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キングコング西野公論 397

398 :Voicy(4/5):2020/12/26(土) 20:25:47.41 ID:FsVf/M4r0.net
>>397続き)

で、ここが今日の本題なんですけども。

「映画えんとつ町のプペル」の上映後の拍手ってね、ホントに大きな意味があると思っていて、
映画を見終わって勇気を振り絞って行動を起こした主人公たちの背中を見終わってですね、
「行動する自分になるか否か」の、最初の問いになっているような気がしています。

そこにはですね、自分の気持ちやスタッフへの労いを表明するために、
「拍手をする一人目になろう」と覚悟を決めてくれた人もいれば、
「拍手をしたいな」と思っていても、だけど、自分ひとりになるかも知れないからと手を下げて、
どこからか拍手が起こったタイミングで、遅れて拍手をする人もいると。

くれぐれもそこにはですね、間違っている人なんて一人もいなくて、それが「リアル」だと思うんですね。
「あー、自分はこういうポジションを取るヤツなんだ」って分かることで、そこには意味があって、
それを知れるから、初めてね、「じゃあ次からはどうする?」って議論が生まれる。
小さな一歩か、もしくはまだ一歩も踏み出していないのかも知れませんが、それがすごく大切だと思います。

で、僕の場合で言うと、最初はひとりだったんですよ。0.03ミリのボールペンでチマチマと描くわけですが、
ようやく完成させた絵本が売れるわけでもなく、そこからはセッセと手売りですね。
その姿は見る人が見ればミジメに映ったかも知れません。
テレビという華やかな世界から軸足を抜いて、それを始めたクチなので、
実際に「落ちぶれたな」なんて言葉なんてね、もう何回…何万回も! 浴びたんですね。

ただそんな事を続けてるうちに、「西野をひとりにさせない」っていう人が、一人増え二人増え、
冒頭で申し上げましたが、そういった方々のおかげで、映画の初日を迎えることが出来ました。
「ひとりにさせない人」の力が本当に大きかったんですね。

「映画えんとつ町のプペル」は正にそういう物語で、一人目になった人と、一人にさせなかった人の冒険活劇です。
どっちも必要な人で、どっちかが欠けていたらハッピーエンドは迎えられなかった。
なんかそういったモノが、映画上映後の拍手に表れていて、メチャクチャ面白いなぁと思っています。

今日はちょっと喋りたいことがまだあるので、次のチャプターに移動したいと思います。

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