるで無関係のように思われた。ただこの二句が雑誌を置いた後あとでも
、しきりに彼の頭の中を徘徊はいかいした。彼の生活は実際この四五年来こういう景色に出逢った事がな
かったのである。
 その時向うの戸が開あいて、紙片かみぎれを持った書生が野中さんと宗助を手術室へ呼び入れた。
 中へ這入はいると、そこは応接間よりは倍も広かった。光線がなるべく余計取れるように明るく拵こし
らえた部屋の二側ふたがわに、手術用の椅子いすを四台ほど据すえて、白い胸掛をかけた受持の男が、一
人ずつ別々に療治をしていた。宗助は一番奥の方にある一脚に案内されて、これへと云われるので、踏段
のようなものの上へ乗って、椅子へ腰をおろした。書生が厚い縞入しまいりの前掛で丁寧ていねいに膝ひ
ざから下を包くるんでくれた。
 こう穏おだやかに寝ねかされた時、宗助は例の歯がさほど苦になるほど痛んでいないと云う事を発見し
た。そればかりか、肩も背せなも、腰の周まわりも、心安く落ちついて、いかにも楽に調子が取れている
事に気がついた。彼はただ仰向あおむいて天井てんじょうから下っている瓦斯管ガスかんを眺めた。そう
してこの構かまえと設備では、帰りがけに思ったより高い療治代を取られるかも知れないと気遣きづかっ
た。
 ところへ顔の割に頭の薄くなり過ぎた肥ふとった男が出て来て、大変丁寧ていねいに挨拶あいさつをし
たので、宗助は少し椅子の上で狼狽あわてたように首を動かした。肥った男は一応容体を聞いて、口中を
検査して、宗助の痛いと云う歯をちょっと揺ゆすって見たが、
「どうもこう弛ゆるみますと、とても元のように緊しまる訳には参りますまいと思いますが。何しろ中が
エソになっておりますから」と云った。
 宗助はこの宣告を淋さびしい秋の光のように感じた。もうそんな年なんでしょうかと聞いて見たくなっ
たが、少しきまりが悪いので、ただ、
「じゃ癒なおらないんですか」と念を押した。
 肥ふとった男は笑いながらこう云った。――
「まあ癒らないと申し上げるよりほかに仕方がござんせんな。やむを得なければ、思い切って抜いてしま

367 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:44:41.78 ID:twPsrBe10.net
うんですが、今のところでは、まだそれほどでもございますまいから、ただ御痛みだけを留めておきまし
ょう。何しろエソ――エソと申しても御分りにならないかも知れませんが、中がまるで腐っております」
 宗助は、そうですかと云って、ただ肥った男のなすがままにしておいた。すると彼は器械をぐるぐる廻
して、宗助の歯の根へ穴を開け始めた。そうしてその中へ細長い針のようなものを刺し通しては、その先
を嗅かいでいたが、しまいに糸ほどな筋を引き出して、神経がこれだけ取れましたと云いながら、それを
宗助に見せてくれた。それから薬でその穴を埋うめて、明日みょうにちまたいらっしゃいと注意を与えた

