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【特集】 「はだしのゲン」の原型となった、作者・中沢啓治さんの凄惨な体験…自伝「おれは見た」を巡る [朝一から閉店までφ★]

1 :朝一から閉店までφ ★:2023/03/04(土) 23:43:36.73 ID:YAdcx5UZ.net
【特選】深掘り解説&特集
TBSテレビ
2023年3月4日(土) 06:00

世界中で読み継がれる漫画「はだしのゲン」。作者・中沢啓治さんは6歳の時、爆心地からわずか1.2キロ地点で被爆しました。実はその自伝を、「おれは見た」という短編に残しています。そこで描かれる中沢少年の凄惨な体験は後に「はだしのゲン」として描かれました。

中沢さんは語りました。
「ゲンは私そのものなんです」

ゲン=中沢少年が、「死ぬまで伝える」と決意した「地獄なんて生易しいものではない」光景、そしてあり得ない母親の死とはどれ程の出来事だったのか。「はだしのゲン」の原型である「おれは見た」をベースに番組で中沢さんが伝えたメッセージは何だったか。


TBS「筑紫哲也NEWS23」が2004年に放送した、生前の中沢さんの訴えと願いを今一度皆さんと共有したいと思います。
▼2004年8月6日OA(動画はこちらから) 
▼取材・撮影・構成 TBS報道局解説委員 豊島歩






爆心地から1.2kmの光景

中沢啓治さん:
「B-29のジュラルミンが太陽に反射されてチカチカって光ってるんですよ」

1945年8月6日8時15分。
中沢啓治さんは当時小学1年生でした。
「俺は学校前でたまたま声をかけられ、偶然、塀を背にした。そのとき、光が飛び込んできた」

原爆は「ピカドン」と言われます。映画などでは「ピカッ」と光る、真っ白な閃光で表現されますが、中沢さんの眼には虹のような色で見えたそうです

「音はなかった。気づくと光を浴びたおばさんは死んでいた。町は真っ暗だった。煙がたなびいている中から、人影が見えてくるんですね」

「その人に近づいていくと、本当にびっくりしたのは…幽霊の行進がね、ズルズルと歩いてくるんですよ。水ぶくれがもう25センチぐらいの大きな水ぶくれになって、皮膚がパリッと破れるわけですね。破れると水とともに皮膚もダラダラダラダラと、水と一緒に垂れてくる。足の皮膚を引きずるとね土埃が舞い上がるんですよ」

中沢さんがまず覚えているのは、原爆投下直後は、被爆した人の悲鳴など「音がなかった」ことだそうです。

怪我をしているにもかかわらず、人々は苦しいとも痛いとも言わず黙々と歩いていたといいます。

「シーンとして。本当に音がなかったですね」





唯一聞こえた音
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/360626?display=1

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