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キングコング西野公論 288

155 :Facebook(1/2):2015/12/16(水) 13:41:44.31 ID:ZoqYRR450.net
http://m.facebook.com/story.php?story_fbid=715899405211193&id=100003734203517

「絵本はなんで一人で作ることになっているんだろう?」という疑問から始まり、クラウドファンディングで1000万円以上の制作費を集め、現在、超分業制の絵本『えんとつ町のプペル』の
制作にあたっているんだけれど、そこへ踏み出したキッカケはMUGEN UPというイラスト特化型のクラウドソーシングの会社をしていた一岡さんとの出会いがあった。

クラウドソーシングってのは、依頼主と、その依頼にピッタリ合ったクリエイターさんとを繋げてくれるキューピット的な仕組みのことね。

一岡さんに合って、話を聞いて、「この人と仕事をしたら面白くなりそうだな」と思って、「そういえば、今度の絵本はチームで作りたかったんだ」という順番。
つまり『えんとつ町のプペル』は、一岡さんとの出会いがなければ、生まれてこなかったのだ。

ここから突然、時計の針をグーンと巻き戻すんだけど、僕の人生の転機は3度あった。

1度目は、この世界に飛び込んだ19歳の時。
デビュー前から漫才の賞とかを獲りまくって絶好調にチョーシにのっていた時期に舞い込んできた『はねるのトびら』の話。
あれで間違いなく人生が変わった。

2度目は25歳の時。
各局の冠番組だとか、それこそ全国ネットのゴールデンに進出して毎週視聴率を20%獲得するようになった『はねるのトびら』だとか、子供の頃から憧れていたステージに立ったものの、
結局、芸能界の順位は変わらなくて、「ここまでやって変えられなかったら、あと何をすればいいんだよ」と絶望していた時期に出会った『ひーはー!』という舞台。
僕の師匠の後藤ひろひとマンが仕掛けたスットンキョウなコメディーだ。
モノを作るようになったキッカケも、「ハッピーエンドしか作らない」というルールを決めたキッカケも全部、『ひーはー!』のおかげ。
終演後、後輩が横にいるのに、「俺、こういうの作りたいな」と涙がボロボロ出て、立ち上がれなかったことを昨日のように覚えている。

3度目の転機は2013年の頭に仕掛けたニューヨークの個展。
これはクラウドファンディングで資金を集めて開催に漕ぎ着けたんだけれど、そのクラウドファンディングの話を持ってきたのが当時吉本社員だった佐藤さん。
佐藤さんは僕の担当マネージャーでも何でもないんだけれど、その出会いをキッカケに、「西野さん、あれやりましょうよ」とか
「それをするんだったら、こうした方がいいですよ」とコッソリと耳打ちをしてくれるようになった。

ちなみに『サーカス!』という学校を立ち上げたり、一岡さんを紹介してくれたのも、佐藤さん。

(続く)

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