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【コニシを更迭した】旧民主党等研究第1525弾【ケンタが悪い】

931 :日出づる処の名無し:2023/04/03(月) 10:35:51.79 ID:cFTybIcd.net
MINKABUより、投資系はなぜこんなにマスクが嫌いなのか_

みんなマスクしているから…個人の判断ができない日本人の過剰な自意識…日本の残念さを憂うフランス哲学者
マスクは、新型コロナウィルスという未知の不可視の敵、いわば〈ケガレ〉あるいは〈呪い〉から身を守る〈護符〉だった。しかし、いまや、その〈護符〉そのものが〈呪物〉となり〈呪い〉としてわたしたちを強迫観念的に拘束している。その〈呪い〉をわが身からひきはがそうとすれば、「醜さ」の露出、あるいは他者の好奇な眼差しの被曝という〈罰〉を、いやおうなしにこうむることになるだろう。 
著者は、著者の昔の教え子を想いだす。彼は、きわめて優秀な学生であったが、あるとき、某キリスト教の一派に入信した(この宗派自体はカルト教団ではなく、社会的に承認されている伝統的な正統的な宗派である)。まもなく彼はネットで「ルルドの泉」の聖水の小瓶を購入した。その後、彼は授業中であれ入浴中であれ就寝中であれ、かたときも聖水を手放さなかった。キリスト教の教理が、それまで考えたことのなかった自分自身の「罪深さ」を彼に気づかせたのかもしれない。
彼はその後、精神科病棟に入院することを余儀なくさせられた。
教え子の強迫的行動であれば、患者個人に対するなんらかの療法の適用で快癒するかもしれない。しかし「ムラ社会」における「呪い」の解除は、つねに「最終的真理として機能する」集団の論理を経由しなければならないのだ。マスクに顔を隠す若者ひとりひとりにどう諭すのが優しさか、というパターナリズムを弄しているのはお門違いもはなはだしい。
その意味で、日本社会は「間強迫観念的」(inrerobsessionnel)な社会といえるのかもしれない。
福田肇

福田肇
哲学者。フランス国立レンヌ第?大学哲学科博士課程にてDEAを取得。 同大学およびフランス国立応用科学院で講師を務める。現在新島学園短期大学で「思想」を講ずるほか、中島義道主催「哲学塾カント」で「現代フランス思想入門」を担当する。

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