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アンチ東宮の皇室ジャーナリストの言論検証

193 :渡邊みどり 渡辺:2019/09/12(木) 13:36:17.60 ID:PBPXCp6P.net
>>192 続き

「かくし子」だった皇室ジャーナリスト 美智子さまとの意外な“出会い”〈週刊朝日〉2
9/10(火) 7:00配信  アエラdot. ※週刊朝日  2019年9月13日号

結婚を諦めた母は、そのとき父の家から受け取った資金を使い、20代後半で
「渡邉看護婦会」(看護師紹介所)を東京・青山で開業。働きながら育ててくれました。
誰の人生にもいくつかの岐路があるものですが、私の場合、生まれた瞬間が
最初のターニングポイントだったのかもしれません。

「自分の家は普通の家と違う」と気づいたのは、小学校に入学したあとのことです。
物心ついて初めて父に会ったことで、「なぜ、父は毎日うちに帰ってこないのか」と
いう疑問を持つようになり、母に何度も尋ねたことを覚えています。そのとき、母から
「父には別の家がある」と聞きました。父にはそのとき、別の家庭があったのです。

未婚の母がまだ珍しかった時代、母に対する風当たりや偏見は今よりもずっと
強かったと思います。

小学校の友だちに、「みどりちゃんのお母さんはお妾(めかけ)さんよね」などと
言いふらされ、「学校に行きたくない」と母に訴えたことがありました。

中学生のころ、私の名付け親でもある父方の祖母のお葬式へと出かけたときには、
父の家族から「金銭目当てではないか」と疑われ、早々に追い出されてしまった
こともありました。帰りの列車の中、屈辱感で涙が止まらなかったのを思い出します。

そんな生い立ちを知っている人からは「よくグレなかったわね」などと言われます。
けれども愚痴ひとつこぼさず、忙しく働く母の姿を見ていたら、そんな気にはなりません
でした。また母の仕事柄、人の出入りも多く、にぎやかな家庭だったため、さみしさを
感じずにすんだのもよかったのでしょう。住み込みの看護師見習いの女性たちからは、
ずいぶんとかわいがられました。

母は非常に教育熱心で、小学校時代、あまりできのよくなかった私に対しては
「さあ、勉強、勉強」が口癖でした。高校卒業後、「短大で……」と尻込みしていると、
大学への進学をすすめたのも母でした。

大学受験では、共学になったばかりの早稲田大学と、看護学校にも合格していたため、
周囲からは「看護師になって、看護婦会を継いだほうが……」と随分すすめられました。
けれども、私の夢を知っていた母は、「親も子も同じ分野じゃつまらないじゃない」
と、早稲田大学への入学を後押ししてくれました。

大学時代は、新設された女子ボート部の一員として、真っ黒に日焼けし、汗を流した
ことがいい思い出です。早慶戦に向け、早朝、隅田川で女子ナックル・フォア
(4人漕ぎボート)の練習をしていたとき、テレビ局が取材にきました。
その日のお昼のニュースに、その映像が流れたのです。

つづく

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