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「動物愛護」ブログが差別表現で炎上! 3

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/23(土) 22:54:13 ID:g33XbNLZ0.net
http://blogs.yahoo.co.jp/wolftemplejp/22365608.html#23496903


2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/23(土) 22:56:22 ID:aOmA1aMcO.net
>>1
人権板にスレを立てる理由を箇条書きせや板荒らし馬鹿ホモ穢多

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/23(土) 22:56:32 ID:g33XbNLZ0.net
世界は処刑に溢れている。
毎日毎日、動物たちが人間に処刑される。
速やかに死ねる訳ではない。
安らかに死ねる訳ではない。
延々と叩かれて、全身の骨を折られて死ぬ命もいる。
生きたまま、意識のある中で、全身の皮を剥ぎ取られる命もいる。
命たちが、どれほど地獄の苦痛を味わおうと、お構い無しで執行される。
いや、その前に、とことん恐怖と絶望を味わう。
いや、その前に、拷問環境での残酷飼育を味わう。


4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/23(土) 22:57:23 ID:g33XbNLZ0.net
それなのに世間は、
「殺す・殺さない」「食う・食わない」・・この論点だけで議論を沸かす。
「殺す・殺さない」だけの問題ではないだろう・・・・
「食う・食わない」だけの問題ではないだろう・・・・
まさか、「動物は痛みや苦しみや恐怖や絶望を感じない」とでも思っているのか??
或いは、「動物の感情なんかどうだっていいだろう!!」というスタンスなのか??


5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/23(土) 22:58:21 ID:g33XbNLZ0.net
例えば巷で「殺処分」問題が議論される時、
例えば巷で「鯨食・犬食」問題が議論される時、
肯定派は「動物の苦痛」に対しては殆ど関心を持たない。
「殺処分も、やむおえない」 「食うことも、やむおえない」・・・
これが彼らの口癖だが、「やむおえない・・・」と言う割には、
動物たちの凄惨な死に対する哀悼の意は、彼らから殆ど感じられない。
「やむおえない・・・」と言うからには、相当な葛藤があるだろうし、
その言葉が本心ならば、心の中で哀悼の祈りを捧げるだろう。普通は・・・


6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/23(土) 22:59:20 ID:g33XbNLZ0.net
だが肯定派の間では、
恐怖に怯える動物の心境を、
絶望の中で呆然と佇む動物の心境を、
地獄の痛みに悲鳴をあげる動物の心境を、
限界を超えた苦しみに呻く動物の心境を、
それら一切を無視した視座で意見が交わされている。


7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/23(土) 23:00:22 ID:g33XbNLZ0.net
「せめて手段を選ぼう!!」という意見は存在するのだろうか??
だが、未だかつて「殺しの手段」について真剣に論議された場面を見たことが無い。
或いは、世間は「感謝して食べよう!!」と謳うが、
この日本で、心の中で感謝の祈りを捧げているような風情を見たことが無い。
その言葉は単なるポーズなのだろうか???
もし本当に「感謝」があるのなら、
例えば、立っているのもやっとの身体に肥育される「霜降り牛」を何故求めるのか??
彼らの肥育生活がどれほど辛いか、何故知ろうともしないのか??
例えば牛が処刑される時、生きている状態で逆さに吊るされるが、
一本の後ろ足が、全体重で引っ張られ、その足が脱臼してしまう。
その激痛で牛が泣くという・・・・あの忍耐強い牛が・・・・
例えば食用の犬は、栄養価が高まるという妄信から、徹底的に拷問される。
単に「殺し」が目的ではないのだ。とことん苦しめた果てに殺すのだ。
だが「動物の苦痛の事実」を知ったところで、肯定派は顔色ひとつ変えないだろう・・・・
「それがどうした???」で済まされるだろう・・・・
もし平気じゃなければ、とっくの昔に「処刑の手段」を議論していたはずだ。
そして今も議論が続いているはずだ。だが、そんな場面を見たことがない。
つまり彼ら肯定派は、まるで平気ということだ・・・・


8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/23(土) 23:22:36 ID:g33XbNLZ0.net
かりにも、命を戴くのだ。
何よりも尊い命を戴くのだ。
せめて、せめて苦痛無き処刑法を考えて欲しい。
せめて、せめて恐怖無き処刑環境にして欲しい。
せめて、せめて処刑場までの運搬手段を改革して欲しい。
せめて、せめて処刑の日までは、安息の飼育環境を与えて欲しい。
尊い命を戴くのだから、せめてこの程度の配慮は当然のはずだ。
それなのに、これまでは余りにも無視されてきたのだ・・・・


