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【社会】「ひとり」でいるほうが良い3つのメリット

1 :ノチラ ★:2017/07/16(日) 13:29:10.45 ID:CAP_USER.net
昨年3月、私は15年間勤務していた東大病院を任期満了退官しました。

所属していた組織を離れ、心の同志はいますが、物理的には「ひとり」で住んでいます。

そんな、ひとりという状況で浮かぶのが、「孤独」という言葉です。

一般的には、孤独にはネガティブなイメージで語られる面があります。その筆頭が「寂しい」イメージですが、「ひとりは寂しい」という一方的な感情を、私たちは幼い頃から他人に刷り込まれてしまってはいないでしょうか。

私は現在、何よりも自由という喜びを感じています。その自由には、責任の所在も含まれています。

いいことも悪いことも自分の責任である、ということが心地いいのです。

これは「自立」と言い換えることもできるかもしれません。

日々のすべてが自分の裁量というのは大きいことです。時間の使い方にしても、お金の使いみち、食事の選択にしても、すべてが自分の裁量にまかせられているのはありがたいものです。

もっとも、病院に勤務していた時にも、直接干渉されるようなことはありませんでしたから、昔から自由にしていたといえばそうなのですが。

しかし、何といっても、ひとりの時間の思考には一切の遠慮がいりません。すべてを自分本位に考え、素直に感じることができます。自分にどこまでも正直になれます。

実は、意外にも組織にいたほうが、人は相対的にひとりを感じやすいものです。組織に適合してしまえればそう感じることはないでしょうが、適合できない、合わない、と思う時に、人はひとりだと感じるものです。

ひとりとは、実は比べるものがあって初めて相対的に感じるものであり、はじめからひとりでいると自覚していれば、それは絶対的なものとなり、だからどうだと感じることはなくなるものです。

私自身、現在は物理的意味ではなく意識としてひとりだと思っています。非常勤で大学に行くことはありますが、たとえ今、どこかの組織からお誘いが来たとしても、当面は考えていません。組織というのは宗教と一緒で、そこに組織の論理が働きます。そこで自分の意見を変えないといけないようなことがあっては困るからです。とりあえず私は、どこにも属さず、ひとりである今に何の不自由も感じていません。

言うまでもありませんが、誰もがひとりで生まれ、ひとりで逝きます。ですから、誰かが定義するしないにかかわらず、誰もが本来ひとりなのです。

いつも自分は大勢でいるから孤独ではない、と言う人がいますが、そういう人に限って自分が孤独である事実を見ないようにしています。

ひとりでいても、心が孤独でない人はひとりではありません。逆を言えば、大勢といても決断を下す時はひとり、あるいはそこに寂しさを感じたら孤独です。独居をしていても、ひとりという感覚がないという人もいるでしょう。

つまり、孤独とは、ひとり暮らし、家族がいない、友人がいない、といった状況を指すのではなく、寂しさを感じているといった心の在り様を指すわけです。ここでは、物理的なひとりだけではなく、大勢の中にいても感じる孤独を含めた広い意味での心の在り様も示す言葉として、「ひとり」を使うことにします。

ひとりとは、「人間本来の自由な状態」と私は解釈しています。
もっと簡潔に、「あるがまま」「ありのまま」と言ったほうがいいでしょう。
本来のあるがまま、人としてのあるがまま。そして、最も自由な状態。
それが、「ひとり」なのです。

私は、今という時間を大切にしたいと思っています。過去も将来も一体となった今を生きる、つまり古神道でいうところの「中今」です。

ひとりであるという自由な状態をありがたいものと受け止めて、あるがまま、ありのままに「ひとり」を楽しんでいる時こそ、「没我」に、そしてこの中今を生きることにつながるのです。

ひとりの時間の3つのメリット

ひとりの時間のメリットには、次の3つがあります。

(1)惑わされない
(2)自由に考えられる
(3)自在に動ける
以下ソース
http://diamond.jp/articles/-/134969

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