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キングコング西野公論 329
- 725 :LINEブログ(1/2):2017/11/11(土) 16:42:48.95 ID:SySqarOj0.net
- https://www.facebook.com/AkihiroNishino.official/posts/766588450212186
真面目に書きました。
僕が25歳の頃の話です。
https://lineblog.me/nishino/archives/9307273.html
あの頃の俺
2017/11/11 12:20
あんまりテレビに出てないもんだから、母ちゃんと近所の蕎麦屋のオバちゃんに心配されるが、どっこい、ここ1年は自分の
芸能生活の中で最も忙しい時間を過ごしている。
ライブをすればお客さんが集まるし、本を出せば売れる。
海外で個展をすることも珍しくなくなってきた。
まわりには常にたくさんの大人達がいる。
数年前の自分が憧れた状況に今あるわけだが、しかし、やっていることは「アレとコレを掛け合わせて…」という“編集作業”が
多く、数年前に撒いた種から、ようやく咲いた花を回収するような作業だ。
貯金を食い潰しているような作業だ。
「たしかに活動の規模は大きくなってるけれど、これでいいのか?」
こんな時に振り返るのは、決まって25歳の自分だ。
あの頃の俺は誰からも求められず、まるでノラ猫のように、あがき続けた。
表向きには絶頂期を迎えていた頃だ。
自分の冠番組を多く抱え、そのうちの一本は日本で最も視聴率を取っていた。
ただ、その活動に先が無いことは自分が一番良く分かっていた。
あらゆるものを手にして、それでも突き抜けられていない自分に絶望した。
そして収録合間、スタジオの屋上に梶原を呼び出して、煙草を吹かしながら、「俺、テレビから軸足を抜くわ」と言った。
梶原は黙って頷いた。
その日から、モノ作りが始まった。
忘れもしない。最初は「中野TWL」という50人でいっぱいになる劇場での再スタート。
『グッド・コマーシャル』という芝居を書いて、チケットを捌き、美術セットは自分で軽トラックを走らせて持ち運んだ。
誰一人として、「はねるのトびらのキングコング西野」に創作物なんて求めちゃいなかった。
毎日、泥だらけになった。
無様だったかもしれない。
しかし、用意されたレールではなく、自分で敷くレールは、自分次第でどこまででも行けることが分かっていたので、
俺は幸せだった。
今、あの頃の俺に戻りたいと思う自分がいる。
今回、何故、このような文章を書いたかというと、たった今、尾崎豊を聴いたからに他ならない。
尾崎豊がムッチャかっこいいのだ。
「尾崎豊になりたい」といっても過言ではない。
なので、普段は『僕』のところを、『俺』にしてみた。
尾崎豊が『俺』と言っていたからだ。
ちなみに、「あの頃の俺は誰からも求められず、まるでノラ猫のように、あがき続けた」と書いたが、自分でも何を言っている
のかサッパリ分からない。
ノラ猫って、あがくの?
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