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【真偽は確かめませんが】岡田民主党等研究第439弾【審議拒否はします】

508 :日出づる処の名無し:2016/01/28(木) 20:33:54.82 ID:toQkrhTl.net
倉重篤郎のサンデー時評/北の核、拉致で振り返る 戦後政治の一つの「イフ」
http://mainichi.jp/sunday/articles/20160125/org/00m/010/002000d
国会がつまらない。野党に気迫と知恵がない。安倍晋三首相以下閣僚陣はさぞかし楽チンだろう。
そんな中、一瞬だけ安倍氏が気色ばむ場面があった。テーマは、北朝鮮による日本人拉致問題。
民主党議員が、拉致被害者の蓮池(はすいけ)薫さんの兄、蓮池透さんによる新著
『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(講談社)をネタ本に、安倍氏を責めた。

曰(いわ)く。安倍氏は拉致問題を利用してのし上がったのではないか。また曰く。薫さんら拉致被害者5人を、
2002年日本に一時帰国後、北との約束違反を覚悟のうえそのまま日本にとどめ置くことにした、
その決断をしたのは安倍氏ではなく、兄の透さんではなかったのか……云々(うんぬん)である。
これに安倍氏は猛反発。「本の引用だけで、私の名誉を傷つけようとしている。極めて不愉快」と色をなし、
「(当時の状況としては)北に戻すという流れだったが、私は断固として反対した。
私が言っていることが違っていたら国会議員を辞める」とまで語った。

安倍氏には一貫して批判的な私だが、このやりとりについては安倍氏に軍配をあげたい。確かに安直な質問だし、
被害者を北に戻さないという決断も当時官房副長官だった安倍氏が軸になっていた。被害者家族内では
透さんが言い出したのかもしれないが、政府中枢の最終決断では安倍氏の主張が大きな影響力を持ったのは事実だ。
ただ、ここからが安倍氏と違うところだ。私は北との約束を守り被害者たちを一度北に戻してでも、
当時両国間で合意した平壌(ピヨン ヤン)宣言に基づき日朝国交回復を進めるべきだった、といまだに思っている。

あの時のことを振り返りたい。小泉純一郎政権下の02年9月17日のことだ。小泉首相が電撃訪朝し
金正日(キム・ジヨンイル)総書記と首脳会談。金氏が初めて拉致の事実を認めて謝罪、
「拉致被害者は5人生存、8人死亡」という事実を明らかにし、それを受けて、日本の対北経済支援と
核問題の包括的解決を軸に国交正常化交渉を再開する、という内容の平壌宣言に署名した。

それは、日本外交の大きな成果であった。拉致問題について知らぬ存ぜぬであった独裁国家の無謬(むびゆう)の
最高権力者をしてその咎(とが)を認めさせただけではない。東アジア地域の安全保障上の最大の不安定要素だった
北の核問題について包括的に協議する場を設けることができ、かつ、経済支援という形で朝鮮半島全体に対する
最終的な戦後処理が進む。日本にとってはある意味一石三鳥の独自外交であった。
ここには、当時の田中均(ひとし)外務省アジア局長の1年間にわたる濃密、戦略的な事前折衝があった。

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