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恨みってやっぱ効果ある

1 :1:2015/02/24(火) 02:29:26.93 ID:???.net
人間20年以上生きていれば、
こいつだけはどれだけ謝られても積まれても死んでさえ許せないほどに憎む相手ができることがある。
因果応報ってこわいね?
そんな感じの実話。
あまりにも酷過ぎる事柄は省いてあります。

2 :1:2015/02/24(火) 02:29:58.82 ID:???.net
あるところに、双方許嫁が決まっていながらも愛ゆえに駆け落ちした一組の夫婦がいた。
不幸がありながらも、駆け落ちした夫婦。
夫は公務員として働いて家庭を支え、
妻は飲食店を営みながら細々と生活していた。

やがて子が生まれ、
一人目は長女、二人目は長男が生まれた。
三人目も生まれたが、一歳ごろに水桶で溺死した。
不幸がありながらも、駆け落ちした夫婦。
ひとつ、問題があった。
夫は、毎日妻に子供に暴力を振るった。
それどころか、身重の妻を階段から突き落として流産させようとし、誰の子かわからない、女房は他人だ親兄弟が一番大事だと吐き捨てた。
子供に灰皿を投げつけた。
癇癪を起こし妻を下着だけで寒空の下、外へ締め出した。
耐え切れなくなった長女はいつものように料理に難癖をつけてくる父親に煮えたぎったカレーの鍋を浴びせた。
怒り狂った父親は庖丁を握りしめ、長女に向かって突き立てようとした。
母親は「逃げろ!!」と叫び長女と父親の間に身を躍らせた。
何年も、何年もそんな日々が続いた。
妻は限界だった。
やがて外に男を作り、自分の生活を手に入れるため、出て行った。
その家の、全財産の入った財布を握りしめて。


そこからの生活は惨憺たるものだ。
お金がない。家には父親。母親の残した借金。
長女は働く決心をした。
しかし学生の身空で普通の職に就けるわけもなく、
けれど、長女には一芸があった。
まだ家族が揃っていたころに、歌の先生に師事して頂いていたのだ。
その頃にはもう長女の才能は開花しており、芸能界でもやっていけると言われ、
様々な各地のカラオケ大会でも頂点をとっていたが、歌番組ではあらかじめ一位になる人間は決められていることが往々にしてあった。
しかし番組が終わると目を付けた作曲の先生が自分とともに仕事をしてほしいと名乗り出てくれた。
苦しいながらも弟を学校に通わせ、生活していけるだけのお金を稼げるようになるまで、それから何年と待たなかった。
そして、それを知った母親が長女に金の無心をしに来るまでにもそれほど時間はかからなかった。

長女は、
暴力と借金まみれの父への恨みと
愛人を作り、家の金を全て持って出ていき、その愛人の借金を娘にたかる母への恨み
それだけで動いていた。
信じられるものは自分だけだと、幼い日から知っていた。

3 :1:2015/02/24(火) 02:30:36.82 ID:???.net
ある時長女は一人の男に出会った。
とある理由から忌避し、嫌悪し、吐き捨てるほどの男性恐怖症だった長女だったが、芸能界にいる間に若干克服できていた。
それは恋ではなかった。愛情でもなかったが、三年程の付き合いの後に結婚し、妊娠した。
待っていたのは、言葉
誰の子かわからない、女房は他人だ親兄弟が一番大事だ
いつか母から聞いた、反吐が出るような言葉。
そして、暴力。
憎い父が昔言っていたことやっていたことをそのまま持ってきたかのような言動。
ここで負けたらいけないと、長女は思った。
殴られたら殴り返した。
言われたら、ぐうの音も出ないまでに逃げ道をふさいだ。
子供が生まれてしつけに関して何かを言われたら、目の前で子供がきちんとしているところを見せ付け黙らせた。

そんなある日、母が脳血栓で倒れたと連絡が入った。
あんな母でも昔は父から守ってくれ、自分を抱きしめてくれた母。
恨む気持ちはあれども、次の日に入院先に向かうことにした。
その夜、長女の夢枕に白い髭のおじいさんが立った。
昔から幽霊や不可思議な現象によく遭遇する体質だったため、もしかしたらその類かもしれないと耳を澄ました。
曰く、
「お前の母はやりすぎた、醜い姿で生かしておいてやる」
何のことかと次の日病室へ向かうと、母は起きていた。
右半身不随の状態で。
左脳がやられてしまったため、自分のことを「私」といえず、昔から呼ばれていた「ちゃこちゃん」と言う。
言語障害が出ているため、人の名前や男、女、ものの名前すらも出てこずにアレ、コレ、としか言えない。
ごろりと横たわり、右半身が全く使えず歩けもしない母。
醜い姿とはこのことか、と納得した。

