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【おはスタ】おはガールふわわ応援スレPart5【KDX】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/18(土) 22:02:52.52 ID:7UV7FU3/.net
2014年度おはガールにしてアイドルユニット「おはガールふわわ」を応援しよう!

(重要)荒らしには反応せずNGワードへ登録する事。
できない人は無視「荒らしの相手をする人も荒らし」絶対構わない事。

おはガールふわわ - Happinet Music Web
http://www.happinet-p.com/jp2/music/ohagirlfuwawa/
kdx@kendamaxross
https://twitter.com/kendamaxross
おはガールスタッフ@ohaohagirl Twitter
https://twitter.com/ohaohagirl

前スレ
【おはスタ】おはガールふわわ応援スレPart4【KDX】
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/geinoj/1487159273
【おはスタ】おはガールふわわ応援スレPart3【KDX】
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/geinoj/1453504217/
【おはスタ】おはガールふわわ応援スレPart2【KDX】
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/geinoj/1431743054/
【おはスタ】おはガールふわわ応援スレ【KDX】
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/geinoj/1416503836/

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/18(土) 22:03:46.26 ID:7UV7FU3/.net
おはガールふわわ メンバー

三好 杏依 (あい)
生年月日:2000年5月8日(16歳)
出身地:東京都
血液型:B型
所属事務所:現時点では不明(事務所ホームページにのってからお知らせ)

三好杏依オフィシャルブログ (2014/05/20〜)
http://ameblo.jp/ai-miyoshi/
GREEブログ (〜2014/05/09)
http://gree.jp/miyoshi_ai

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/18(土) 22:04:11.41 ID:7UV7FU3/.net
井東 紗椰 (さや)
生年月日:2002年2月2日(15歳)
出身地:神奈川県 
血液型:AB型
所属事務所:ホリプロ・インプループメント・アカデミー

所属事務所公式サイト
http://hia.horipro.co.jp/
日本タレント名鑑
http://news.goo.ne.jp/entertainment/talent/W09-1147.html

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/18(土) 22:04:30.29 ID:7UV7FU3/.net
川鍋 朱里 (かわなべ しゅり)
生年月日:2001年7月18日 (15歳)
出身地:埼玉県
血液型:O型
所属事務所:ヴィズミック

公式プロフィール
http://vithmic.co.jp/talent/syuri_kawanabe/
川鍋朱里オフィシャルブログ (2014/12/11〜)
http://lineblog.me/syurikawanabe/
アメーバブログ(〜2014/12/10)
http://ameblo.jp/syuri-kawanabe/

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/18(土) 22:04:54.50 ID:7UV7FU3/.net
関連スレ
【ふわわ】三好杏依ちゃん Part10【あい】
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/actress/1484011969
【ふわわ】井東紗椰ちゃんPart2【さや】
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/geinoj/1435670323/
【ふわわ】川鍋朱里ちゃん Part4【しゅり】
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/geinoj/1469970080/

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/18(土) 22:17:12.98 ID:CnVVnUQ3.net
安藤正和キモすぎ

105 すてきななまえをつけてね。 sage 2017/02/18(土) 21:56:09.98 ID:rHskkZjn
ムーンちゃんのぬいぐるみはかわいい。
白くてふんわり。
彼に、吉川日菜子ちゃんのDVDを見せることがいちばん好き。
それに美少女タレントのスカート(股間)を触らせればこれ以上ない贅沢。
ただ、ムーンちゃんを叩く、はんぺん荒らし、あれは早く逝け。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/19(日) 01:29:53.25 ID:HU+DLw3/.net
おはガールふわわ 「クロスマイハート」 MVショートver.
https://www.youtube.com/watch?v=Udx_xCbOdY4
おはガールふわわ 「クロスマイハート」 MVダンスver.
https://www.youtube.com/watch?v=-EmNM1M7pPg
おはガールふわわ 「トロイメライライン」 MVショートver.
https://www.youtube.com/watch?v=1TjI9NrSyyA
おはガールふわわ 「トロイメライライン」 MVダンスver.
https://www.youtube.com/watch?v=ARlY2tmdQcg
おはガールふわわ 「あいだにダイア」 MVショートver.
https://www.youtube.com/watch?v=XOwKsjKOyKQ
おはガールふわわ がゲラゲラポー走曲を踊ってみた
https://www.youtube.com/watch?v=cn0CL8-xBpU