 椅子いすを下りるとき、身体からだが真直まっすぐになったので、視線の位置が天井からふと庭先に移
ったら、そこにあった高さ五尺もあろうと云う大きな鉢栽はちうえの松が宗助の眼に這入はいった。その
根方の所を、草鞋わらじがけの植木屋が丁寧ていねいに薦こもで包くるんでいた。だんだん露が凝こって
霜しもになる時節なので、余裕よゆうのあるものは、もう今時分から手廻しをするのだと気がついた。
 帰りがけに玄関脇の薬局で、粉薬こぐすりのまま含嗽剤がんそうざいを受取って、それを百倍の微温湯
びおんとうに溶解して、一日十数回使用すべき注意を受けた時、宗助は会計の請求した治療代の案外廉れ
んなのを喜んだ。これならば向うで云う通り四五回通かよったところが、さして困難でもないと思って、
靴を穿はこうとすると、今度は靴の底がいつの間にか破れている事に気がついた。
 宅うちへ着いた時は一足違ひとあしちがいで叔母がもう帰ったあとであった。宗助は、
「おお、そうだったか」と云いながら、はなはだ面倒そうに洋服を脱ぎ更かえて、いつもの通り火鉢ひば
ちの前に坐った。御米は襯衣シャツや洋袴ズボンや靴足袋くつたびを一抱ひとかかえにして六畳へ這入は
いった。宗助はぼんやりして、煙草たばこを吹かし始めたが、向うの部屋で、刷毛ブラッシを掛ける音が
し出した時、
「御米、佐伯の叔母さんは何とか云って来たのかい」と聞いた。
 歯痛しつうが自おのずから治おさまったので、秋に襲おそわれるような寒い気分は、少し軽くなったけ
れども、やがて御米が隠袋ポッケットから取り出して来た粉薬を、温ぬるま湯に溶といて貰もらって、し
きりに含嗽うがいを始めた。その時彼は縁側えんがわへ立ったまま、
「どうも日が短かくなったなあ」と云った。
 やがて日が暮れた。昼間からあまり車の音を聞かない町内は、宵よいの口くちから寂しんとしていた。
夫婦は例の通り洋灯ランプの下もとに寄った。広い世の中で、自分達の坐っている所だけが明るく思われ
た。そうしてこの明るい灯影に、宗助は御米だけを、御米は宗助だけを意識して、洋灯の力の届かない暗
い社会は忘れていた。彼らは毎晩こう暮らして行く裡うちに、自分達の生命を見出していたのである。
 この静かな夫婦は、安之助の神戸から土産みやげに買って来たと云う養老昆布ようろうこぶの缶かんを
がらがら振って、中から山椒さんしょ入いりの小さく結んだ奴を撰より出しながら、緩ゆっくり佐伯から
の返事を語り合った。
「しかし月謝と小遣こづかいぐらいは都合してやってくれても好さそうなもんじゃないか」
「それができないんだって。どう見積っても両方寄せると、十円にはなる。十円と云う纏まとまった御金
を、今のところ月々出すのは骨が折れるって云うのよ」
「それじゃことしの暮まで二十何円ずつか出してやるのも無理じゃないか」
「だから、無理をしても、もう一二カ月のところだけは間に合せるから、そのうちにどうかして下さいと
、安さんがそう云うんだって」
「実際できないのかな」
「そりゃ私わたしには分らないわ。何しろ叔母さんが、そう云うのよ」
「鰹舟かつおぶねで儲もうけたら、そのくらい訳なさそうなもんじゃないか」
「本当ね」
 御米は低い声で笑った。宗助もちょっと口の端はたを動かしたが、話はそれで途切とぎれてしまった。
しばらくしてから、
「何しろ小六は家うちへ来るときめるよりほかに道はあるまいよ。後あとはその上の事だ。今じゃ学校へ
は出ているんだね」と宗助が云った。
「そうでしょう」と御米が答えるのを聞き流して、彼は珍らしく書斎に這入はいった。一時間ほどして、
御米がそっと襖ふすまを開あけて覗のぞいて見ると、机に向って、何か読んでいた。
「勉強? もう御休みなさらなくって」と誘われた時、彼は振り返って、
「うん、もう寝よう」と答えながら立ち上った。

368 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:44:50.76 ID:twPsrBe10.net
 寝る時、着物を脱いで、寝巻の上に、絞しぼりの兵児帯へこおびをぐるぐる巻きつけながら、
「今夜は久し振に論語を読んだ」と云った。
「論語に何かあって」と御米が聞き返したら、宗助は、
「いや何にもない」と答えた。それから、「おい、おれの歯はやっぱり年のせいだとさ。ぐらぐらするの
はとても癒なおらないそうだ」と云いつつ、黒い頭を枕の上に着けた。