一方父は、一人暮らしをしながらも過剰飲酒で肝炎が悪化し、入退院を繰り返していた。
60才という若さでありながらも筋力は弱り、両の足は動くものの立って歩くことはままならず、
トイレに行くにも床を這いずって行かなければならない。
長女は報いだと思いつつも、何も言わずに何年も看病した。
酒を飲んで暴力を振るい、かつて娘に刃物まで向けた父親に対して向ける態度ではないと父親は情けなさに俯いた。
後悔するにも、謝罪するにも、あの時の自分を殺してやりたいと思いながらも、
全ては20年以上前の自分のことで、行動をするには自分は弱りすぎてしまった。
自分の足で歩けたなら、きっとあの子の前に行って土下座して謝罪することができる。
あの頃のあの子の頭をなでて抱きしめてやることができる。
失望される前に、あの子がすべてを諦める前に。

その四年後に父親は死んだ。
夏の日、十日以上発見されることなく放置された。
ただ、死因はくも膜下出血であったため、苦しまずに逝くことができただろうと言われた。

長女は、入退院を繰り返す父も、半身不随で動けない母も、
決して自分たち夫婦の家に引き取ることはなかった。

4 :1:2015/02/24(火) 02:33:33.61 ID:???.net
長女、っていうのが自分の血縁なんだがそれ以外にも長女に対して暴言はいたりひどいことしてた人間の末路がやばいので
憎しみとか恨みって抱き続けてると相手に何かしら影響あるんじゃないかって信じちゃうよ…オカルトじゃないのに

5 :日野OL不倫放火殺人事件:2015/03/06(金) 14:17:51.29 ID:V2uMhFbu.net
身の毛もよだつ不倫女の蛮行

《閲覧注意》
復讐のため子供を失う感情を体験させてやる
http://m.youtube.com/watch?v=s0UJvUeItpY

概要
http://www.maroon.dti.ne.jp/knight999/hino-ol.htm

6 :ナナシズム:2015/03/06(金) 16:53:31.35 ID:agZ78G/X.net
1992年、伊予高校にいた「橋本」という教師に僕だけとばすという差別を受けました。
「橋本」は旧姓かも?

7 :匿名くん。:2015/03/22(日) 23:27:02.70 ID:WMX+bBGG.net
二十数年前の事。まだ、少女だった頃の事。和歌山市内にあるエミ美容室で暴行を受けました。
家の事情で進学できず、右も左もわからない常識も備わっていないまま私は、エミ美容室の上階に住み込みで働くことになりました。
しかしこれまでを振り返ってみますと、”最も最低な職場”でした。
風呂は、二日、三日に一度。トイレの清掃は経営者の奥さんが

「水がもったいないから」

と、水洗トイレの中にある水で素手でトイレ清掃させられたり、エミ美容室の経営者の旦那さんは、戦争の後遺症があり、寝たきりなので奥さんに

「起こしてきて」

と、言われて起こしに行かされたり、自分の部屋とは全く関係のない家の清掃をさせられたり、食事の用意をさせられました。
全く美容師見習いの仕事じゃありませんでした。
まるで、女中の仕事でした。夕飯はそこの主人の残り物を食べさせられました。

そのような虐げられる丁稚奉公のような生活が一ヶ月半が過ぎた日の朝。
わたしは、営業中に当時二十代前半で山田と名乗る男性従業員から暴行を受けました。
誰もその暴行を止めず、お客さんは横目で黙認し、従業員と、経営者らは、

「もっとやれ!もっともっとガチャガチャにしてやればいんや!!」

と、洗髪台のところで私が山だから暴行を加えられているのを喜びながらざわめいておりました。
わたしは、その声を耳にしながら洗髪台の下で小さく蹲りずっと、山田という当時二十代前半の男性従業員からの暴行に耐え続けなければなりませんでした。
山田は、洗髪台の床にうずくまる私の顔や腹を何度も何度も足で踏みつけたり拳で殴るなどしました。私は、その痛みに耐え続けなければなりませんでした。
二十代前半の山田という男性従業員が私に加える暴行が済んだ後。
経営者とその姉妹らと、男性従業員2名は揃って、三階か二階の部屋で寝泊まりしていた私の荷物をダンボールにぐちゃぐちゃに詰め込みました。

「出て行け!やっと、お前を追い出せる。嬉しいわ」

と、言いながら二階の階段通路の窓から私の全荷物を外へ、ぽーいと、放り投げ出してしまいました。あの時のこと。いまだに忘れられません。
私が、何故そこまでされなければならなかったのか未だにわかりません。が、美容師見習いまがいの生活の中で、一切美容師の見習い事をさせてもらえなかったこと。それを私は、ずっと心の中に鬱積させておりました。
それをある日の午後。営業中に二度ばかり従業員に口走ってしまったのが原因だと思っています。
それが周囲の従業員や経営者らと、その姉妹らの眼に”生意気な小娘”だと映ったことでしょう。

わたしは、暴行を受けて辞めさせられましたが、エミ美容室の経営者らは、私の母に、わたしが暴行を加えられて辞めさせられたことを一切一言も告げませんでした。
母が、そのことを知ったのは数ヶ月後でした。ーー。
なぜ、母が”私が辞めさせられたか?”と、いう理由を知ることができたのは、私の心の整理がついた数ヶ月経過した日のことでした。私は、勇気を持って自分の口から母に打ち明けた時だったのです。

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