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/19(日) 05:48:04.72 ID:psHU93wO.net
ケンダマクロス トリックレボリューション フラッシュ
https://www.youtube.com/watch?v=AL0gMm250YE

ケンダマクロス トリックレジェンド ハンギングスパイク
https://www.youtube.com/watch?v=8yl2KnZnPgY

【ガチで挑戦!】14日間マンガ家コースWEB版(全10話)
http://www.takaratomy.co.jp/products/jobaca/manga/oha/

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/19(日) 08:37:23.37 ID:WtKZZsZT.net
AVデビューする子は誰かね

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/19(日) 13:23:55.39 ID:zGAoj6BS.net
>>9
そんな子はおはガールにはいないよ…

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/19(日) 18:31:48.13 ID:wL5KOoDf.net
ぱっつんにしたしゅりちゃんかわいい

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/19(日) 19:45:40.83 ID:0/klfhXi.net
オワコンスレ立てんなカス

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/19(日) 19:47:01.41 ID:0/klfhXi.net
517 名前:名無し募集中。。。@無断転載は禁止[] 投稿日:2017/02/18(土) 22:13:47.80 0
○○○○がふわわスレを立てたっぽい

↑立てたのオレじゃねーしw

14 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 19:47:58.97 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

15 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 19:48:24.61 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

16 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 19:48:46.27 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

17 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 19:49:10.65 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

18 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 19:49:46.17 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

19 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 19:50:13.65 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

20 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 19:50:30.75 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

21 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 19:51:52.29 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

22 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 19:52:12.95 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

23 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 19:52:41.11 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

24 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 19:53:06.77 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

25 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 19:53:53.55 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

26 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 19:54:36.80 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

27 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 19:55:40.27 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

28 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 19:56:00.48 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

29 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 19:56:49.52 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

30 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 19:57:32.33 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

31 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 19:58:01.51 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

32 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 19:58:34.17 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

33 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 19:59:00.18 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

34 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 19:59:17.59 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

35 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 19:59:45.15 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

36 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:00:22.83 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

37 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:01:07.19 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

38 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:01:38.92 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

39 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:02:00.28 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

40 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:02:19.81 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

41 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:02:44.13 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

42 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:03:09.76 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

43 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:03:29.44 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

44 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:03:48.95 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

45 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:04:26.47 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

46 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:04:43.82 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

47 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:05:24.88 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

48 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:06:45.24 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

49 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:07:41.53 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

50 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:08:24.02 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

51 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:08:57.45 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

52 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:09:15.93 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

53 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:09:55.05 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

54 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:10:35.60 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/19(日) 20:11:03.61 ID:BmggSQF3.net
無職の安藤正和が何か言ってる

158 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2017/02/19(日) 19:55:18.87 ID:0/klfhXi
しゅりっぺ川越行ったのか
川越行く暇あんなら仕事すればいいのにw

56 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:11:09.86 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

57 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:11:31.17 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

58 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:12:02.84 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

59 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:12:53.10 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

60 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:13:25.00 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

61 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:13:56.20 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

62 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:14:40.03 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

63 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:15:22.81 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

64 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:15:52.04 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

65 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:16:30.84 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

66 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:17:10.78 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

67 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:17:33.50 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

68 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:18:02.90 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

69 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:18:51.84 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

70 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:19:25.60 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

71 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:20:08.37 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

72 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:20:39.14 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

