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【ドイツ銀行】中国共産党の上層部やその家族に高級プレゼントなど賄賂と高官の子息のための「縁故」採用枠 [10/17]

184 :七つの海の名無しさん:2019/11/05(火) 23:20:44 ID:UeRmLu2g.net
ダーディンの約5000字におよぶ長文レポートは、殆どが伝聞記事で、
彼自身の目撃記事は支那人便衣兵の悪行や便衣兵の処刑や戦闘状況など僅か
日本軍による民間人虐殺に関する目撃記事は全くない

本当に日本軍による民間人殺害を目撃していれば、こんな記事は有り得ない。
新聞を売るために「東スポ」と同じように派手な見出しを付けただけだった

同じ頃、【シカゴ・デイリー・ニューズのスティールも、これと酷似した記事を書いている】が、
それは2人とも、【ベイツが安全区委員会として作成したメモ(レポート)に基づいてそれぞれ記事を書いたから】
(南京事件調査研究会編訳『南京事件資料集 第1巻』105頁)

ベイツなど南京に長期間残った安全区委員会のメンバーは誰も日本軍による市民虐殺を目撃していない。
1937年12月15日に早々と船で南京を離れたダーディンやスティールが、
日本軍による民間人殺害を目撃する筈がない

特にダーディンは句容に行っていて南京に戻ったのは14日の夜
また、【ベイツは支那国民党の顧問】だったことが判明しており、国民党の宣伝に関わっていたことは間違いない。
(「南京大学教授ベイツの"化けの皮"」『諸君!』2002年4月号、『正論』2002年4月号)

ダーディンの記事の派手な見出し「民間人も殺害」に関しては、当然世間は相手にしなかった

ところが、それから8年以上が経った戦後の東京裁判で、日本軍による南京市民大虐殺事件があったことになってしまった
「東スポ」のように、見出しなど一部にだけ派手に「民間人も殺害」という言葉を入れていたダーディンは、
一躍、『南京事件を世界に知らせた男』となった。自分でも、さぞかし驚いたことでしょう。

ダーディンは、1962年のニクソン訪中で北京に同行し、1988年には南京の虐殺館を訪問した。
古森義久氏への回顧談でも、見て来たようなウソをつき通すしかなかった

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