 小六ころくはともかくも都合しだい下宿を引き払って兄の家へ移る事に相談が調ととのった。御米およ
ねは六畳に置きつけた桑くわの鏡台を眺ながめて、ちょっと残り惜しい顔をしたが、
「こうなると少し遣場やりばに困るのね」と訴えるように宗助そうすけに告げた。実際ここを取り上げら
れては、御米の御化粧おつくりをする場所が無くなってしまうのである。宗助は何の工夫もつかずに、立
ちながら、向うの窓側まどぎわに据すえてある鏡の裏を斜はすに眺ながめた。すると角度の具合で、そこ
に御米の襟元えりもとから片頬が映っていた。それがいかにも血色のわるい横顔なのに驚ろかされて、
「御前おまい、どうかしたのかい。大変色が悪いよ」と云いながら、鏡から眼を放して、実際の御米の姿
を見た。鬢びんが乱れて、襟の後うしろの辺あたりが垢あかで少し汚よごれていた。御米はただ、
「寒いせいなんでしょう」と答えて、すぐ西側に付いている。一間いっけんの戸棚とだなを明けた。下に
は古い創きずだらけの箪笥たんすがあって、上には支那鞄しなかばんと柳行李やなぎごりが二つ三つ載の
っていた。
「こんなもの、どうしたって片づけようがないわね」
「だからそのままにしておくさ」
 小六のここへ引移って来るのは、こう云う点から見て、夫婦のいずれにも、多少迷惑であった。だから
来ると云って約束しておきながら、今だに来ない小六に対しては、別段の催促もしなかった。一日延びれ
ば延びただけ窮屈が逃げたような気がどこかでした。小六にもちょうどそれと同じ憚はばかりがあったの
で、いられる限かぎりは下宿にいる方が便利だと胸をきめたものか、つい一日一日と引越を前さきへ送っ
ていた。その癖くせ彼の性質として、兄夫婦のごとく、荏苒じんぜんの境に落ちついてはいられなかった
のである。
 そのうち薄い霜しもが降おりて、裏の芭蕉ばしょうを見事に摧くだいた。朝は崖上がけうえの家主やぬ
しの庭の方で、鵯ひよどりが鋭どい声を立てた。夕方には表を急ぐ豆腐屋の喇叭らっぱに交って、円明寺
の木魚の音が聞えた。日はますます短かくなった。そうして御米の顔色は、宗助が鏡の中に認めた時より
も、爽さやかにはならなかった。夫おっとが役所から帰って来て見ると、六畳で寝ている事が一二度あっ
た。どうかしたかと尋ねると、ただ少し心持が悪いと答えるだけであった。医者に見て貰えと勧めると、
それには及ばないと云って取り合わなかった。
 宗助は心配した。役所へ出ていてもよく御米の事が気にかかって、用の邪魔になるのを意識する時もあ
った。ところがある日帰りがけに突然電車の中で膝ひざを拍うった。その日は例になく元気よく格子こう
しを明けて、すぐと勢いきおいよく今日はどうだいと御米に聞いた。御米がいつもの通り服や靴足袋くつ
たびを一纏ひとまとめにして、六畳へ這入はいる後あとから追ついて来て、
「御米、御前おまい子供ができたんじゃないか」と笑いながら云った。御米は返事もせずに俯向うつむい
てしきりに夫の背広せびろの埃ほこりを払った。刷毛ブラッシの音がやんでもなかなか六畳から出て来な
いので、また行って見ると、薄暗い部屋の中で、御米はたった一人寒そうに、鏡台の前に坐すわっていた
。はいと云って立ったが、その声が泣いた後の声のようであった。
 その晩夫婦は火鉢ひばちに掛けた鉄瓶てつびんを、双方から手で掩おおうようにして差し向った。
「どうですな世の中は」と宗助が例にない浮いた調子を出した。御米の頭の中には、夫婦にならない前の
、宗助と自分の姿が奇麗きれいに浮んだ。
「ちっと、面白くしようじゃないか。この頃ごろはいかにも不景気だよ」と宗助がまた云った。二人はそ
れから今度の日曜にはいっしょにどこへ行こうか、ここへ行こうかと、しばらくそればかり話し合ってい
た。それから二人の春着の事が題目になった。宗助の同僚の高木とか云う男が、細君に小袖こそでとかを
強請ねだられた時、おれは細君の虚栄心を満足させるために稼かせいでるんじゃないと云って跳はねつけ
たら、細君がそりゃ非道ひどい、実際寒くなっても着て出るものがないんだと弁解するので、寒ければや

