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ねずさん(=小名木善行)ってどうよ

1 :ねずさん破産:2015/04/26(日) 08:56:47.89 ID:tQmtT6U/.net
「ねずさん」こと「小名木善行」氏は信頼できる人物なのでしょうか。
会社の人より「ねずさんのひとりごと」というブログが一日3万アクセス、日本の正しい歴史や日本の心を取り戻すため是非読むべきだ、と勧められました。
http://nezu621.blog7.fc2.com/

最近では「百人一首」の本も上梓されたようで、「ねずさん」こと「小名木善行」氏の信奉者がかなりいるということも知りました・・。

確かにブログを拝見すると、小名木善行氏の学歴等は書かれていませんが、かなりの知識がおありの方で、歴史や政治経済について幅広く記載があり、大物政治家とも親交がおありのようでした。

ところが途中で気が付いたのですが、日本礼賛、排外的、でいわゆる右派が歓迎するような内容に偏っており、ヘイトの代表である「在特会」のリンクまでが貼られていました。

さらに「小名木善行」氏は「ねずさん」というペンネームがありながら、「小名木善行」という名まえも本名ではなく、「小名木伸太郎」という名まえが本名であり、過去にマルチ商法に(ストレートワン)
手を染めていた疑惑や主催されている「日心会」の不正会計疑惑、さらには自らが代表者として経営されていた食品会社 大和食研(株)も2014年3月に破産開始決定している事実があります。
http://ib-tousan.jp/2014/03/07/post_18_h_10.html

(百人一首の本の著者プロフィールから「食品会社経営」の文字が消えています。同一の会社ということは間違いなさそうです。)

同氏のブログでは「胡散臭い」とか「嘘」という言葉がよく出てくるのですが、小名木伸太郎氏こそが「胡散臭い」と思えるのは私だけでしょうか。
会社の人がすすめるように「日本を知るために大切なことを言っている人」としてこの人を信用してもいいのでしょうか。

みなさまのご意見をお聞かせください。

なお、同氏はブログで「賛同」するコメントだけを残し、疑問を呈するコメントは削除したり、相手にブロックをかけたりしているようです。この手法も昨今「殉愛」問題で揺れる百田尚樹氏にそっくりです。

395 :右や左の名無し様:2015/10/05(月) 07:52:06.84 ID:quB/fMTD.net
殷富門院大輔とドアの鍵
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2782.html#comment55180

突っ込みどころが複数あって考察してゆくと次々と発散してしまってまとまりませんががんばってみます。

この歌の解釈の上で重要な鍵は、歌合せ、題詠、歌枕、本歌取り、でしょう。

引用
一般の解釈では、「濡れて色が変ったはずの袖が、まるで濡れていないと思えるほど濡れた」→「だからこれは血の涙に違いない」
→「恋で血涙を流しているのだから、そうとう悔しいに違いない」→「だからこの歌は失恋して相手を恨んで詠んでいる歌だ」と説いているようです。
しかも「見せばやな(=あなた方に見せてあげたいわ)」というのです。
ここまできたら、もう精神異常の世界です。
これではまるで怪談話です。
引用終わり

氏がこの解釈をどこから"一般的解釈"として持ち出してきたのか不明です。いつもどおりシャドーボクシングの相手を作りたい、ということなのでしょうがきわめて稚拙です。
まともな文学者の解釈ではない、このようなものを彼はなぜ一般的な解釈として持ち出したのでしょうか。単に攻撃しやすいからでしょうね。

396 :右や左の名無し様:2015/10/05(月) 08:01:20.57 ID:quB/fMTD.net
続き #2

私は自分はきわめて常識的な感覚を持っていると考えていますので、その感覚で考えてみます。

まず、この歌には本歌があります。本歌取りは平安時代後半の短歌に非常によく用いられる技巧で、氏が敬愛していると称しておられる藤原定家もこれを多用しています。
この歌が歌合せで発表されたときにも参加者や判者は基礎知識として本歌を理解してました。何しろ作者は三十六歌仙の一人です、その人の勅撰集にとられた歌です。歌人としてそれを知らければ公式の場には出られません。
古歌、故実についての共通知識の下に短い言葉で十分な効果を発揮させるのがこの時代の和歌です。現代人が鑑賞する場合も、その時代の古歌、故実についての知識が無ければとんでもない解釈になってしまいます。
氏は和歌、短歌の共通認識をご存じなく、一足飛びに氏の政治的な希望に歌の解釈を合致させようとしています。これが、氏の解釈もしくは氏が"一般的解釈だ"と紹介する解釈がおかしなことになっている理由です。

この歌の本歌は、以下のものです。
松島や雄島の磯にあさりせしあまの袖こそかくはぬれしか (源重之 後拾遺 827)

