2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ゴー宣道場 278

365 :名無しかましてよかですか?:2023/07/02(日) 09:30:52.29 ID:9V9SuFzj.net
グローバルサウスと大東亜共栄思想1
http://office-ym.seesaa.net/article/499197188.html

日本の右翼の原点が「アジア主義」にあったことに政治学者ですら気づいていないようだ。
日本で、アジア主義という政治観を打ち立てることができたのは、主導権をにぎったのが、国家ではなく、
右翼という個人の思想や価値観か反映された有志団体だったからだった。
 有志団体なら、国家の利害関係をこえた人類の理想にたちむかってゆける。
 右翼が、国家や民族の独立やアジア同胞の連帯という大運動に挺身できたのは、
国家という枠組みに縛られない自由人だったからで、
頭山満や内田良平は民族独立や国家防衛には身をたぎらせたが帝国主義戦争には大反対だった。

当時の右翼は、国政や軍事、官僚から一線を画した有志の団体で、
頭山満の玄洋社は、満州義軍(馬賊)を編成、ロシア軍の後方をかく乱するゲリラ戦を展開、
天佑侠を編成して、東学党を援けた黒龍会の内田良平も朝鮮やインド、
フィリピンの独立運動に尽力したが、日本政府の手先になることはなかった。
盟友の犬養毅から大臣の椅子を約束されても政界入りを断った頭山満は、
関東軍のよる満州建国や日韓併合とりわけ日華事変に大反対だった。

大アジア主義に立っていたからで、当時、右翼人の思想や行動力をささえていたのは、
西郷隆盛や叛乱士族らからうけつだ武士の精神であった。
玄洋社の三憲則に、皇室を敬戴すべし(第一条)、本国を愛重すべし(第二条)、
人民の権利を固守すべし(第三条)とあるが、国政に尽くせとはない。
西郷や叛乱氏族の精神うけつぐ右翼にとって、ヨーロッパの模倣に走る明治政府は、
理想からほど遠いもので、右翼が維新の根幹とみなしたのは、西郷隆盛の大東亜論であった。

総レス数 1001
400 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200