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大石寺教義と板本尊真偽論の考察3
- 668 :名無しさん@お腹いっぱい。:2018/07/16(月) 22:58:39.84 ID:udXdI7oA.net
- 本門戒壇の大御本尊は、黒漆を塗り金箔を張った御本尊だが
この脇書だけは金箔加工していない。
次に戒壇の大御本尊の写真は2枚だけ公開されているが
2枚とも脇書が墨で黒くぬり潰してある。
なにか知られられると都合の悪いことでもあるのだろうか?
実は、本尊の筆跡とは脇書の筆跡は違うということである。
この点について日達は「日蓮大聖人と日興上人の合作である」と説明したという。
鑑定してみればわかることだが、日蓮正宗はさせないのだ。
日蓮正宗は、熱原の法難を縁として弘安2年10月12日
大聖人が大御本尊を建立あそばされたと教える(法華講員の基礎知識)
しかし弘安2年10月12日、神四郎達はまだ生きていた。
「神四郎等兄弟3人の斬首及び17名の追放は、
弘安3年4月8日と定めるのが当然」(第59世日亨・富士日興上人詳伝)
に見られる通りである。これは動かしがたい事実であり
日連正宗でも創価学会でも疑う違うものはいない。知らないの信者だけである。
冒頭の基礎知識では、ほとんどの信者は「神四郎達が処刑されたのを見て、
大聖人が戒壇の大御本尊を書示した」と受けとる。
事実ほとんどの信者は、そう信じている。
なぜ日蓮正宗は、このような作為的作文するのだろうか?
『富士日興上人詳伝』には、
神四郎等兄弟三人の斬首および他の十七人の追放は、弘安三年四月八日と定むるのが当然であらねばならぬことを主張する。(同書九一頁)
とあり、日亨上人は弘安三年四月としている。
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