369 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:44:59.80 ID:twPsrBe10.net
むを得ない、夜具を着るとか、毛布けっとを被かぶるとかして、当分我慢しろと云った話を、宗助はおか
しく繰り返して御米を笑わした。御米は夫のこの様子を見て、昔がまた眼の前に戻ったような気がした。
「高木の細君は夜具でも構わないが、おれは一つ新らしい外套マントを拵こしらえたいな。この間歯医者
へ行ったら、植木屋が薦こもで盆栽ぼんさいの松の根を包んでいたので、つくづくそう思った」
「外套が欲しいって」
「ああ」
 御米は夫の顔を見て、さも気の毒だと云う風に、
「御拵おこしらえなさいな。月賦で」と云った。宗助は、
「まあ止そうよ」と急に侘わびしく答えた。そうして「時に小六はいつから来る気なんだろう」と聞いた

「来るのは厭なんでしょう」と御米が答えた。御米には、自分が始めから小六に嫌きらわれていると云う
自覚があった。それでも夫の弟だと思うので、なるべくは反そりを合せて、少しでも近づけるように近づ
けるようにと、今日こんにちまで仕向けて来た。そのためか、今では以前と違って、まあ普通の小舅こじ
ゅうとぐらいの親しみはあると信じているようなものの、こんな場合になると、つい実際以上にも気を回
して、自分だけが小六の来ない唯一ゆいいつの原因のように考えられるのであった。
「そりゃ下宿からこんな所へ移るのは好かあないだろうよ。ちょうどこっちが迷惑を感ずる通り、向うで
も窮屈を感ずる訳だから。おれだって、小六が来ないとすれば、今のうち思い切って外套マントを作るだ
けの勇気があるんだけれども」
 宗助は男だけに思い切ってこう云ってしまった。けれどもこれだけでは御米の心を尽していなかった。
御米は返事もせずに、しばらく黙っていたが、細い腮あごを襟えりの中へ埋うめたまま、上眼うわめを使
って、
「小六さんは、まだ私の事を悪にくんでいらっしゃるでしょうか」と聞き出した。宗助が東京へ来た当座
は、時々これに類似の質問を御米から受けて、その都度つど慰めるのにだいぶ骨の折れた事もあったが、
近来は全く忘れたように何も云わなくなったので、宗助もつい気に留めなかったのである。
「またヒステリーが始まったね。好いじゃないか小六なんぞが、どう思ったって。おれさえついてれば」
「論語にそう書いてあって」
 御米はこんな時に、こういう冗談じょうだんを云う女であった。宗助は
「うん、書いてある」と答えた。それで二人の会話がしまいになった。
 翌日宗助が眼を覚さますと、亜鉛張トタンばりの庇ひさしの上で寒い音がした。御米が襷掛たすきがけ
のまま枕元へ来て、
「さあ、もう時間よ」と注意したとき、彼はこの点滴てんてきの音を聞きながら、もう少し暖かい蒲団ふ
とんの中に温ぬくもっていたかった。けれども血色のよくない御米の、かいがいしい姿を見るや否いなや

