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やっちゃった!今日の朝日のドキュン記事 その111

209 ::2017/08/14(月) 23:05:49.23 ID:b/jX+E4s0.net
  (>>208の続き)

人間は食物なしでは生きられない。補給のないまま部隊を放置し、降伏も認めなかった当時の
軍を、大塚さんはどう思っているのか。
「我々兵隊は何を言っても通じないですよ。人間扱いされなかったのだから」

島の最高責任者で、帰任後に自決した北村勝三陸軍少将は、こんな意味の漢詩を残している。
「最後には虫やネズミを食べ、長年の国を守る思いは夢のようだ。無数の兵も飢えに苦しむ。
飢えを思えば敵との戦いは何ほどでもない」

第2次大戦での日本軍の餓死について調べた藤原彰・一橋大名誉教授(故人)の著書
「餓死した英霊たち」では、メレヨン島を「孤島の置きざり部隊」という章で紹介している。
「降伏を認めない日本軍の非人間性が、最も強く表れたのがメレヨン島だった」

補給無視の作戦計画、作戦参謀の独善横暴、精神主義への過信、降伏の禁止と玉砕の
強制・・・。同書が挙げる大量餓死の理由だ。「日本軍に固有の性質や条件が作り出した
人為的な災害」だと結論づけている。

戦後72年。「飢餓の戦場」を生き延びた元日本兵たちは90代を迎えている。証言者は残り少ない。

広島県竹原市で一人で暮らす浜本正義さん(91)は、パラオ諸島に配備された舞台で米軍の
空爆受けた後、終戦まで孤立した。

ヘビやトカゲ、バッタ、ネズミ・・・。食べられるものは全て食べ尽し、体は極限までやせ、顔は骸骨の
ようになった。衰弱した者は体中に腫れ物ができ、ウジを自力で払うこともできずに死んでいった。
「南の島に捨てられに行ったようなもの。よう生きて帰ったもんじゃのお」

最近の安全保障や憲法9条をめぐる議論について、浜本さんは思う。「経験したら分かるが、
戦争になったらどうにもならん。兵隊の命は軽くみられる」
食事は今も手作りで、食べ残しは捨てずに冷凍して保存している。

  (終り)

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