2ちゃんねる スマホ用 ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【歴史】四百年前の大地震で一夜で埋まった「帰雲城」は庄川左岸に 白川村、歴史愛好家らが研究結果発表へ[05/19]

1 :しじみ ★:2018/05/19(土) 22:38:52.54 ID:CAP_USER.net
 白川村で四百年前の大地震で一夜で埋まったとされる「帰雲城(かえりくもじょう)」の位置は
「同村保木脇の庄川の左岸」だったとする研究結果を、
歴史愛好家でつくる白川郷埋没帰雲城調査会がまとめ、十九日、発表する。

 村史によると、帰雲城は一四六四(寛正五)年ごろ、白川郷一帯を治めた内ケ島為氏(うちがしまためうじ)が築城。
四代目城主・氏理の時代に起きた一五八六(天正十三)年の大地震で山崩れとともに全てが埋まったとされる。
城の位置は不明で、これまで庄川の東側である右岸説や左岸説などが唱えられてきた。

 調査会によると、飛騨の地役人が一七四六(延享三)年に書いたとされる地誌「飛騨国中案内」に、
城のあった場所として「往昔は帰雲、其後(そのご)は帰山なり。に今至て其所を帰雲川原と言ならし候」との記述があった。
調査会ではこれまでに「氏理の居城のあった所を帰雲川原と言うようになった」と解釈してきた。

 新たに今回、白川村役場が所蔵し、
地誌より十年以上前に描かれた同村の古地図「享保年度山林絵図面」を調べたところ、
保木脇周辺の庄川の左岸部分に「帰雲川原」と記されていたという。
調査会事務局長の野田秀佳さん(56)は「長年追い求めていた場所が分かり、感無量。伝説にも一歩近づけた」と喜ぶ。

 調査会は一九八六年に発足して以降、文献による研究や村内の調査などを重ねてきた。
今後も現地調査などをして、幻の城の存在を裏付ける手がかりを探す。

画像:「帰雲川原」の地名が書かれた古地図
http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20180519/images/PK2018051802100304_size0.jpg

中日新聞(CHUNICHI Web)
http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20180519/CK2018051902000051.html

31 :ニュースソース検討中@自治議論スレ:2018/05/23(水) 21:34:09.32 ID:NeE29Afh.net
埋蔵金なんてあるわけないでしょ

もし本当にそんな金があったら
勢力図がかわってたわ

総レス数 31
9 KB
掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★