「おい」と云って直すぐ起き上った。
 外は濃い雨に鎖とざされていた。崖がけの上の孟宗竹もうそうちくが時々鬣たてがみを振ふるうように
、雨を吹いて動いた。この侘わびしい空の下へ濡ぬれに出る宗助に取って、力になるものは、暖かい味噌
汁みそしると暖かい飯よりほかになかった。
「また靴の中が濡ぬれる。どうしても二足持っていないと困る」と云って、底に小さい穴のあるのを仕方
なしに穿はいて、洋袴ズボンの裾すそを一寸いっすんばかりまくり上げた。
 午過ひるすぎに帰って来て見ると、御米は金盥かなだらいの中に雑巾ぞうきんを浸つけて、六畳の鏡台
の傍そばに置いていた。その上の所だけ天井てんじょうの色が変って、時々雫しずくが落ちて来た。
「靴ばかりじゃない。家うちの中まで濡ぬれるんだね」と云って宗助は苦笑した。御米はその晩夫のため
に置炬燵おきごたつへ火を入れて、スコッチの靴下と縞羅紗しまらしゃの洋袴ズボンを乾かした。
 明あくる日もまた同じように雨が降った。夫婦もまた同じように同じ事を繰り返した。その明る日もま
だ晴れなかった。三日目の朝になって、宗助は眉まゆを縮めて舌打をした。
「いつまで降る気なんだ。靴がじめじめして我慢にも穿はけやしない」
「六畳だって困るわ、ああ漏もっちゃ」
 夫婦は相談して、雨が晴れしだい、家根を繕つくろって貰うように家主やぬしへ掛け合う事にした。け
れども靴の方は何ともしようがなかった。宗助はきしんで這入はいらないのを無理に穿はいて出て行った

