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【政治経済】令和床屋談義 町の噂その771
- 161 :日出づる処の名無し:2022/05/07(土) 21:39:40 ID:g33uN4uQ.net
- ・・・現在のウクライナがある地域は、モンゴル、オスマン帝国、ポーランド、そしてロシア
など、その時々の勢力が東西南北から侵攻し、支配と分割を長い間、繰り返してきました。
9世紀ごろ、東スラブ民族のキエフ大公国が一帯を支配していました。
10世紀終わりにはビザンツ帝国からキリスト教を受容し、これがウクライナと正教との
結びつきの始まりとなります。
そんな中、13世紀になると東側からモンゴルの侵攻を受け、非常に多くの犠牲者が出ました。
キーウ(キエフ)の街も壊滅的な被害を受け、都としての機能は崩壊。
その後は、リトアニア、そしてポーランドにより支配されました。
支配と分割を繰り返す歴史の中で唯一特殊だったのは17世紀、正教徒のコサックと呼ばれる
集団が自立に向けて反乱を起こし、国家として独立した時期です。
ただ、それもあまり長くは続かず、ロシアとポーランドに分割されていきました。
「ウクライナ」の語源となった「クライ」とは、スラブ語で何かを区切る「線」を意味し、
そこから「辺境」もしくは「国」を示す言葉だと考えられます。歴史的事実からも、まさに
各勢力がぶつかる線上にある辺境の地であったと推測できます。
現在のウクライナのほぼ全てがロシア領となったのは、ポーランド分割後の18世紀後半です。
たかだか約250年前であり、当時の日本は江戸時代です。ロシアのプーチン大統領は
「ウクライナはロシアの一部だ」と主張していますが、歴史研究者の立場から言うと、
その歴史は非常に短いです。・・・
https://news.yahoo.co.jp/articles/ed104b5f718dae9cffc9a09fcd20fe0ecdd590b6
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