■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★8
- 414 :ニュースソース検討中@自治議論スレ:2018/10/24(水) 18:58:44.79 ID:XOYIOvMh.net
- 『千余里したら対馬国にいたる。』の対馬国は
今の「対馬」に比定しているが、これは問題無いだろう。
『千余戸ありて・・・』とあるが、張氏は、当時の「戸」には「人」の意味があり、むしろその使い方の方が多いと説明している。
こういう部分が、正しく翻訳できる能力があるのかないのかが別れるところだろう。
現在を考えると、一家4人ならば、小さな対馬の島に4千人もの人がいたことになるが、この解釈は間違いだと言っている。
「Y」氏の文献は、「戸」を一家と考えているため、後々の比定地に対して、人口が多すぎて住めない・・・
と解釈している場所がある。おそらく「Y」氏は頭の良い方だと思うが、それが解釈を誤らせたということになる。
科学的に分析するのでは無く、正しく読むことが重要なのだが・・・。
『また一海を南渡して千余里、一大国にいたる』と続くが、ここでの「千余里」が、現代の何キロになるかは分からない
と張氏は説明しているが、少なくとも「対馬国へいたる」千余里と、ここでの千余里はほぼ同等距離でなければ
いけないとのこと・・・当然だろう。そのため、「一大国」は「壱岐」に比定している。
距離が同等であれば、対馬国から「千余里」で行けるのは「壱岐」しかありえないからだ。
「一大国」を「一支国」の書き間違いだという学者がいるが、ここでは「一大国」が正しいとしている。その理由は、後から出てくるので覚えておいて欲しい。
さて、ここから確信に迫って行こう。「壱岐」の次は「末蘆国」と「伊都国」になるが・・・
日本では、松浦と発音が似ているからといって、松浦半島の「呼子」や「唐津」に比定しているが、百パーセント間違いだと
解説している。
・・・続く!
誤読だらけの邪馬台国
総レス数 1001
401 KB
新着レスの表示
掲示板に戻る
全部
前100
次100
最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★