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部落の人の名前★15

25 :名無しさん@お腹いっぱい。 (中止 87e5-T9/6):2017/02/14(火) 15:49:10.67 ID:8guwx2750St.V.net
神戸に多くのヤクザが生まれたのは港があったからである。今は見る影もないが、海運業は当時の経済を支える花形産業だったのだ。
港には人の出入りが多く、物資と金が集まる。全国的にも港街では華やかな異国情緒の裏でヤクザたちの暗躍が見られた。
荷役業務や港に付随する色町の利権。それを巡って激しい勢力争いが繰り広げられたのだ。
現在、社会の変化によってこうした構図は消滅したが、今もここには多くのヤクザがいる。
兵庫県下の暴力団は、平成3年度は3540人いたが、暴対法の施行によって一時減少した。
のち、ほぼ3000人という数字で推移しており、平成14年は3130人、平成15年は3120人、平成16年は3140人、平成17年は少々増加し、3260人だ。

組織といえば、やはり山口組が圧倒的に多い。
なにしろ地元の裏観光名所になっている山口組本家をみても分かるように、ここは日本最大のヤクザ組織・山口組の本拠地なのである。
平成17年度、組員総数における山口組組員は94パーセント。この高率は検挙者における山口組組員の割合にもきっちり反映している。
平成13年には兵庫県下で年間1021人の逮捕者があったが、そのうち山口組は969人。
以後、平成14年には1142人中1078人、平成15年は1207人中1148人、平成16年には1354人中995人、平成17年には1091人中1039人だ。
いまやその大多数をしめる山口組。しかし、これほどの寡占化が進んだのはこの10年で、それまでの神戸にはたくさんのヤクザ組織があったのである。

近代神戸ヤクザの始祖の一人が、富永亀吉だった。
富永は大阪のヤクザと密接な関係を保ちながら、港の利権を手中に収め、一帯に強力な地盤を築きあげたのだ。
だが、富永の天下はあっけなく終わった。長田区五番町で中山組の刺客に殺害されたのだ。
神戸の地図に突如として空白部分が生まれ、その覇権を巡って激しい攻防が開始された。
戦いを制したのは富永の舎弟である石川恵造の舎弟分だった大島秀吉である。

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