 幸さいわいにその日は十一時頃からからりと晴れて、垣に雀すずめの鳴く小春日和こはるびよりになっ

370 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:45:08.76 ID:twPsrBe10.net
た。宗助が帰った時、御米は例いつもより冴さえ冴ざえしい顔色をして、
「あなた、あの屏風びょうぶを売っちゃいけなくって」と突然聞いた。抱一ほういつの屏風はせんだって
佐伯さえきから受取ったまま、元の通り書斎の隅に立ててあったのである。二枚折だけれども、座敷の位
置と広さから云っても、実はむしろ邪魔な装飾であった。南へ廻すと、玄関からの入口を半分塞ふさいで
しまうし、東へ出すと暗くなる、と云って、残る一方へ立てれば床の間を隠すので、宗助は、
「せっかく親爺おやじの記念かたみだと思って、取って来たようなものの、しようがないねこれじゃ、場
塞ばふさげで」と零こぼした事も一二度あった。その都度つど御米は真丸な縁ふちの焼けた銀の月と、絹
地からほとんど区別できないような穂芒ほすすきの色を眺ながめて、こんなものを珍重する人の気が知れ
ないと云うような見えをした。けれども、夫を憚はばかって、明白あからさまには何とも云い出さなかっ
た。ただ一返いっぺん
「これでもいい絵なんでしょうかね」と聞いた事があった。その時宗助は始めて抱一の名を御米に説明し
て聞かした。しかしそれは自分が昔むかし父から聞いた覚おぼえのある、朧気おぼろげな記憶を好加減い
いかげんに繰り返すに過ぎなかった。実際の画えの価値や、また抱一についての詳しい歴史などに至ると
宗助にもその実じつはなはだ覚束おぼつかなかったのである。
 ところがそれが偶然御米のために妙な行為の動機を構成かたちづくる原因となった。過去一週間夫と自
分の間に起った会話に、ふとこの知識を結びつけて考え得た彼女はちょっと微笑ほほえんだ。この日雨が
上って、日脚ひあしがさっと茶の間の障子しょうじに射した時、御米は不断着の上へ、妙な色の肩掛とも
、襟巻えりまきともつかない織物を纏まとって外へ出た。通りを二丁目ほど来て、それを電車の方角へ曲
って真直まっすぐに来ると、乾物かんぶつ屋と麺麭パン屋の間に、古道具を売っているかなり大きな店が
あった。御米はかつてそこで足の畳み込める食卓を買った記憶がある。今火鉢ひばちに掛けてある鉄瓶て
つびんも、宗助がここから提さげて帰ったものである。
 御米は手を袖そでにして道具屋の前に立ち留まった。見ると相変らず新らしい鉄瓶がたくさん並べてあ
った。そのほかには時節柄とでも云うのか火鉢ひばちが一番多く眼に着いた。しかし骨董こっとうと名の
つくほどのものは、一つもないようであった。ひとり何とも知れぬ大きな亀の甲こうが、真向まむこうに
釣るしてあって、その下から長い黄ばんだ払子ほっすが尻尾しっぽのように出ていた。それから紫檀した
んの茶棚ちゃだなが一つ二つ飾ってあったが、いずれも狂くるいの出そうな生なまなものばかりであった
。しかし御米にはそんな区別はいっこう映らなかった。ただ掛物も屏風びょうぶも一つも見当らない事だ
け確かめて、中へ這入はいった。
 御米は無論夫が佐伯から受取った屏風びょうぶを、いくらかに売り払うつもりでわざわざここまで足を
運んだのであるが、広島以来こう云う事にだいぶ経験を積んだ御蔭おかげで、普通の細君のような努力も
苦痛も感ぜずに、思い切って亭主と口を利きく事ができた。亭主は五十恰好かっこうの色の黒い頬の瘠こ
けた男で、鼈甲べっこうの縁ふちを取った馬鹿に大きな眼鏡めがねを掛けて、新聞を読みながら、疣いぼ
だらけの唐金からかねの火鉢に手を翳かざしていた。
「そうですな、拝見に出てもようがす」と軽く受合ったが、別に気の乗った様子もないので、御米は腹の
中で少し失望した。しかし自分からがすでに大した望を抱いだいて出て来た訳でもないので、こう簡易に
受けられると、こっちから頼むようにしても、見て貰わなければならなかった。
「ようがす。じゃのちほど伺いましょう。今小僧がちょっと出ておりませんからな」
 御米はこの存在ぞんざいな言葉を聞いてそのまま宅うちへ帰ったが、心の中では、はたして道具屋が来
るか来ないかはなはだ疑わしく思った。一人でいつものように簡単な食事を済まして、清きよに膳を下げ
さしていると、いきなり御免下さいと云って、大きな声を出して道具屋が玄関からやって来た。座敷へ上
げて、例の屏風を見せると、なるほどと云って裏だの縁だのを撫なでていたが、
「御払おはらいになるなら」と少し考えて、「六円に頂いておきましょう」と否々いやいやそうに価ねを
付けた。御米には道具屋の付けた相場が至当のように思われた。けれども一応宗助に話してからでなくっ
ては、余り専断過ぎると心づいた上、品物の歴史が歴史だけに、なおさら遠慮して、いずれ帰ったらよく

371 :山師さん (ワッチョイ 23c0-AKKq):2016/11/14(月) 23:45:17.79 ID:twPsrBe10.net
相談して見た上でと答えたまま、道具屋を帰そうとした。道具屋は出掛に、
「じゃ、奥さんせっかくだから、もう一円奮発しましょう。それで御払い下さい」と云った。御米はその
時思い切って、
「でも、道具屋さん、ありゃ抱一ほういつですよ」と答えて、腹の中ではひやりとした。道具屋は、平気
で、
「抱一は近来流行はやりませんからな」と受け流したが、じろじろ御米の姿を眺ながめた上、
「じゃなおよく御相談なすって」と云い捨てて帰って行った。
 御米はその時の模様を詳しく話した後あとで、
「売っちゃいけなくって」とまた無邪気に聞いた。
 宗助の頭の中には、この間から物質上の欲求が、絶えず動いていた。ただ地味な生活をしなれた結果と
して、足らぬ家計くらしを足ると諦あきらめる癖がついているので、毎月きまって這入はいるもののほか
には、臨時に不意の工面くめんをしてまで、少しでも常以上に寛くつろいでみようと云う働は出なかった
。話を聞いたとき彼はむしろ御米の機敏な才覚に驚ろかされた。同時にはたしてそれだけの必要があるか
を疑った。御米の思おもわくを聞いて見ると、ここで十円足らずの金が入はいれば、宗助の穿はく新らし
い靴を誂あつらえた上、銘仙めいせんの一反ぐらいは買えると云うのである。宗助はそれもそうだと思っ
た。けれども親から伝わった抱一の屏風びょうぶを一方に置いて、片方に新らしい靴及び新らしい銘仙め
いせんを並べて考えて見ると、この二つを交換する事がいかにも突飛とっぴでかつ滑稽こっけいであった

