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【ポーランド】知られざる親日国。なぜポーランドの人々は日本に感謝し続けるのか

2 :七つの海の名無しさん:2017/02/22(水) 23:22:02.09 ID:54oWk9IE.net
【トピック@−2】「日本人に出会ったら恩返しをして欲しい」
後にポーランド大使となる兵藤長雄氏は外務省入省の後、1961年に英国の陸軍学校に留学してロシア語を学んだが、その時の先生がグラドコフスキという
元ポーランド陸軍将校であった。グラドコフスキ先生はどういうわけか、兵藤氏を何度も自宅に呼んでご馳走したり、特別に勉強を助けてくれた。

なぜこんなに自分にだけ親切にしてくれるのだろうと不思議に思って聞いてみると、先生は父親の話を始めた。父親はロシアに徴集されて日露戦争に従軍したが、
捕虜となって数ヶ月を日本で過ごしたのだった。そこで周囲の見知らぬ日本人から親切にもてなされ、深い感銘を受けた。

父親は日本人の温かい心と数々の善意が終生忘れられずに、息子にその時の話を詳しく聞かせては「お前も日本人に出会ったらできるだけ親切にして
恩返しをして欲しい」と口癖のように話していたという。
「父親が受けた日本人からの親切を、今、貴君を通じてお返しできることは本当に嬉しい」と先生は兵藤氏に語った由である。

【トピックA】「ヤポンスカ(日本)はサムライ魂を持っているんだ」
阪神大震災の孤児たちをポーランドに呼ぼうと働きかけた中心人物は、外交官スタニスワフ・フィリペック氏である。
フィリペック氏はポーランド科学アカデミーの物理学教授だったが、ワルシャワ大学で日本語を学び、東京工業大学に留学した経験もあった。

フィリペック氏のお父さんは、第2次大戦中、ドイツ占領下のポーランドでレジスタンス活動に従事していたが、氏が3歳の時にゲシュタポ(ナチス・ドイツ秘密警察)に
捕まって強制収容所に送られ、還らぬ人となった。その後、氏はおばあさんに育てられたが、よくこう聞かされた。
「お父さんのように強くなりたかったら、ジジュツ(柔術)をやりなさい。ヤポンスカ(日本)に伝わるレスリングよ。
ヨーロッパの果て、そのまた果てのシベリアのむこうにね、ヤポンスカという東洋の小さな島国があるの。その小さな国が、
大きくて強いロシアと戦争をして、やっつけたんだもの。ジジュツのせいかどうかはしらないけど、
ヤポンスカはサムライの国でね、サムライ魂を持っているんだ。

小さなヤポンスカがロシアを負かしたことは、私たちポーランド人の希望になったんだ。わたしたちもヤポンスカのように、
ロシアや、ドイツや、オーストリアを負かして追い払い、自由をとり返して、独立できると信ずることができた。
そしてそのとおり、第一次大戦のあとで、ポーランドは独立できたんだよ。
(『日本のみなさん やさしさをありがとう』手島悠介・著/講談社)」

おばあさんは幼いフィリペック氏に、ヤポンスカがポーランド人捕虜を親切に扱ったことや、大勢のポーランド孤児をシベリアから救出したことを
語って聞かせたという。これが機縁となって、氏は日本語を学び、両国の友好のために働こうと決意したのである。

(つづく)

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