73 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:21:19.80 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

74 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:21:55.83 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

75 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:22:34.57 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

76 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:23:13.62 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

77 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:24:07.31 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

78 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:24:46.88 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

79 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:25:29.52 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

80 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:26:20.33 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

81 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:27:10.79 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

82 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:27:34.66 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

83 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:28:23.22 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

84 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:29:03.36 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

85 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:29:42.75 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

86 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:30:11.66 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

87 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:30:54.33 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

88 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:31:37.81 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

89 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:32:10.47 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

90 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:32:58.23 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

91 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:33:31.11 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

92 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:34:27.80 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

93 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:34:52.67 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

94 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:35:13.62 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

95 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:35:35.11 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

96 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:36:06.92 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

97 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:36:45.28 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

98 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:37:06.72 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

99 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:37:36.78 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

100 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:37:59.63 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

101 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:38:30.31 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

102 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:38:49.82 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

103 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:39:22.15 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

104 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:40:09.51 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

105 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:40:41.97 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

106 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:41:00.14 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

107 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:41:32.45 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

108 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:42:07.77 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

109 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:42:27.15 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

110 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:42:45.92 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

111 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:43:03.50 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

112 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:43:30.71 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

113 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:44:00.83 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

114 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:45:04.27 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

115 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:45:45.49 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

116 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:46:14.86 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

117 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:47:00.09 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

118 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:47:41.31 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

119 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:48:16.59 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

120 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:49:04.66 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

121 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:49:54.61 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

122 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:50:24.30 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

123 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:51:06.63 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

124 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:51:26.61 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

125 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:52:00.05 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

126 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:52:25.47 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

127 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:52:51.29 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

128 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:53:20.85 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

129 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:53:53.48 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

130 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:55:20.58 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

131 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:55:39.55 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

132 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:56:09.75 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

133 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:56:47.67 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

134 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:57:35.82 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

135 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:58:17.76 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

136 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:58:39.11 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

137 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:59:02.96 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

138 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 20:59:45.46 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

139 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 21:00:17.33 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

140 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 21:00:44.80 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

141 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 21:01:17.39 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

142 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 21:01:34.30 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

143 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 21:02:33.95 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

144 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 21:03:11.65 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

145 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 21:04:04.72 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

146 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 21:04:51.97 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

147 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 21:05:28.32 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

148 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 21:06:04.48 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

149 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 21:07:23.82 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

150 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 21:08:30.05 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

151 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 21:09:08.63 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

152 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 21:09:27.70 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

153 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 21:09:51.58 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

154 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 21:10:38.02 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

155 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 21:11:03.82 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/19(日) 21:11:06.95 ID:nYrGHK39.net
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【おはスタ】おはガールふわわ応援スレPart6【KDX】
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157 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 21:12:20.84 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/19(日) 21:12:47.81 ID:nYrGHK39.net
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159 :埋めるでやんす:2017/02/19(日) 21:12:51.34 ID:0/klfhXi.net
無量寿如来に帰命し不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。
あまねく、無量、無辺光、無碍、無対、光炎王、清浄、歓喜、智慧光、不断、難思、無称光、超日月光を放って塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。
如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。ま凡聖逆謗ひとしく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。
すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実の天に覆えり。たとえば日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲て見て敬い、大きに慶喜すれば、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者とのたまえり。
この人を分陀利華と名づく。
弥陀の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽受持することはなはだもって難し。難の中の難これに過ぎたるはなし。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく。
南天竺に龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時必定に入る。ただよく常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといえり。
天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲る。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといえり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かいて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の論を註解して、報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといえり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。
円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといえり。
善導独り仏の正意を明かにせり。定散と逆悪とを矜哀して、光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむといえり。
源信広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。
我またかの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲、倦きことなくして常に我を照らしたまうといえり。
本師源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興し、選択本願を悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とすといえり。
弘経の大士宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。

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