「売るなら売っていいがね。どうせ家うちに在あったって邪魔になるばかりだから。けれどもおれはまだ
靴は買わないでも済むよ。この間中みたように、降り続けに降られると困るが、もう天気も好くなったか
ら」
「だってまた降ると困るわ」
 宗助は御米に対して永久に天気を保証する訳にも行かなかった。御米も降らない前に是非屏風を売れと
も云いかねた。二人は顔を見合して笑っていた。やがて、
「安過ぎるでしょうか」と御米が聞いた。
「そうさな」と宗助が答えた。
 彼は安いと云われれば、安いような気がした。もし買手があれば、買手の出すだけの金はいくらでも取
りたかった。彼は新聞で、近来古書画の入札が非常に高価になった事を見たような心持がした。せめてそ
んなものが一幅でもあったらと思った。けれどもそれは自分の呼吸する空気の届くうちには、落ちていな
いものと諦あきらめていた。
「買手にも因よるだろうが、売手にも因るんだよ。いくら名画だって、おれが持っていた分にはとうてい
そう高く売れっこはないさ。しかし七円や八円てえな、余あんまり安いようだね」
 宗助は抱一の屏風を弁護すると共に、道具屋をも弁護するような語気を洩もらした。そうしてただ自分
だけが弁護に価あたいしないもののように感じた。御米も少し気を腐らした気味で、屏風の話はそれなり
にした。
 翌日あくるひ宗助は役所へ出て、同僚の誰彼にこの話をした。すると皆申し合せたように、それは価ね
じゃないと云った。けれども誰も自分が周旋して、相当の価に売払ってやろうと云うものはなかった。ま
たどう云う筋を通れば、馬鹿な目に逢わないで済むという手続を教えてくれるものもなかった。宗助はや
っぱり横町の道具屋に屏風を売るよりほかに仕方がなかった。それでなければ元の通り、邪魔でも何でも
座敷へ立てておくよりほかに仕方がなかった。彼は元の通りそれを座敷へ立てておいた。すると道具屋が
来て、あの屏風を十五円に売ってくれと云い出した。夫婦は顔を見合して微笑ほほえんだ。もう少し売ら
ずに置いてみようじゃないかと云って、売らずにおいた。すると道具屋がまた来た。また売らなかった。
御米は断るのが面白くなって来た。四度目よたびめには知らない男を一人連れて来たが、その男とこそこ
そ相談して、とうとう三十五円に価を付けた。その時夫婦も立ちながら相談した。そうしてついに思い切
って屏風を売り払った。



 円明寺の杉が焦こげたように赭黒あかぐろくなった。天気の好い日には、風に洗われた空の端はずれに
、白い筋の嶮けわしく見える山が出た。年は宗助そうすけ夫婦を駆かって日ごとに寒い方へ吹き寄せた。
朝になると欠かさず通る納豆売なっとううりの声が、瓦かわらを鎖とざす霜しもの色を連想せしめた。宗

372 :山師さん:2016/12/10(土) 14:34:08.16 ID:3KJtCKj00
はいのー

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