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【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★8

496 :ニュースソース検討中@自治議論スレ:2018/10/25(木) 12:24:41.19 ID:6oTreYEf.net
出水市と川内市の市街地を走り抜ける九州新幹線鹿児島ルートは,それまで希薄とされていた弥生時代以後の様相を鮮明にしはじめている。

川内川の自然堤防に形成した大島遺跡と,国分寺台地下の京田遺跡を重ねると,弥生時代のほぼ全ての土器変遷が観察できる。

大島遺跡は薩摩半島西海岸地域で普遍的な刻目突帯文土器からスタートし,前期から中期の初め頃までは在地系の入来T式やU式土器が主流を占める。

しかし,中期の中頃から中期後半の間は,大島遺跡での人々の生活痕跡は突如として消え,全くの空白期が出現する。

そして,その空白期間を補うように京田遺跡が出現する。ところが,京田遺跡から出土する土器は,

黒髪式土器と呼ばれる肥後系の土器である。この時期,薩摩半島南部や大隅半島は,在地土器である山ノ口式土器の全盛期であるが,全く発見されない。後期に入ると,

人々は一斉に大島遺跡に移動し,今度は京田遺跡から弥生人の生活痕跡がかき消されていく。大島遺跡への移動当初は,肥後系土器を引き続き使用しているが,

終末期には,在地の土器である中津野式土器へと移行しており,肥後地域との連携が遮断されている。二つの遺跡の土器の変遷や遺跡の動きの背景には,

変動激しい当時の北薩弥生人の動勢が隠されている

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