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キングコング西野公論 360

518 :ファンのブログ(1/2):2019/02/02(土) 19:14:05.45 ID:wB8ma/v+0.net
https://www.facebook.com/AkihiroNishino.official/posts/1057196111151417

僕の当時のことを僕よりも知っている人がいた!!

http://www.hirokionline.net/entry/2018/09/10/084919
パパの人生好転ブログ
2018/09/10

●西野亮廣の戦慄のデビュー戦

西野亮廣さんは高校卒業後に吉本興業の芸人養成所であるNSC(ニュースタークリエイション)に入学されますが、
この段階ですでに同期芸人よりも先をいっていました。

まず小学生の時点で芸人になることを決めているので、本人は中卒でのデビューを志していました。
そこを愛するお母様のご期待に応えるべく高校だけは卒業することにしたのです。
中卒のつもりだったので中学ではバスケしかしていませんでしたが、受験間近で猛勉強して地域で1番の進学校に入ります。
このときの自学自習体験がのちのサーカスにつながります。

高校ではやはり勉強しませんが、予定通りNSCには入ります。
ただし愛するお母様と約束したのは1年で結果がでなければやめるということ。

このように入学段階でその決意と覚悟と期限がほかの芸人とは比較にならないくらいに抜きんでていた西野さんは
NSCのカリスマ講師から「見た瞬間に売れると思った。岡村隆史さん以来の衝撃」と評価されます。
また梶原さんも同じくすぐに売れる才能と評価されます。

別々のコンビでスタートした2人はほどなくコンビを組んで年末の「オールザッツ漫才」に出演します。
オールザッツ漫才というのは当時は関西のお笑いの年末の風物詩で、深夜から朝までやる聖地のような存在でした。
そこにNSC在学中に抜擢されたのは後にも先にもキングコングだけです。
巨人の高卒ルーキーが開幕投手みたいなもんです。吉本興業からの評価の高さはこれ以上の説明は不要ですね。

しかしながらその舞台ではあまりウケませんでした。なぜなら漫才がまあまあ上手かったから。
当時のオールザッツ漫才というとそこにスタジオ観覧にいくファンなんて、自称お笑い評論家みたいなイタイ連中ばかりです。
まだ正式にデビューしてもない自分よりも年下のネタで笑ってたまるかくらいの空気感をだしていました。


●西野亮廣の戦略的賞レースの勝ち方

年末のテレビデビューでは、スタジオの反応こそ冷ややかであったものの、
自分を含めた茶の間へのインパクトは普通ではありませんでした。
そのころは関西のお笑いがやや元気を失っており、ついに次のスターがやってきた感はありました。

ネタの作りもビジュアルも完全に梶原さんを押し出す形で数ヶ月後の漫才コンクールでNSC在学中の最優秀賞を獲る訳ですが、
特筆すべきはオールザッツ漫才からのレベルアップです。
オールザッツ漫才のときはネタの質は高いものの、間合いが取れていなかったり、
西野さんのガラガラ声が素人感をだしていたり、荒削りな完成度でした。
(それでもプロ5年目といってもおかしくないレベル)

それがほんの3ヶ月とかで5年分くらいの上達をみせるのです。
上達だなんて上から言って申し訳ないのですが、西野さんの発声がクリアになって、
2人の息の合い方が絶妙になって、誰がどう見ても完全に優勝という格の違う戦いだったのです。

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