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SEALDsが日本のエンタメ業界の勝者になったらしい

1 :通行人さん@無名タレント:2015/12/01(火) 21:46:51.76 ID:fAaBiVhn0.net
日本のエンタメ産業はすべてSEALDsに敗北した
http://gudachan.hatenablog.com/entry/2015/12/01/211513

>SEALDsが今年の流行語大賞になったそうだ。
ボンダイはこの1年、SEALDsを応援し続けた。
実は「SASPL」時代から彼らのことを注目し続けていたのだが、SEALDsが日本国民の流行現象となり、多くの若者に支持された最大の要因はエンターテイメント性であるとボンダイは思う。
こんなことを言うと、真面目にデモをしている読者のSEALDsさんたちに怒られそうだが、しかし実態としては、今の日本のありとあらゆる娯楽の中で最も「イカしていて」最も「洗練されていて」最も「若者が主体となっている」活動が、SEALDsのデモだった。

ネトウヨやヘサヨ・逆張り冷笑系サブカルのネット原住民が何と言おうとも、政治的意味合いを抜きに、今年の流行文化は間違いなく「SEALDs」だった。
そこで本記事はエンタメ的側面からSEALDsを考察してみようと思う。

SEALDsが出てくるまでは、2010年代の若者文化の代表格はAKB48とされていた。

一方やアイドルグループ、方やデモ団体と様式はあまりに異なるのは承知のうえで、あえてその違いを比べると見えてくることがある。



1つは出会うことのコスパの良さだ。

当初のAKBは「会いに行けるアイドル」をそもそも売りにしていた。劇場では必ず至近距離で拝めることができて、握手会では手を握って喋れる。
しかもみんなけっして美人すぎるキャラとはいえないような、一般人的な「そのへんにいそうな子」だった会いやすい気軽さがあった。
それまで流行っていたモーニング娘。は美人でファッショナブルでパフォーマンスが完璧すぎて浮世離れしていた。

ボンダイの大学の後輩に、AKB結成初期からのオタがいるのだが、彼によると2000年代後半のAKBは「ガラガラが当たり前」だったという。
今となってはありえないことだが、公演後に秋葉原駅で総武線に乗るとメンバーと鉢合わせたりしたこともあったようだ。
だが現在のAKB48はあまりに会いづらい。握手会も気の遠くなるほど長蛇の列だし、コンサートチケットの倍率が半端ないのである。
一方、SEALDsの場合は、そもそもが普通の学生の集まりでタレントではないから、会える。
新宿のデモを観察しに行ったら、あとからやってきたのに最前列に行ってもスタッフに怒られなかった。誰でも交通費だけでデモ会場に行けば奥田愛基氏ら有名メンバーのスピーチを間近で観ることができるのだ。
というか、スピーチ用のステージに立っている人間だけでなく、聴衆一人一人もデモの主人公なのである。つまり、会うどころか、役者にすらなれるのだから、何とコスパが良いことだろうか。

次に洗練性である。

AKBの音楽は基本的にアイドル歌謡である。おニャン子を仕掛けた秋元氏の戦略なのか、昭和テイストを感じるくらいに古典的な楽曲ばかりである。
総選挙などの大規模な行事もコテコテありふれた興行イベントと言う感じで、このなじみやすさが中年世代や「地上波テレビが最大の娯楽・情報源」となっている地方都市住民にも評価を広げる要因となっていると思う。
一方それは都市住民や若者からすると退屈でもある。本来なら「オタク臭くなった"モー娘。"の次の時代を切り開くグループ」を求めているつもりが、AKBを基準としたエピゴーネンばかりがあちこちに出てきてアイドル戦国時代という既成事実が起きてしまった。
一方SEALDsは、まさに都心にたむろす都市住民・若者層にとことん特化している。DJブースを出してラッパー系のシュプレヒコールを展開するサウンドデモをやったり、スピーチのBGMにEDMをかけたりしている。
それどころか、日本HIPHOP界の有名ミュージシャンであるECD氏が誘導係をやっていたりするなど音楽ファンや都市住民からすると「ヤバい」要素だらけである。
最新の洋楽の影響をしっかり受けていて、プラカードや先導車両やステージ背景やフライヤーやウェブサイトなどのデザインは尽く日本的古典性よりも欧米先進諸国の都市部における最先端の市民デモのトーンに沿って作られている。
10年ばかしの都市文化やメディアカルチャーの「退屈な低迷」を突破するような息吹を彼らに感じるのは当然だ。

3 :通行人さん@無名タレント:2015/12/01(火) 21:57:41.30 ID:fAaBiVhn0.net
(つづき)
戦後60年間の「テレビ文化」の時代に終止符を打った「SEALDs文化」

戦後期の街頭テレビが力道山のプロレスを中継して以来、日本のテレビ文化は長らく国民の中心にあり続けたが、それに終止符を打ったのもSEALDsだった。

日本のテレビ文化は、スポンサーから莫大なお金を集めることで見ごたえのある番組を作り、それを中心に関連するグッズやら、イベント開催や劇場映画やらという様々な消費文化を華やがせ続けたことは有名だ。

それはバブル崩壊後も続いたが、2000年代前半をピークにテレビの広告収入は減少し始めた。ボンダイの記憶する限りでは、2005年のフジテレビによる電車男ブームが最後の国民的なテレビ流行文化だったと認識している。
テレビキー局が相次ぎIT企業に買収されかけたことで、ますます保守化し、するとどんどんテレビ業界はダメになっていった。
それでもテレビを観続けたのがネット原住民や地方在住者などのB層たちだったが、彼らが性懲りもなく「クイズ・ヘキサゴン」とかに喜んでいた頃、そんなことに見向きもせず、
気ままにインターネットを駆使し、街中で最新のトレンドに浸り、テレビに左右されずに高次元の文化を求め続けていたのがSEALDs世代である。

アーリーアダプターであればウィンドウズ95が発売された当初に察していたのかもしれない。2000年になって以降一気に都市住民の関心が薄れていったテレビ業界は、その主体は高齢者や地方都市中心の情報弱者層という「B層消費者」になっていった。それだけではない。
都会の一般大衆を失った代わりにマスコミが接近したのが「公権力」だったわけである。在京メディアという強大な存在が、国民の側に就くのではなく、安倍政権の「鎧」のようになったことが鮮明になったのが今回のデモだった。

改めて、日本のテレビ文化とSEALDs文化を比べよう。

テレビ文化は、ギョーカイで作られ、ギョーカイが流行らせたものを、下々の消費者が享受するという上下構造がある。これにばかばかしくなって嫌気がさしてテレビ離れしたのが都市住民の真相でありネットの普及を原因とするのは間違いだ。

SEALDsは違った。若者たち国民当事者が自発的に立ち上がり、私たちの口コミによって有名になった。マスコミはそれについて消極報道で、ネガティブな反応ばかりだったのが現実だ。

ここにはある種の懐かしさもあった。

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