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ねずさん(=小名木善行)ってどうよ Part.5

16 :右や左の名無し様:2017/01/11(水) 09:06:50.94 ID:z14YqklU.net
>>11
> >>9

> そもそも、茶運び人形も「からくり半蔵」のような天才肌が独力で作ったものであれば、それが受け継がれなくて当然なんじゃありませんか。

一子相伝の時代ですから、技術を広めて更に発展させるという考えが無かった時代です。そういう時代の技術と、現代の技術を比較しても無意味です。

ねずきちさんは

> 実は、なんと「茶運人形」が復元されたのは、昭和42(1967)年のことなのです。
> それまでは、物語の中でしか知られていませんでした。

とおっしゃっていますが、それは、お茶を人形で給仕する技術は必須技術ではないからです。それを何かの生産技術に応用できる、ということになって初めて生産活動に意味のあるものになります。
お茶を給仕するだけでは、お金持ちの趣味のレベルです。

昭和40年代までは、日本国民は生活を成り立たせることが優先で、そのようなおもちゃの再現を擦る余裕が無かった、ということでしょう。

更に不明なのは、ねずきちさんはこのような無駄な技術を賞賛しつつ、和歌の世界ではすべての言葉に政治的な意味を持たせないものは堕落であるとお考えになることです。

ねずきちさんにはご理解のほかと思われますので申し上げておけば "無駄な技術" というのは不必要な技術ということではありません。無駄に見えるような余裕のある技術力を持っていなければ良い製品をつくりだすことはできないのです。
これは文化でも同等で、たとえば優れた恋の歌を詠むことが出来ることは文化的に優れて居ることの証です。恋に悩むこと真剣に歌に詠む事ができているかどうか、が歌合では評価され、これには政治的なバイアスの入る余地はありません。
勝敗について地位の上の者の歌が劣っても負けにはしないで引き分けにするような配慮があるくらいですが、その位は仕方のないことでしょう。

ねずきちさんの記事を読んでいると、ねずきちさんが技術史、文化史については全く知識をお持ちでないことが良くわかります。

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