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キングコング西野公論259
- 85 :Facebookより:2014/08/04(月) 13:09:07.92 ID:KjSQ3lsG0.net
- 3時間前
「ボランティアは自分の欲求を満たす為にやる」と書いたところ、実際にボランティア活動を
されている方から「それは違う!」とご意見を頂戴した。最も強く反対された方のご意見で、
「…私は声楽なのでボランティアでは演歌や童謡もやります。それは利用者さんが知っていて、
懐かしいと思ってもらいたい(から)」とあったが、これこそが“自分の欲求”なのだが、
どうにもこうにも伝わらない。
「ボランティア」という言葉に「人のために無償で働く」というイメージがあまりにも色濃くあるので、
「何を言ってるんだ!自分のことなんて考えちゃいない!私はただ、人に幸せになってもらいたいだけだ!」と
脊髄反射的に反論される方がおられるんだけど、その行動の根底には「〜してもらいたい」が必ず含まれている。
「子供には幸せになってほしい!」「被災地の方の笑顔を取り戻したい!」
これらは全て、自分の欲求…もっと言えば『自己愛』だ。
それでも、やっぱり納得がいかない人がたくさんいると思う。
それでだ。ここから少し強く聞こえちゃうかもしれないけど…
結果的に人が幸せになるんだったら、『自分の欲求を満たす為』と言われてもよくないですか?
何故そこまでして自分の行動を『他人のために己の身を粉にしている』とカテゴライズしたいのかが
僕には理解ができない。
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