一首の意味は簡単に言えば、松島の雄島の磯で漁をしている海人の袖でもなければ私の袖よりも濡れている袖はない、という意味です。
自分の袖を海で仕事をしている漁師の袖と比べて、濡れていることを強調しています。松島の雄島、は歌枕で、この歌は名所歌として詠まれたものなのでしょう。

この本歌を下敷きにすると、
見せばやな雄島の海人の袖だにも濡れにぞ濡れし色は変はらず
は、以下のように解釈できます。

古歌で雄島の海人の濡れた袖と自分の袖の涙を比べた人がいたけれどその歌で海人の袖になぞらえられた濡れた袖も高々普通の涙で濡らしただけです。
私が紅涙で濡らした袖のように赤く色が変わってしまったわけではないでしょう。
この染まってしまった袖を恋するあなたにお見せしたいものです。

現代の恋人同士の間でも、涙の跡を見せたい、位のことをラブレターに書くことはありますが、これはその古代編です。一般の解釈も対して変わらないでしょう。

続きます

397 :右や左の名無し様:2015/10/05(月) 08:05:05.63 ID:quB/fMTD.net
続き #3

以下引用
この歌は、歌会で公式に発表された歌です。
女性が、公の場の人さまの前で、「私、恨んでます」などと声高に主張するものなのでしょうか。
どこかの国の民族と違うのです。
バカにしないでもらいたいとさえ思います。
引用終

いつどおり下品なおっしゃり方です。

この歌は歌会に出されたものではなく、歌合に出されたものです。

歌合というのは、普通の歌会と違い、与えられた題で歌を詠み、左方、右方と番えて審判が勝敗を決めるものです。一般の歌会も題詠が普通ですが、組み合わせの勝ち負けなどはつけません。
千載集の詞書には、歌合せし侍りける時恋の歌とて詠める、となっています。題詠ですから、実経験ではなくフィクションの世界です。

上にも書いたように、このレベルではまだ恨みを詠んだとまでは云えない、というのが私の意見ですが、恨みを詠んだ場合でも正式な歌合せの席だから恨みの歌が出せない、という氏の考えは以下の理由から私には全く理解不能です。
氏は "歌会の席で実在の人物を非難する事" と "歌会につれない男を非難するフィクションの歌を出す事" との違いが理解できずに罵倒しているようです。恥ずかしい方です。

たとえば、内裡歌合せの"恋すてふ"の歌と"忍ぶれど"の歌の勝ち負けの話は皆様ご存知と思いますが、壬生の忠見が負けたことを苦にして衰えて亡くなってしまったという話がまことしやかに語られています。
死んでしまったというのは作り話だとは思いますが、技巧を尽くした歌を詠んで勝つことをとても真剣に考えていたことがわかります。恨みの歌であれば恨みが生々しく伝わるような歌が詠めなければ勝つことは出来ません。

続きます。

398 :右や左の名無し様:2015/10/05(月) 08:15:53.35 ID:quB/fMTD.net
続き #4

更に、氏は紅涙をとても大仰に受け取って(これが氏がこの歌を恨みの歌と考える原因となっています)、精神異常などの暴言を吐いておられます。しかし、これは和歌の世界での白髪三千丈的表現です。
以前に指摘させていただいたように、氏は抽象表現や比喩の表現を理解することは不得意のようですが、もう少し訓練を積む、もしくは読んですぐに反応するのではなく少し時間をかけて読み取る習慣をつけることをお勧めいたします。

悲しいときには血の涙がでる、というのは中国の故事によるものですが、古代、中世の日本でも普通に用いられる比喩でした。

実例を少し申し上げれば、

-白玉とみえし涙もとしふればからくれなゐにうつろひにけり 紀貫之
-色かはる露をば袖におきまよひうらがれて行く延べの秋かな 俊成卿女 (定家姉)

などの歌があります。
作り物語では、伊勢物語の男が狩の使いとして斎宮に逢う段の結末は"男も人知れず血の涙を流せどえ逢はず"となっています。

古代、中世の比喩と申し上げましたが、現代でも、MS Wordでこうるい、けつるいと入力して変換すると工場出荷状態の辞書ファイルなら紅涙、血涙と変換されるほど一般的な言葉です。
現代ではこのような大げさな比喩を使う人はあまり見かけませんが言葉としてはまだまだ現役なのです。

もう一つ申し上げておきますと、氏は"雄島"に関してもとんでもない解釈をされています。私には彼がそのように解釈する根拠が全く理解不能です。
雄島の海人、という言葉がこの歌に出てくるのは、本歌取の元となった歌に雄島の海人が出てくるからです。本歌の名所がそのまま引き継がれたというだけのことです。

以上、氏の語解釈については今さら私から申し上げることもないので、省略いたします。

皇嘉門院別当の記事についても発散方向なのですが、後ほど考察致をアップ致しますのでお待ちください。

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