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【我が党は】岡田民主党等研究第442弾【審議拒否で120%の力が出る】
- 225 :日出づる処の名無し:2016/01/31(日) 19:29:52.31 ID:e+EFqN7X.net
- >>223の続き
支援運動が広がることはなかった。裁判の傍聴には2、3人の“同志”しか来なかった。
「家族は巻き込まない」という申し合わせも反故にされ、訴訟費用の一部は知念の父親にも請求されていた。
それどころか、同志は徐々に四散して、沖解同は知念の服役中、事実上消滅した。
「そもそも実行犯役は、自分から名乗り出たのですか?」
知念の表情がまた曇った。「実は、計画段階からメンバーはぽろぽろ抜けていったのです」
戦旗派は何人も活動家を送るのに、沖解同は態勢が整わない。主導権は途中から戦旗派に奪われた。
気がつけば知念は逃げ場を失っていた。大学も中退し、職業革命家として生きるつもりでいた知念だが、
出所時にその思いは消えていた。看板屋や古書店など職を転々とした。
そのたびに公安刑事が現れ、いたたまれず離職する。出所後は、その繰り返しだった。
今回、知念との面会を仲立ちしてくれたのは、沖縄大名誉教授の組原洋という弁護士であった。
知念は一時、司法書士を志し、弁護士志望者の勉強会に出入りして、組原の指導を受けていた。
「でも当時から彼は精神的に参っていて、ほとんど酒浸りの状態でした」
皇太子への犯行や反天皇思想が原因で、周囲から白眼視された経験はない、と知念は振り返る。
だが、傍らで組原は「そんなことはない」と、かぶりを振る。「みんな直接は言わないけど、微妙な空気はありました。
私だって大学教員として、あんな人間と付き合うのはいかがか、と言われましたから」
それでも、あの事件の受け止め方について、沖縄の世論に本土とは異なる寛容さがあったことは事実らしい。
県警の内部にすら、犯行への共感を示す者がいた、という話が、現地では語り継がれている。
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