9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/23(土) 23:24:17 ID:aOmA1aMcO.net
>>1
穢多の板荒らし確定やなw

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/23(土) 23:24:26 ID:g33XbNLZ0.net
肯定派は、否定派の意見を「感情論!!!」と断罪する。
だが肯定派は、あまりに「無感情論」を振りかざす。
なんでこんなに極端なのか??
なんでこんなに極論なのか??
せめて、処刑の手段を考えてみても良さそうだが・・・
これほど人間が科学を自慢しているのだから・・・
これほど人間がテクノロジーを自慢しているのだから・・・
これほど人間が知力と文明を自慢しているのだから・・・
その自慢の力を、せめて、「尊厳死」に生かすべきだと思うのだが・・・
せめて、拷問処刑死から尊厳死へと改革してもらいたい・・・
しかしどうやら、人間にはその発想は無いようだ。
何故発想しないかと言えば、関心が無いからだ。
処刑される動物の恐怖や苦しみなど、未だに眼中に無いのだ。
人間は、指一本ケガしただけで病院に駆け込む。
痛み止めを飲む・・・麻酔をかける・・・
自分たちのことになれば大騒ぎするくせに、
異種の命に対しては、とことん冷酷になれるのだ・・・・


11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/23(土) 23:25:33 ID:g33XbNLZ0.net
仏教には「不殺生戒」という戒律がある。
これは、ただ「殺すな!!」という意味ではない。
「殺すな!!」と同時に、「苦しめるな!!」という意味だ。
相手が異種の命であろうとも、理不尽に苦しめるなど、絶対に許されない。
現代の僧侶の多くは、単に「戒律」としか捉えていないようだが、
戒律以前に、仏道の第一義であることは明白だ。
これほど重大事なのに、僧侶は「動物の拷問死」に対して無関心の様子だ。
「感謝して食べる・・」と口では言うが、本心で感謝しているなら、
動物への凄惨な処刑に対して平気でいられるはずが無い・・・・


12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/23(土) 23:26:26 ID:g33XbNLZ0.net
我々の棲む森から降ると、牧場が点在する。
敷地は広大に在るのに、牛たちは狭い牛舎に閉じ込められている場合が殆どだ。

乳牛の牧場も肉牛の牧場もある。
たまに、肉牛の牧場で牛のささやかな放牧風景を見かける。
そこを通る時には、辛い。
心の中で祈りを捧げる。
子牛もいる。母牛もいる。
車を止めて、彼らの元に歩む。
母牛は、必ず子牛を護る態勢に入る。
子牛は母牛の陰に隠れて様子を窺う。
子牛が無邪気に出ようとすると、母牛が制する。
母牛の、子を想う気持ちが、痛いほど伝わる。
子牛の、母を想う気持ちが、痛いほど伝わる。
私は柵の際に座る。そのまま何もしないでジッと座る。
やがて母子牛は安心し、私の元に寄って来る。
子牛が遊びだす。無邪気におどけて遊びだす。
子牛の遊ぶ姿は、例えば、子犬と全く変わらない。
本当に子犬と変わらない。天真爛漫そのものだ。


13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/23(土) 23:27:23 ID:g33XbNLZ0.net
だが、その純真の子牛が、地獄に引きずり込まれる。
姿勢を変えることさえ許されないほどの極限状態で飼育される「家畜工場」が存在するのだ。
この現代で、共生が叫ばれる現代で、そのような魔界が実在するのだ。
生まれた瞬間から死ぬ瞬間まで、彼らは一瞬の安息さえも許されない・・・・
牛たちは、みな、やさしい。
みな、穏やかに佇んでいる。
だがその牛も、トラックに載せられて処刑場に運ばれる日には大声で泣く。
五年前の深夜、既にトラックに積まれた牛が、泣いていた。
闇を渡ってくる悲痛な泣き声が、胸を貫いた。
中原中也の「赤い道」が想い出された。
その詩は、処刑場に向かう牛の詩だ。
これからその牛は、その赤い道を旅するのだ。死出の旅だ・・・・
私はその日から、非肉食者になった。
**** WOLFTEMPLE ****


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