【伝統破壊】明仁と美智子の悪行【あとよろ】
- 2 :名無しさま:2023/12/23(土) 17:03:16.68 ID:NZum0c/L.net
- 1990年11月23日号 週刊朝日
https://i.imgur.com/iDrBAN7.jpg
明仁天皇になって初めての園遊会が赤坂御苑で開かれたのは、今年五月。園遊会では、招待客たちが御苑の池の周りに並んで立ち、その前を天皇、皇后をはじめ皇族が一列になって回るのだが、天皇が参列者全員に声をかけていては、時間がかかりすぎる。そこで、昭和天皇のときは、事前に宮内庁と記者クラブが打ち合わせし、天皇が「お声」をかける人を数人だけ決めて、小型のマイクを付けて並んでもらい、会話内容を取材できるようにしていた。ところが明仁天皇は、参列者の前に登場する成り、「ああ、○○さん」と、片っ端から声をかけた。皇太子時代が長く、交際範囲が広いこともあり、参列者に知人がやたらに多いのだ。
昭和天皇のころは一時間くらいで終わっていたのが、このときは二時間もかかり、初夏の強い日差しの中を立ちづめで、高齢の参列者には倒れる者も出るありさま。←★★
「この園遊会が典型なんですが、昭和天皇は御輿に乗るタイプで、園遊会でも決められた方々に声をかけると、あとは時間を守ることを優先しました。
これに比べ明仁天皇は、なんでも自分の思ったとおり、納得するまでやろうとする方。裏方にすれば、決めた手順どおりに儀式が運ばず、苦労する」
皇太子時代から公式行事やパーティーでのスピーチも、自分流に直してしまい、あらかじめ宮内庁が報道機関にくばっら予定原稿も、内容が変わり、役に立たなくなるケースもあったという。
浜尾実・元東宮侍従は、「天皇になられてから、警備を薄く師、非公式におでかけのときには、赤信号で車を止められるようになった。開かれた皇室を意識されているんでしょうけど、警備の側からは困るようです。何時何分にご到着か分からないし、信号で止まっていると人が集まってくる。道路もかえって渋滞する」
と語る。せっかくの改革も裏目に出ることが多く、側近たちは戸惑うようだ。
今年三月、紀宮の成年式を祝う茶会が宮中であった。皇族の成年を祝って茶会や晩餐会を何度も開くということは昭和時代にはなかった。その席に招かれた浜尾さんに、侍従が駆け寄り、「浜尾さん。両陛下が、また宮中を改革してるなんて、どこかで大袈裟にいわないでくださいよ」と耳打ちしたという。
改革と言えば、前例を破り昭和天皇の喪中に行われた秋篠宮の婚約発表も、明るい話題で国民には好評だったが、宮内庁の一部にはこんな反発もあった。
「あのころ、若い宮内庁職員の中には、先帝の喪中だからと結婚を伸ばしたものもいたんです。陛下の職員に対する気配りは、いかがなものかと思いますね」なかなか難しい世界である。
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