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☆アジアを解放した日本、その尻尾にくっついてきただけの朝鮮人★ Part2

281 :日出づる処の名無し:2020/09/07(月) 14:07:15 ID:D1zJZban.net
1945年11月8日にニューメキシコ州、ロズウェル陸軍航空基地(現ウォーカー空軍基地)に到着。
1946年4月29日にクロスロード作戦に参加するためクェゼリン環礁に向かうが、投下作戦がビキニ環礁に変更となったため、
翌日にカリフォルニア州トラビス空軍基地へと帰還している。

その後、機体保存が決定され、1946年7月24日にアリゾナ州デビスモンサン空軍基地へと移送された。
1946年8月30日には陸軍航空隊を除籍し、スミソニアン博物館名義へと変更されている。
その後1953年12月2日メリーランド州、アンドルーズ空軍基地へ移送、そこで解体保存されることとなる。

1995年に、国立航空宇宙博物館側が原爆被害や歴史的背景も含めて、レストア中のエノラ・ゲイの展示を計画した。
この情報が伝わると、アメリカ退役軍人団体などから抗議の強い圧力がかけられ、
その結果、展示は広島への原爆被害や歴史的背景を省くこととなり、規模が大幅に縮小された。
この一連の騒動の責任を取り、館長は辞任した。

その後、レストアが完了し、スミソニアン航空宇宙博物館の別館となる
スティーブン・F・ウドヴァーヘイジー・センター(ワシントン・ダレス国際空港近郊に位置)が完成したことにより、現在はその中で公開されている。
重要な常用展示機体であり、その歴史的背景から破壊行為などが行われないよう、複数の監視モニターにて監視され、
不用意に機体に近づく不審者に対しては監視カメラが自動追尾し、同時に警報が発生するシステムを採用。
2005年には映像解析装置も組み込まれるなど、厳重な管理の元で公開されている。

前述したような事態が繰り返されるのを避ける目的で、原爆被害や歴史的背景は一切説明されていないために、その展示方法には批判的な意見も存在する。

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