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ゴー宣道場ってどうよ?264

319 :名無しかましてよかですか?:2021/09/10(金) 10:53:02.51 ID:G1vXpFLx.net
>>277

盧溝橋事件で日本軍と対峙していたのは、国民党軍第29軍である。総司令官は宋哲元という人だが、その右腕の参謀が張カツキョウという人で実は、中国共産党のスパイだった。
弟の張カツギは、共産主義者ではなかったが、兄に説得され中国共産党のスパイになり、何と、満州鉄道に潜り込んだ。張カツギは、平沢道則という軍人や志位正二という軍事と
度々会っているところを目撃されている。志位は、終戦後にソ連に抑留される。志位はシベリアでラストボロフと出会う。ラストボロフは、抑留者の中からソ連スパイで使えそうな者を
選んでいた。志位は、抑留者の中から日本人スパイを選ぶラストボロフの仕事を手伝うようになる。志位自身もスパイとしてオメガネに適った。
その後、志位は、日本に帰還。ラストボロフも外交官として日本に来日。二人は、日本国内でスパイ組織をオルグしていくことになる。潮目が変わったのが、スターリンの死だった。
ラストボロフの上司のベリヤが、フルシュチョフによって粛清された。ラストボロフは、日本の警察に自首し、アメリカへの亡命を懇願する。ソ連に戻れば粛清されるからだ。
志位正二のような奴は、こういう時の生き残り術が上手い。すぐに自首して、仲間の日本人スパイを売ることになる。外務省の高毛礼茂(コードネーム=エコノミスト)日暮信則、庄司宏などだ。
日暮は、警察署の4階の窓から「インターナショナル万歳」を叫んで飛び降り自殺している。高毛礼は、戦時中にゾルゲとは、別ルートで日本はソ満国境から北進しないことをスターリンに報告している。
志位正二は、刑務所を出た後、貿易商となり日ソ貿易に取り組む。1970年代にソ連から日本に向かう機中で謎の死を遂げる。
志位正二は、甥っ子が日本共産党のトップに昇り上がることを見届けることはなかった。

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