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【アメリカ】 アメリカ空母に初の黒人名 真珠湾攻撃の英雄ドリス・ミラーにちなむ 2020/01/22

1 :朝一から閉店までφ ★:2020/01/22(水) 18:00:49 ID:CAP_USER.net
update:2020/1/22 17:35ミリタリー/航空アメリカ海軍, 原子力空母, 空母

 アメリカ海軍の最新型空母、ジェラルド・R・フォード級の4番艦に、アメリカ空母史上初めてアフリカ系アメリカ人の名前がつけられることになり、公民権運動指導者マーティン・ルーサー・キングJr.記念日の2020年1月20日(現地時間)、お披露目式が行われました。

 新しい空母(CVN-81)の名前となったのは、ドリス・ミラー氏(1919年〜1943年)。アフリカ系アメリカ人初の海軍十字章(当時アメリカ海軍で第3位の勲章)受章者です。


 海軍の給養員(コック)だったドリス・ミラー氏の叙勲理由は、真珠湾攻撃での目覚ましい働きでした。当時戦艦ウェストバージニア(BB-48)に乗り組んでいた22歳のミラー氏は、乗組員へ朝食を提供したのち、准士官の洗濯物を取り込んでいたその時、空母赤城飛行隊長の村田重治少佐率いる艦攻隊の襲来により発令された非常警報(バトル・ステーション)を耳にします。
 ミラー氏は洗濯物を放り出し、周りの乗組員に攻撃を知らせると、近くにあった対空機銃座に駆け寄り、艦に迫りつつある魚雷を迎撃。しかし魚雷は命中し、戦艦ウェストバージニアは深刻な損傷を受けます。
 このほかにも艦爆隊の直撃弾を受け、ウェストバージニアは艦橋にある戦闘指揮所が大破。爆弾の破片により、艦長のベニオン大佐は瀕死の重傷を負ってしまいました。ミラー氏はほかの乗組員たちと協力して艦長の手当てをし、救護所へ運ぼうとしますが、ベニオン艦長はこれを拒否。艦と乗組員の様子を報告するようミラー氏に命じ、傷口から溢れる血を押さえながら指揮をとり続けますが、出血多量により力尽きてしまいます。
 ミラー氏はこのほかにも、傷ついた乗組員の手当てをして回り、続いて対空機銃で日本の攻撃隊を迎撃。弾を撃ち尽くすとまたほかの機銃座に移動し、迎撃を継続しました。
 日本の第一次攻撃が終わると、ミラー氏はまた負傷者の手当てをして回りますが、魚雷による浸水とその傾斜復旧のための注水で、ついにウェストバージニアは着底。艦載機の燃料による火災も発生して、ミラー氏を含む乗組員らは戦闘継続が不可能と判断し、艦を放棄して退避しました。余談ですが、戦艦ウェストバージニアは1942年に浮揚、修復ののち1944年に戦列復帰を果たし、僚艦とともに同年10月のスリガオ海峡海戦で日本の戦艦扶桑、山城を撃沈しています。
 この真珠湾攻撃時の奮戦により、ミラー氏は1942年5月27日に空母エンタープライズ(CV-6)艦上で太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ大将から黒人初の海軍十字章を授与されました。しかし翌1943年、ミラー氏は乗っていた護衛空母リスカム・ベイ(CVE-56)がマキン島沖で、日本の潜水艦伊175の雷撃で沈没。ミラー氏も艦と運命を共にしました。アメリカでは「第二次大戦最初の英雄」として知られ、全米各地に名前を冠した小学校や通り、記念碑や銅像が設置されています。

      ===== 後略 =====
全文は下記URLで
Last Updated:2020/1/22 17:35 Edited By 咲村 珠樹 © C.S.T.ENTERTAINMENT Inc. URL: https://otakei.otakuma.net/archives/2020012204.html

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