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キングコング西野公論 277

730 :Facebook:2015/07/16(木) 12:46:00.82 ID:BkRvy4cr0.net
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=657782571022877&id=100003734203517

高校を卒業して、「1年やって売れなかったら、辞める」と親と約束をして、吉本興業の養成所の門を叩き、養成所の入学式当日に学長にネタを披露した。
皆が、飲み会をしたりキャンプに行ったりしている時間を全てネタ作りにあてて、夏の終わりに梶原と出会い、冬にNHKの上方漫才大賞を獲り、
1年目で関西の漫才の賞を総ナメして、あっという間に売れた。

そして2年目の春に『はねるのトびら』がスタートする。
そこで自分が任されたのは「まわし」という役割で、ゲームコーナーでは「真面目にやりましょう!」と叫び、
本来オイシイはずの“ヨゴレ役”を避け、徹底して「普通の人」を演じなければいけなかかった。
お笑いで勝ち続けた結果がそれだ。

それでも、当初『はねるのトびら』はコント主体の番組だったし、それこそ秋山竜次のような才能を目の当たりにすると、
「自分が死に役になることなんて安いもんだ」と、ずーっとパスを出し続けていたんだけど、毎日何百回も僕の耳に入ってくるお客さんの声は
「西野は面白くない」「芸人のクセに」というものばかりで、ついにプツンと切れて、独演会をスタートさせた。

「俺だって、やれるから!」というクダラナイ自我だ。
今考えると、人として恐ろしく未熟なんだけど、しかたない。当時、まだ23歳。クソガキである。
独演会をスタートさせた理由は他にもあったような気がするけど、覚えているのはそれぐらい。

とにかく、そんなこんなで始めた独演会。
「エピソードトークならば、笑いをとっても、“不通の人”という立ち位置は崩れないだろう」という考えがあった。
テレビで喋るエピソードトークを、独演会で叩いて叩いて叩いた。

『いいとも』の放送終了後のトークは、絶対に自分が一番笑いをとってやろうと意気込んで、独演会で仕上げたトークをブチ込みまくった。
今、思うと、本当に邪魔くさい若手芸人だったけど、タモリさんや鶴瓶師匠や久本さんが、笑って許してくれた。
一生、頭が上がらない。

当時のことを肌で知る落語家の桂枝太郎は「エピソードトークを途中で奪われて、はじめての『いいとも』出演を西野さんに潰された!」と今でもチクチク言ってきやがるが、記憶にない。
人が喋っている途中に「それだったら、俺も」とカットインしたというのだ。
本当かどうか分からないけど、当時の僕ならやりかねない。

あの頃から、活動の真ん中にはいつも独演会があって、マイク一本ブラ下げて、北は北海道、南は沖縄まで、全都道府県を回った。

仕事で大きなホールに立たせてもらう度に、「いつか、こういうところで独演会をやりたいな」と思い、独演会の打ち上げ会場の田舎町の居酒屋で、
「いつかニューヨークとかでもやりたいな」とスタッフと酒を呑んだ。

そして去年、ついに2000人規模の日比谷公会堂の公演が実現し、そして今年、ついにニューヨーク公演が実現した。
やたらと認められたくて、とにかく牙をむいて、ブルブルと震えていた当時の僕に、「大丈夫。お前の夢は叶うよ」とコッソリ耳打ちしてやりたい。

そして、このDVDを見せてあげたい。

ニューヨーク公演の本編と、開催までの裏側を追ったDVD。
ずっと一緒にやってきたスタッフが作ってくれた。
当たり前のようにいつもカメラを回しているから、それが自然で、DVD用に取り繕った言葉ではなく、本音がポロポロこぼれている。

今日はこれから日比谷公会堂の下見。
ドキドキしてる。

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