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ねずさん(=小名木善行)ってどうよ

637 :右や左の名無し様:2015/11/26(木) 19:24:07.08 ID:rGjZeQGf.net
以下引用

「主権」という言葉は、もともとはイタリア語の「Sovranità」やフランス語の 「souveraineté」を指す言葉で、
日本語に訳せば「最高の存在」を意味する言葉です。
ですから「国家主権」となれば、「国家の最高の存在」を意味します。

ということは現行憲法は、「国民が国家における最高の存在」としているのだから結構なことではないかと
考えるのは早計です。
「国家の最高の存在」ということは、至上にして最高の存在であるということです。
ですから国家の主権者は、国家の対外的最高権、国家の対内的最高権、国家の最高意思決定権を持ちます。
つまり国家の法にも拘束されないのです。
制限速度40km/hの一般道を、自動車で60km/hで走行したら交通警察に捕まり罰金を要求されますが、国民が国家主権者なら、
国民としての最高意思決定権をもって、その取り締まりの警察官をこそ処罰することが可能のとなるはずです。
冗談のようですが、それだけの強権を持つのが主権という言葉の意味です。

もし「国民主権」を重視するならば、日本人は日本国の法を一切守る必要がありません。
なぜなら日本国民は、ひとりひとりが超法規的存在となるからです。
けれど現実には、我々国民は、法の下にあります。
つまり国民主権など、ない、ということです。

引用終わり
「主権」の語源がスペイン語やフランス語の単語を起源とする(Wikipediaにありました)ことを根拠に、
語源の意味のみをなぞって「主権者=超法規的存在」とトンデモ解釈をしています。
実際には主権者たる国民は超法規的存在でない、ということで日本国憲法の矛盾をついているつもりのようです。

確かに語源や語の成り立ちを考えることは、その言葉の意味を吟味するうえで重要になりますが、
語の意味というものは変遷するものであって、ことに法律や政治の用語は歴史や時代的背景で大きく変わるものです。
日本における国民主権は、日本国憲法の前文において言及されています。

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