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【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★8
- 45 :ニュースソース検討中@自治議論スレ:2018/10/19(金) 16:53:38.20 ID:Yx3rLK6A.net
- >>40
話は結構簡単
古墳時代が、列島の広い部分を覆う一つの体制の下にあったのは確実で、
その体制を都出比呂志は前方後円墳体制と呼んでいる
そして、その古墳時代の体制の中心が畿内大和にあるのは、誰も疑問に思わないし、
北部九州でも前方後円墳を作っているから、この体制に参加している
古墳時代の倭国の都が大和にあるのは誰も疑問に思わない
そして、定形化した古墳時代の始まりの巨大古墳、箸中山古墳が纏向遺跡にあり、
定形化古墳の前の纏向型前方後円墳でも、列島最大の墳丘を持つものは纏向遺跡に
累代的に作り続けられることから、纏向遺跡が古墳時代の始まりの地であること、
古墳時代の最初の都であることが確実
その状態で、纏向遺跡=古墳時代の始まりの年代をAMS法による14C年代測定法で
理化学的測定を行ったら、卑弥呼の時代よりむしろ前の年代が出たってこと
つまり、卑弥呼の時代には古墳時代が始まっていたし、そうであるなら
前方後円墳体制=魏志倭人伝の倭国であり、その都は畿内大和にあったと確定する
それだけのこと
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