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サモ・ハン熱望「ジャッキー・チェンと共演したい」

1 :朝一から閉店までφ ★:2017/05/21(日) 19:21:21.33 9.net
[2017年5月21日10時27分]

カメラに向かって往年のカンフーパンチを披露するサモ・ハン(撮影・村上幸将)
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1825396.html


 カンフー映画で一時代を築いた香港の世界的俳優サモ・ハン(65)が、新作映画「おじいちゃんはデブゴン」(27日公開)公開を前に11年ぶりに来日し、
日刊スポーツの単独インタビューに応じた。サモ・ハンは今作で共演したユン・ピョウ(59)、
そしてジャッキー・チェン(63)ら、香港映画を世界に広めた盟友との共演について「もちろん、やりたい」と意欲を見せた。

 −昔ながらのカンフーアクションに、ロシア・ウラジオストクでの空撮など、現代らしいシーンが融合していた。香港映画は、どう進化しているのか?

 サモ・ハン 監督によっても違うと思いますが、当然、撮り方の変化はありますよ。どこのシーンでどこを撮るから、こういう撮り方にしようと考えて撮る。
今回は、ウラジオストクをどう見せれば1番、分かりやすく、よく見えるかを考えて、ドローンを使って撮影しました。

 −香港映画が1番、変わったところは?

 サモ・ハン 1番、大きく変わったことは資金不足になったこと。低バジェット、低コストで撮る作品が多くなった。結局、市場がないのです。

 サモ・ハンは10歳で中国戯劇研究学院に入学し、ジャッキー・チェンやユン・ピョウら優秀な生徒を集めた「七小福」に選ばれ、リーダー格となった。
13歳で「愛的教育」(61年)に出演し映画デビューすると、71年に香港を代表する映画会社ゴールデン・ハーベストに入社。
「燃えよドラゴン」(73年)のオープニングで、主演のブルース・リーと戦う巨体ながら俊敏な少林寺僧役がきっかけで、世界に知られるようになった。

 80年代にはプロデュース業も手がけ、ジャッキーと共演した「プロジェクトA」(83年)ではアクション監督、
「五福星」(84年)と「スパルタンX」(84年)では監督も兼任した。当時の香港映画は世界で人気を集め
「キヤノンボール」(84年)は、ゴールデン・ハーベストがハリウッドの20世紀フォックスと共同製作した。

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