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【祝・800弾】旧民主党系等研究第800弾【ところで3年何してたの?】

506 :日出づる処の名無し:2020/06/23(火) 12:22:55.68 ID:vApmbG1a.net
闇の中で聞いた樺美智子の悲鳴 60年安保を生きた東大同級生の回想
2020/6/23 11:00 (JST) 株式会社全国新聞ネット 江刺昭子 女性史研究者

 今年は60年安保闘争から60年の節目の年だが、当時を知る人が少なくなったうえに、
コロナ禍の影響もあって関連報道が少ない。中止や縮小開催に追いこまれたイベントもある。

 それでも6月10日、「戦争NO!安保60の会」主催で記念講演会が、
国会近くの憲政記念館で開かれた。大学生のとき、その闘争を体験した作家の保阪正康さんが講演で
「わたしたちが真にあの体験で何を得たのかを、きちんと語り継いでいないことに弱さがある」と語った。

 炎天の6月15日には「9条改憲阻止の会」主催の「樺(かんば)美智子追悼集会」があった。
彼女が斃(たお)れた国会南門に遺影を供えて献花、黙祷したが、
70人ほどの参加者はシニア世代ばかりで、若い人の姿はほとんどなかった。

 60年前、国民運動とも言われる反政府運動があり、学生や労働者や市民が
安保反対・岸内閣退陣を要求して国会議事堂を十重二十重に取り囲んだ。樺美智子は6月15日、
国会構内に突入して亡くなる。彼女はなぜ実力行使に出たのか。その理由も今では
あまり理解されていないように思う。のちの全共闘運動と混同している人も多い。(以下略)
ttps://this.kiji.is/647758999538877537

> 気になるのは、ブント結成の折の指導者たちの予言だ。「この新組織のもとで、誰かが命を落とす。
>指導部はそこまでの覚悟をして、革命の道を切り開こうとしているんだ」。
>予言が当たって命を落としたのは、指導部の誰かではなく「彼女」、つまり樺美智子だった。

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